05/12/14 03:05:37 qjjGTuVE0
>>491
3回くらい繰り返して聞いてると首をかしげたくなるところだらけだよな。
幕末の尊王も攘夷も幕府の封建的身分秩序道徳としての
朱子学から発展してきたってことだけで一括りに片付けようとしてるけど、
もう一つの大事なポイントとして江戸時代に八柏の大嫌いな日本人のナショナリズムが
生まれていたことに触れてないじゃん。伊達はその両方からちゃんと教えてる。
国学者が根本では儒教的封建道徳から抜け出せてはいなかったとしても、
中国伝来の朱子学を批判して日本独自の伝統を見直そうとする強い動きが
ナショナリズムを促進したことや、
水戸学のように日本が中国と別世界であると認識し、
有史以来「天子が絶えていない」日本の国を神聖なものとして捉える見方が、
為政者としての無能をさらけ出した幕府に替わって
民族的象徴である天皇中心の統治を期待する尊王論へつながり、
更には外国人を排除しようとする攘夷論へつながっていくことは
朱子学思想からの流れでは説明がつかない話だろ。
ナショナリズムが良いか悪いかは別にして
これって尊皇攘夷論の誕生を説明するための観点として必須じゃないか?
八柏は一方的側面だけ取り上げて「やっぱりいわゆる」で適当に片付けるなよな。
もしも論述で聞かれたらどうすんだよって。