【三国志大戦】呉王朝最後の丞相・張悌at CHARANETA2
【三国志大戦】呉王朝最後の丞相・張悌 - 暇つぶし2ch2:名無しになりきれ
07/10/24 02:15:51 0
母国語でおk

3:名無しになりきれ
07/10/24 02:17:28 0
諸葛?について語って

4:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/24 02:18:25 0
一応、識別符も付けておきました。

本日はもう宵の口ですので、挨拶のみに致します。
明日から本格的に参りますゆえ、不束者ですが、どうか宜しく御願い致します。

では、さらばです。

5:名無しになりきれ
07/10/24 02:18:56 0
諸葛?について語って

6:名無しになりきれ
07/10/24 02:19:48 0
諸葛[靑見]について語って

7:名無しになりきれ
07/10/24 06:18:08 O
沈瑩についても語って

8:名無しになりきれ
07/10/24 21:30:25 0
ここには「三国志大戦」を差別視する連中しかおらんのか?

>>3>>5の質問が曖昧だ。もう少し詳しく質問しろ。

9:名無しになりきれ
07/10/24 21:31:59 0
>>8
注文が多い奴だな。
お前が手本を見せてみろ。それとも名無し同士の雑談がやりたいのか。

10:名無しになりきれ
07/10/24 21:50:16 0
いや、名無しの雑談は御免だね。俺は一介の三国志大戦ファンだ。こんな
無機質な質問に少し苛立ちを見せただけだ。

よし、いいだろう。見せてやる。

張丞相は蜀の滅亡を予言したそうですが、何故その様な事が分かったの
ですか? 教えて下さい。

11:名無しになりきれ
07/10/24 21:53:18 0
史実では呉の滅亡という、悲運に見舞われた男なのに……。

まあ頑張れ、皆は丞相の味方だ。これからはここで人生を
全うしてくれ。

12:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/24 23:45:45 0
少々遅れましたが、約束通り参りました。では早速参りましょう。

>2
母国語ですか。これでも私は母国の言葉を喋っておりますが、皆様には
倭国の言葉に聞こえるのでしょうね。

>3、>5
む? 諸葛某について語って欲しい、とは一体? ……まあ良いでしょう。知っている限りの知識を貴方がたの為に披露致しましょう。
但し、これから述べる事は文章形式ゆえ、御了承下さい。

諸葛豊……前漢の司隷校尉で、諸葛亮の先祖。かなり規則に厳しいといわれていた。

諸葛珪……出身地は琅邪郡。諸葛亮、諸葛瑾、諸葛均の父親で、字は子貢。泰山郡の丞を務めていたが、若くして急逝した。

諸葛玄……出身地は琅邪郡。諸葛亮、諸葛瑾、諸葛均の叔父で、諸葛珪の実弟。兄の没後、まだ幼かった諸葛亮、諸葛均を引き取り
育てる。しかし、漢王朝に叛き、自ら(成《本当は『仲』》)皇帝を名乗る袁術の命令により、豫章の太守を務める。しかし、漢王朝は
それを許さず、豫章の太守には朱儁の息子である朱皓を任じて劉?に朱皓の支援を命じる。その板挟みにより、諸葛玄は劉?、朱皓の
連合軍と干戈を交えるも、その結果、諸葛玄は敗走。しかも逃亡先で住民の反乱に巻き込まれ、戦没した。

諸葛均……諸葛珪の末子で、諸葛瑾、諸葛亮の実弟。幼い時に兄の諸葛亮と共に叔父の諸葛玄を頼るが、その叔父も揚州牧の劉?と戦い、
戦死を遂げると、諸葛亮と共に荊州牧の劉表を頼り、南陽の隆中で兄と共に暮らした。しかし、兄・諸葛亮が劉備の軍師になると、共に
劉備の家臣となり、長水校尉にまで昇進した。

「三国志演義」では劉備達が諸葛亮の元へ赴いた時に登場するが、諸葛亮が劉備の元へ行く時に家の留守を命じられていて兄の様に
劉備に仕えた、と記載されていない。尚、裴松之が注に引く「襄陽記」によると、彼には「諸葛望」という息子がいたという。

(次に進む↓)

13:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/24 23:47:29 0
諸葛亮……出身地は不明だが、本貫は琅邪郡・陽都県。蜀の丞相であり、三国時代屈指の名軍師として名高い。諸葛珪の次子。諸葛瑾の
実弟であり、諸葛均の実兄。

……まあ、皆様もかなり御存知であり、ここで説明するとかなり膨大な量になりますゆえ、不遜ながら割愛させていただきます。

彼につきましては此処(URLリンク(ja.wikipedia.org))を参照して下さい。

ただ、彼は若い頃、無実の罪で逮捕され、牢屋に入れられた事がありましたが、ある日、村祭りに用いる灯篭作りを手伝って欲しいと
いう事で借り出され、巨大な灯篭を作ったのですが、その灯篭の下の台に座って数百本もの蝋燭を灯し、熱を利用して灯篭を空に飛ば
して逃げたという逸話があります。故に、後世ではこの灯篭が世界で初めての熱気球と言われているそうです。

また彼は長く戦場にいた為、妻の黄夫人(黄月英)殿に夫の不在からくる寂しさを紛らわす為、「知恵の輪」を発明した、と言われて
います。


諸葛瑾……琅邪郡・陽都県出身。字は子瑜。呉の政治家であり、武将。諸葛珪の長子。諸葛亮、諸葛均の実兄。実母の章氏が亡くなると、
継母の宋氏に孝行を尽くし、漢王朝末期には戦乱を避けて揚州に移り住んだ。

その頃、江南で屈指の実力者であった孫策が没し、弟の孫権が後を継いだばかりであり、孫権の姉婿が彼の非凡さを見抜き、孫権に推挙。
魯粛と共に同じ賓客として遇された。

蜀に仕えた弟・諸葛亮とは公私の立場をはっきり区別させ、公式の場で顔を合わせても私的な場で顔を合わせる事は一度も無かったと
いう。但し、連絡は御互いに取り合い、また、一度、子が無かった諸葛亮に諸葛瑾が息子の諸葛喬を彼の養子として送り出したことがある。
また、215年には呉と蜀の同盟の使者として蜀に赴いているほか、何度か蜀に訪問している。但し、その殆どは関羽に荊州を呉に返還
させる様に促したり、また関羽の仇討ちとして呉に侵攻する劉備に和平を持ちかける等、かなり緊張した場での訪問であり、その多くは
失敗に終わっている。

(次に進む↓)

14:名無しになりきれ
07/10/25 00:32:58 0
ヽ(‘ ワ‘)ノ

15:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/25 00:40:26 0
>>13の続き)

孫権からは親友の如く、かつ非常に信頼が厚く、常に孫権を戒める時は直接言わず、諭す様な感じで執り成していた。また風格は堂々と
しているが、思慮深く、人当たりが良かった為、周りからかなり評判が良かった。

荊州の奪還から夷陵の戦い以降、蜀と関係が悪化していた時、「諸葛瑾は蜀の劉備と内通しておりますぞ」と孫権に讒言する者がいたが、
孫権は「子瑜の孤(われ)に負(そむ)かざるは、孤が子瑜に負かざるがごときなり(諸葛瑾が裏切らないのは、私が諸葛瑾を裏切らない
のと同じだ)」と言って絶大なる信頼がある事を表した。

その後も諸葛瑾は孫権から重用され、孫権が呉の皇帝に即位した222年には左将軍・宛陵侯に、229年には大将軍、予州牧、左都護
等の要職を歴任し、241年に68歳で逝去した。

尚、彼は生涯で3度しか戦場に赴いていないものの、何れも相手は魏軍であり、南郡で夏侯尚を迎え撃った時は陸遜と協力して勝利、
また司馬懿との戦いでは江陵の守りを固め、引き分けに持ち込むなどをして活躍した。

諸葛恪……出身地は琅邪郡・陽都県。字は元遜で、諸葛瑾の長男で、諸葛亮の甥に当たる。子供の頃から機知と才気に長じていたが、
性格は父親や叔父とは全く正反対といっても良いほど、思慮深いとは言えず、いい加減、傲慢かつ野心家であり、弁論でも他人をやり
込めるのが得意であり、才能をひけらかすのを好んでいた。

彼の才知を象徴する逸話は「正史」には多く存在するが、その最たるものとしては、ある日の宴の最中に引き出された驢馬の額に、
孫権が戯れで「諸葛子瑜」と書いた(諸葛瑾は顔が面長で驢馬に似ていたという)事があった。一座の者は大笑いしたが、父を馬鹿に
されて面白くない、当時幼少だった諸葛恪はその驢馬に書かれた文字の下に「之驢」と書き加え、「諸葛瑾の驢馬」という意味にした
のであった。それを見た孫権を始め、一座の者はその機転の良さに感心し、その通り諸葛瑾はその驢馬を与えられた、という。

しかし諸葛瑾はその才気煥発な息子に対し、常に「恪は頭が良すぎる。家を栄えさせるのもこの子なら、潰えさせるのもまたこの子で
あろう。」と嘆き、弟の諸葛亮とは別の「頭の良さ」を見切っていたそうである。また、諸葛瑾のみならず、その諸葛亮からも「恪は
性格が大雑把でいい加減ゆえ、兵糧管理等は向いていない」と注意を促したり、更に陸遜からも諸葛恪をつかまえて「その人を人と
思わない性格を直せ!!」と咎めている。

(次に続く↓)

16:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/25 00:41:48 0
功績としては、

(234年)丹陽太守に任じられ山越の討伐を命じられる。結果、3年で山越を帰順させ、4万もの兵を手に入れる事に成功。その
功績が讃えられ、威北将軍に任じられた。

(252年)孫権が病に倒れると、皇太子の孫亮がまだ幼年であった為、大将軍と太子太傅に任じられ、孫弘と共に後事を託された。

日頃、孫弘とは仲が悪かった事から、孫弘は孫権の死を隠して諸葛恪を排除しようと画策するも、逆に露見され、誅殺された。これに
よって、呉の実権の全ては諸葛恪が掌握し、敏腕を振るった。

まず内政では負債の免除、物品税の撤廃等、人気取り政策で功を奏し、民から喝采を浴びた。また、軍事面でも呉の政権交代に付け
込んで侵攻してきた魏の軍勢を迎え撃ち、東興で撃破。これで気を良くした彼は、魏の実力を軽んじ、翌年重臣の反対を押し切って
淮南の住民を呉に移住させるべく、魏の征討の軍勢を起こし、出撃した。

まずその前段階として魏軍の最前線である合肥の新城を包囲するが、抵抗が激しく、数ヶ月包囲しても攻め落とす事が出来ずにいた。
その上、士卒が疲れきり、暑さの余り生水を飲んで大半の者が病にかかるなどして、逃亡者や死傷者が続出。果ては魏の援軍がやって
来た事を知ると、諸葛恪は漸く撤退を決意した。だがその撤退の間にも路傍に倒れ付して息絶える者や、略奪にあって捕虜となる者が
後を絶たなかったという。

それから暫く彼は長江の岸辺に出ると、其処で屯田を興すと言って1ヶ月留まり、矢継ぎ早に来る帰還を促す詔によって漸く都の建業へ
帰還したが、既に上下問わず諸葛恪の人望は地に落ちていて、253年、武衛将軍の孫峻達の反乱によって諸葛恪は一家諸共殺害された。

これにより、諸葛瑾の不安は見事に適中したのであった。

17:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/25 01:12:25 0
諸葛喬……蜀の武将。字は初めは「仲慎」だが、諸葛亮の養子となった時に「伯松」と改めた。父は呉の武将であり、政治家である
諸葛瑾。実兄は後に呉の実権を握る諸葛恪。

幼い頃、叔父の諸葛亮に子宝が恵まれず、不憫に思った諸葛瑾の命によって諸葛亮の養子となり、将来を嘱望された。長じて後に蜀の
2代目皇帝である劉禅の姉を娶ったと言われ、蜀漢の?馬都尉に任じられた。

その後、諸葛亮に諸葛瞻が誕生したが、引き続き期待された。しかし、その才能が発揮する前に228年、僅か25歳の若さで漢中で
病没し、期待は水泡に帰した。

尚、才能は兄の諸葛恪に劣っていたものの、性格は父・諸葛瑾譲りの温厚で、遥かに兄より上と評された。

諸葛瞻……三国時代後期・蜀の武将・政治家。字は思遠。父は「天下の大軍師」として名高い諸葛亮。また母は黄承彦の娘・黄夫人
(黄月英)と紹介されている。

父の死後、父の爵位である武郷侯を継ぎ、周囲から期待を受けた。17歳の時、蜀の2代目皇帝・劉禅の娘を娶り、騎都尉に拝命。
翌年、羽林中郎将となり、更には射声校尉、侍中、尚書僕射となり、軍師将軍を加えられた。最終的には行都護・衛将軍、平尚書事に
まで昇進している。

263年、魏の勇将である鄧艾が攻めて来ると、劉禅の命により出撃。綿竹城に籠って戦い、父・諸葛亮の木像を掲げて出撃し、鄧艾の
息子である鄧忠を撃破する等、勝利を収めるも、鄧艾の猛攻の前に苦戦する。呉に救援を依頼するがその援軍を待たずに出撃。鄧艾は
彼の武勇を惜しんだか、「降伏すれば琅邪王に封じるよう上奏する」という文面の手紙を送り、降伏を薦めた。一度はその内容に心が
揺らいだ諸葛瞻であったが、息子の諸葛尚に「命を惜しんで名を辱める事がない様にして下さい」と諌められ、気を取り直して出撃し、
息子と共に玉砕した。

「三国志演義」では、宦官の黄皓の横暴に反発し、病と称して門を閉ざしていたが、魏の侵攻が始まると、郤正の薦めを受けた劉禅に
よって召喚されて出撃、「正史」同様に綿竹において戦死している。

18:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/25 01:40:58 0
諸葛尚……三国時代後期、蜀の武将。諸葛瞻の長男で、祖父は「天下の大軍師」と言われた諸葛亮。
幼い頃から兵書に親しみ、様々な武芸にも秀でていて、父よりも才能が上だったという。魏の鄧艾が蜀に侵攻してきた時は、総司令官
だった父を助けるべく先鋒を務め、祖父である諸葛亮の木像と陣旗を掲げて出陣し、一度は魏の軍勢を撃破したが、相次ぐ鄧艾の猛攻に
より、頽勢如何ともし難く綿竹城に篭城した。

鄧艾は諸葛亮の息子と孫と言う事で惜しみ、降伏勧誘の手紙を送ったが、諸葛尚はその手紙の文面を見て動揺した父・諸葛瞻に対し、
「名を惜しむようにして下さい。」と諌め、再び戦う決意にさせた。諸葛瞻は先陣を切って出撃し、撃砕したが、諸葛尚はそれを知ると
「後退して再起を図りましょう!!」と進言する武将を余所に、父の後を追うかのごとく出撃し、乱戦の中で戦死した。

鄧艾はその一戦の後、諸葛瞻、諸葛尚父子を丁重に葬り、更に成都に侵攻。結果、蜀はその年に滅亡した。

諸葛京……西晋時代の人物。父は諸葛瞻で、祖父は「天下の大軍師」として名高い諸葛亮。実兄は父・諸葛瞻と共に蜀に侵攻してきた
魏軍と戦い、玉砕した諸葛尚。

蜀が滅亡した年はまだ幼少であり、264年に河東への移住を命じられている。長じてから西晋に仕え、江州刺史まで昇進した。

因みに、現在では諸葛亮の子孫が集まったとされる「諸葛八卦村」という村が浙江省蘭渓市にあり、全員の名字が「諸葛」となって
いる。近年になって諸葛亮の家系図が見つかり、可能性としてはこの諸葛京の系統が有力とされているが、1800年前の人物と
言う事もあり、実際にその人々が諸葛亮の子孫なのかは家系図以外から実証されず、不明となっている。しかし尚、諸葛亮が伝来
させたと言う文化を良く守り、諸葛八卦村は中国から文化財として指定され、観光地としても有名である。

19:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/25 01:51:40 0
……さて、今日は此処までのようですね。また>3殿、>5殿の為に残りの諸葛一族についてを
語りますゆえ、楽しみにしていて下さい。

では、さらばです。

20:名無しになりきれ
07/10/25 02:10:33 0
か、快進撃……!!!!!
これこそ俺が求めていた快進撃だああああああああああ!!!!!!!

張悌!!! 俺と一緒に手を組まねえか!!? お前の快進撃なら天下なんざ
すぐ取れるぜ!!!!!!!

21:名無しになりきれ
07/10/25 02:11:47 0
良スレだな。ageていると荒らしに見舞われる可能性が高い。
忠告だけしておく。

22:名無しになりきれ
07/10/25 02:13:18 0
>12の張悌さんの投稿した時刻ですが……、

思わず「兄さんシコシコ」と読んでしまいました。すみません。

23:名無しになりきれ
07/10/25 02:16:54 0
それなら>>20も、時刻を見ると「ニート散々」と読めるぜ。

それにしても張悌のレスは膨大な説明文だな。まあ、これだと諸葛孔明だけ
取り上げるのを拒む理由が分かるって訳だぜ。

俺としてはこれからも頑張ってくれと思うな。

24:名無しになりきれ
07/10/25 03:50:52 O
大将軍に一言

25:名無しになりきれ
07/10/25 06:39:52 0
三国志は詳しくないが、1が凄いことはよく分かった
もう頑張ってるから頑張れとは言わない
その調子で素晴らしいレス返しを続けてくれ

無理しない程度に

26:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/25 23:37:06 0
今日も来ました。まあ、歓迎してくれるかどうかは分かりませぬが、宜しく御願い致します。
さて、今日は引き続き>3殿と>5殿の質問に答えるとしましょう。

諸葛原……字は景春。後漢末・新興の太守。

「諸葛原が新興太守に昇進してその歓送会に出席した時、諸葛原が燕の卵、蜂の巣、蜘蛛を
用意し器にいれて、当て物をした。管輅は器一つ一つ中身を当てていった。全て当ったので
同座の人はびっくりして喜んだ。」

という卜者・管輅の透視術を確かめる為の話のみに登場。


諸葛緒……三国時代末期の魏の武将。字は不明。雍州刺史を務め、鄧艾の配下で文欽の乱の制圧に活躍した。
263年、司馬昭により鍾会、鄧艾と共に蜀攻略の指揮官に任命された。漢中を攻略し、姜維の退路を断つべく橋頭を押さえたが、
姜維の陽動作戦に掛かって退却を許してしまう。剣閣の蜀軍を攻撃しても反撃に遭って退却する等の惨敗続きを喫してしまう。

その件により鍾会に責任を問われ、兵権を剥奪され、都に返されてしまった。

しかしその後は特に罪に問われる事は無く、晋の時代になると太常まで昇格、孫娘の諸葛婉は晋の武帝(司馬炎)の夫人となった。

27:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/25 23:38:34 0
諸葛誕……三国時代後期の魏の武将・政治家。字は公休。出身地は琅邪郡・陽都県。「天下の大軍師」諸葛亮の族弟(いとこ)に
当たる。実際は諸葛瑾、諸葛亮兄弟の近縁の親族ではなく、遠縁であり琅邪諸葛氏の本家筋とみる説がある。

後世の人々は「蜀はその竜を得て、呉はその虎を得、魏はその狗(犬)を得たり」と言い、諸葛亮を竜、諸葛瑾を虎、そして諸葛誕を
狗に例えた。些か諸葛誕に対しての酷評が過ぎていたが、蜀でも呉でも彼に対しての評価、名声は高かったという。

魏の朝廷に仕官してから何事もなく順調に昇進を重ね、尚書郎から御史中丞・尚書に就いていた。この時から夏侯玄達と交友する様に
なった。その諸葛誕の昇進の理由としては、例として人物推挙をに関しては贔屓なく公平に行うなど、先祖が厳格な性格で知られている
後漢王朝の忠臣・諸葛豊の血を受け継いでいるかの如き、剛直かつ謹厳なる性格にあった。

その気性から同僚の鄧?らと共に朝廷でも評判は良かったが、彼を快く思わぬ人々が明帝(曹叡)に「表面的な華やかさを追い、虚名を
集めているから、諸葛誕の様な人間を蔓延(はびこ)らせてはならない」と讒言する者がいて、明帝もまた彼に対して「名声は画に描いた
餅の様なもので、飢えを満たす事が出来ない」と批判し、一時、諸葛誕は官職を剥奪される不遇に陥った。

その後、明帝が崩御すると、親友の夏侯玄達が諸葛誕の現職復帰を願い出てくれたお蔭で揚州刺史・昭武将軍を歴任する事になった。この
頃、急速に政権を掌握し始めた司馬一族の専横に対して王凌が反乱を企てた。これに対し司馬懿は諸葛誕を鎮東将軍に任命して東征に軍を
起こし、諸葛誕が呉に対しての防備を一任された時でもあった。結果、諸葛誕の活躍により王凌の反乱は鎮圧され、彼は山陽亭侯を拝命
された。また同時に、軍事においても素晴らしい才能を持っていたとも言える。しかし、この王凌の反乱が導火線となり、魏で司馬一族の
専横が強くなっていくのを見逃せぬ者達が各地で反乱を起こしたのである。嘉平6(254)年、諸葛誕の親友である夏侯玄が李豊、
張緝と共に皇帝・曹芳の血の詔を頂き、夏侯玄を大将軍にして司馬一族を押さえようとしたが、その一端である司馬師の暗殺計画が露見
して失敗、夏侯玄、李豊、張緝は三族皆殺しにされ、皇帝・曹芳も退位を余儀なくされたのである。次いで夏侯玄の友人であった毋丘倹と
文欽、そしてその息子の文鴦が反乱を起こし、同じく友人である諸葛誕を反乱軍に引き入れようとしたが、諸葛誕はそれは「非道の行い」で
あると非難し、拒否。魏の禄を食みながら反乱に肩を持つ事が出来なかったのである。そこで朝廷側、つまり司馬師の将軍として豫州の
兵を指揮し、寿春に軍を向けて鄧艾、胡遵達と刺史雲人の働きを見せ、反乱軍を潰走、文欽は呉の亡命した。更には淮南の反乱に乗じて
攻めてきた呉の援軍も撃破、その時勇将で名高い留賛を討ち取り、諸葛誕は高平侯に封じられると共に、征東大将軍・儀同三司に任命、
反乱を鎮圧させた軍事才能を高く買われ、同時に魏の重臣としての地位を得たのであった。

(次に続く)

28:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/25 23:39:36 0
しかし、名実と共に魏の重臣になれど、夏侯玄、毋丘倹等、諸葛誕の周りの友人が悉く司馬一族に粛清された事を疑問に思い、
「次は……俺の番なのか!?」(この台詞は『三国志大戦2』の『諸葛誕』の人物像より抜粋)と自分が征伐される事を気にし出した
のである。其処で彼は自分の保身の為、私財を擲(なげう)って民衆に恩恵を施し、諸葛誕の為に命を賭けるほどの遊侠の私兵
数千人を遇した。彼としては司馬氏の権力に対する恐怖からの保身策であったが、司馬氏からすれば、「これは反乱を企んでいる」と
いう絶好の口実以外の何ものでもなかったという。甘露元年(256年)、司馬師が手術した左目の瘤の傷口が悪化した事によって
逝去し、これを機に呉軍が淮南に再び攻撃を仕掛けてきた。間諜(スパイ)からの報告で魏の朝廷は直ちに征東大将軍である諸葛誕に
呉軍を征討する様にした。このとき、諸葛誕は「寿春の防備のため、朝廷より十万の援軍を派遣して頂きたい。」と要求。それを聞いた
司馬師の弟・司馬昭は諸葛誕がこれ以上兵力を掌握するのを恐れ、援軍を送らなかったものの、翌甘露2(257)年、懐柔策として
司空に任命し、洛陽に上京するように詔書を送ったが、諸葛誕は「三公になるのは序列からして王昶が先であるはずであり、また、もし
官位に釣られてのこのこと上京すると、自分は殺される」と恐怖を抱いたのである。しかし、魏の朝廷の召喚命令に背けば立派な叛逆で
ある為、諸葛誕は遂に寿春に於いて決起を決意した。

しかしこの洛陽召還は諸葛誕の内心を見越した、司馬一族の腹心である賈充の策であり、早めに彼を暴発させて芽を摘もうという計算で
あったと言う。

恐怖の余り朝廷に反旗を翻した諸葛誕はまず、自らの指揮で私兵を用いて淮南付近の4万の屯田兵を傘下に治め、兵糧を略奪すると、
揚州に兵を向け、揚州刺史の楽[糸林](楽進の息子)を討ち取り、その兵をも吸収、一年分はある莫大な兵糧を運び込んで寿春城で篭城、
しかも十万以上もの大兵力を率いて万全の策を取った。また更に部下である長史の呉鋼と末子の諸葛?を人質として呉に派遣し、
援軍を要請した。そこで、呉は魏の内乱を絶好の機会と見なし、全懌、全端、唐咨、王祚を将軍とするおよそ3万の兵力で援軍を送り、
無事、寿春城に入城させた。先立って文欽を寿春城内に送り込んで諸葛誕を驃騎将軍に任じた。その後、遅れて魏軍が王基を将軍として
寿春城を取り囲んだ。これに乗じて蜀軍は姜維率いる4万の大軍で北伐遠征を決行し、駱谷まで進軍してきたので、司馬昭は魏国の危険を
感じ、すぐさま皇帝・曹髦(高貴郷公)に討伐の軍を起こす事を上奏した。そして二十六万もの大軍を率いて、まず寿春城を、王基らに
兵で二重に囲み、呉の援軍が到着できないよう牽制させる備えを陣取った。また姜維率いる蜀軍に対しては鄧艾、司馬望を派遣して指揮を
任せた。

29:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/25 23:40:50 0
(>28の続き)

寿春城内では呉の援軍が到着出来ない事に苛立ちを感じた文欽が、この水も漏らさぬ包囲網に何度が血路を開こうとと城外に討って
出たが、魏軍の堅固な包囲網にそれもかなわず、呉の援軍の大将・朱異が何とかして城内の諸葛誕と合流しようと突撃を試みたが結果は
同様であった。これに呉軍の大将軍である孫[糸林]が苛立ち、将軍がだらしないという事で朱異を処刑してしまった。孫[糸林]はこの
ように味方の将軍を殺すだけで、たいした攻撃もせず諸葛誕の援軍として期待できるものではなかった。

一方、姜維率いる蜀軍は4万の兵で駱谷から沈嶺にまで進軍したとき、長城の防備が手薄であることと、そこが兵糧の貯蔵庫であると
いう情報をを間者から受け、長城に軍を向けた。鄧艾、司馬望は長城に陣を構えて蜀軍に当たり、応戦せず持久戦の構えを見せたので、
補給線が長くのびきって兵糧の運送が困難な蜀軍は退却した。魏はこの様に司馬昭の即断な戦略によって蜀・呉からの両面挟撃を乗り
切ることができたのである。

寿春城は堅固な守りを見せ、まだまだ陥落の兆しはみせなかった。しかし古来、篭城とは外からの援軍を当てにして成り立つ作戦である。
孤立してしまった軍隊には到底正気はない。蜀軍・呉軍の戦況が思わしくなく、城内の食糧も欠乏しかけてきた頃、作戦会議で部下の
蒋班、焦彝が一点習忠の強行突破を進言したが、取り上げられないどころか蒋班を処刑しようとしたので、二人は魏に投降してしまった。
この時諸葛誕の精神状態はすでに正常ではなかったといえるだろう。258年、諸葛誕と文欽は全軍突撃の強行突破を何度か強行したが、
どうしても突破できず、城内の食糧は底をつき、脱走兵も続出する有様であった。文欽は 「食糧もほとんど残っていない。北方の兵を
城外に出し、呉の軍勢だけで城を防備してはどうだろうか」と献策したが、元々彼の素行ぶりや荒い気性、残忍な性格に嫌気をさしていた
諸葛誕はそれを退けたため、二人の確執は更に深まっていった。そして遂に諸葛誕は作戦を持ちかけてきた文欽を殺してしまった。これを
見て文欽の子である文鴦と文虎は諸葛誕を見切り、その夜のうちに魏に投降した。

文鴦と文虎は司馬昭と引見し、関内侯に拝命して重く用いられた。司馬昭は一計を案じ、なんと二人を将軍として寿春の包囲軍に参加
させたのである。これは食糧の尽きた寿春の兵達に絶大な効果を発揮した。降伏すれば命は助かることが保証されたも同然なのである。
諸葛誕軍は士気が奮わず、もはや抵抗するものもなかった。諸葛誕は最後の迎撃を試みたが、城内にはすでに魏軍が侵入してきており、
魏の胡奮に斬られ、遂に寿春城は陥落した。九ヶ月間の叛乱が終結したのである。

諸葛誕の首は洛陽に送られ、三族は責任をとらされ誅殺された。この時彼の麾下であった兵士百人は「諸葛公は我らと共にあり。諸葛
公のために死ぬなら悔いは無い!!!!!」と見事に言ってのけた後処刑された。部下が殉死を選ぶくらいに彼は人心を掴んでいたので
ある。

30:名無しになりきれ
07/10/25 23:42:10 O
助けてよ荒らされてる

31:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/25 23:44:17 0
(>30の続き)

(最後に)

彼は愚直なまでに忠臣であった。叛乱も司馬師に殺される恐怖から踏み切ったのは否めないが、魏の忠実な将軍として曹操から続いた魏の
血統を司馬一族が取って代わるような政権略奪が許せなかったのも事実であろう。そして最後まで司馬一族に抵抗し、忠義を全うしてその
生涯を閉じた。この主君に対する誠実な気性は諸葛亮をはじめとする諸葛一族の特徴であるような気がする。しかし諸葛誕に対する評価は
低く冒頭でも記述した通り、狗といった酷評である。この酷評はやはり叛乱をおこしたという汚点がその評価を決定付けたのであろう。
またその戦の仕方もまずかった。追い詰められるほど混乱し、とても空城の計をやってのけた諸葛亮のような冷静さが備わっていたとは
思われない。味方を最後まで信用できなくなってしまったのが敗因である。諸葛誕の反乱は疑心暗鬼にはじまり疑心暗鬼に終わったと
言って良いであろう。しかし、兵士に殉死を選ばせたその将としての器は戦国時代の末期の人物、田横に準(なぞら)えられる程で、
決して「狗」の一言で片付けられる凡将ではなかったことは間違い無い。

尚、余談だが、晋王朝の代の頃、王位継続の争いである八王の乱で、諸葛誕の外孫であった東安公・司馬?は諸葛誕を裏切った文鴦を
恨み、当時晋王朝の実権を握っていた楊駿の一味と讒言し、文鴦及びその三族を皆殺しにしたという。


……さて、ここまでですね。まあ、あと諸葛[靑見]殿やその御子息である諸葛恢殿が残っておりますが、その方々に関しての件はまた
後で述べておきます。

32:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/25 23:55:03 0
>6
諸葛[靑見]殿ですね。分かりました、あと御子息の諸葛恢殿についても記載させておきますね。

諸葛[靑見]……三国時代末期の魏、後に呉の武将。字は仲思。司馬一族に対して反乱を起こした諸葛誕の末子。257年に諸葛誕が、
司馬昭に対して反乱を起こした為、呉の救援を得る為に諸葛[靑見]は人質として呉に下った。その後、諸葛誕の乱が鎮圧された後は
そのまま呉に残り、右将軍になった。

その後、呉が晋に滅ぼされると諸葛[靑見]とは幼馴染であった司馬炎が昔のよしみもあって諸葛[靑見]を大司馬に取り立てようと
したが固辞して受け入れず、そのまま隠遁。また、晋への恨みを忘れず、決して晋の都である洛陽の在る方向を向かなかったという。

諸葛恢……東晋の政治家で、字は道明。祖父は三国時代、魏に仕え、司馬一族に対しての反乱を企てた諸葛誕。父は魏から呉の武将
になった諸葛[靑見]。諸葛亮・諸葛瑾の親戚筋に当たる。

若くしてその鋭い才能を知られ、琅邪王氏の王導と共に名声は高く、華南の地に限られたうえに国家的に不安定な東晋を切り盛りした。
若い頃、その王導に「黒髪の宰相になるだろう」と言われた。

元帝・明帝・成帝に仕え、342年に尚書令(宰相)に昇進する。345年、62歳で亡くなった。


……尚、三国志大戦では私は杜預殿を総大将とした晋軍との攻防戦で沈瑩殿から降伏を薦められたのですが、
実際は諸葛[靑見]殿からも薦められた事もあります。まあ、彼はその時逃亡いたしましたが、今考えても彼の
取った行動は良かったと言えます。何故なら彼は孔明殿と同じ諸葛一族であり、このような悲運の中で朽ちて
もらいたくは無い、と思っていましたから……。

ただ、「三国志大戦」で彼と一緒に戦えなかったのは少々残念だと思います。

33:名無しになりきれ
07/10/26 00:27:27 0
張悌もみもみ

34:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/26 01:29:19 0
>7
沈瑩殿、ですか。彼は明朗快活な性格で常に孫呉の為に守る事を考えていましたね。あの、孫呉が風前の灯となった最後の戦いの
時も……。

彼についての説明は、「三国志演義」では牛渚という所で私と共に晋の勇将である周旨殿に討ち取られ、史実では青巾賊という、
丹陽の精鋭兵を率いて晋軍を迎え撃ち、敗れて捕まり、王渾殿に斬られたと書かれているだけです。

しかし、常に彼のそばにいた私としては、彼はこういった文献以上の彼自身を遥かに凌ぐほど、非常に勇ましく、頼りになる人だと
思いました。今度、生まれ変わった時は、彼と共に天下を取りたいですね。例え、天下を取れなくとも、共に親しく過ごし、人生を
全うしたく思います。

ただ、好物が百足というのは少し受け容れ難い事ですゆえ、それは止めて欲しいとも思いますけどね……。

沈瑩殿の百足好きは、
URLリンク(www.wikihouse.com)
URLリンク(72.14.235.104))を
参照して下さい。

35:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/26 01:30:33 0
>8、>9、>10
まあまあ、私は如何なる質問が来ようとも、きちんと返します。
なのでここは落ち着いて、御茶でもどうぞ。

つつ旦 旦 旦

倭国の宇治という所で購入した緑茶で、ほんのりとした甘味と円やかさが心を落ち着かせてくれます。
どうぞ。

ふむ、蜀が滅ぶという予言ついてを知りたいと……。分かりました。

まず、魏は曹操殿の功績が基盤となって建てられた国ですが、民はその威勢を恐れても、心から服したわけではなく、その上
御子息の曹丕殿、更にその御子息である曹叡殿はその曹操殿の威勢を保つような政策を取った。これでは民心が失って久しく
なります。そこで司馬懿殿が政権を掌握すると、しばしば功を立て、政治の煩雑さと苛酷さを取り除いているので、民が司馬氏に
心を寄せる様になるのです。故に、王凌殿、毋丘倹殿、そして諸葛誕殿が反乱を起こそうが、高貴郷公(曹髦)殿が不慮の死を
遂げても、周りは大して動揺しませんでした。敵は容赦なく排除し、賢者を取り立てて本領を発揮させ、智勇を兼備していなければ、
このような事は出来ないのですが、そういった要素を司馬一族は持つ事が出来た為に斯様な事が成し遂げられた。。また、それ故に
その威武は広がり、人々の気持ちが靡くので、簒奪という奸計も成算として立つのです。

斯様な経緯があり、民を味方に付けた司馬氏ですから、民が疲弊した蜀を攻め込めば勝利は確実であり、例え負けてもその衝撃は
大したものではない、と分析し、蜀は魏の滅ぼされると予言したのですよ。

>11
ありがとうございます。ではこの張巨先、皆様の御期待に沿うよう、最後まで戦う所存です。

>14
む……、どうなさいましたか、斯様に驚いて? 理由が無ければ此方としてはどうしたら良いのか分かりませぬ故、いつでも宜しい
ので理由を添えて下さい。

36:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/26 01:31:32 0
>20
ふむ、別に宜しいですが、斯様に感情を爆発させるのは周りの方々に対しての迷惑となりますゆえ、御自重下さい。

>21
御忠告ありがとうございます。まあ、斯様に上げているのは後世の方々は私(のみならず、他の方々もですが……)の事に対して
余り知られていないゆえ、こうして少しでも知って頂く為に上げている所存なのです。

軌道に乗りましたら、其処から下げて維持を努めますので、御安心下さい。

>22
ふむ、調べてみましたが、確かに読めない事も無いですね。ですが、「シコシコ」というのはどういう意味でしょうか?

>23
貴方もですか。まあ、これも確かに読めますね。しかしこれも「ニート」というのが何か分かりませんね。もし宜しかったら
教えて頂けませんか?

まあ、確かに膨大な量ですが、これだと拝読される方々に対して読める配慮を施していませぬゆえ、この場を借りてお詫び
申し上げます。

誠に申し訳ございませぬ。

>24
大将軍、ですか。しかし大将軍と言っても様々な方がおられますからね……。漢王朝末期の何進殿や夏侯惇殿、袁紹殿に諸葛恪殿に
諸葛瑾殿等々……。

申し訳ございませぬが、分かり次第一言を送っておきますので、どの大将軍の方なのか、教えてくれませぬか?

37:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/26 01:32:32 0
>25
ありがとうございます。此方としても力の続く限り皆様からの御質問に対して誠心誠意を以て返していきますゆえ、これからも
宜しく御願いいたします。

>30
何と、何処が荒らされているのですか? 救援に参りますゆえ、場所を案内してください。

>33
ええと……、何をなさっているのですかな? 
斯様に無礼な行為は制裁を受けてもらいますゆえ、覚悟して下さい。では、

                                                   
                            ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!             
   ヽl   ,、 l/
  〃")' ~´ヘヘ)"ヽ            ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
  !( ソノ八)ヽ) ソ           ;;;''''
    ヾl.・∀・ノ!    )) 卩__ ,.';;''
o=====U===∩====[]コ[i(●==冫                                >>33 ))゜3゜)
    ./ソ、j、iヾ.   ))  |ノ ̄ ̄ ヽ;,,
    .~(ノ!_j~´             ''''';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;

  __/\_
/さらばです\

38:33
07/10/26 01:38:25 0
丁寧な返事の後だから肩凝ってると思って揉んであげたのに)´;ω;`)

39:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/26 01:39:28 0
……さて、どうやら追いつく事が出来た様ですね。

宵の口ですので私はこれにて失礼致します。また何かご質問があらば、
どうぞ遠慮無く此方にお寄せ下さい。

この張巨先、力の続く限りお返し致します。

では、さらばです。

40:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/26 01:42:19 0
>>33
(……!!!!!!)これは失礼致しました。 ではこの非礼を詫びるべく、此方を御贈り致し
ますゆえ、どうか御受け取り下さい。

つつ[戸隠蕎麦]

では本当にさらばです。

41:名無しになりきれ
07/10/26 08:09:58 O
君、せめて柵か伏兵くらい持ちなさいよ。使えないカードじゃん


まぁ確かに実質何にも出来なくて国が滅びた訳だから能力低くて当たり前だわな

42:名無しになりきれ
07/10/26 12:29:16 0
三国志以外の質問もいいですか?

43:亀田興毅
07/10/26 23:13:14 O
張悌はん、えらい張りきってんな。ええこっちゃ。
ええこっちゃやけど、張りきりすぎて羽目外したら
あかんで。

俺らみたいな事になりかねんからな。そこだけ気い付けや。

まあ、俺からはそんだけや。

これからも頑張ってや。じゃあな。

44:呉文官
07/10/26 23:54:58 0
張丞相、わ

45:呉文官
07/10/26 23:58:23 0
張丞相、わが国最強の丞相は陸昭候(陸遜)様だと思いますが。

46:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/27 01:56:07 0
………来ました。どうやら倭国では季節外れの野分が来襲するようですね。
皆様、どうか己の身の危うさを感じたら逸早く安全な場所へ避難して下さい。

さて、来ているようですね。では返すと致しましょう。

>41
ええ、誠恥ずかしながら、丞相という国家の重要な位に就いておきながら国を守れなかった事に対して、今でも痛く思っております。
私も貴方同様、もし新たなる「三国志大戦」に自身が出るならば、次は覚醒のみならず、伏兵或いは防柵を携えて出たく思いますね。

>42
ええ、宜しいですよ。是非お寄せ下さい。

>43
ありがとうございます。この張巨先、貴方のその御奨励を糧とし、これからも頑張る所存でございます。

しかし確か貴方は倭国では知らぬ人は全くと言って良いほど名高い拳闘士の方でしたね。確か指導役の父君と共に、同じ拳闘士である
弟君に反則行為を促すような助言をした……。

確かに斯様な行為は公平な競技を損ないますゆえ、許されるべきものではありませぬが、今回の会見では誠心誠意を以て謝罪し、かつ
主に父君が試合を損なわせた責任者であるにもかかわらず、誇りに思うその心は非常に素晴らしいものだと思いましたよ。

なので貴方も今回の件をきっかけにして、生まれ変わり、誠に強い拳闘士として再び君臨して下さい。

47:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/27 01:57:32 0
>44-45
確かに。貴方の仰るとおり、孫呉は皇族である孫一族を除くと、陸昭侯の御力無しでは保持する事は出来なかったでしょう。陸昭侯は
軍事面に於いては蜀の侵攻を防ぐばかりか、また再び蜀と和解を果たして魏の侵攻を防ぎ、また、内政に於いても民を非常に慈しみ、
善政を敷く等……、正に孫呉の大黒柱とも言うべき御方でした。

ただ、陸昭侯のみならず、その御子息である陸抗殿、長く孫呉の御意見番であった張昭殿に顧雍殿、諸葛瑾殿、諸葛恪殿に
丁(奉)将軍の御力もあっての孫呉であるのも確かでした。それを証拠に、この方々が亡くなられると、一気に孫呉は力を失い、
滅亡へと……。

それを考えると私は何故、陸昭候や陸抗殿の様に真剣に孫呉の事を思い、対処が出来なかったのか。
ただ、ただ恥じるばかりです…………。

………しかし、そんな私でも、孫呉という国に対しての、せめてもの償いとして、孫呉の誇りと素晴らしさだけでも、貴方がたに
伝える事は出来ます。ですから貴方がたもこれを機に、孫呉の事を心に留め、覚えておいて下さい。


さて、そろそろ宵の口のようですね。私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたからの質問が続く限り、この張巨先、
誠心誠意を以てご返答いたしますゆえ、どうか今後とも宜しく御願い致します。

もし、万が一、完走果たさずしてこの砦が潰え去った時は……、死ぬまでです。

では、さらばです。

48:名無しになりきれ
07/10/27 02:03:47 0
これほど腰の低いスレタイ主は見た事が無い……。

49:名無しになりきれ
07/10/27 02:06:06 0
ぶっちゃけ、このなりきり板かキャラネタ板でライバルがいるとすれば、誰ですか?

50:名無しになりきれ
07/10/27 03:39:06 0
砦の打ち切り阻止すべく、この俺が50を取ったぞ!!!!!

51:どよ
07/10/27 05:02:10 O
破竹!破竹!破竹!破竹!

さっさと飛べよ!し~ば~く~ぞ!

52:名無しになりきれ
07/10/27 11:18:35 0
どうすれば、頭がよくなれますか?

53:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/28 22:26:42 0
……来ました。野分はどうやら南海の方に逸れ、今日は良い天気になった模様で良かったですね。

では来ている様なので、返させて頂きます。

>48
「すれたい」……、それは私の事ですね? いやいや、私は人に自分の事を押し付けたり誇張する事が嫌いですからね。
斯様な事をすれば、周りから恨みを持たれ、己の身に災いが降りかかってきますから。常に一歩譲り、控えていれば
その様な事は無く、己の身は安全である。一種の処世の術ですよ。

>49
率直に申し上げますと、いません。それに、仮に例えいたとしても、その人とは何の関係も因縁もありませんし、寧ろ
無理矢理好敵手に仕立てあげると言うのは無礼の極みであり、自ら周りから嫌われる様に仕向ける事です。

>50
ありがとうございます。聞けばここまで到達せず、そのまま放置などをした場合、自動的に短期間で撤収するそうですね。
それを防いでいただいた事は誠、有難く存じます。

貴方の功労を無駄にせぬよう、これからも頑張る所存です。

54:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/28 22:28:19 0
>51
杜預殿……、普段から冷静沈着なる御方が何という事を……。余りこればかりはしたくなかったのですが、致し方ありませんね。

……では、



                                                   
          ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!             
   ヽl   ,、 l/
  〃")' ~´ヘヘ)"ヽ            ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
  !( ソノ八)ヽ) ソ           ;;;''''
    ヾl.・∀・ノ!    )) 卩__ ,.';;''
o=====U===∩====[]コ[i(●==冫                                >>51))゜3゜)
    ./ソ、j、iヾ.   ))  |ノ ̄ ̄ ヽ;,,
    .~(ノ!_j~´             ''''';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;

  __/\_
 /さらばです\


>52
そうですね……、稀に魏の鍾会殿の様に「神童」と呼ばれるほど、生まれつき冴えておられる人がいますが……、幼き頃から様々な
事を学び、記憶に留めるのが最もな方法ですね。そうすれば「雀百まで踊り忘れず」という諺の通り、学んだ事の多くがずっと残る
はずです。

人は、大人になれば「あの時に学んでいれば良かった」と後悔の念に襲われる事がありますが、孔子殿の書である『論語』には
「少年老いやすく、学成り難し」という言葉の通り、大人の時点で学んだとしても、穴の開いた鉢に水を貯めるが如く、記憶の
中に留めようとしても漏れる事があります故、頭が良くなる事は難しいものなのです。

しかし、それでも「頭が良くなりたい」というのであれば、呂(蒙)都督や蒋(欽)将軍の様に一念発起して勉学を、特に貴方
なりに面白く、記憶の中に留まりやすい方法で励む事をお勧め致します。然すれば、貴方は今より「智」に目覚める事でしょう。

55:名無しになりきれ
07/10/28 22:29:54 0
宇宙1の嫌われ者になるにはどうすればいい?

56:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/28 22:42:07 0
>53
「宇宙一の嫌われ者」、ですか……? 斯様な事を申されましても、天地開闢の頃からそれほど嫌われていた者というのは一人も
おりませぬゆえ、私には分かりませぬ。それに何故、それほど嫌われたいのかが理解しがたい事ゆえ、例え知ったとしても御教えは
出来ませんね。

何があったのかは分かりませんが、貴方はまだ若い。斯様に捻くれなくても、貴方には味方となる人は必ず周りにおりますゆえ、
「宇宙一の嫌われ者」より、「宇宙一の愛される者」として励んで下さい。

57:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/28 22:44:12 0
ああ、間違えましたね。
>53ではなく、>55殿でした。

斯様に安易な間違いを起こすとは、私もまだまだのようですね……。

58:名無しになりきれ
07/10/28 23:06:03 O
たかが知力8の火計で知力7は飛ばないと思うんだ・・・逆に破竹で飛ばされるだけだと思う

59:名無しになりきれ
07/10/28 23:08:55 0
じつは、悪役になりたくて
色々な人の話が聞きたいんだ
張悌さん、助言お願いします!

60:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/29 00:27:19 0
>58
まあ、確かに。ですがそれでも大きな打撃を与える事には変わりはありませんからね、私が身を引いてもあとの方々に対処を任せれば、
杜預殿でも諦めざるを得ないと思いますよ。

>59
なるほど、悪役を目指しておられているのですか……。そうですね、まあなるとすれば……、魏王となり、漢王朝の権力を掌握した
曹操殿の様に、自分を信じ、かつ自分の信念を堅く持ち、物事をやり通し、随所で思いやりを見せる様な悪役が良いでしょうね。

ああいった悪役なる方は、漢(おとこ)の生き様として、憧れを抱く人が多いですからね。

ただ、間違っても我が孫呉の後主である御方(=孫皓)や、蜀の黄皓殿の様な悪役にはなってはいけませんよ。
あの方々は単に権力や物欲に溺れた、単なる嫌われ者にしか見えませんからね。

まあ、後主様の場合は大帝陛下(=孫権)が引き起こしたといわれる、跡目争いの後遺症で孫呉の国力が消耗し、その上晋の勢力が
強大になった事を憂いを感じたがゆえに、斯様な事になりましたからね。気持ちは分からないでもないのですが……。

抽象的で助言として成り立ったかどうか分からなくて申し訳ございませんが、そういう事です。
また何かありましたらば、遠慮なく申して下さい。まあ、私で良ければ、ですが。

61:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/29 01:52:36 0
……さて、そろそろ宵の口のようですね。私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの質問が続く限り、
この張巨先、誠心誠意を以てご返答いたしますゆえ、どうか今後とも宜しく御願い致します。

最後に、秋の風が冷ややかになりつつありますので、皆様どうか風邪を引かぬよう、お気をつけ下さい。

では、さらばです。

62:名無しになりきれ
07/10/29 01:53:17 0
好きな季節は?

63:名無しになりきれ
07/10/29 01:53:38 0
じょ、丞相!!!!!
し、下にゴキブリが!!!!!

64:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/29 02:04:39 0
少し忘れ物をしたので戻って参りました。

……来ているようですね、では返すと致しましょう。

>62
ええ、それは今の季節である秋ですね。秋は食が美味であり、空気が清々しくて
心が爽快になりますから。それに、秋の陽光は様々な風景、特に雑木林を黄金色に
染め、綺麗な光景を彩ってくれます。

なので私は秋が好きなのですよ。

>>63
落ち着きなさい。例え周りから忌み嫌われている虫であろうと
彼は一生懸命に生きているのです。余程の事が無い限り、無闇に
殺めようとするのは良くありません。それに、此方から手を
出さなければ自然と去ってくれます。だからここは待つに越した事は
無いので、ここは去るのを待とうではありませんか……。

さて、どうやら此処までのようですね。
では今度こそ本当に、さらばです。

65:名無しになりきれ
07/10/29 02:07:26 0
秋の風物詩といえば?

66:名無しになりきれ
07/10/29 08:26:23 0
次スレの予定は?

67:名無しになりきれ
07/10/29 20:36:27 O
どうすれば呉は滅びなかったと思いますか?
大殿か亡くなった時、呉の運命は決まってしまったのでしょうか

68:名無しになりきれ
07/10/29 20:38:51 O
結局は姜維も馬謖も似たようなもんですよね

69:名無しになりきれ
07/10/30 01:49:26 0
【植松】夏まっさかり!呉燕ゼノギメト王国!【美雨】
スレリンク(charaneta2板)

こことは違う時間軸の呉の方ですか?

70:名無しになりきれ
07/10/30 04:27:33 0
>>69
前スレ削除されてる糞コテ荒らしスレ自重

71:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/30 04:55:52 0
……来ました。今日は一日中晴れていましたが、汗が出るほどいつもよりかは暑気が増した天候でしたね。

まあ、それはさておき。今日も来ておりますね。では返すとしましょう。

>65
秋の風物詩、ですか。

そうですね……、私と致しましては、紅葉ですね。先に申しましたが、紅葉は鮮やかなる赤色を以て、陽光に
照らされたり、川に流されると彩り美しく映えますからね。

>66
ふむ、貴方はどうやら性急(せっかち)な性格のようですね。まだ建てたばかりですよ。

まあしかし、折角ですから御教え致しましょう。皆様の砦の評価によってこの砦が役割を果たし、引き続き
新たに砦を建てるか建てないかを決めます。それだけですよ。


あと、皆様に知っていただくべく、上げておきます。

72:名無しになりきれ
07/10/30 04:57:13 0
早寝早起きですか?

73:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/30 04:57:15 0
>67
そうですね……、大本の原因を申しますと、先代の大帝陛下(孫権)が後継者を明確にお決めにならなかった事が
原因でしょう。まずその発端といたしましては、大帝陛下の皇太子で在らせられます孫登様が若くして逝去された
事から始まります。

なので此処はその後継者争いである「二宮の変」を主に取り上げ、どうすれば良かったのかを説明致しましょう。

……その孫登様の死後、241年に今度は孫登様の弟君である孫和様に皇太子に指名されたのですが、本来、皇太子が
決まればあとの御子息、つまり庶子を王に封じ、赴任地に赴かせ、其処で政務等を執らせる等をして、皇太子との
待遇の差を付けねばならなかったのですが、庶子であり魯王に封じられた孫覇様を同じ宮廷に住まわせるなど、皇太子と
ほぼ同じ待遇にしてしまったのです。そうなりますと、「孫覇様でも皇太子になる可能性はあるのかもしれない」と考える
人々が出だし、挙句の果てには「孫覇様を皇太子に奉り上げ、呉の権力を掌握しよう」と画策する人も発生する様になったの
です。その画策する者の中で最も有力だったのが、大帝陛下の娘君であり、全(琮)将軍の夫人である全公主(=孫魯班、
「三国志大戦」では字の「大虎」で知られている)様だったのです。彼女は孫覇様には後ろ盾となる母親がおらず、しかも
外戚もいない事を把握した上で孫覇様を擁護し、孫和様の母親である王皇后陛下を讒言で皇后の座から降ろそうとしたのです。

まあ、これはそもそも彼女の母親である歩夫人様が男子を産まなかったが為に大帝陛下によって皇后の座から降ろされ、
孫和様を産んだ王夫人を皇后として据えられた事に対しての恨みと嫉妬によってそうさせたと言われています。

そのあと、不思議な事に全公主様の行動に賛同する人々が集まり、またそれに対して孫和様を擁護する人々もまた集まって
互いに争う姿勢を見せたのです。そして当の孫覇様もまた、自分が皇太子になれる事を信じ、兄である孫和様と争う姿勢を
見せ始めました。

これが後世に名を残す「二宮の変」というものです。

(次に続く↓)

74:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/30 04:58:06 0
因みに孫和様を擁護する人々の主力は、陸昭侯(陸遜)・顧譚・顧承・吾粲・張休・朱拠・屈晃・諸葛恪・陳正・陳象・
勝胤・施績・丁蜜といった、多くが孫呉の主流を占めている方々であり、それに対し、孫覇様を擁護する人々の主力は
全公主・全琮・全寄・楊竺・歩隲・呂岱・呂拠・孫弘・呉安・孫奇といった、多くが要職にあれど、主流を支えている人々、
つまり亜流派の方々が占めておりました。

これらの面々を互いに揃え、主導権争いを展開しますが、その初めは陸昭侯が讒言で憤死されたり、また先の顧(雍)丞相の
御子息である顧譚殿や顧承殿、果ては長く孫呉の御意見番を務めていらっしゃられた張(昭)将軍の御子息である張休殿が
孫覇様とその一派の讒言によって交州へ流罪にされるなど、孫覇様を擁護する派閥が有利になり、歩隲殿が丞相に、左大司馬には
朱(然)将軍、右大司馬には全(琮)将軍、上大将軍には呂岱殿と変わられたのです。しかし、それから間も無くの247年に、
その主力であった全将軍と歩丞相が相次いで亡くなられると、孫和様を擁護する派閥が盛り返し、ほぼ互角の争いを見せる様に
なるのですが、大帝陛下はその対策を示さず、ただ傍観していた、との事でした。

そしてその「二宮の変」に終止符を打ったのが勃発して10年後の250年でした。

ここに来て事態を重く見た大帝陛下は最早修復不可能とみなし、「喧嘩両成敗」として孫和様を庶子に落とし、孫覇様には自殺を
命じたのですが、この解決策は殆ど何の関係の無い孫和様にとっては、「ただ自分は兄の後を継いだだけなのに……。」と思えるほど、
気の毒なものでした。大帝陛下はその孫和様の不遇に気付き、再び孫和様を皇太子に戻そうと考えたのですが、自らの地位が危ないと
思ったのでしょう、かつて孫覇様を擁護した全公主様と孫弘殿が猛反対をして、結局孫和様は庶子として南陽王に封じられ、代わりに
当時、まだ7歳であった孫亮様が皇太子に据えられたのです。

それから2年後、大帝陛下は崩御され、まだ9歳の孫亮様は皇帝の位に就きました。ですが、皆様も周知の通り、まだ9歳と言えば、
まだまともに政務を執る事が出来ない年頃ゆえ、代わりに諸葛恪殿や一族の孫峻様、果ては彼の従兄弟である孫[糸林]様が政務を
執ったのですが、専横を極めただけであり、却って対外政策では失敗を繰り返し、内政でも大旱魃に見舞われたにもかかわらず、
対処を怠ってしまう等、孫呉を更に衰えさせてしまったそうです。それから呉の帝位は景帝陛下(孫休)に移ったものの、景帝陛下は
張布将軍に専ら政治を任せたものの、成果を上げる事が出来ず、彼は景帝陛下の後継者として「今の」後主様(=孫皓)を推薦したの
でした。

75:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/30 04:59:29 0
……まあ、色々と長く話しましたが、私としては、分岐点は矢張り大帝陛下が後継者を明確に決めなかった事が一番の原因であり、
次に……、これは後主様には申し訳無いのですが、張布将軍が後継者として孫わん(「わん」は雨冠に「單」)様を後継者として
取り上げなかったのが原因だと思いますね。

まあ、後者は正直申しますと余り孫呉を永らえさせる効果は無いと思いますが……。

ともあれ、後継者を選ぶにすれば、君主が帝王学を十分に学び、長じた子息を指名する事こそが、国や民を守る、一つの切っ掛けと
なるはずです。

私からは以上です。また何かありましたらば、遠慮なく申して下さい。

>68
姜維殿も馬謖殿も似たようなもの、とはどういう事ですかな? まあ私としましては、彼らは共に蜀という国を守らんとした、
智勇兼備の将だと思いますね。

恐らく貴方は「彼らは自らを過信しすぎた事によって失敗を招き、また自らの身を滅ぼした」という事を申したいそうですね。
まあ、その点は私も貴方と同様に否めませぬが、国の為に戦った点は私と比べれば彼らの方が遥かに上です。なので貴方の意見には
半分は「賛成」で、後の半分は「反対」と取らせていただきますよ。

76:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/30 05:02:52 0
>69
申し訳ございませぬが、見たところ我々孫呉とは全く関係が見当たりませぬゆえ、斯様な場所は全く存じません。

>70
何と、>69殿が紹介して下さった場所には、斯様なまでに嫌われている者が居られるのですか。
此方としてはなんとも言い様がありませぬが、嫌われる要素を逸早く払拭し、愛される者として変わる様、祈っておきましょう……。

>72
いえ、本日は久方ぶりの休日ゆえ、今まで起きておりましたが、もうすぐ床に就きます。
まあ、基本的には遅く寝る事があれど、早く起きる、と言ったところですね。


さて、もう宵の口……、というよりかは、もう夜明けのようですね。では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの
質問が続く限り、この張巨先、誠心誠意を持って返答致しますゆえ、どうか今後とも宜しく御願い致します。

最後に、もうすぐ晩秋が訪れますゆえ、逸早く衣替え等をして冬の訪れに対処出来る様、心掛けて下さい。

では、さらばです。

77:名無しになりきれ
07/10/30 05:04:07 0
未だに半袖半ズボンのピザデブです^^

78:名無しになりきれ
07/10/30 09:08:41 O
つまり二宮の乱は孫権のミスに始まり孫権のミスに終わるということか。
それにしても
呂蒙のような武勇に優れ、努力家で、人望も厚く、忠義心の強い男が嫌われ者になっているのは悲しい

79:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/30 23:37:59 0
……来ました。今日は日中は晴れていたのですが、夕方頃から天候が芳しくなくなり、雨が降って参りましたね。まあ、お勤め
から帰る方々、くれぐれも風邪を拗らせぬ様、お気を付け下さい。

では来ている様なので返させて頂きます。

>77
ほう、半袖に丈が半ばの袴ですか。それほど健康が良好である事が良く分かりましたが、次第に冷え込んで参りますゆえ、
今のうちに衣替えをした方が宜しいでしょう。今の時期に風邪を拗らせると厄介ですゆえ、対処は早めに打たねばなりませんよ。

>78
大帝陛下には申し訳ございませぬが、そういう事になりますね。そう考えると、孫呉は大帝陛下の為にあった様なものだった、
ともとれます。また、この頃の孫一族の多くは何故か病や戦によって短命で終わる方々が多かったそうです。もし一族が長寿で
あったならば、孫呉も変わっていたのかもしれませんね。

(呂蒙について)そうですね、呂将軍は生まれが貧しく、若干16歳で大帝陛下の兄君である長沙桓王(孫策の諡)様に仕え、
引き続き大帝陛下の下に仕えて黄祖配下の陳蹴を討ち取り、また赤壁の戦いや江陵の戦い等で華々しい活躍をし、後に大帝
陛下から教養が如何に大切か諭され、薦めによって勉学に目覚め、智勇兼備の将へと変貌を遂げた、「努力」という言葉が
この人以上に似合う人はいないといっても過言じゃないほどの努力家だと思いますね。

ですが「三国志演義」では関羽殿を討ち取った事により、故事となっている「呉下の阿蒙に非ず」(勉学を積んだばかりの
呂蒙がある日荊州で魯粛に出会い、魯粛からのあらゆる質問をいとも容易に答え、それに驚いた魯粛から「呉下の阿蒙に非ず」
と評され、それに対して呂蒙が「士別れて三日なれば、刮目して相待すべし」と答えた逸話)が記載されておらず、そのうえ
宴の席で突然、関羽殿の亡霊に憑依され、、大帝陛下を散々に罵倒した挙句、体中の穴という穴から血を噴出して絶命すると言う、
何とも言い難い最期を遂げた、と書かれていますからね。此方としてもこれは余りにも酷いと思いましたよ、本当に……。

まあ実際は肺の病(肺結核と言われている)を患ったのが原因と言われております。……もし、この方も長寿だったのであれば、
孫呉もまた長く続いたのではないか、とも思いましたね。

80:名無しになりきれ
07/10/31 00:38:01 O
あなたは三戦で僕によく絡んでくる人ですか?

81:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/31 00:41:55 0
>>80
いいえ、私は三戦板には赴いてはおらず、貴方の事を存じませんよ。何があったのかは分かりませぬが、斯様に人を疑うのは
余り印象としては良くありませぬゆえ、慎んだ方が宜しいでしょう。

82:陳泰 ◆NpXZMB1EEA
07/10/31 01:58:15 0
突然ながら失礼致す!!!

初めまして、呉の丞相・張悌殿。私の名は陳泰、字は玄伯と申します。
魏の雍州刺史及び尚書左僕射(皇帝側近の秘書官の一つ)を務めている
者であります。

ところで貴公の砦を拝見いたしましたが、なかなかの応対振りですな。
何だか羨ましく思いますぞ。来訪者の往来も、私の所と比べたらかなり
多いようですし……。

まあ、そんな愚痴を言う暇があらば、自分で何とかしろというもの
ですがね……。

ともあれ、貴公の今後の健闘を祈り、これを贈りに参りましたぞ。
口に合うかどうかは分かりませぬが、どうぞ。

つ「『麩嘉』の桜麩饅頭」

倭国の京都で購入した饅頭でしてな、滑らかな口当たりとほんのりと
甘い餡が絶妙に合っていると評判らしいですぞ。

では、私はこれにて失礼致しますが、互いに違う所であれど、志は
共に同じですからな。お互い、最後まで頑張りましょう!!!!!

では、さらば!!!!!

83:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/31 02:18:05 0
>>82
何と、貴公は魏では「法の番人」として名高く、官位登用制度である「九品官人法」を制定した
陳羣殿の御子息である陳泰殿ではありませんか。ようこそいらっしゃいました。

いやいや、私めもまだまだ未熟でありますよ。寧ろ貴公の様にありとあらゆる
方法で賑わせているのが誠羨ましく存じますね。

しかも斯様に可憐な贈り物まで……。ありがとうございます、このお返しは近々
果たしますゆえ、どうか心待ちになさって下さい。

史実では貴公と私は敵同士。ですが此処では貴公の申すとおり、確かに互いに
居る所は違っていれど、目指すものは共に一緒であり、鋼よりも強い絆で結ばれて
いると思いますね。

なので此方からも宜しく御願い致します。

84:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/10/31 03:05:22 0
さて、どうやらもう宵の口ですね。

では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの質問が続く限り、
この張巨先、誠心誠意を以てご返答いたしますゆえ、どうか今後とも宜しく
御願い致します。

最後に、晩秋の冷え込みにはお気を付け下さい。油断しますと体調を崩しかねませんからね。
では、さらばです。

85:名無しになりきれ
07/10/31 08:04:35 0
自信家についてどう思う?

86:名無しになりきれ
07/10/31 13:31:44 0
おっぱいについてどう思う?

87:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/01 00:03:20 0
……来ました。今日は地域の人々との交流会議が長引いたゆえ、来るのが遅くなりました。
まあ、地域の人々と斯様に交流を深めるのは、国の為になると思いますけどね。

では来ている様なので返させていただきます。

>85
なるほど、自信家ですか。何事にも取り組むのに怖気ず、堂々と実行するのは非常に頼りに思えますからね。斯様な人は必ず
居た方が良いでしょう。

ただ、諸葛恪殿の様に、自信過剰になって失敗した時、その分の信頼は山が崩れるが如く失墜し、己の身にも災いを来たす恐れが
ありますゆえ、ある程度慎みも覚えておいた方が宜しいでしょう。

>86
おっぱい……、それは女性の胸の事ですね?

私と致しましては、どうも思いませんね。確かに外見は大切でしょうが、中身はもっと大切ですね。
胸が大きかろうと小さかろうと、女性に思いやりや心優しさがあれば、それで良いと思っております
ので。

88:名無しになりきれ
07/11/01 04:25:37 O
長生きしても陸遜と…いや、なんでもないです

89:名無しになりきれ
07/11/01 07:41:27 0
宇宙人はいると思いますか?

90:名無しになりきれ
07/11/01 09:15:50 0
人が時を移動する事は可能でしょうか?

91:名無しになりきれ
07/11/01 10:59:25 O
三国一の愚か者って誰よ?
呂布?

92:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/01 22:12:50 0
……来ました。昨晩は急な用事が出来たゆえ、中途半端に投げ出してしまいました。この場を借りて深く申し上げます。
申し訳ございませんでした。

では、新たに来ている方々の為にも、誠心誠意を以て返させて頂きます。

>88
む、長生きしても陸昭侯と……、とは? それは私が「長生きしても陸昭侯には及ばぬ」と言う事ですかな?

もし貴公がそう申したかったのであれば答えましょう。あの方の存在は正に孫呉そのもの。当然私の様な半端な人間が及ぶ
様な方ではありませんよ。

>89
宇宙人……、それはこの我々が住む地球以外にも、別の星に別の人々が住んでいる、という事ですね?

この広い宇宙にはありとあらゆるの事象が存在するという、「森羅万象」という言葉があります。ゆえに、私はこの言葉に
則り、宇宙人はいると思いますね。この地球の様に、生物が住むには最適な条件が揃っていればその可能性はありますよ。

93:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/01 22:14:54 0
>90
それは人が「時」を遡ったり、今より先の「時」に進む事ですね? 

……よく物語等の類では時を遡ったり時を越えて過去や未来の出来事を解決させるという所が見受けられます。ですが、
実際にはある学者の説によりますと、西域の言葉である、それに似た「ワープ」という瞬間移動は宇宙にあるあらゆる力を
10倍集めねば実現は出来ないと申しており、「不可能である」と言う結論に至りました。それを考えますと、時を越えたり、
また遡ったりすると言うのはそのワープというものよりもその力を要する事になりますゆえ、夢のまた夢という事になりますね。

>91
三国時代の中で最も愚か者……。そうですね、「飛将」とうたわれ、三国時代の中で最も勇猛である呂布殿は確かに己の欲望に
弱く、それゆえに裏切りを繰り返し、かつ部下に対して思いやらなかった点を考えますと、愚かである事を否めませんね。

ですが、それ以上にその呂布殿を養子に迎え入れた董卓殿が矢張り最も愚かであると思いますね。彼は漢王室の権力を手にした
途端に己の思うが侭に振舞い、漢王朝の民を苦しめてきましたから……。

故に呂布殿に裏切られ、殺されるという最期を遂げたのは、必然としか言い様がありませんね。

94:名無しになりきれ
07/11/01 23:01:02 O
孫家で最も優秀だったのは誰だと思います?

95:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/01 23:39:29 0
>>94
そうですね、矢張り大帝陛下が最も優秀だったと思います。武列帝(孫堅の諡)陛下と
長沙桓王(孫策の諡)様が築いた基盤を大きくし、孫呉という一つの国を誕生させたの
ですからね。

まあ、武列帝陛下や長沙桓王様もまた、後の孫呉の基礎を築いた点を考えますと、非常に
優秀であった事は間違いありませんが。共にこれからという時に、かつ早く亡くなられた
事を考えますと大帝陛下に一歩及ばなかった、という感がありますね。

晩年が前述の「二宮の変」を引き起こし、同時に衰退を招いたのは気になりますが、
貢献度としては間違いなく大帝陛下が最も大きいと思います。

96:呉の斥候
07/11/02 00:55:58 0
張丞相、張丞相!!!!! ここにおられましたか!!!!!
斯様な砦を見つけたのでここに住所を記しておきますぞ!!!!!

スレリンク(charaneta板)

では、これにて失礼致します!!!!!

97:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/02 02:03:12 0
>96
ありがとうございます。では早速見てみましょう。

おお、これは……、何とも賑やかな所ですね。しかも砦の主というのがかの袁紹軍の猛将として知られる淳于瓊殿とは!!!

彼の禍々しく、かつ凄まじき容貌とは裏腹に、斯様に丁寧かつ来訪者に対しての、思いやりのあるやり取りを見ていますと、
かなり落差があって面白い感じが致しますね。しかもその他に、呂布殿も丁寧に接しているうえ、後に魏の文帝である曹丕殿の
皇后となる甄洛殿や、果ては太史将軍に周(瑜)都督……。皆、素晴らしき心の持ち主であると共に、是非応援に赴きたく思い
ましたよ。

よし、では明日あたり、応援に赴くと致しましょう。

98:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/02 03:46:01 0
さて、暫く待っていましたが……、どうやら宵の口のようですね。

私はこれにて失礼致しますが、貴方がたの質問が続く限り、この張巨先、誠心誠意を
持って返答致しますゆえ、どうか今後とも宜しく御願い致します。

最後に、霜月に入りましたゆえ、くれぐれも風邪を引かぬよう、お気を付け下さい。
では、さらばです。

99:名無しになりきれ
07/11/02 08:55:18 0
最強は誰?

100:名無しになりきれ
07/11/02 11:53:47 0
張悌さんの理想の容姿の女性とは?

101:名無しになりきれ
07/11/02 11:59:15 0
現陛下って、正味な話どう思いますか?

あと、勝てない戦に挑むってどんな気持ちですか?
投げ出して凡愚を装いたくなりませんか?

102:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/02 23:09:16 0
……来ました。今日は曇り空でしたが、徐々に晴れ間を見せ、何だか希望が見出せた様な気がして清々しく思いました。
この陽光の様に、落日の孫呉にも光が差し込めたならば、嬉しく存じますが……。

では来ている様なので返させて頂きます。

>99
最強の武将、ですか。

そうですね、矢張り「飛将」の通り名で知られている呂布殿だと思いますね。彼は関羽殿や張飛殿といった勇将と互角に戦い、
引き分けましたからね。彼は狭量な心の持ち主ですが、それを補う武勇は凄まじきものですから。

孫呉に一人でも斯様な方が居たならば、孫呉は安泰であろうと思うくらいに……。

>100
理想の女性、ですか。
そうですね……、容姿は端麗で、気配りが上手く、花や動物を愛する清楚な感じの女性が良いですね。

まあ、これは私の戯言だと思って取っておいて下さい。

103:名無しになりきれ
07/11/03 00:02:45 0
「三国志大戦3」で貴方出るかい?

104:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/03 01:50:52 0
>100
理想の女性、ですか。
そうですね……、容姿は端麗で、気配りが上手く、花や動物を愛する清楚な感じの女性が良いですね。

まあ、これは私の戯言だと思って取っておいて下さい。

>101
(現陛下って、正味な話どう思いますか?)

後主様の事ですね。陛下は即位された当初は非常に思慮深く、民の為に善政を施しておられたのですが、幾ら立て直そうと務めても
その頃の孫呉の国力は先の「二宮の変」など、内部の争いによって深刻な疲弊を蒙り、而(しか)も強大な晋の力を感じ、絶望感に
苛まれた結果、暴君と化してしまいましたからね。そう考えますと、彼は「『時代』の被害者」だと思いますね。

……前ではかなり後主様の事をかなり悪評しておりましたが、素質的には長沙桓王(=孫策)様の再来と思わせるほど、実は君主と
しての器があったそうです。もし、良き時代に生まれていたならば、後主様は良き君主として国を支えていたのかも知れませんね。


(勝てない戦に挑むってどんな気持ちですか? 投げ出して凡愚を装いたくなりませんか?)

勝てぬ戦、ですか。正直申しますと悲しいものです。普通の人でしたならば、潔く降伏し、生きながらえる様に考えるでしょうね。

ですが、私と致しましては降伏するというのは、この祖国である孫呉と、陸昭侯と同じく、孫呉を愛し、かつ私の事を認めて
推挙してくれた諸葛瑾様を裏切る事になりますゆえ、勝てぬ戦であっても挑み、国と運命を共にする事が本望だと思いましたね。

私からは以上です。また何かありましたらば、遠慮なく申して下さい。

105:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/03 01:52:05 0
>102
「三国志大戦3」ですか……。そうですね、出るかどうかはまだ分かりませぬが、私のような国に何も貢献をしておらぬ者が
出るのはお門違いの様な気がします故、私と致しましては出る可能性は低いのではないかと存じます。

さて、どうやら宵の口ですね。

では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの質問が続く限り、
この張巨先、誠心誠意を以て返答を致しますゆえ、どうか今後とも宜しく御願い致します。

それと最後に、逆に私が皆様に質問致します。

皆様にとって私をどう思っているのか、知りたく存じますが、如何でしょうか?
御返事待っております。

では、さらばです。

106:名無しになりきれ
07/11/03 15:48:19 O
正史での赤壁の戦いについて教えて下され

それと張丞相は3では排出停止との噂が囁かれておりますがどうお思いですかな?

107:名無しになりきれ
07/11/03 19:08:52 0
>>105
俺は責任感が強く、しっかりした信念の持ち主だと思うよ。

それに、張悌殿は巷では「ハリー・ポッター」と呼ばれているそうだが、
どう思う?

108:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/04 00:06:09 0
……来ました。今日は倭国では「文化の日」という事で賑わいが一入でしたね。

では来ている様なので返させて頂きます。

>106
「正史」での赤壁の戦いですか。

まずこの戦いを語るには、「三国志演義」での赤壁の戦いを基に、経緯を把握しておかねばなりませぬ故、
長くなりますが、宜しいでしょうか?

「三国志演義」
208年、華北をほぼ統一した曹操は進路を南の方に向け、江南を征服すべく、7月に50万の兵を率いて南下を開始、しかも
丁度その頃、荊州牧であった劉表殿が亡くなります。新たに牧に就任した劉琮殿は後見人の蔡瑁殿の薦めにより、曹操軍に
あっさりと降伏、曹操は荊州軍を吸収し、兵数を「100万」号して更に南下し、その途中で諸葛亮殿の意見を取り合わず荊州を
手中にする事を諦め、大量の領民と共に南に逃れようとした劉備殿を追撃し、長坂坡で遂に追い付き、劉備殿を危機に陥れました。
しかし、この絶体絶命なる危機を勇将である張飛殿がたった一人で威嚇をして防ぎ、また逃げ遅れて曹操軍の中に取り残された
甘夫人(甘皇后とも呼ばれる)とまだ幼子であった劉禅殿を趙雲殿がこれまたたった一人で救い出した事により、夏口にいる
劉表殿の長男である劉琦殿の下まで逃げ延びる事が出来たのでした。

一方、江東に勢力を伸ばしていた大帝陛下(=孫権)がその一報を聞いて驚き、文官及び武官を呼び、降伏するか抗戦するかの
会議を開き、文官の殆どが降伏を主張しておりました。しかし、その頃劉備殿の軍師であった諸葛亮殿が訪問し、また参謀である
魯粛殿もまた抗戦に傾いていた為、諸葛亮殿はこれを利用して大帝陛下を説得、また曹操が作った詩で「二喬(=大喬《長沙桓王
=孫策の妻》、小喬《周瑜の妻》)」を欲している事を聞いて激怒した周(瑜)都督までもが主戦論を唱えた事によって、大帝
陛下は抗戦する事を決意し、自らの机を叩き切り、「これより降伏を口にした者は、この机と同じ運命になると思え!!!!!」と
言い放ち、開戦を宣言したのでした。

因みに劉備軍と孫権軍の兵数は4、5万程度で、明らかに曹操軍とに太刀打ちできる数ではなかったそうです。

(次へ続く)

109:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/04 00:07:25 0
両軍は長江に沿う赤壁で対峙し、緒戦では甘(寧)将軍の奇襲等によって勝利しますが、周都督は「大軍を有する曹操を相手にする
には火計しかない」と判断し、かつて周都督とは学友の友であり、後に曹操軍に属し、このときは周都徳を寝返らせる策として来た
蒋幹殿に、水軍の要であった蔡瑁殿と張允殿が「曹操軍を寝返る」という内容を認(したた)めた偽の手紙を掴ませ、曹操殿の手で
2人を殺めるという計略を使い、果たして蔡瑁殿と張允殿をその通りに謀殺したのでした。更には蔡瑁謀殺後に曹操の策によって
偽りの降伏をしてきた蔡瑁の甥の蔡中・蔡和に対してはわざと黄(蓋)将軍と言い争いになり、黄将軍を100発の杖叩きの刑に処す
「苦肉の計」を用いて黄将軍が曹操軍に偽りの投降を申し出るという偽情報を曹操軍に流させるなど大いに利用しました。また、火計を
効果的にするために、当時在野にいた?統殿を使い、曹操に対して船上ですぐに酔ってしまう兵士達の為にと船同士を鎖でつなげ、揺れを
少なくさせる「連環の計」を進言し実行したのです(本当の目的は火計を用いた時、逃げる事が出来ないうえ、船が燃え広がりやすく
する為です)。

ただ、この計は当時曹操軍にいた徐庶殿に看破されていたのですが、劉備殿に対しての恩義があるためにわざと見逃し、更には?統殿の
助言によって涼州の馬騰殿の反乱に備えての防衛を口実として隊を離れたのでした。

しかし、曹操軍を撃破するための計略である火計には一つ問題がありました。それは、当時の季節10月には東南の風が吹かないと言う
事だったのです。この方向に風が吹かないと、火計を用いた場合、自分達の水軍にも被害が下る恐れがあったからです。そこで諸葛亮殿は
東南の風を吹かせると言い、「七星檀」という祭壇を作り祈祷すると、どこからか東南の風が吹きはじめたのです。(民間伝承には、
諸葛亮殿はこの時期に東南の風が吹く日があるのを初めから知っていたと言う話や、ドジョウを使って東南の風を吹く日を知った等の話が
あります)。機は熟したとばかりに黄将軍が油を沢山浸み込ませた藁を積んだ船に火を点けさせ、火計を実行。「連環の計」で互いの切り
離しが間に合わない曹操軍の船は次々と炎上します。更に東南の風で地上に配していた陣にも火が燃え広がり、曹操軍は散々に打ち破られ
たのでした。なおその戦の後、周都督が自分を殺そうとしている事を察知した諸葛亮殿は、東南の風が吹いた直後にその風を利用して
劉備の下へ逃げ去ったのでした。

一方、劉備軍は諸葛亮の指示の下、曹操の退却先の所々に伏兵を置き、舞い込んできた曹操と残った軍に追い討ちをかけました。しかし
諸葛亮殿は「今曹操は天命がつきておらず、殺す事は不可能であろう」と判断し、曹操殿に恩がある関羽殿をわざと伏兵に置き、敢えて
関羽殿が曹操殿に対し恩を返す機会として与え、関羽殿が曹操殿を逃がすのを黙認したのでした。

その後曹操殿は江陵まで撤退し、更に荊州北部を従兄弟の曹仁殿に託して許都に戻ったのでした。

こうして曹操殿は荊州の大半を手放さざるを得ず、以後荊州は劉備殿と大帝陛下の係争地となったのです。

(次へ続く)

110:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/04 00:08:18 0
これが「三国志演義」における赤壁の戦いです。

逆に「正史」では曹操軍が率いる兵数は「演義」とは異なり、「100万」と誇張した場面は出れど、大体14、5万ぐらいだったと
言われています。三国時代の中原の人口は大体800~1500万ぐらいであり、とても兵を50万や100万で率いる事は出来ない
数であり、「演義」は悪者である曹操殿を大いに、かつ劇的に打ち破った事にしたかったが故に斯様な大兵数として戦いに出した
そうです。

また、実際には「演義」同様に長坂坡で追い付かれるも、何とか難を逃れて夏口まで逃れ、劉琦と合流し、孫権の命で荊州の動向を
探りに来た魯粛と落ち合います。曹操は劉備の新野駆逐に伴いそのまま南下し、兵を長江沿いに布陣したのです。帰営した魯粛の報告に
よって、その兵「百万」と聞き大帝陛下は驚愕しますが、周都督が、その実は十四、五万しかおらず、しかもその殆どの兵は華北の
討伐によって疲弊しきっているので勝機はこちらにある、と大帝陛下に説き、開戦に踏み切らせたのでした。

そして劉備軍・孫権軍は同盟として結び、赤壁で対峙、黄将軍が偽りの降伏をして曹操軍に油断をさせ、また黄将軍が提案した、船団が
密集した所で火攻めを仕掛ける戦略によって見事、連合軍に勝利を齎し、曹操殿の天下統一を頓挫させた、とほぼ「演義」と同様の内容が
あります。

しかし、実際はその後、斯様に大々的な壊滅を蒙れば、軍事・政権としてもなかなか立ち直れぬくらい、計り知れない打撃を受け、
数年は軍事行動が起こせないはずなのに、曹操殿はその後、涼州の平定や揚州の防衛に廻り、華北の覇者としての力を失ってはいない
どころか、銅雀台を建設して経済的にまだまだ余裕がある事を示したそうです。それを考えますと、この赤壁の戦いというのは大して
痛手ではなかったとも取れます。

因みに実際被害を蒙ったのは荊州軍のみであり、曹操軍では誰一人主要武将を失っておらず、また曹操軍が自ら船団に火を放って
敵襲と偽って撤退した、とも言われています。

しかし中華統一が頓挫したという事のは事実であり、史実でも、「演義」でも曹操殿は「郭嘉がいれば、わしを斯様な目に合わさな
かったであろう。」と呟いたそうです。

以上で史実の「赤壁の戦い」の説明を終了いたします。

111:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/04 00:09:39 0
>それと張丞相は3では排出停止との噂が囁かれておりますがどうお思いですかな?

……私が「三国志大戦3」に出れぬのかも知れぬ、と……。まあ、それは既に覚悟していましたよ。出ようが出まいが、天命には
逆らえませぬゆえ、諦めております。

>>107
ありがとうございます。そう申されますと、此方としても頑張らざるを得ませんね。

「ハリー・ポッター」ですか。聞けばそれは英国の物語かつ同物語の主人公であり、世界各地で電影画像として放映され、しかも
次々と次回作まで生まれるほど非常に好評であるそうですね。

此方としては斯様な人物に似ているというのは身に余る光栄です。まあ、あと出られるのは一月位ですが、貴方の御期待に沿うよう、
この張巨先、戦場で最後の最後まで奮闘し、散る所存です。

112:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/04 01:27:34 0
さて、どうやら宵の口のようですね。ではこれにて私は失礼致しますが、これからも貴方がたの質問が続く限り、この張巨先、
誠心誠意を以て返答を致しますゆえ、どうか今後とも宜しく御願い致します。

最後に、もし「三国志大戦3」に私が出る事が無くても、皆様に「ああ、かつてこういう男がいたのだな」、と覚えていただけた
ならば光栄に思っております。

改めてあと一月位ですが、最後まで戦場で皆様と共に駆け抜ける事を望んでいる所存ですので、どうか宜しく御願い致します。

では、さらばです。

113:名無しになりきれ
07/11/04 01:33:55 0
丞相、なりきり板での「三国志大戦」の砦では群雄伝を作成するのが流行って
いるそうですよ。

孫呉の要でもあるこの砦でも、一度試してみてはいかがでしょうか?

114:名無しになりきれ
07/11/04 02:14:56 0
面白くない奴はとことん無視される。美少女がいればそこに靡き、助平心を露わにする。
これがなりきり板の奴らの実態だ。

丞相、そんな連中の相手をまだ続けるのか? いい加減やめた方がいいぜ、無駄な努力だからよ。

115:名無しになりきれ
07/11/04 02:26:59 O
そうだな、何だか無理難題を押しつけて丞相を困らせ
たいだけだからな。

やるだけ苦労するだけかもな。

116:名無しになりきれ
07/11/04 02:30:35 0
>>114
まあな。何処かのスレのように賑わい見せているのがいい証拠だ。

117:劉禅
07/11/04 02:47:52 O
ここは平和でいい所ですね

118:名無しになりきれ
07/11/04 03:57:48 O
ふむ、正史では劉備軍は目立った活躍していないということですかな?
手柄を取られたようで周大都督もさぞや無念だったでしょうね

119:名無しになりきれ
07/11/04 10:06:02 0
好きな料理は?

120:名無しになりきれ
07/11/04 20:59:37 O
ケッケッケ
>>114-116、こやつらは離間の策を企む他国の間者に違いありますまい
決して信じてはなりませぬぞ丞相殿ぉ

121:名無しになりきれ
07/11/05 02:11:16 O
面白いのでageます。

122:名無しになりきれ
07/11/05 22:31:54 O
蒼天航路おもしろいよね

123:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/07 00:46:28 0
……来ました。ここ数日、多忙でこの地に来る事はありませんでしたが、漸く来る事が出来ました。
あと、今日は午前中はしとしとと雨が降っておりましたが、午後は晴れ間が見え、少々暖かな日差しが差し込んでまいりましたね。
ですが確実に少々冷え込みが増してきましたゆえ、皆様、くれぐれも風邪を引かぬよう、お気を付け下さい。

では来ている様なので、返させていただきます。

>113
そうですか。実は見てみたのですが、内容が濃厚で面白く存じました。こちらも近々、言葉の綴れ織りとして作ると
致しましょう。

>114
いいえ、こちらにいる皆様は、貴方が思うほど斯様に卑しい心を持っている方々ではございません。
多くの人々は我々が生きていた時代がどういったものなのかを知りたいと思い、此処に訪れる人々なのですよ。

なので表向きのみを見て斯様な事を申すのは如何かと存じます。

>115
いいえ、私はいつの時代の者でも、我々が生きてきた国、起こった出来事を後世の者に伝えるのを生き甲斐としているのです。
なので別に苦労などしておりませぬよ。

>116
何処かの地……、この砦を繁栄させる秘訣となる切っ掛けがあるかも知れませんゆえ、それは是非知りたく存じますね。

124:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/07 00:49:10 0
>117
これはこれは、蜀の皇帝である劉禅殿ではありませぬか。来ていただき、光栄で御座います。

粗茶ですが、こちらをどうぞ。つつ旦(←―龍井茶)

……平和ですか。そうですね、今のところ目立ったところは見えませぬゆえ、此処は安定しておりますが、何れは
乱世になる可能性はあります。なので油断もまた出来ませんね。

>118
まあ、そうですね……。「三国志演義」は著者の羅貫中殿が、蜀が漢王朝の正統なる後継として見なしていますからね。
だから斯様に諸葛丞相が周都督を始め、呉軍を手玉に取るかのように、神がかりな策略で曹操軍を打ち破るといった内容に
仕立て上げているのですよ。

まあ、周都督は本来、温厚で慎ましやかな性格ゆえ、斯様な物語を御拝読なさっても笑って済まされると思いますが。

>119
そうですね……、孫呉は主に江東が政治・経済、産業の主要でありますゆえ、魚介類や米が食の主流となっております。
なので私は魚料理が一番好みですね。

>120
他国の間者、ですか。まあ確かに、斯様な振る舞いを見せるというのは只者ではないという事は一目で分かりましたよ。
この張巨先、亡国の丞相であれど人を見る目ぐらいはありますゆえ、御安心を。

>>121
ありがとうございます。ですがこの長い文章は反面飽きられる事も多いですからね、これからもどう賑やかにするのか
試行錯誤でございます。

>>122
「蒼天航路」……、聞けばそれは倭国で絶大なる人気を博した三国志の物語のようですね。まあ、私も一度は目にした
事はありますが、結構、何と言いましょうか……。かなり派手なる画でありますゆえ、申し訳ございませぬが、見る事は
少なく存じます。

125:名無しになりきれ
07/11/07 23:44:45 O
おい、そこのお兄さん!
ここに、どんな盾も突き抜く矛と、どんな矛も防ぐ盾があるんだけど、お兄さん買わないか?
安くしておくよ。


126:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/08 20:37:03 0
……来ました。前回はそのまま眠気に襲われ、何も告げずに去ってしまい、折角来て下さった皆様に対しての無礼なる振る舞いを
犯してしまい、大変申し訳無く思います。

今後斯様な行為を二度と起こさぬよう己に警告する所存ですので、どうか御許し願いたく存じます。

では新たに来て下さった方々の為にも、返答致しましょう。

>125
なるほど、「どんな盾も突き抜く矛」と「どんな矛も防ぐ盾」、ですか。ではその「どんな盾も突き抜く矛」で
「どんな矛も防ぐ盾」を突いたならば、どうなるかを拝見したく存じますが、如何でしょう?

納得が出来る結果になれば購入いたしますよ。

(商人 「エッ……、そ、それは……。」)

この様に2つの物事に肯定と否定が重なり、辻褄が合わぬ事を「矛盾」と言うのです。もしこの盾と矛を売るのであれば、
どちらか一方を譲る様な感じで口説いて売るべきでしたね。

例えば矛ならば「この今もっている盾以外、どんな盾でも突き抜ける矛」と、盾ならば「この矛以外、どんな矛でも防ぐ盾」と。
然すれば皆は納得し、購入してくれるはずですよ。

127:名無しになりきれ
07/11/08 20:46:25 O
つショートケーキ
つチョコケーキ
つチーズケーキ
つモンブラン

この中から好きなケーキをお取りください


128:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/08 21:40:20 0
>126
これは西洋のお菓子ですか、ありがとうございます。
そうですね、この中ですとその乳酥を使った「チーズケーキ」とやらが
美味しそうなので頂きますよ。

あと、これは気の所為かと存じますが、「この中から好きな」であって、
「この中から好きなのを一つ」では無いのですね?

いや、別に欲張りではなく、何かあるのではないか、と思っただけなので悪しからず……。

129:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/08 21:42:39 0
ああ、間違えましたね。>126ではなく、>127でした。
この場を借りてお詫び申し上げます。失礼致しました。

130:名無しになりきれ
07/11/08 21:58:03 O
今から山籠りして来ます


131:かくわい
07/11/08 22:03:08 O
やれやれ・・・貴様の火刑など私には通用せぬ。

む!味方に連計がひとりも居らぬとな!

132:名無しになりきれ
07/11/08 22:05:08 0
>>131
あ、性格の悪い杜預だ。

133:名無しになりきれ
07/11/08 22:15:13 O
三國志の人形劇見たことある?


134:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/08 22:40:55 0
>130
山籠りですか。十中八九危険を伴いますが、己の身体及び精神力を鍛えるのに一番の
手段ですね。ですが、山で生活するのに食糧や水を確保せねばなりませんよ。

あと猛獣と闘い、不利になった際の逃走経路も確認した方が良いでしょう。

>131
郭淮殿……、確かに貴方からしてみれば私の火計は余り通用しないでしょう。
ですが通用しなくとも、後の方に攻勢を託し、貴方を引かせる程の打撃を与える事は
出来ます。

では、

         ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!             
   ヽl   ,、 l/
  〃")' ~´ヘヘ)"ヽ            ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
  !( ソノ八)ヽ) ソ           ;;;''''
    ヾl.・∀・ノ!    )) 卩__ ,.';;''
o=====U===∩====[]コ[i(●==冫                                郭淮殿→))゜3゜)
    ./ソ、j、iヾ.   ))  |ノ ̄ ̄ ヽ;,,
    .~(ノ!_j~´             ''''';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;

  __/\_
 /さらばです\


>132
なるほど、そうでしたか。そういえば名前が平仮名というのが特徴的ですね。

>133
それは島田紳助殿と松本竜介殿が司会を務めたり人形劇で「紳々」「竜々」という名で出演していた劇ですね?
(中の人の談)申し訳ございませんが、幼少の頃に見た事があれど、殆ど覚えておりませんゆえ、詳しく語る事は出来ません。

135:名無しになりきれ
07/11/08 23:01:40 O
無双はやらないの?

136:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/08 23:08:36 0
>135
そうですね……、申し訳ございませんが機材(プレイステーション)は一切持っておらず、専ら「三国志大戦」に偏った状態ですね。
もしあれば一度やってみたいと思います。

まあ、当然ながら私は出ていないようですが……。

137:名無しになりきれ
07/11/08 23:16:48 O
呉に軍師っていたの?

138:名無しになりきれ
07/11/08 23:28:58 O
ゆとり教育について語ってください

139:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/08 23:39:49 0
今日は何だか質問が良く来てますね。しかも文面から見て、同一の人物と
思わせるほど……。

>137
そうですね……、孫呉で軍師といえば陸昭侯がそうですね。
何度も申しておりますが、孫呉を長く外敵から防ぎ、孫呉を支えた功労者ですから。

そして陸昭侯の御子息である陸抗様もまた、孫呉の要点である西陵を攻める晋からの侵攻を防ぐ等をし、死すまで祖国を
守り通してきた名将、名軍師ですよ。

140:名無しになりきれ
07/11/08 23:41:48 0
張丞相、無理して答えなくても良いのですよ。
恐らくこれは張丞相を陥れるための策ですから。

矢継ぎ早に質問してくる彼は恐らく、他スレの刺客でしょう。

141:名無しになりきれ
07/11/08 23:44:20 0
この質問攻めこそ丞相が詰め込みになりかねんぞ
史実では陸抗がそれで病没したそうだからな

142:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/09 00:30:34 0
>138
ゆとり教育……。原義と致しましては確か勉強一辺倒の詰め込みになり、焦燥感を与え、精神に異常を来たさぬよう、
学習者の多様な能力を伸長させるという、倭国の教育理念ですね。

まず日本教職員組合が1972年に学校を週5日制度にしたのを皮切りに、学習内容及び授業時数の削減、第2、第4土曜日を
休業日(1992年にまず第2土曜日のみを、1995年に第4土曜日も休業にした。後に1999年には完全週5日制度に
なる)にしたり、国際化、情報化の世界を初めとする社会の変化を踏まえ、子供が自ら率先して考え、学ぶ為の力をつける
「総合学習時間」、他の生徒の成績を考慮に入れず、生徒本人の成績を評価するという「絶対評価」を取り入れるなど、
教育の改善策を図ったと聞きます。これによって教科では理科が「理科の勉強が好き」或いは「どちらかというと好き」という
学生の増加が徐々に目立っているそうですが、総合的には逆に学力低下に拍車がかかり、特に数学に対しては「必要が無いの
ではないか」という考えが生じているのもまた事実であるそうです。

また週5日制度にしたのは、子供に学習塾に通わせる、また社会の世界を実感させて学力を向上させる、教師の質をも上げるのが
主なる目的であるようですが、大抵の子供は漫画や電影遊戯に没頭するが故に、米国、韓国等の諸国と比べ、却って勉強時間の
減少が進み、学力が低下する状況に陥っているそうです。

その為、2007年10月30日の中央教育議会答申ではゆとり教育による学力低下を文部科学省は認めて反省し、授業日数の増加、
理数系の授業及び英語の授業日数を増加を提言したという事です。

まあ、何故ここまでゆとり教育を施したのかといえば、過去の詰め込み授業や管理教育、受験戦争によって学力の格差が生じ、また
それによる校内暴力や苛め、落ちこぼれ、勉強に追われる学生の出現によってゆとりの時間が無いというのが原因ゆえ、その過去の
時にある程度弛緩を施していたならば、今日のゆとり教育問題は深刻なものにならなかったと思いますね。

>140
いやいや、彼は純粋に様々な事を学ぶべく、こうして私を頼りに参上
したのです。

ここで期待を裏切れば、不忠の者と見なされ、この砦は廃れるでしょう。

>141
確かに、陸抗様は晋がいつ侵攻してくるのかに対して日々頭を悩まされ、また祖国・孫呉の
防衛に対してもかなり懸念され、ゆとりを見出す事が出来ない状態にありましたからね。

今考えると陸抗様にとってのゆとりというのは、死後の事だったのかも知れませんね。

む、私が詰め込みになりかねない、と? いやいや、陸抗様と比べれば私の応対は
まだまだゆとりはありますゆえ、ご安心を。

143:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/09 00:38:45 0
少し>142の訂正を行います。


まあ、何故ここまでゆとり教育を施したのかといえば、過去の詰め込み授業や管理教育、受験戦争によって学力の格差が生じ、また
それによる校内暴力や苛め、落ちこぼれ、勉強に追われる学生の出現によってゆとりの時間が無いというのが原因ゆえ、その過去の
時にある程度弛緩を施していたならば、今日のゆとり教育問題は深刻なものにならなかったと思いますね。




まあ、何故ここまでゆとり教育を施したのかといえば、過去の激しい詰め込み授業や管理教育、受験戦争によって学力の格差が生じ、
それによって生じた校内暴力や苛め、落ちこぼれ、勉強に追われる学生の出現によって「学生にゆとりの時間が無い」という事が
判明したが故に、その過去の災禍を払拭すべく施されたそうです。しかし、もしその「過去」にある程度弛緩を施していたならば、
今日のゆとり教育問題は深刻なものにならなかったと思いますね。

144:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/09 00:49:53 0
さて、そろそろ宵の口ですね。では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの
質問が続く限り、この張巨先、誠心誠意を持って返答いたします故、これからもどうか
宜しく御願い致します。

最後に、秋もいよいよ終わりに差し掛かっておりますゆえ、皆様どうか身体を損なわ
せぬよう、大事にお過ごし下さい。

では、さらばです。

145:名無しになりきれ
07/11/09 01:02:09 O
三國志の中で天才と言えば誰ですか?

146:じゅんいく
07/11/09 07:13:52 O
ふふふ・・・見てますよ。いつでも貴方を見てますよ・・・私の視線は貴方に釘付けです(士気1

147:名無しになりきれ
07/11/09 15:51:20 0
張悌頑張れ

148:名無しになりきれ
07/11/09 20:23:37 O
ステップアップガイド2に書き下ろしの丞相が載っていましたよ

149:名無しになりきれ
07/11/10 21:14:34 O
戦とは頭脳で勝負するものだ!!


150:名無しになりきれ
07/11/11 21:10:14 O
張悌殿…

151:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/11 22:36:16 0
……来ました。今日は曇り気味ながら時折太陽が顔を見せ、比較的穏やかな天気でありましたね。この分ですとまだまだ温暖な天候は
続きそうだと思いましたよ。
ですが、油断を致しますと体調を崩しかねないのでそこの所は気を付けた方が良いでしょう。

では此処に来て下さった人々の為にも、返させて頂きます。

>145
天才、ですか。そうですね……、矢張り蜀の孔明殿だと思います。蜀は我が孫呉、魏と比べますと領土と国力が劣っていますが、
峻厳な地形を利用した城砦を築き、外敵からの侵攻を防いだり、また戦のときもそのちけいを生かしたどころか、相手の心理を
読み、それを逆手にとって攻めては敵を討ち、守っては敵から退かせましたからね。まあ、馬謖殿や李厳殿の失態があった故に
完全なる勝利を逃しましたが、完全なる敗北もまた彼には無かったそうですからね。

一方、魏の司馬懿殿も孔明殿同様、軍略に長けておりますが、司馬懿殿は軍略が専門だったようであり、内政面で功を挙げた
記録が無い事を鑑み、また内政面でも切り盛りをして蜀の経済を充実させた事がある孔明殿に北伐でよく翻弄された事を考えますと、
孔明殿が上という事になりますね。

>146
荀彧殿、確かに貴方の反計は手強い。下手をすれば此方が火の海に巻き込まれかねませんからね。それに、例え火計を与えたと
しても智略に長けているゆえ、回避策が冴えて大した打撃を与える事は出来ないでしょう。

ですが武力と致しましては「五十歩百歩」と言われるかもしれませぬが、覚醒すれば貴方の部隊を射撃で引かせる事は出来ます。
なので此方は火計は使いません。正々堂々と戦いましょう。

152:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/11 22:39:26 0
>147
ありがとうございます。貴方の応援を決して無駄にせぬよう、この張巨先、最後まで戦いますよ。

>148
ええ、月明かりの下、二胡で調べを奏でているところでしょう? 私の趣味は一人で音楽を奏でる事でしてね、例え色々と悩みが
あっても二胡を弾く事により、心に落ち着きを取り戻す事が出来ますからね。

そう言えば音楽で思い出しましたが、向こうの砦では陳泰殿がシタールやピーパーを用いて様々な曲を奏で、来訪者の方々を
楽しませているそうですね。

なのでこちらもその二胡で皆様の為に奏でると致しましょう。

>149
ええ、確かにその通りです。戦うには「力」は必要ですが、力だけで戦略無しでは相手に翻弄され、とても勝てません。かと言って
軍略、つまり「頭脳」を使って戦えど力が無ければ、押し切れず戦に勝てないのもまた事実。

「力」と「頭脳」が巧みに組み合わさってこそ、勝利に結びつける事が出来るのです。

>150
おや、いかがなさいましたか? 斯様に暗い声で私の名を呼びかけるとは、何かあった
みたいですね。

どの様な事があったのか、私に教えて頂けませんか?

153:名無しになりきれ
07/11/11 23:31:19 O
好きな花は何?

154:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/12 00:13:56 0
>153
好きな花ですか。そうですね……、目立たないくらい小さくて純白な花を咲かせる鈴蘭(すずらん)や同じく黄色い花を咲かせ、
健気に生きる金鳳花(きんぽうげ)が好きですね。

155:名無しになりきれ
07/11/12 16:48:30 O
お笑いは好き?

156:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/12 22:12:07 0
>>155
お笑い……、それは喜劇等を拝見するのが好きであるかという事ですね?
そうですね、日頃忙しくて斯様なものを見る事は少ないのですが、私と致しましては好きですね。

それに、喜劇のみならず楽しい事を見たり学んだりする事は人生において活路を見出し、また長く
人生の道というものを切り開く事が出来ますからね。

157:名無しになりきれ
07/11/12 22:37:45 O
つ【核爆弾】
次の戦には、これをお使いください。

158:名無しになりきれ
07/11/12 23:07:23 0
>>157
お前、陳泰のスレ見ろ。

159:名無しになりきれ
07/11/12 23:09:10 0
>>157
幾らここが発言の自由とはいえ、「核爆弾を使え」というのは
人道を外している。恥を知った方がいいよ。

160:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/12 23:23:08 0
>157
私の為に斯様な心遣いをしていただき、誠に嬉しく存じますが、かの武器は他の武器とは違い、人や建物をいとも容易く
破壊するのはおろか、「死の灰」というものを撒き散らし、戦とは全く何の関係の無い者まで不治の病に陥らせ、死に
至らしめるそうですね。

それに、風の噂によりますと他の砦では陳泰殿がその恐ろしき武器の廃絶を願う歌を来訪者の方々に披露したと聞きます。

何の罪も無い者の命を奪い、更なる恨みや悲しみを生み出すのは私の望みではありませぬゆえ、誠に申し訳ございませぬが
その武器を受け取るのはお断り致します。

>158
斯様に申して頂けるのはありがたく存じますが、反感を招きかねませぬゆえ、もう少し柔軟に発言した方が良いでしょう。

>159
言葉というのは使う事によって人を喜ばせたり、悲しませたり、また楽しませるものです。確かに此処で皆様が語り合うのは
自由ではありますが、貴方の申すとおり、匿名であるのを良い事に此処に来て人を傷つけたり、貶める様な発言をするというのは
人の良き心の部分を欠けさせるゆえ、其処の所を理解し、気を付けた方が良いかもしれませんね。

161:名無しになりきれ
07/11/12 23:33:40 O
核は不評だったみたいですね…では、こちらをお受け取りください
つ【猛毒】
これを戦で使えば戦わずとして勝てましょう


162:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/12 23:50:00 0
>161
なるほど、毒ですか。まあ私は正々堂々と戦う事を身上としておりますが、今の晋に抗い、退かせるにはそれは叶いませぬゆえ、
致し方ありませんね……。分かりました。ではこの毒は弓矢に仕込み、いざという時の為に取っておく事に致しましょう。

163:名無しになりきれ
07/11/13 00:00:47 O
おやすみなさい

164:名無しになりきれ
07/11/13 00:01:39 O
「子供の頃、貴方の家の丞相の抜擢を受けた。今こそ身を以て国家に殉ずる時だ」
と、諸葛靜に言って貴方は戦死したそうですね。
その丞相とは孔明先生らしいです。つまり、諸葛亮の御墨付きですか。

165:名無しになりきれ
07/11/13 00:02:33 O
三国志に悲恋ってないですか?

166:陸抗 ◆nLIxOxWMSI
07/11/13 00:26:41 O
私も混ぜて貰いたい気もするが……。
蛇足であろうな。

167:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/13 00:50:30 0
>163
ええ、お休みなさい。今日から冷え込みが来たしていますので、風邪にはお気を付け下さい。

>164
確かに。私は幼少の頃、孔明殿から私の才を認められました(一説によりますとその兄君である諸葛瑾様から推挙され、校尉に
なったという説があり、「三国志大戦」ではそちらの説を取り上げております)。あの最後の戦いで、孔明殿の敵であり、
蜀の敵でもある魏を受け継いだ晋に降伏するという事は孔明殿の知遇を、そして期待を裏切る事になり、黄泉の国にいる孔明殿に
顔向けが出来ませぬ故、敢えて死を決めたのです。

>165
悲恋の話、ですか。そうですね……、我々の時代では西洋で多大な人気を持つ「ロミオとジュリエット」の様な悲恋の話は
ありませんが、横山光輝氏の「三国志」では呂布殿と貂蝉殿の話があり、貂蝉殿は呂布殿と董卓殿の仲を裂いた後、自分の
やるべき事を果たしたと言い残して自決し、呂布殿を多いに嘆かせたそうです。

悲恋かどうかは分かりませぬが、非常にこの経緯の話は有名ゆえ、取り上げました。

まあ、「三国志演義」ではその後貂蝉殿は呂布殿と董卓殿の仲を離間の計で裂いた後、呂布殿が曹操殿に討たれるまで付き従い、
貂蝉殿もまた曹操殿によって殺められた、と書かれているそうです。

>166
何と、これは陸抗様。ようこそ御出で下さいました。

……蛇足であると? いいえ、その様な事はありませぬ。父・陸昭侯の後を継ぎ、立派に孫呉を支え続けた貴方です。
私と致しましても一人より多くでこの砦を守る方がより砦が永らえますゆえ、是非御願い致します。

168:名無しになりきれ
07/11/13 01:03:16 O
この砦の士気高揚の為に、日替わりで呉将について語るというのはいかがですかな?

169:陸抗 ◆nLIxOxWMSI
07/11/13 01:09:14 O
>>167
私は父上に恥じない子であったであろうか。
父上は劉玄徳を破り、丞相として孫呉を支えた。
しかし、晩年は太祖に疎んじられ、憤死した。
それでも、父上は孫呉への忠誠に曇りはなかった……。
私も父のようにありたいものだ……。

そういえば、私は張悌が丞相になる前に死んでいるな。
私が死んでから、晋の攻撃はいよいよ苛烈になったと聞いていたが……。
猫の手も借りたい、というところなのか……?
ともかく、不才ではあるが、私も力を尽くそうと思う。
どうか、宜しく頼む。

170:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/13 01:53:06 0
>168
ええ、良いでしょう。ですが此方と致しましても各将軍についての事実の聴き取りをせねばなりませんゆえ、多少時間が
掛かりますが、それでも宜しいのでしょうか?

>169
いえ、貴方は父・陸昭侯の威風を立派に受け継ぎ、心から愛した祖国を守り抜きました。斯様な功績がある貴方をどうして批判
するのでしょうか?

確かに、陸抗様が世を去られると、晋ではこの孫呉を討滅する気配が色めき立ち、その後に起こった交州の大きな反乱に乗じ、
杜預殿を総大将とした晋軍が長江に沿って六方面から一気に攻め立てて参りました。その結果、長江に防衛線を張った我が軍は
悉く打ち破られ、遂に都である建業が陥落。私と沈瑩殿、そして貴方の御子息である陸景殿はその戦で戦場の露となって消え
ました。

ゆえに、今回の原因と致しましては、私の不徳によって孫呉を支えきれず、滅んでしまったという事であり、誠申し訳無く
存じます。

今私が斯様にこうして砦を築き、皆からの応答に励んでいるのは、孫呉の為に戦った人々の為に対しての、せめてもの償いと
して、孫呉の偉大さ、素晴らしさを後世の方々に伝える為でございます。

……斯様に長く語り、申し訳ございません。

最後に、正直申しますと、陸抗様が此処に参られ、私と共に再びこの砦を守られるという事は願っても無い事です。
改めまして、此方こそ不束者ではありますが、どうか宜しく御願い致します。

171:張悌 ◆fm/e7yRRqo
07/11/13 02:06:01 0
さて、そろそろ宵の口ですね。では私はこれにて失礼致しますが、これからも貴方がたの質問が続く限り、この張巨先、
誠心誠意を以て返答致します故、これからもどうか宜しく御願い致します。

最後に、今日からいよいよ本格的な冷え込みが始まったそうですので、皆様どうか身体はよく暖めてからお休み下さい。

では、さらばです。

172:陸抗 ◆nLIxOxWMSI
07/11/13 02:19:33 O
>>168
妙案だな……確かにそれは面白そうだ。
孫呉には多くの有能な将軍が居ましたから……。
しかし、調べる時間は掛かりそうか?
それでも、楽しんで頂ければそれで満足なのだがな。

>>169
あのような状況下においては……孫呉の勝利は困難であっただろう。
蜀の降伏の時点で、勢力の力関係は大きく乱れてしまった。
呉蜀が協力しなければ、魏に勝つのは難しいであろう。
それだけに、魏も各個撃破すればいいと考えるのも当然だ……。

私も自分の眼の黒いうちは、降伏の憂き目を見なかった。
だが、張悌らには孫呉の終焉を押し付けた形となってしまった。
それに私も、私なりに後に残すべきものが、余りなかった。
本当に申し訳なかった……。

このような機会を貰ったのだ、私も粉骨砕身努力させて貰う。
精一杯、協力するつもりだ……丞相殿。

すまないが、今夜はこの辺りで休まさせて頂く。
それでは失礼する。

173:名無しになりきれ
07/11/13 17:46:10 O
嫌いな動物いる?

174:名無しになりきれ
07/11/13 18:04:03 0
張丞相と陸大司馬が仲睦まじくするスレかと一瞬思ってしまったw

張丞相はレスが丁寧でいいと思いますが、適度に改行していただけると読みやすいです。

175:名無しになりきれ
07/11/13 18:20:16 0
可愛い

176:名無しになりきれ
07/11/13 19:23:07 0
スレリンク(charaneta2板)

177:陸抗 ◆nLIxOxWMSI
07/11/13 20:23:28 O
こんばんは、今日は早く来られたようだ。
本当に私などが来てもよいのか、分からんが……。

>>173
嫌いな動物、か……?
余り考えたことはなかったが……狼、であろうか。
野犬も苦手だが、狼はそれ以上に恐ろしい。
嫌い、というよりも怖い動物になったかもしれんな。

>>174
張悌と私がか?
フフ、それはそれで難しい状況ではないかな……?
それに私は大司馬、しかし、張悌は丞相にまで昇っている。
並べられるのも、畏れ多い……のだが、呼び捨てにしてしまう。
認めたくはないが、歳の功というものかな?

>>175
可愛い、か。少なくとも、私などではないな。
可能性があるならば、女性の方であるが、そのような形跡はなく。
誰を以て、可愛いと言ったのか?
―張悌か?

>>176
間違えたのか?
もし、そうだとしても気にすることはないぞ。
人は誰しも間違いをするものだ。私などもそうだ。
いや、間違いでないのなら、意図を聞きたいのでな。
もしや、私の想像も付かないような深謀遠慮かもしれぬからな。

少し疲れているので、仮眠を取らさせてもらう。
砦で仮眠などしてすまない、じきに戻ってくる。
すまないな。


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