03/06/14 09:17
>>322
そもそも「全知全能」というのは、神の力を賛美するための言葉ではないの?もっと言えば、神の救済能力を讃えるための枕詞のようなものだと思えばいい。
たとえば「たらちね」と言えば母につく枕詞だが、ここで大事なのは母の乳が実際に垂れているかどうかではない。子を思いながら年老いていく親心に触れることが肝要。
これと同様に「全知全能」とは、どんな人の心も知っていますよ。だから、潜在的なことも含めてあなたの苦しみ悲しみも知っているんですよ。
どんなことでもできますよ。だから、あなたを必ず救済することができるのですよ、という神の心に触れることが宗教的には肝要となる。
私が救いようのない身であることも事実なら、そういう者を必ず救うという神の救済も事実。この宗教的体験に立ち神の心に触れるとき「全知全能」の論理的矛盾は戯論と化す。