08/04/30 20:28:26 ZhykcdQb
ワールドカップ、日本代表蹴球板勝手支援企画
「ワールドカップについて知ってみよう!」
世界最大級のスポーツの祭典といえば、オリンピックと並んで、
サッカーのワールドカップがあげられます。
日本でもドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜からフランス大会、
そして日韓共催と、ようやく国民の関心事として、根付いた感があります。
そんなビッグイベントのワールドカップ、そしてサッカーの歴史はいつも
世界全体の動きとリンクしながら、進歩してきました。
国際情勢、内政、軍事に、不本意ながらいつでも影響されてきたのです。
そのあたりを踏まえながら、
日本人にはあまりなじみのない第1回から
日本が出場できなかったアメリカ大会までの歴史を振り返ってみようと思います。
78:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:29:40 ZhykcdQb
ワールドカップの発案者は誰?(1)
英国でFA(イングランド フットボール協会)が1863年に創立が、
近代競技としてサッカー(フットボール)が成立した時、といわれています。
サッカーそのものは、欧州各地へ、
また大英帝国の植民地支配を通じて世界各国へと伝わりました。
各国は英国にならい、サッカー競技の国内組織を作っていきます。
そのうちの1つ、オランダサッカー連盟会長ヒルシュマンは考えます。
「アマチュアだけじゃなく、プロも含めた世界一きめるのっていくね?」
当時のオリンピックはアマチュア限定だったんですね。
普通に考えたら、すでにプロサッカーが存在したことのほうがびっくりかw
で、FAに打診したら、無視されるわけです。
英帝国様的に、自分たちが一番なのが当たり前であって、
決定戦とかなんぞそれ、意味ナスって感じだったんですねー。
また、FIFA初代会長となるゲランも
世界選手権とか開きたいんだけどどうよ、つって
スポンサー探してみたけど、あっさりすべてに断られます。
そりゃ、そんな思いつきだけの博打、誰ものらんわw
79:名無し募集中。。。
08/04/30 20:30:00 67NRDnSX
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狼◆セクソン連 は身長203cmのシアトルマリナーズの大砲セクソンのために
毎日2:03:00にささやかなラシを行います
80:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:30:31 ZhykcdQb
ワールドカップの発案者は誰?(2)
ここで、ゲランとヒルシュマンは一緒に考えます。
「とにかく、やりたいやりたい言うだけじゃダメポ。
主催する国際組織とか作っちゃおうぜ」
こうして、FIFAができることになったというわけ。この当時は欧州オンリーでした。
あれやこれやして、1904年に、パリで初のFIFA会議が開かれまして、
1906年のスイス開催を目指し、参加チームを募ることになりました。
さて、その顛末。参加立候補チームなし!ということで、実現しませんでしたw
理由は単純「どこも開催地まで行く費用がないし、開催する金もない」・・・世知辛い。
初代FIFA会長ゲランたん、責任とって辞任。しょぼーん。
___ 見えませ~ん
∥ | ∨
∥現実 ∧_∧ .ヘ∧
∥ \ ( ・∀・) (゚A●)
|| ̄ ̄⊂ ) ( と)
凵 し`J U U
当時の発案者一同、リアルでこんなんだったわけですねw
81:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:31:55 ZhykcdQb
ワールドカップの発案者は誰?(3)
最初の開催案があえなく散って10年のあいだ、
FIFAは世界選手権を再提案することはありませんでした。トラウマトラウマw
次に提案されたのが1914年、アメリカ、アルゼンチン、チリも参加して
かなりFIFAもちゃんと国際組織らしくなっています。
しかし、第1次大戦の勃発で、この案もあぼーん。
大戦終結を経た1928年、アムステルダムのFIFA会議で
ようやく世界選手権がみたび、議題にのぼります。
今度は開催しようぜという流れになったのですが、開催地が最大のネックになりました。
「参加チームの旅費と滞在費はすべて負担、新スタジアムを建設」
この太っ腹な条件により、南米のウルグアイが第1回の会場に決定しました。
しかし、当時欧州の国が南米に行くのには船しかなく、しかも道のり3週間!
これをいやがった多くの欧州の国が不参加を表明。
また、英国FA4協会は、数年前にFIFAを脱退していたため不参加。
この件について、南米各国は拗ねて、根に持ちます。
第1回の開催前から、欧州対南米の火種はすでに燻っていたのでした・・・。
82:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:34:27 ZhykcdQb
第1回1930年、ウルグアイ大会(1)
13か国の参加、予選はなしです。
記念すべき第1回大会の参加国は以下のとおり。
チリ、メキシコ、アルゼンチン、フランス、
ボリビア、ブラジル、ユーゴスラビア、
ペルー、ウルグアイ、ルーマニア、アメリカ、ベルギー
実はアメリカとか、いちばん最初から参加してるし!
ぬっちゃけアメリカあたりは
欧州開催でも南米開催でも交通事情が変わらんとか
あと昔から札束は持ってるとかごにょごにょ
さて、この頃のサッカーですが、今と大きく違う点が1つ。
なんと、選手交代は認められていなかったんですね。
つまり、怪我したらそのまま選手足りないままプレイ。
・・・なんという、削ったもの勝ちのジャイアンルールだか・・・。
83:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:35:50 ZhykcdQb
第1回1930年、ウルグアイ大会(2)
この当時すでに、南米各国は欧州に並んでサッカーが盛んでした。
ただし、ブラジルあたりは、代表でプレイしてるのは白人がほとんどでした。
競技として黒人に門戸が開かれたばかりで、混沌としていたですよ。
サッカーといえばサポ乱入やら乱闘やらプギャーなんて、
焼き豚もとい野球好きの方はよく揶揄されますが、
実際のところ、第1回大会からそういう出来事が起こっているので
あながち歴史上否定できない部分はあります。
フランス対アルゼンチン、
アルゼンチンファンがグラウンド侵入。
90分経過直後に試合終了の笛が鳴ったため、抗議した。
大混乱の末、試合はロスタイムとして再開されたらしいです。
審判てやつは、昔から結構、そんなもんだったんだね・・・。
84:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:37:51 ZhykcdQb
第1回1930年、ウルグアイ大会(3)
決勝は、ウルグアイ対アルゼンチンの南米対決。
世界でも有数の歴史を持つ対決で「ラプラタ・ダービー」と呼ばれます。
このときは、実は28年オリンピックの再現マッチでした。
そのため、試合前からピリピリした緊張状態。
伝えられる話としては、
チケット売り場に殺到する群衆が警備警官を圧倒し、売り場を金網で囲うことになったとか、
審判団が身の安全の保証を要求し、特に主審は生命保険を要求したとか、
アルゼンチンは終始警察の管理下におかれたとか。
直接的には、どのボールを使うかで対立。どっちも自国産を使用したがったんですね。
たかがボールと思われるでしょうが、実は先日の日本のアジア3次予選でも、
相手がどのボールを選ぶかわからず、練習ボールを現地調達したなんてエピソードがあります。
そんくらい、トップレベルではボールの感触の違いが重要になるらしいんです。
現在は、本戦は公式球が用いられ、
予選では、ホーム&アウェイのホーム側が、使用ボールを選ぶ権利を持っています。
このときは、前半後半別々のボールを使うという、実におかしなことになったそうな・・・。
85:名無し募集中。。。
08/04/30 20:39:24 4g9p9OTQ
┣━┫[[コード]] <<板名>>
┃ ┃ rへ __ __
┃┃┃┃くヽ l^ i /: : : : : : : : Y: :ヽ ⌒☆
┗╋╋┛. \\l l. /: :./ l: :.lヽ: : :ヽ: : :ヽ
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┃┃ \\ / l: :/ ○ 丶l ○ l: : :ハ: : : :',
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┃┃┗┓01:39:00 {:::::::::::::::::`T7└‐┴‐< l: : : :. l
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┃┃┃┃ ミ ク ラ シ /: : : : : : | /:/: l: : : :Y:::::::l l: : : : : :.l
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┣━┫みくううううううううううううううううううううううううううううううううう
01:39:00になんとなくミクラシをします
AA自由 投票先自由
寝てて忘れてたらごめんなさい
86:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:40:52 ZhykcdQb
第1回1930年、ウルグアイ大会(4)
こぼれ話になりますが、
即報手段のない時代なので、アルゼンチンでは電報で経過が報告され
それを新聞社のバルコニーから読み上げていたとか。
そこまでしてすぐに結果を知りたい、または知らせたかったんですね。
昔も今も、サッカーに関しては南米、必死だな。
結果、開催国のウルグアイが優勝を勝ち取ります。
ウルグアイ監督
「ほかの国には歴史があるが、ウルグアイにはサッカーがある」
めちゃくちゃ鼻高々な割りに、ちょっと自虐的ですw
ウルグアイは、決勝の翌日は、国民の祝日になりました。
一方、アルゼンチンのウルグアイ大使館には暴徒襲来、
投石などが横行したそうで・・・。
このように、すでに第1回から
ワールドカップは人を非常にハイテンションにさせながら
開催されていたようです。
87:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:44:10 ZhykcdQb
第2回1934年、イタリア大会
予選参加29か国、本大会16か国(前回優勝国と開催国は予選参加に含まず)
2回目にして、すでに一都市、財源のない国での開催は不可能に。
当時のイタリアはムッソリーニ政権、ファシスト下の大会となりました。
この大会、ウルグアイが参加を見送っています。
前大会で欧州強豪が来なかったことを、根に持ったんですね。
「ムッソリーニのアズーリ」これがすべてを表しているような大会となります。
決勝はイタリア対チェコ、延長戦により、イタリア優勝。
起死回生の状態からイタリアが追いついて、延長での勝利です。
アズーリに優勝を争う実力はありましたが、
不正と運で得た勝利、と、疑惑つきでかたられることになります。
大会はムッソリーニの大衆操作に利用されつつ、100万リラの利益をも生み出しました。
政治的、経済的効果に目をつけたナチスドイツは、ゲッペルスの主導で
この大会を参考にベルリン五輪は開催されたと言われています。
また、この大会からラジオ放送が行われるようになりました。
「ファシズムの偉大さ」を宣伝するべく、
イタリア国内では48時間後に記録映画が上映されるなどもしていたそうです。
88:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:44:51 ZhykcdQb
第3回1938年フランス大会(1)
予選参加21か国、本大会15か国。
この頃、時勢はヨーロッパ動乱へと突入しています。
オーストリアはドイツに併合され、代表選手はドイツ代表として参加。
スペインは内戦中です。
また、キューバ、オランダ領東インドは最初で最後の参戦となりました。
ウルグアイはウルグアイ大会の遺恨をひきずって辞退。
南米とか、ラテンの割に根暗ですよねー。
これにアルゼンチンも同調したんですが、
不服に思った国民が国内で暴動に走ったそうです。激しいですな。
さて、アジアの枠は1。
エントリーは日本とオランダ領東インドだけ。つまり1つ勝てば出られたんです。
予選前のオリンピックで「ベルリンの奇跡」を起こしてますから、勝てた可能性は高い。
しかし、日中戦争勃発のため予選不参加となり、実現していません。
まさかこの後60年、出られないとは・・・ねえ・・・orz
89:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:45:39 ZhykcdQb
第3回1938年フランス大会(2)
一回戦、ブラジル対ポーランドは延長ありで6-5!れっつ、馬鹿試合><
しかし上には上が。スウェーデン対キューバは8-0。
「5-0までがジャーナリズムの範疇、そこから先は記録の範疇に入る」
ある報道陣の残した言葉だそうです。なんまいだー。
さて、ブラジル対チェコは、歴史に残る大虐殺試合&暴力試合となります。
「ボルドーの戦い」と呼ばれるその試合は、
両チームあわせて3人の退場者、チェコは2人の重傷者を生んでしまいます。
第1回のところで説明したとおり、交代ルールがないので
怪我だろうが反則だろうが、相手がいなくなるのは一緒。
潰し合いも込みでサッカーだったわけです。なんつーか本当に格闘技だった時代です・・・。
決勝はイタリア対ハンガリー。
前回大会は自国開催での優勝だったイタリアが、連覇を果たします。
「密約優勝??」と言われ続けた自らの実力への疑惑を、連覇で晴らした格好になりました。
ここで第2時世界大戦が本格化し、
ワールドカップは12年の間、中断されます。
90:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:46:57 ZhykcdQb
第4回1950年ブラジル大会(1)
予選参加19か国、本大会13か国。
この大会から正式に「ジュール・リメ(第3代FIFA会長)杯」と命名されました。
ところでそのトロフィー、戦争中の12年の間、どこにしまわれていたのか。
これ、今もって真偽不明みたいです。
ついでに現在も、このトロフィーは所在不明なのですが、そのお話はまた改めて。
第二次大戦の災禍を克服するため、南米開催になりました。
本当はドイツが第4回の予定だったんですが、戦争責任で資格停止だったんですね。
戦争を引きずり、出場辞退する国が多数出た中、
第1回開催前にFIFAから脱退していたイングランドが、初参加することになりました。
このイングランド参加ですが、FIFAに英国4協会加盟したとき、
じゃあ2つに参加権やんよ、英国選手権開いて上2つでよろ~とFIFAは返事しました。
他は地区単位でいくつ、とかなんで、
二分の一ってのはずいぶん優遇されてるんですが
イギリスはイギリス様なので、全部無条件出場できてしかるべきくらいの態度だった模様。
「無礼者!不愉快、タイトル取れないところは参加してあげないからね><」
、、、てなわけで、イングランドのみの参加になったらしいです。
91:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:49:36 ZhykcdQb
第4回1950年ブラジル大会(2)
アルゼンチンは、この大会も不参加。また、フランスがまさかの予選敗退。
イタリア代表は、なんと8人もの代表選手を飛行機事故で失った後だったため、
満足な体制がとれない中での出場となりました。
イングランドは史上初のフルタイム契約代表監督、ウィンターボトムを擁しています。
第4回大会のハイライトといえば「マラカナンの悲劇」に尽きます。
決勝リーグ(そう、この回はすべてがリーグ戦だったんですよ)、
ブラジル対ウルグアイが優勝決着の試合となりましたが、ブラジルの勝利は磐石という下馬評でした。
その試合に先立ち、リオ政府高官は試合会場で長い演説をぶちあげました。
意訳「ブラジル勝つの当然。あと数時間後には歓喜だし、先におめでとうって言っちゃうよv」・・・フラグ乙。
ゴルア!ウルグアイぶちきれの末、ブラジル逆転敗北m9(^Д^)プギャーーーッという流れ
でき過ぎのような展開ですが、マジですw
しかしブラジル国内で76人が失神、2人自殺2人ショック死、全国では10人以上死亡。笑えん。
この大会のセレソンのユニフォームは白だったのですが、
呪術師の進言(←マジで)により、ユニ色は黄色に変更されました。
こうして、セレソンは今のカナリアイエローの集団になったのです。
92:名無し募集中。。。
08/04/30 20:50:00 67NRDnSX
>>79のAA
[[コード]]
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/ (ノ___∠ | ∪ (ノ|__|). | ∪ (ノ|__|つ<<板名>>
|_____|___| \._./_/ \._./_/
し`J. .し`J .し`J 所属板◆セクソン連
93:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:51:17 ZhykcdQb
第5回1956年スイス大会(1)
予選参加33か国、本大会16か国。
1次リーグシード制、同勝ち点ならプレーオフという変則ルール採用の大会。
FIFA創立50年記念として、FIFA本部のあるスイス(だったのかー)で開催されました。
しかし、はっきり言って運営の評判はよくなかったようです。
なにより、交通の便がヨーロッパの中でよすぎたんで、観客が多かった。
しかし国は狭いので処理能力のキャパがオーバー。
結果、事件事故を抑えるために警察総動員で町中警察。
さらに評判悪くなるのループ、みたいな。
この大会で、西ドイツが国際試合の舞台に復帰します。
前評判では、4年間無敗で大会に臨んだ
「マジック・マジャール」ハンガリーが優勝候補として、頭1つ抜けていました。
4-2-4システムの原型を採用していたチームといわれています。
94:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:52:21 ZhykcdQb
第5回1956年スイス大会(2)
さて、歴史的な大荒れ試合が、また新たに生まれてしまいます。
その名も、「ベルンの戦い」
準々決勝、ブラジル対ハンガリーがそれ。
審判は必死にレフェリングしましたが、それでも3人の退場者。
強豪同士だけに、口での罵り合いの挑発はどちらともなくあったようですが、
エスカレートして、ブラジルが試合中に手を使用した反則を連発。
さらに敗北後は相手ロッカールームになぐりこんだらしい。南米コワス。
そして、最後の最後にアップセットがおこりました。
復帰直後の西ドイツが、ハンガリーを決勝で下したのです。
「ベルンの奇跡」と呼ばれる、国際サッカーの歴史に残る戦いです。
冒頭に述べた変則ルールによる組み合わせが、
実力に勝るハンガリーの落とし穴となったよう。
優勝には実力に加えて、何らかの運も必要ということなんでしょうねー。
95:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:54:20 ZhykcdQb
第6回1958年スウェーデン大会(1)
予選参加46か国、本大会16か国。
最初は、ワールドカップ=アマチュアプロ交じりの大会、
オリンピックはアマチュアオンリーの大会という色分けだったはずが
日本はワールドカップにエントリーするとアマチュア規定に触れるため辞退したらしいが、なんでだ?
資料あさってみたけど、いまいちここだけ分からんかった。誰か教えてエロい人。
目を引く話題として、ソ連の初参加があります。
また、当時のカップ名にもなった、FIFA会長のジュール・リメが
スイス大会の後、実に33年の長期政権をもって引退しています。
前回、実力では他を圧倒していた「マジック・マジャール」ハンガリーは
56年のハンガリー動乱により主力選手の亡命もあり、解体されてしまいました。
また、やっと他の国同様、欧州予選に参加した英国4協会が
すべてそろって本大会に参戦しました。
口だけじゃなく、やっぱサッカーの母国は実力もあったってことですね。
ただ、イングランドは主将ほか名選手を飛行機事故で失った、
悲しみの衝撃からの奮起による出場でした。
96:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:55:12 ZhykcdQb
第6回1958年スウェーデン大会(2)
予選で目を引く事件といえば、イスラエル。
なんと政治的な理由で対戦相手が試合を拒否したため、不戦勝で出場権獲得。
よく、スポーツと政治は切り離せと言われますが、
サッカーの歴史見てると、そんなのいまさらすぎるだろうというか・・・
だから反面教師で言われてるのかもしれないですけどねorz
オリンピック同様、ワールドカップでも自国開催に先駆けて
国内強化に励む例は多く見られます。
初の北欧開催となったスウェーデンは、大会に先立ちプロ選手を公認しました。
最初は誰にも期待されていなかったスウェーデン代表でしたが、結果は躍進。
しかし、この代表よる国民の愛国心の高揚は、また弊害も併せ持ちます。
準決勝、スェーデン対西ドイツ。
開催国スウェーデンは、ピッチに応援団長を登場させ、観客の意識を鼓舞。
対抗して西ドイツ側もピッチに降りようとしますが、
会場の陸上トラックに阻まれたどり着くことができませんでした。
97:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:56:28 ZhykcdQb
第6回1958年スウェーデン大会(3)
スタンドでは、一部西ドイツ観客席を制限しようとして大喧嘩。
審判は手によるスウェーデンゴールの判定を流す。
接触で相手が退場すると、とたんに元気になるスウェーデン選手。
スウェーデンDFは、相手エースを負傷させても退場なし。
ちなみに、相手は翌日から数日間ベッド暮らし。
もう開催国贔屓とか言うレベルじゃないだろそれっていう・・・。
日韓のときの韓国とか、実はある意味、
ワールドカップの伝統にのっとったやり方だったよねとか、もうね・・・。
決勝は、こうしてあがってきたスウェーデン対ブラジル。
さすがに、決勝では応援団長のピッチ登場は
FIFAにより押しとどめられ、中止になったらしいw
結果、この大会がワールドカップデビューのペレを擁した
ブラジルの初優勝となりました。
98:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:58:54 ZhykcdQb
第7回1962年チリ大会(1)
予選参加49か国、本大会16か国。
この大会から、得失点による順位制度がはじまります。
1960年に、チリ地震が起こっています。
チリ国内では数千人、日本でも津波で、三陸沖などで多数の死者が出た大地震です。
このため、アルゼンチンでの代替開催案も出ましたが、
チリ協会会長は
「すべてを失った何もないチリでこそワールドカップは開かれるべき」
と唱え、そのままチリ開催となりました。
しかし、開催に尽力したこの協会会長は、開幕の33日前に死去。
本大会を見ることがかないませんでした。
このころの世界的な大きな動きでは、1959年のキューバ革命があります。
本大会直後の、キューバ危機=核戦争一歩前まで、世界中ぴりぴり。
南米では、チリ、ボリビア、ペルーの3国が戦争状態。
革命の英雄「チェ・ゲバラ」の躍動した時代。
ゲバラ自身もサッカーコーチをしていた時期があります。ポジションはGKだったらしいよ。
99:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 20:59:55 ZhykcdQb
第7回1962年チリ大会(2)
前回のスウェーデンに続き、この大会の開催国チリも躍進します。
ここで面白いのが、チリ「食事戦法」w
スイス チョコレート食って勝利
イタリア スパゲティ食べて勝利
ソ連 ウォッカ飲んで勝利
決勝ブラジル コーヒー飲んだけど負け。
これが、セレソンにも呪術師ついてるからだったかどうかは、定かではないww
そのチリに敗れたイタリアは、すでに「カテナチオ」守りまくりサッカー全盛です。
この大会、チリ全体を、イタリアは敵に回してしまっていました。
イタリアが強化に選手引き抜き策を行っていた等の下地はあるのですが、
決定的になったのは、直前の、イタリアジャーナリストのチリ侮蔑報道でした。
遺恨試合となった対決では、チリがイタリアを挑発、プレイのさなか、
さかんに相手の顔にツバをはきかけたのに、イタリアがのってしまいます。
結果、1人鼻骨折、2人退場、乱闘あり。
・・・まだまだ、格闘技まがいの時代です。
100:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 21:00:50 ZhykcdQb
第7回1962年チリ大会(3)
主審は試合後この試合を「コントロール不能だった」と主張しました。
その後FIFA審判委員会メンバー、2大会の監査役になった人だし、
まあ本当にそうだったのかもなー。
サッカー先進国ブラジルは、この当時すでに科学トレーニングを導入。
高地トレーニングとかやってたらしいですよ。すげえな。
この大会は、ブラジル代表ガリンシャ、そしてザガロの大会となります。
他に名GK、ジルマールなんかもいた頃だからなあ・・・。
決勝ブラジル対チェコ、
エースのペレを途中負傷で欠きながら、ブラジルは連覇を達成。
まさに、セレソンの黄金時代の到来でした。
101:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 21:02:36 ZhykcdQb
第8回1966イングランド大会(1)
予選参加51か国、本大会16か国。
大会前に、ジュール・リメ杯が盗難に会うハプニング。
事件から2ヶ月後に、離れた街で新聞紙にくるまって発見されたとか。
そして時代は、ベトナム戦争の大きなうねりの中です。
また、ベルリンの壁ができてすぐです。長きにわたる、東西冷戦時代。
アフリカ・アジアはあわせて1枠という狭き門が変わらないまま。
このことへの抗議で、予選不参加国が続出しました。
この大会、「史上最大の番狂わせ」北朝鮮がイタリアを破るという事件がおきます。
北朝鮮が、ワールドカップ本大会で唯一最大、輝きを放った瞬間です。
背景には、カテナチオへの閉塞感と、イタリアサッカーを覆う薬物渦がありました。
当時の北朝鮮サッカーがクリーンだったこともあり(※参考文献どおり)
試合、観客からは「コ・リ・ア!」コールがおき、
試合後、複数年契約だったイタリア監督ファブリは辞任に追い込まれました。
北朝鮮にも、国際的にさわやかだと思われていた時代があったんだぜ?
102:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 21:04:23 ZhykcdQb
第8回1966イングランド大会(2)
さて、政治的にもサッカー的にも因縁だらけの2カ国、
イングランド対アルゼンチンは準々決勝であたりました。
そしてこれが歴史に「ウェンブリーの戦争」として残る、醜悪な試合です。
この試合を差配したクライトライン主審の権威主義が、因縁をさらにあおりたてました。
まあ、、、いろいろともめた試合のようですが、
アルゼンチンのラティンが、味方への警告に異議をとなえ退場処分。
しかし判定を不服とし退場をこばんだため、10分以上試合が中断されます。
大会から選手を引き上げるとのアルゼンチンチームは脅しをかけますが、
ワールドカップ審判委員長が仲裁し、試合再開。
アルゼンチンは粘りを見せましたが、試合はイングランドの勝利に終わります。
この対戦が、フォークランド紛争への伏線の1つになったとされています。
全体に欧州勢が、南米勢を圧倒した大会となったのですが、
南米側は、欧州勢の間に密約があったのでは?という疑いを強く持ったようです。
上の試合に限らず、南米は選手引き上げを度々ちらつかせるほど、
不信感をあらわにしました。
のちに選手引き上げの脅しは、駆け引きの常套手段となります。・・・どうよそれ・・・。
103:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 21:07:00 ZhykcdQb
第8回1966イングランド大会(3)
準決勝、西ドイツ対ウルグアイ、ウルグアイは退場2人という、不利な条件で敗北しました。
このため、西ドイツのハーラーが倒れたときは、演技では?との疑惑も生んだとか。
しかし実はウルグアイ選手に睾丸をつかまれて、晩は出血がとまらなかったそう。イタタタタ。
それでもこの試合、ハーラーはしっかり後半に得点を決めています。根性ってすげえなw
また、ブラジル・ペレが受けた悪質なファウルにも、相手ポルトガル選手は退場なし判定。
ペレは「ボールではなく足を蹴るのが目的の大会はもう出場しない」と、
次回のワールドカップ参加を、拒否するコメントを出します。
不可解判定?の最大のハイライトは、
決勝イングランド対西ドイツでの、疑惑のゴールです。
決めたのは、イングランドのジェフ・ハースト。唯一の決勝ハットトリック達成者です。
力いっぱいうったシュートはバーに当たり、GKの背後垂直に落ちます。
このボールが入っていたのか、いなかったのか。
観戦していたベッケンバウアーは「ゴールではなかった」と証言。
いろいろ分析して、どうやら入ってなかったかもという意見が多そうだし、
本人も数十年経過し、振り返ると入ったかどうかよくわからないとか言ってるようですが、
彼はイングランドの祖国の英雄として勲章と騎士称号を得、いまもなおご健勝ですw
104:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 21:08:36 ZhykcdQb
第9回1970年メキシコ大会(1)
予選参加68か国、本大会16か国。
1964年東京のFIFA総会で決定されましたが、
現金飛び交う過度の誘致活動が後々問題視されることになりました。
当時の南米は、軍事独裁政権多数樹立。
「サッカー戦争」として有名な、ホンジュラスとエルサルバドルの諍いもこの頃です。
実際のところ、その前から領土その他でもめてたのが
決裂するきっかけ(言い訳)にされただけというのが真相みたいですが。
この頃から、TV中継(商売)に大会が左右されるようになってきます。
なんと、欧州で放映するため、正午から開始の試合が続出って言うんだから正気じゃない。
メキシコっすよ?気温37度っすよ!?そのうえ高地帯っすよ!!??
氏ねといってるようなもんだ、アフォかーーー!
スポーツ中の突然死がよく話題となる昨今を考えると
よく死人が出ずにすんだと思います・・・。
105:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 21:09:30 ZhykcdQb
第9回1970年メキシコ大会(2)
さて、この回は後世に語られるところの「ペレの大会」。
前回大会後、ワールドカップ拒否の姿勢をとっていたペレが、
発言を撤回し、出場することに決めた大きな理由の1つに、ルールの改正があります。
やっと選手交代が認められるようになりました!!!><
また、イエロー、レッドカードが採用されたのも、この大会からです。
開催国を敵にまわすと厄介なのは
第7回チリ大会のイタリアの例で説明しましたが、
この大会、同じわだちを踏んだ国があります。
イングランド監督ラムゼーは、大のプレス嫌いで外国人恐怖症。
彼にすれば普段どおりの言葉の足りないコメントに、メキシコ全土がカッチーン。
グループリーグ3組、ブラジル対イングランド戦でのこと。
前夜からイングランド滞在ホテルを取り囲み、
車やバイクのクラクション、ブラジルコールで選手の安眠妨害。
狙い通りにイングランドは打撃を受け、勝ち上がることができませんでしたとさ。
106:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 21:10:56 ZhykcdQb
第9回1970年メキシコ大会(3)
判定での揉め事は、もはや恒例行事です。
「アステカ・スタジアムでは疑惑のゴールが生まれる」という、
縁起でもない風評がたちました。
さて、決勝はイタリア対ブラジル。
消極的な「カテナチオ」と強力タレントによる攻撃的サッカーの対決は
ブラジルの勝利で三回目の優勝、規定により、カップの永久保持権を獲得しました。
しかし、この試合後、ペレは今度こそ本当に代表引退を宣言します。
なんども復帰への工作がされましたが、
翌年7月のラストゲーム以降、彼が再びセレソンに戻ることはありませんでした。
「あれ以上、軍事政権のためにユニフォームを着たくなかった」
これは30年後、民主政権下で口を開いたペレの述懐です。
107:清き一票@名無しさん
08/04/30 21:14:30 vDXuchz9
支援
108:ワールドカップ板、日本代表蹴球板勝手支援
08/04/30 21:16:57 ZhykcdQb
ここまで、長々とスレを占拠したことをお詫びいたします。
後半、第10回以降は、できれば第2次予選にてご披露したいと思います。
(一応、ネタは全部作り終えてあります。図書館通いしちゃったぜ!)
もし勝ち進んだ暁にはボーナストラックとして、
ストイコビッチやオシムが巻き込まれたユーゴ動乱と
ユーゴ代表についての記録なども、ご披露できればと思います。
それでは5/1、
<<ワールドカップ>>または<<日本代表蹴球>>への投票、
よろしくお願いします!
※主要参考文献
ワールドカップ全史大全
ワールドカップと世界史
ワールドカップ全記録2006年度版
ほか、Wikipediaをはじめとしたネット文献多数。
109:名無し募集中。。。
08/04/30 21:18:22 4g9p9OTQ
途中ではいってごめんね