08/04/30 20:44:10 ZhykcdQb
第2回1934年、イタリア大会
予選参加29か国、本大会16か国(前回優勝国と開催国は予選参加に含まず)
2回目にして、すでに一都市、財源のない国での開催は不可能に。
当時のイタリアはムッソリーニ政権、ファシスト下の大会となりました。
この大会、ウルグアイが参加を見送っています。
前大会で欧州強豪が来なかったことを、根に持ったんですね。
「ムッソリーニのアズーリ」これがすべてを表しているような大会となります。
決勝はイタリア対チェコ、延長戦により、イタリア優勝。
起死回生の状態からイタリアが追いついて、延長での勝利です。
アズーリに優勝を争う実力はありましたが、
不正と運で得た勝利、と、疑惑つきでかたられることになります。
大会はムッソリーニの大衆操作に利用されつつ、100万リラの利益をも生み出しました。
政治的、経済的効果に目をつけたナチスドイツは、ゲッペルスの主導で
この大会を参考にベルリン五輪は開催されたと言われています。
また、この大会からラジオ放送が行われるようになりました。
「ファシズムの偉大さ」を宣伝するべく、
イタリア国内では48時間後に記録映画が上映されるなどもしていたそうです。