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アダム・クラブツリーと「頭の中の声」を聞く患者
アダム・クラブツリー博士は、カナダのトロントに住む精神療法医である。1966年に開業してまもなく、
他の多くの精神科医と同様、彼の元にも頭の中に「声」が聞こえるという患者がやってく
るようになった。
現代ではこのような症例は格別珍しいものではないし、「声が聞こえる」ことも狂気の兆候
と見なされていない。
プリンストンの心理学者ジュリアン・ジェインズ博士が幻聴の研究を始めたのは、自分でも一度体験し
たためであった。ソファに横になっているとき、頭上から語りかけてくる声を聞いたのだ。ジ
ェインズは自らの正気を疑ったが、一割の人間が何らかの幻覚体験を持ち、そのうちの約三分
の1が「幻声」の形態をとっていることを知って、大いに安堵した。
あるまったく正常な若い主婦などは、毎朝ベッドを整えながら、死んだ祖母と長い会話を
交わすという。ジェインズは当然ながらこうした体験すべてを幻覚とみなし、アダム・クラブツリー
も長い間その見解を支持していた。しかしクラブツリーはあるとき、この基本的見解に疑問を投
げかける症例に出会った。それはセイラワージントンという若い女性に関するものである。セイラはジ
ェニーという女性精神科医の患者だったが、初期療法がうまくいきかけてまもなく、うつ病に
取りつかれ自殺を図った。
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08/05/29 20:09:04 0lCkUPyL
クラブツリーは二人をオフィスに迎え入れ、セイラの問題点を探った。質問の一つに、頭の中の声を
聞いたことがあるか、というものがあった。聞いたことがある、とセイラは答えた。クラブツリ
ーは彼女に、横になってリラックスし、頭の中で行われた会話をできるだけ再現して欲し
いと頼んだ。すぐに反応が現れ、彼女は体をこわばらせて叫んだ「ああ、すごい火だわ、
なんて熱さなの!」。二人の精神科医は、その声がまったく別人のものであることに気づ
いた。セイラは自信のない話し方をするが、新しい声は命令することになれた人間のものだ。
一体どうしたのかと訪ねると、声は「セイラを助けてやって欲しい」と答えた。それで、そ
の声がセイラ・ワージントンではないことが明らかになった。
名前をたずねると、「セイラ・ジャクスン」と答え、セイラの祖母だと名乗る。クラブツリーは、自分も
セイラを助けようとしているのだと語り、協力して欲しいと頼んだ。「祖母」は承諾した。第
一回の実験はそれで終わった。
次の実験でも祖母はすぐに現れた。そしてまた火について語り、不意にたずねた。「ジャク
スンはどこ?」。ジャクスンは彼女の息子の名前で、火とは1910年に起こった火事のことだった。
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08/05/29 20:10:33 0lCkUPyL
セイラ・ジャクスンは近所が火事だと聞いて、すぐさま家に駆け戻った。7歳の息子が一人で留守
番をしていたからである。あたり一体は火の海だった。ジェイスンは近所の人が安全な場所に
避難させていたが、セイラ・ジャクスンはそれを知るまで1時間ほどの間、熱風に息を詰まらせな
がら通りを駆け回った。その体験は、彼女の意識の奥深くに刻み込まれた。
セイラ・ジャクスンによると、彼女はセイラ・ワージントンがピアノを弾いているときに、孫娘に「憑依」し
たのだという。どちらのセイラも音楽が好きだった。
やがて意外なことが明らかになった。孫を助けて欲しいといいながら、実際に助けを必要
としているのはセイラ・ジャクスンのほうだったのだ。彼女は自分の人生に関してー―取り分けセイ
ラの母エリザベスにつらくあたったことで、罪の意識に苛まれていた。エリザベスは陰気で神経症
的な娘に育ち、成人してからは自分の娘につらくあたるようになった。セイラ・ワージントンとそ
の母エリザベスは、エリザベスとセイラ・ジャクスンの関係をそのままに繰り返していた。どちらの母親
も、娘より息子を溺愛し、男こそすべてで女は無に等しいと、娘に教え込んだのだ。
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08/05/29 20:12:21 0lCkUPyL
祖母は死の間際にそれをはっきりと自覚し、いまでは孫娘を助けてやらなくてはならない
と考えている。しかし助けるどころか、彼女は事態をさらに悪化させてしまった。セイラは内
なる声に混乱し、恐れ、絶望しているのだ。
しかしいま、祖母が「外に出て」きたことで、事態はずっと容易になった。二人の精神科
医は彼女から、セイラの家族背景に関する貴重な情報を入手したのだ。セイラははじめ、祖母が
自分を通じて話していると聞かされて驚きを示したが、次第にそれを受け入れ、自分の問
題に深い洞察力を持って望むようになった。
二ヵ月後、セイラは全快した。祖母はまだ「憑依」したままだったが、セイラはすでに彼女を恐
れる必要のないことを理解していた。それどころか、自分の人生を慈愛をもって見守って
くれる祖母の存在に、慰めすら覚えるようになったのである。
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08/05/29 20:13:55 0lCkUPyL
娘への性的妄想にとりつかれた父親の「憑依」、、、、事例
この物語を読んで、読者は恐らく私と同じ様な反応を示すだろう。私は、アダム・クラブツリーの
タイプ原稿「多重人格」をはじめて読んだ時、この事例に対して純粋に心理学的な解釈を試みた。
―セイラは子供時代に祖母と出会っている。恐らく、祖母自身の口から火事の話しを聞かさ
れたことがあるのだろう。また、自分と母親が非常によく似た問題を抱えていることにも
気づいただろう。彼女の無意識精神が、自分の苦悩を合理化するために、この話を「再現」
したのだ、、、。
しかし私は、クラブツリーの本(序文を書いてくれと編集者が送ってよこした)を読んでいくう
ちに、そうした説明では納得できないものを覚えるようになった。彼はさらに、いわゆる
「憑依」患者の症例を8件あげているが、その3つめか4つめあたりで、無意識精神論は
ひどく説得力を失い始めるのだ。
スーザンというソーシャル・ワーカーは、どうしても、男友達との交際を長続きさせることができなか
った。それは自分が父親を深く恨んでいるせいだ、とスーザンは説明した。クラブツリーはセイラの祖
母のときと同じ様に、自動車事故で死亡したスーザンの父親を呼び出し、話し合った。
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08/05/29 20:15:41 0lCkUPyL
彼は娘に対して性的な執着を抱き、スーザンが16歳になるまで、眠っている娘の寝室に忍び
込んでは性器を愛撫していた。スーザンは無意識レベルでそれらの出来事に気づいていた。そし
て自分に対する父親の欲望を認識すると、父親を軽蔑し、今度は自ら挑発的な行動をとっ
て、父親を苦しめるようになった。その侮蔑感がボーイフレンドとの関係にまで及び、トラブルの
原因となったのだ。
父親は自動車事故で死亡したとき、「避難場所」として娘の中に引き込まれた。性的な干渉
を受けていたため、スーザンは父親の憑依を拒否することができなかった。娘の「内部」にと
りこまれてしまうと、父親は「朦朧状態」に陥り、みずからのアイデンティティも現状も
把握できなくなった。
クラブツリーは父親に、彼がすでに死んでいること、娘を放っておいてやらなくてはならないこ
とを辛抱強く言い聞かせた。やがて、ある日を境に、父親は治療実験にあらわれなくなっ
た。スーザンは開放され、安堵した。
また私が特に面白く思ったのは、アートと呼ばれる大学教授の症例である。彼は最初の結婚に
失敗し、二度目の結婚を目前にしながら、結婚したいという意欲を次第に失いつつあった。
彼は説明した。それは「心の中の嵐」のせいだ、厳しい声が自分や知識人を批判するのだ。
それはデトロイトに住んでいる母親の声に似ているー―。アートは常識的な解釈を試みた。そ
の声は、アート自身が持つ否定的な一面であり、自分と母親にはどこか共通要素があるのだろ
う。母親は常に、彼に対して強い所有欲を示していたから。
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08/05/29 20:17:42 0lCkUPyL
クラブツリーは例によってアートを完全にリラックスさせ、ヴェロニカとなのる母親との会話を始めた。
ヴェロニカは、自分の息子の関係について語り、息子の友人関係の多くになぜ反対するかを滔々
と説明した。「ヴェロニカは非常に、「まるで天真爛漫といえそうなほど、自己中心的だった、、、」。
自分は、息子の婚約者を含め、彼の信用している多くの人間が、いかにおろかで狡猾で尊
敬に値しないかを、ただ息子に認識して欲しいだけなのだ、、、、、、。
クラブツリーは彼女に、そうした干渉が息子の、ひいては自分自身のためになると思うかとたず
ねた。彼女はやがて、たぶんためにならないだろう、と認めた。クラブツリーはさらに指摘した。
彼女はデトロイトで自堕落で退屈な毎日を送っていた。息子とことよりも自分自身のこと
に関心を向けたほうが、すべてはうまくいくのではないか。
アートの治療中、母親に癌が発見され、手術をすることになった。アートに内在する「ヴェロニカ」
は、息子に「憑依」することで生気が奪われたためだろうと説明した。以後、アートの「内な
る声」は薄れ、やがてまったく聞こえなくなった。
いっぽうデトロイトの母親は驚くべき変化を遂げた。体が次第に衰弱し、精神的にも厭世観に
浸っていたのだが、不意に活力を取り戻し、積極的に外出して新しい友人を作り始めたの
だ。「彼女はまさしく、諺にも言う新たな人生を手に入れたようであった」。
いっぽうデトロイトの母親は驚くべき変化を遂げた。体が次第に衰弱し、精神的にも厭世観に
浸っていたのだが、不意に活力を取り戻し、積極的に外出して新しい友人を作り始めたの
だ。「彼女はまさしく、諺にも言う新たな人生を手に入れたようであった」。
クラブツリーは、自分はこれらの症例が超常現象であると信じているのではない、単なる観察
者・現象学者として、各々の事例を憑依現象で「あるかのように」あつかったにすぎない
と主張している。(ひっかかる)
それは別に矛盾した態度ではない。スーザンやセイラやアートが聞いた声は、確かに彼ら自身が作り
出したものだったかもしれないからだ。無意識精神は、それよりもはるかに驚異的な芸当
をやってのける。しかしそれらすべてを考え合わせても、これらの事例は間違えなく、無
意識的な自己欺瞞だけでは片付けられない圧倒的な印象を、多くの読者に与えることだろう。
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08/05/29 20:21:10 0lCkUPyL
アダム・クラブツリーが確信に至るまで
やがてクラブツリーは修道院生活になじめず、1969年に精神療法医になった。
私は程なく精神療法医として、同じくらい驚くべき超常現象、とりわけテレパシーと透視体験
の実在を受け入れるようになった。患者たちが自発的に提供してくれる、直感や、取り分
け夢から得られる広範囲にわたる証拠は、否定のしようが内容に思われた。しかし当時、
私はそれをわずかでも受け入れることに非常な抵抗を覚えた(1989年1月1日づけ、著者
あての手紙より)
1976年、ある同僚の患者が「憑依」の兆候を示しているという話を聞き、クラブツリーはその症
状を見せてもらった。しかし、クラブツリーは、それを真剣にとりあげようとはしなかった。そ
の翌年、彼自身の患者にも先ほど始め紹介した症例が見られるようになった。そこでクラブツ
リーも、純粋に実用的観点から、それを憑依として扱うようになった。クラブツリーは主張してい
る。自分は精神療法医として、現象学的態度を維持する。つまり、「これは憑依である」と
はいわず、「この患者は「憑依」の前徴候を示しているから、憑依として扱うことが、おそ
らく最もよい治療方法となるだろう」というのだ。
だが、彼はSPRの一員であるし、彼の著書を読めば、彼が「憑依」仮説を真剣に考慮していることは明らかである。
URLリンク(ja.wikipedia.org) SPR