06/11/06 14:32:34 GL+WGJhn
>>889
「避けられない」は語弊がある。「相手が龍宮の腕で、特殊弾の効果なら、それを全く受けずに
凌ぎきるのは不可能だろう」だ。
1発避けても終わりじゃない、相手も更に工夫して撃って来るかも知れないし、この違いは小さくない。
>タカミチが瞬間移動を見たところで、比較対象である楓は戦闘時に見て更に時間跳躍についても知っている
>超についての情報量ではどう考えても楓が上である
つまりは前情報を持って机上で考えることで対策が浮かぶかどうか、と言う考え方のようだが、私の考えは違う。
現に同様の情報は持っているはずの我々読者でさえ、超の能力の実態は完全には分からないままだ。
(ネギだけは何か見出したが、彼はカシオペアについて読者の知り得る以上の位置にいる可能性も高い)
私の考えは上から一貫して、「やってみなければ分からない、実戦の中で攻略法は見出す」だ。
「見ただけで何か攻略の糸口に繋がる」とも思わない。ただ「何が出来るか」を一度見れば次は避けられる、
ひいては持ち堪えられる可能性は高まる。後は同じく「実戦の中で~」。
>風牢に閉じ込められる流れでも
そこでは「後で抜けることも考えて分身を使わなかった」可能性も一応指摘済み。
神多羅木先生達の攻めが分身を上手く封じたのなら、話は違ってくるばかりか新しい視界も開けるだろうが。
>タカミチの居合い拳だって・・・・・・ファンネル超にはまるで通じた様子が無い
「(相手が)完全に反応できない」のと「通用する」のはまた違う。
これも既出の覚えだが、居合い拳を完全に察知して反応できなくても、凌ぐ手はないわけではない。
確かに分身も万能ではないが、さりとて無視していい程のものとも思わない。つまりは>854-866だ。
>超やネギの台詞はどうするんだ?こいつらも分身が超に通じるとは全く考えていない訳だが
上で言った通り私は現場主義だから。「実際にやったことに対する評価」に対して
「やっていないことに対する見通し」へのウェイトは低い。
超の読みだって何でもその通りに運んでるわけじゃないし、漫画的にも(この漫画も例外でなく)、
一度は「駄目だ打つ手無しだ」と思ったのが、「いやまだ手はある」と転ずるのはままあること。