08/06/02 22:31:40 HwSXVp+W0
自分の記憶内でこうだろうと予測した動き(音声や身体動作)と、
実際目の前にある動きが、微妙異なった場合、
人は自分の知覚よりも記憶内のメモリからの情報を再生するのではないか。
人を模したものを鑑賞する際に、
人は無意識のうちに、対象と人の異なっている部分を自分で補完して、
人と同じだと認識しようとするんじゃないか。
差異が大きすぎれば、その動きを「それ」(人間らしい動き)と認識できない。
小さければ補完ができるけど、やっぱり脳のなんらかのメモリを使ってるから、
その分長時間見たり聞いたりしていると、疲れたりするのではないか。
補完し始める閾値と、疲労を感じなくなる閾値との二段階があるのではないか。
仮説:
感覚器からのインプットと、記憶からのアウトプットを合成して感じている。
経時的に、補完し始める閾値は低下する。
ストレスを感じる閾値は低下しない。
→脳内イメージは外界の情報でそう簡単には変化しない。
→補完(置換)の効率が上がった。
というテーマ。
長文スマソ。
ボカロ耳が作られたり、MMDの微妙な違和感に慣れてきたりするけど、
なんか疲れるなぁと思って思いついた。