03/07/11 04:16
>>892
うん、まあ、当人はそれを認めるのが嫌で、「運動」に逃避したんだろうけどね。
ラベリングはラベリングだよ。
ラベリングする時には、「見下し」(共同体の規範の反映)が意識にあるから。
個人と個人の関係を結ぶ努力を放棄して、「闘う親」と「(庇護されるべき)障碍
を持つ子」という関係を親側から一方的に設定することに対して、この意見陳述
の人はまったく無自覚なのね。それこそが「差別」だとわかっていない。だから、
ダメダメですね。それを批判できない、批判する視座が持てない基幹運動もダメダメ。
こういう運動は、共同体の差別構造を補強するんだよね。だから、やめるべき。
新報の記事を「差別」だと告発しているけれど、なぜ、あれを「差別」だと認識で
きたのかをこの人たちはまったく考えていないと思う。「懇志」をあげた「人」のこ
となど彼らの頭にはないんだよ。「元ハンセン病患者」としてしか認知されていな
い。ラベリングの典型例だね。醜悪な代理告発。