ショーペンハウエル 「女について」 at WOM
 ショーペンハウエル 「女について」  - 暇つぶし2ch2:Ms.名無しさん
08/08/27 00:01:11 0
自然は少女に対して、たとえてみれば、芝居でいう場あたりをねらう考えで、何年かの間にかぎり、
爾余の全歳月を犠牲にして、あふれんばかりの美と魅力と豊満さとを与え、特に、この何年かの間に、
或る男の空想をしっかりととらえて、その女の一生の世話を、或る何らかの形で、誠実に引き受けるほど、
夢中になるようにしむける。けだし、男性を動かして、このような段階まで立ち入らせるためには、
単なる理性的熟慮だけでは、どうも充分に確実な保証となり得ないように思われるからであろう。
このように、自然は、女性に、ちょうど他のすべての彼の創造物に対して与えるのと同じく、その生存を
確実ならしめるのに必要な武器と道具とを、それが必要とされる期間だけ、与えておくのだが、この場合にも、
実に、自然は、みずからの常套手段たるつましいやり方に従って、事柄を処理するのである。すなわち、
雌の蟻が、交接の後には、もはや余計なもの、というよりも、産卵経過にとっては危険なものですらある翅を
失うごとく、婦人たちもまた、たいてい一、二回、産褥に就いた後には、その美しさを喪失するが、おそらく、
両者は同一の根拠にもとづくものであろう。

だからこそ、若い娘たちは、自分たちの家事向きや職業上の仕事などを、心の中では、余計なことと思ったり、
ひどいのになると、単なる戯れごとくらいにしか考えておらず、専心に、まじめに打ちこむ勤めとしては、
恋、男子の愛情をかち得ること、およびこれに関連する、たとえば化粧、ダンスなどがあるばかりなのだ。

3:Ms.名無しさん
08/08/27 00:02:15 0
およそ、或る物ごとは、それが高尚完全なものであればあるほど、より遅く、より緩慢に成熟
に達するのである。男性にあっては、その理性と精神力とが、二十八歳以前に成熟の域にいたる
ことは、ほとんど見られないのに、女性は早くも十八歳で成熟してしまう。とはいえ、女性の理
性がすこぶる狭隘なることを免れないのも、そのせいである。従って、すべての女性は、一生涯
子供の状態にとどまっており、見るところは常にただ最も手近なものに限られ、とかく現在に執
着して事物の外観を問題にしたり、きわめて重要な事件よりもむしろ些細なことを好んだりする
のだ。理性とは、すなわち、これがあるために、人間が、動物のごとく単に現在のみ生きるこ
となく、過去と未来とを展望し熟慮するようになり、それによって、やがては、人間の先見、心
配、またしばしば煩悶をさえ生ずる、そういうものなのである。これらのことがもたらす利益と
不利とに、女性のあずかる程度は、その理性がより薄弱である結果として、男性に比べるとはる
かに少なく、むしろ、女性は精神的近視である。すなわち、その直覚的悟性は近いところを鋭く
見るけれども、その視野は狭く、そのなかには遠距離のものがはいってこない。従って、過去や
未来の事柄と、すべて目の前に存在しない物ごととの作用は、女性に対し男性に対するよりも著
しく弱く、こんなことから、確かに、女性において一層しばしば見受けられるーそのうえ、往々
にして狂気に近いー濫費癖が起こってくるのだ。女たちは、心の中で、金儲けは男たちの職分で
あり、自分たちの役目は、それを費うこと、出来ることなら亭主の存命中に、また、やむを得な
ければ夫の死後に、なるべく早く蕩尽しなければならぬものと考えている。亭主がかせいだ金を
家計のために女房に手渡すことが、すでに、女たちのかような信念を強めさせるのだ。

4:Ms.名無しさん
08/08/27 00:03:12 0
これら全てのことは、なるほど、それだけでも、きわめて多くの不利益をもたらすけれども、一方、
良いところもある。由来、女性は男性に比べて、より多く現在に没頭するから、しのび得るかぎ
り、より楽しく現在を味わう、これが女性に特有の快活さを持たせるもととなる。実に、この快
活さこそ、妻が、心労せる夫に休息を与え、必要ある場合には、これを慰藉するために適している所以である。

古代ゲルマン人たちの風習にならい、むずかしい事件に当たって、婦人にも相談するというこ
とは、一概に斥けるべきではない。というのは、婦人の物ごとを把握する方法が、男子のそれと
は全く異なっており、ことに、女たちは目標への最も短い経路を好み、一般に、最も身近にある
ものを眼中に置くので、男子が、とかく、そのようなものを、かえって、それが自分の鼻先にあ
るために見のがしてしまうといったような場合に、やはり、手近で簡単な見方を得るためには、
婦人と相談することが役に立つからである。そのうえ、女たちは、断然、男子よりも冷静であり、
従って、物ごとについても、現実に存在する以上に、あまり多くを見ないという長所を有つ。と
ころが、男たちは、みずから激情に駆られると、ややもすれば、存在するものを拡大して見たり、
さらに、想像的なものをつけ加えたりしがちになるのだ。

5:Ms.名無しさん
08/08/27 00:04:09 0
不幸な人を見た場合、女性は、男性に比べて、より多くの関心をもち、より多くの同情と人間
愛とを示すけれども、反対に、正義とか忠実とか確守とかいう点では、男性に劣るということも、
同一の源泉から演繹すべき事柄である。つまり、女たちの理性が薄弱である結果として、現実の
もの、直観的なもの、直接に実在するものなどは、女たちのうえに一種の強い力を押し及ぼすけ
れども、その反対の、抽象的な思想とか、一定の格率とか、堅く決心したこととか、ないしは、
一般に過去や未来、不在の人や遠方の人に対する顧慮などのはたらきは、おおむね、微々たるも
のにすぎないからである。すなわち、女性は徳にいたる第一次的な、かつ主要なものをあっては
いるが、これを展開させるのにきわめて必要な道具である、第二次的なものを欠いているのだ。
この点で、女性は、肝臓を持ちながら胆嚢を備えていない生物に比べられるであろう。従って、女性の性格
には、根本的欠陥として、「不正」ということが見出される。この欠陥は、まず、上述したように、
理性的な判断や熟慮の乏しさに伴って生ずるのだが、そのうえに、おな、女性が、より弱いもの
として、自然から力の変わりに奸計に頼るように指示されているために、それは、いよいよ大き
なものとなるのである。

6:Ms.名無しさん
08/08/27 00:06:02 0
 だから女性の狡猾さは、本能的といってもよく、その嘘つきの傾向を
全然なくしてしまうことは出来ない。けだし、自然は、獅子には爪と歯とを、象には長い牙を、
猪には短い牙を、牛には角を、烏賊には水を濁らす墨汁を与えたように、女性に対しては、自
己防衛のために、「いつわる力」を与えて、武装させたのだ。つまり、自然は、男性に体力ならび
に理性として与えた力のすべてに匹敵するものを、女性には、このような天賦の形で、授けたも
のである。それゆえ、女性は生まれつきいつわるものであり、従って、賢女だろうが毒婦であろ
うが、いつわることにかけては、同じように巧みなのだ。思うに、女性が、あらゆる機会をとら
えて、これを行使するのは、上記の動物が攻撃を受けた場合にすぐさま自分の武器を使用するの
と同様に、ごく自然なことであり、しかも、そのとき、女性は、或る程度まで、自分の権利を行
使するのだと感じているに違いない。というわけで、しんそこから誠実な、いつわりなき女は、
おそらく、あり得まい、まさしく、それゆえに、女性は、他人のいつわりをやすやすと洞察する。
それにつきまとう欠点とから、さらに、虚偽、不貞、裏切り・忘恩などということが生じてくる。
法廷における偽証を、女は、男よりもはるかに度重ねて犯している。いったい、婦人の証言を認
めるべきかどうかということがそもそも問題ではあるまいか。-何の不自由もない貴婦人が、
商店で万引きする実例は、いたるところでしばしば繰り返されているのである。

7:Ms.名無しさん
08/08/27 00:07:13 0
男性と男性の間には、おのずから、単に無関心があるに過ぎないけれども、女性と女性との間には、
早くも生まれながらにして、敵意が存在する。だから、いわする商売敵の憎しみは、男たちでは、それぞれ
彼らが属する同業組合にもとづくものに限られているが、女たちにあっては、その憎しみが全女性を包括している。
これは、女性全体が、ただ一つの職業しか有っていないのによるのだ。女たちは、路で行きあった場合ですら、
互いを分け隔てすることを、あたかも、グェルフ党とギベリン党との間柄にもひとしい。

なお、初対面の際、二人の女性は互いに、同じ場合に二人の男性が示すよりも、明らかに、より多くのわざとらしさや、
いつわりの虚飾を表す。だから、二人の女性の間にかわされるお世辞は、男性の間のそれよりも、はるかに滑稽なものとなる。
また、男性は、自分よりずっと目下の者に対してすら、常に、やはりある程度の遠慮と人情味とをもって話するけれども、
高貴の婦人が、身分の低い(しかし、自分の召使ではない)女と話をするとき、一般に、いかにもいばった、そして、
さげすむような態度をとるのは、はたで見ていても我慢がならないくらいである。これは、けだし、女性においては、
階級の相違が、総じて、男性におけるよりも著しく不安定であり、はるかにすみやかに変化したり消失したりすることさえ
あり得るのによるらしい。というのは、男たちの運命には幾百もの事項が関係を有つのに反して、女性にあっては、
ただ一つのこと ーすなわちいかなる男に気に入られたかということー のみで、その運命が決まるからである。
更に女性の仕事が一方的であるために、女性同士は、男たちの間柄よりも、はるかに接近しているから、せめて、
地位による差別だけでも、はっきりさせようと試みることが、またその理由となるのであろう。

8:Ms.名無しさん
08/08/27 00:08:08 0
背の低い、肩幅の狭い、臀の大きな、足の短い種族を、美しいものと呼びうるのは、ただ、性欲のために呆けている
男たちの知性だけである。すなわち、女性の美は全く、男性の性欲衝動のうちに包まれているのだ。女性は、これを
美しいものと呼ぶよりも、むしろ、非美学的なものと呼ぶほうが、ずっと正当だろう。音楽に対しても、詩作に対しても、
さらに、造形美術に対しても、女たちは、事実上また本当に、感受性や理解を有ってはいない。もしも、
そのようなもので女たちが感激したふりをするなら、それは女たちが他人に迎合するための単なる模倣に過ぎないのだ。
このことは、女たちには或る事物について純キャ間的な関心を有つ能力がないのによるのだが、わたしの考えるところでは、
その根拠は、次のとおりである。男性は、すべての場合に、物ごとを、直接にー或いは理解すること或いは克服すること
によってー支配しようと努める。しかし、女性は、常にいたるところで、単に間接的にーすなわち男性を仲介者としてー
支配するように定められている、ただし、妻は、ただ、夫だけを直接に支配することができるのだ。それゆえ、女性の天性の
うちにあるのは、すべての事物を、ただ夫を得る手段とみなすことだけであり、従って、何かしら或る他の事物に対する
女たちの関心は、常に、ただの仮装か単なる手管、すなわち、媚態やら模倣やらとなって現れるものに過ぎない。それで、
ルソーも、すでに、言っている。「婦人は、一般に、いかなる芸術をも愛してはおらず、また、理解してもいないし、
そのうえ、何らの天才も有っていない」と(『ダランベールへの書簡』第二十項)

こんなことは、ものの概観にとらわれない人ならだれしも、すでに気がついているであろう。
演奏会、オペラ、劇場などで、女たちの注意を払う向きと具合とを観察するだけでも、わかる。
たとえば、偉大な傑作の最も立派な場面の最中にも、女たちはおしゃべりをやめようとはしない、
その子供らしい、無邪気さを見たら、よくわかるだろう。

9:Ms.名無しさん
08/08/27 00:09:52 0
 問題は、個々の部分的な除外例によって、変更されはしない、全体について考えると、女たち
は、最も徹底した、しかも最も度しがたい俗物であり、また、いつまでも俗物としてとどまる。
だから、妻が夫の身分と称号とを共有するというきわめて不合理な社会機構において、妻は夫の
卑しい名誉欲に不断の刺激を与える。そのうえ、女たちがこのような特質をそなえているために、
女たちの采配を振ったり音頭をとったりすることが、現代社会の腐敗を醸すのである。女たちの
社会的地位に関しては、ナポレオン一世の「婦人に階級なし」という言葉を、よく考えてみる
べきであり、その他の点について、シャンフォールが「女性は、われわれの弱点と痴愚とに関係
するために造られてあるが、われわれの理性に関係するようには造られていない。女性と男性との
間には、ただ、表面的な共感が存在するだけで、精神・霊魂・性格などについての教官は、ごく
わずかばかりに過ぎない」といっているのは、全く当たっている。

 女たちは、いわゆる「セクス・セクイオール」〔価値の劣る性、アプレイウス『メタモルフォー
セス』第七巻第八章〕で、どの点から見ても、男性の後ろに立つ第二級の性である。それゆえ、男
性は女性の弱さをいたわってやらねばならぬ、とはいえ、女性に対して尊敬を払うのは、度はず
れに滑稽なことであるし、そんなことをすると、女性みずからが男性を見くだすようになってし
まう。

10:Ms.名無しさん
08/08/27 00:11:27 0
 自然が人類を二つに分けたとき、これを真二つに等分したのではなかった。すべて両極に
分かれているものにおいて、陽極と陰極との相違は、単に質的のみならず、同時に量的なものが
ある。-古代ギリシア・ローマの人々および東洋の諸民族は、まさしく、そのような女性観を
有っていたから、従って、彼らは、女たちに適当する地位を、わたしたち現代のヨーロッパ人よ
りもはるかに正当に認識していたのである。これにひきかえ、わたしたちは、このキリスト教=
ゲルマン的愚昧の最上の精華である古代フランス風の慇懃と、ばかげきった女人崇拝とを持って
いるのだ。しかも、このことは、ただ、往々にして、ベナレス〔インドのヒンドゥ教の聖都〕に
おける神聖な猿どもを想起させるほどに、女たちを横柄かつ無遠慮にするのに役立っているばか
りである。それらの猿どもは、自分たちが神聖視され、かつ殺生禁断になっているのを知って、
自分たちの欲することはすべてことごとくが許容されるものと考えているのだ-

西ヨーロッパ諸国の婦人、ことに、いわゆる「淑女」(「独」ダーメ「英」レディ)は、不当な地
位を占めている。なぜなら、古代人から適切にも「セクス・セクイオール」と呼ばれた婦人は、
どのみち、男性の畏敬と崇拝との対象たるに適していないし、男性よりも高く頭をもたげたり、
男性と同等の権利を有つには、ふさわしくないからである。この不当な地位に置かれた結果は、
てきめんに現れている。だから、ヨーロッパでも、人類の第二号たる夫人には、やはり、それ
相応の地位を指定し、また、ただにアジア人全体から笑われるばかりでなく、ギリシア人やロー
マ人にも同じように笑っただろうと創造される「淑女」というあらずもがなのものにも、結果をつ
けることが、ぜひとも願わしいのである。その結果、社交的・公民的ならびに政治的な関係にお
いて、具合のよくなることは、それこそ、はかり知れないほどであろう。そうなると、サリー族
の法典は、余計な自明の理として、全く不必要なものになってしまうに違いない。

11:Ms.名無しさん
08/08/27 00:12:15 0
ヨーロッパにおける真の「淑女」は、全く存在すべからざるものであるが、主婦および主婦に
なることを望む少女は存在せねばならぬ。従って、少女は横柄にならぬよう、そして、家事と服
従とに向くように教育されなければならない。ヨーロッパに、いわゆる「淑女」がいるからこそ、
身分の低い女たちーすなわち助成の大多数を占めるものーが、東洋におけるよりも、はるかに不
幸な目にあっているのだ、バイロン卿ですら言っているではないか(トーマス・ムーア編『書簡
および日記』第二巻第三九九ページ)。「古代ギリシア人の間における婦人たちの状態を考えてみ
るとー全く的を得たものであった。騎士および封建時代の野蛮な遺風たる現今の状態はー人
工的であり不自然でもある。女たちは家事に心を配らなければならないーそして、よい食物を
とり、よい衣服をまとう必要はある。しかし、社交のうちにまじらなくともよかろう。なお、
宗教については、充分に教育されなければならない。-けれども詩や政治の書を読む必要はな
くーただ、信心のことや料理に関する本を読んでおれば、よいのだ。音楽をしたり、絵を描い
、ダンスをしたりー時には、少しばかり庭いじりや畑仕事などをやるのも、よかろう。わ
たしは、エピルス〔ギリシアの西部、アルバニアとの国境にまたがる地方〕において、女たちが
道路の修繕をやり立派な成功を収めているのを見たことがある。それゆえ、枯れ草を作ったり乳
を絞ったりするのと同様に、このような仕事を、女たちにやらせてはならぬという理由が、果た
してあるのであろうか?」と。

12:Ms.名無しさん
08/08/27 00:13:07 0
一夫一婦制が布かれている、わたしたちのヨーロッパ地区において、『結婚する』ということは、
男性が自己の権利を半減し、かつ、自己の義務を倍化するという意味になる。考えてみると、法
律が女性に男性と同等の権利を与えたときに、当然、法律は、また、女性に対して、男性の有っ
ているような理性をも与えなければならなかったのであろう。ところで、法律が女性に対して承
認する権利と名誉とが、女性の自然的な関係を、より多く超えて高められれば高められるほど、
実際に、この特典にあずかるようになる女性の数は、それだけますます減っていく。そして、法
律は、これら少数者に、その度を超えて与えたのと同僚の自然的な権利を、それ以外のすべての
女たちから奪いとるのだ。なぜなら、一夫一婦制の機構と、それに付随する婚姻法とが、何ら斟
酌するところなく、一般的に、女生徒男性とを全く同等の価値あるものと認めてしまい、これに
もとづいて、女性に賦与されたー反自然的な、しかも女だけに利益のあるー地位は、聡明にして
注意深い男性をして、かように大きな犠牲を払って、しかも、かように不平等な契約を結ぶこと
を、はなはだしばしば躊躇逡巡せしめるからである。それゆえ、一夫多妻制の諸民族にあっ
てはすべての婦人が扶養されているのに、一夫一婦制の民族においては、結婚している婦人の
数は、ほんのわずかばかりに限られ、扶養者を有たぬ婦人が、無数に、取り残されていて、その
上流社会に属するものは、無用の老嬢として坐食しているが、下層社会にあるものは、不適当な
重労働を課されるか、さもなければ、売春婦となるのだ。

13:Ms.名無しさん
08/08/27 00:14:04 0
 これらの売春婦たちは、全く喜びも
なく名誉もない生活を送っているとはいえ、このような状況のもとでは、男性を満足させるため
に必要にして欠くことのできないものであるし、それゆえにこそ、すでに夫をもっている、或い
は夫をもつ希望を抱くことを赦されているー幸運に恵まれたー女性を、男性の誘惑に対して保護
するという特殊な目的を有つ、一つの公認された階級として、現れてきたのである。ロンドン
だけでもこの種の婦人は、八万人のお起きにのぼるという。これらの婦人は、一夫一婦制の機構
によって、最も恐ろしい不幸に落とされたものにほかならず、実際、これらの婦人こそ、一夫一
婦制の祭壇に捧げられた人身御供でなくて何であろうか? このような極度に悪い境遇に陥らせ
られた女たちすべては、虚飾と尊大とをかねそなえたヨーロッパの「淑女」に対する避けがた
い埋め合わせ勘定である。だから、女性を全体として見るならば、一夫多妻制のほうが、実際に
は幸福をもたらすことになる。他の麺からいっても、夫は、その妻を慢性病にかかっているとか、
いつまでも子を産まないとか、或いは、だんだんと彼の妻として老いぼれていく場合に、第二の
妻を迎えてはならぬということは、理性的に看過するわけにはいかない。モルモン宗が、あのよ
うに多数の帰依者を獲得したのは、まさしく、反自然的な一夫一婦制の撤廃によるものらしい。

14:Ms.名無しさん
08/08/27 00:14:52 0
そのうえ、女に不自然な権利を与えたことは、ひいては、これに不自然な義務を負わせることと
なって、この義務にそむくことが、反対に、女たちを不幸にしているのだ。たいていの男は、地
位や財産に対する顧慮から、結婚をー何らかの輝かしい条件が附帯しない場合にはー不得策なこ
とと思うであろう。そこで、男は、みずからの選択によって、女とやがて生まれる子供たちとの
運命を確保するために、結婚以外の条件のもとで、女を得ようと望むようになる。ところが、こ
の条件は、男にとって、たとえ、そのように公正かつ理性的であり、また、事態に適合している
としても、女としては、結婚によってのみ与えられる不相応な権利を放擲することになるし、や
はり、結婚は市民的社会の基底をなすものであるのだから、この条件に同意するならば、その結
果、或る程度まで自分の名誉を失い、悲しい日陰の生活を送らねばならぬことになる。というの
も、所詮は、人間の天性が、他人の意志のうえに、それに対し全くふさわしからぬ価値を置くと
いうならわしを有っているからである。しかるに、女が、そのような条件に同意しないときには、
やむなく自分の気にいらない男と結婚するか、それとも、老嬢として味気ない一生を過ごすか、
いずれかの危険にさらされる、何と言っても、女性の結婚適齢期は、はなはだしく短いのだから。

15:Ms.名無しさん
08/08/27 00:16:15 0
「妾をかかえることは、すべての教養ある民族にあって、また、ルーテル宗教改革にいたる
までは、あらゆる時代において、許されていた、というよりむしろ、ある程度まで法律的にさえ
是認されていた制度で、いかなる不名誉も伴っていなかったのに、この制度が、このような
段階から突き落とされたのは、ひとえに、ルーテルの宗教改革のためであり、しかも、この宗教
改革は、この制度を撤廃することを踏み台として、むしろ、僧侶の妻帯を義証しようとする一つ
の手がかりに、目をつけて行なわれたのである。ことここにいたっては、カトリック側でも、も
ちろん、この点について、おくれをとるわけにはいかなかった」-
 一夫多妻制の是非に関しては、議論する必要などは全くない、これは、いたるところに存在す
る事実として、考えるべきである。ただ、問題は、これをいかに調整するかというにとどまる。
いったい、真の一夫一婦主義者は、どこにいるのか? わたしたちは、すべて、少なくとも或る
期間において、たいていは、しかも、常に、一夫多妻の生活をしているのだ。従って、男にはそ
れぞれ、多くの女が必要なのだから、多くの女を世話するのは、男の自由であり、むしろ、義務
であるというのが、何よりも当然な話である。そうなると、女も、従属的存在者として、その正
当かつ自然的な立場に戻れるし、ヨーロッパ文明とキリスト教=ゲルマン的愚鈍の化け物であり
滑稽にも尊敬と崇拝とを要求する「淑女」は、この世界から姿を消して、ただ、あたりまえの女
たちがいることとなる。そのうえ、今、ヨーロッパに充満している不幸な女は、もはや、一人も
いなくなる。-モルモン宗の連中は、正しいのだ。

16:Ms.名無しさん
08/08/27 00:17:11 0
ヒンドスタン(インド中央平原地方)では、あらゆる場合に、婦人の独立は認められていない。
マヌ法典第五章一四八節に従って、婦人はだれでも、父か夫か兄弟または息子の監督を受けて
いる。寡婦が亡夫の屍とともに自焚するのは、もちろん、厭うべきことではあるが、夫が子供た
ちのためにとみずから慰めながら、一年の間、休む暇なく働いて獲得した財産を、夫の死後、寡
婦がその情夫たちとともに蕩尽するのも、やはり、忌むべきことではないか。「幸福な人々は、
中庸を保つ」-

 始源的な母性愛は、動物におけると同様に、人間にあっても、純粋に本能的なものであり、従
って、子供たちを肉体的に援助する必要がなくなるとともに、消失する。それから後は、始源的
な母性愛に代わって、週刊と理性とにもとづく母の愛が現れなければならぬはずであるが、往
々にして、ことに、母が父を愛していなかった場合には、それが現れてこない。父のその子供
に対する愛は、母の愛とは種類の異なるもので、それよりもはるかに持久的であり、子供た
ちのうちに、自分に特有の最も深い自我を再認識することにもとづく、つまり、形而上学的な起
源を有つ。-

17:Ms.名無しさん
08/08/27 00:17:56 0
男たちが、長い間の勤労と大いなる辛苦をかさねて、やっと築き上げた財産も、女どもの手に渡
ると、その無知のために、またたく間に蕩尽されたり、また、それほどではなくとも、濫費され
るのは、全く見るにたえないーしかも、ざらに見られるーことである。こんな事態は、女子の相
続権を制限することによって、予防されなければならない。それには、女子に、寡婦と娘とを問
わず、男系の後継者が皆無でないかぎり、不動産や資本を相続させることなく、原則として、た
だ、一生涯の間、抵当権の上で保証される利子のみ相続させるのが、最良の制度というものであ
ろうと、わたしには思われる。そうなると、財産の取得者は、男子であって、女子ではなく、従
って、女子には、財産を管理する資格が与えられないと同時に、これを制約なしに所有する権利
も認められず、女子は、けっして、相続した財産そのもの、すなわち資本金・土地・建物などを、
自由に処分してはならない、つまり、つねに、後見人を必要とする、従って、当然、寡婦は、い
かなる場合にも、その子供たちの後見役となってはならないということにもなる。

18:Ms.名無しさん
08/08/27 00:19:14 0
女たちの虚栄心は、たとえ、それが男たちの虚栄心より大きくない場合でも、全く物質的な事
物、すなわち、自分を美しく飾ることとか、ついでは、浮華・贅沢、壮麗といった面に熱中する
悪癖があり、従って、女たちの最も好むところは、まさしく、社交ということである。この虚栄
心は、特に、その理性の貧弱なためでもあるが、女たちを浪費に傾かせる。だから、古代人は、
早くも「女たちは、たいてい、生まれながらにして、むだづかいをする」と言っている。(エス・
ブルンク著『ギリシア詩の格言集』第百十五節)。これに反して、男たちの虚栄心は、おおむね、
非物質的な長所ーたとえば、悟性とか教育とか勇気などのようなことーに向けられる。ーアリ
ストテレスは、この『政治学』第二巻第九節で、スパルタでは、女たちが遺産を相続したり持参
金を携える権利を有ち、そのほかにも広範囲にわたって束縛されずにいたほど、女に対して、あま
りにも多くの自由が許されていたので、そのことから、スパルタの男たちにとって、どれほど重
大な不利益が発生し成長したか、また、そのことが、スパルタの没落に、どれほど深い関係を有
っていたかということを、詳しく説明している。-フランスにおいても、ルイ十三世以来、絶
えず増大してきた婦人の勢力が、宮廷と政府とを徐々に腐敗せしめ、ひいては、第一革命を惹き
起こし、その結果、かずかずの政変が続発したことについて、責を負うべきではあるまいか?
いずれにしても、ヨーロッパに淑女というものが存在するということにつけて、その最も鮮明な
証徴を現している女性の誤った地位は、社会状態の根本的な欠陥であり、この欠陥は、その中
心から、すべての部分へと、その不利益な影響をおし及ぼすにちがいない。

 女が、その天性から従順であるように定められているということは、そのひとりびとりが、完
全な独立という、女の天性にとって自然にそむくような地位におかれている場合に、間もなく、その
地位を誘導し、かつ支配してもらえるような一人の男に結びつくということによって、はっきり
と認められる。何といっても、女には主人が必要なのである。その際、女が若ければ、主人は、
すなわち、愛人であり、年老いているならば、それが懺悔聴聞僧ということになる。

19:Ms.名無しさん
08/08/27 01:32:43 O
女にサワタ事ないヤシの机上の空論( ´_ゝ`)
女について論議するより向かいあって喋ってみるがヨロシ
百聞は一見にしかずらしいおっおっ

20:Ms.名無しさん
08/08/27 06:21:22 0
ショーペンハウアーは一生、独身を通したらしいけど
童貞だったのかな?

21:Ms.名無しさん
08/08/27 09:43:12 0
やりまくっていた、事実である。



22:Ms.名無しさん
08/08/27 10:23:40 O
ショーペンハウアーには、メドンという、オペラ歌手の愛人がいた。
つか、もてる。

23:Ms.名無しさん
08/08/27 11:23:21 0
誰か三行で頼む

24:Ms.名無しさん
08/08/27 16:09:34 O
目前に御馳走いっぱい
自殺を肯定賛美
笑い話の種

25:Ms.名無しさん
08/08/27 22:34:31 0
八月は夢花火

26:Ms.名無しさん
08/08/28 09:52:48 0
女はクズって事か

27:Ms.名無しさん
08/08/29 02:38:59 0
哲学板から来ました

ショーペンハウアー 2
スレリンク(philo板:609番)

609 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2008/08/27(水) 00:20:28 0
女性板にスレ立てといたぞ

 ショーペンハウエル 「女について」 
スレリンク(wom板)l50


28:Ms.名無しさん
08/09/01 19:56:28 0
>>24
彼への知識が
カミュのシーシュポスの神話限定なんだね。

29:Ms.名無しさん
08/09/05 19:01:23 0
若い、強壮な、美しい男性は、人類の繁殖のために力を尽くすように、自然から命ぜられてい
るのである。こうして、種族は退化することを免れる。これは、自然の牢固たる意思であって、
この意思の顕現が、すなわち、女性の情熱なのだ。この法則は、古いことでも、その力の強いこ
とでも、他のあらゆる法則を凌駕する。それゆえ、みずからの権利と興味とを、この法則に逆ら
うものに置く人は、必ず、わざわいを受ける。その人が何を言おうと、また、何をなそうと、彼
の権利と興味とは、最初の大切な機縁に際して、たちまち、容赦なく粉砕されるであろう。なぜ
なら、婦人のひそかな、言い表されない、というよりもむしろ自覚されていない、とはいえ、
生まれつきの道徳は、「わたしたちは、個体であるわたしたちのためにわずかばかり尽くしてく
れることによって、種族に対する権利を獲得したように思い誤っている人たちを、裏切る権利を
有っているのです。種族の組成は、従って、その幸福も、わたしたちから生まれる次の世代を媒
介として、わたしたちの手の中に置かれてあるのです。わたしたちは、それを、良心的に管理し
ていきましょう」ということなのだから。しかし、女性は、その最高の原則を、けっして、抽象
的に意識しているのではなく、単に具体的に意識しているばかりであり、だから、この原則に
対して、機会の来たときに、みずから行動を採ることによって発表するほかには、何ら表現手
段も有っていない。

30:Ms.名無しさん
08/09/05 19:08:50 0
しかも、この行動を採る際に、両親は、女性に対して、たいていの場合、
わたしたちの想像するよりも、はるかに平静であることを許すのだ。これは、思うに、女性は、
そのっ心を全くうかがい知ることの出来ない奥底において、個体に対する自分の義務をそこないな
がらも、種族に対する義務が一層よく果たされていたということ、それに、種族の権利は個体の
権利よりも無限に大きいことを、自覚しているからである。-このことについては、わたしの
主著『意思と表象としての世界』第二巻第四十四節で、さらに詳しく説明しておいたから、参照
されたい。

究極において、女性は、全く、ただ種族の繁殖のために存在するものであり、女性の天分は、
このことにあってのみ、展開するのであるから、どっちみち、女性は、個体としてよりも、
種族としてより多く生きているのだし、女性の心の中では、種族に関する出来事のほうが、個人
的な事件よりも、はるかにまじめに考えられる。これが、女性の存在ならびに行為のすべてに、
或る軽薄さと、一般に、男性の方針とは根底から異なる方針とを与えるのだ。そして、このよう
な軽薄さと、また、方針の違いなどから、結婚生活においてしばしば見受けられる、否ほとんど普
通のことになっている不和が発生するのである。

31:Ms.名無しさん
08/09/07 10:56:25 0
男はもともと恋愛において気が変わりやすい傾向があるが、女は一般に気が変わらない。男の愛は想いを遂げた瞬間から
はっきりと減退する。そうすると彼には他の女であればほとんど誰でもが、すでに今わがものにしている女より、
ずーっと魅力的に見える。彼は変化を切望するからである。これに対して、女の愛はその瞬間から高まる。これは
自然が種族を維持し、できるだけ強力にこれを増加させる事をめざしていることの結果である。つまり男は彼にそれ相当の
数の女があてがわれるならば、一年に百人以上の子供でもつくることができる。ところが女は、いかに多くの男と交わっても
一年に一人の子供しか産む事が出来ない。それゆえ男はつねに他の女に目を移すのである。これに反して女はほとんど
ただ一人の男に執着する。というのは自然は女が本能的にごくふつうに、生まれてくるこの養育者となり、保護者となる男を
つかんで離さぬようしむけるからである。したがって夫婦間の貞節は男には人為的であり、女にとっては自然である。
それゆえ女の姦通は、男性の姦通より遥かに許しがたい。

32:Ms.名無しさん
08/09/07 20:56:32 0
この『女について』を発表して以来、ショーペンハウエルは、「女性の敵」をもって目されてい
るといわれる。しかし、ショーペンハウエルによれば、「女性の敵」は、あくまでも女性そのもの
である。つまり、「商売敵の憎しみ・嫉視は、男にあっては、同じ商売に従事している者同士の間
のみに限られているが、女は、この感情を、他のすべての女性に対していだく。というのは、女た
ちは皆、たった一つの商売、種族維持のために男性を獲得するという、たった一つの同じ商売に
従事しているのだから」したがって、ショーペンハウエルにとって、自分に向けられたこの「女
性の敵」という言葉は、おそらく、何の意味をもなさないであろう。しかし、別な意味で、ショ
ーペンハウエルは合点するかもしれない。自分は全く公平に書いたつもりなのだが、考えてみれ
ば、公平ということくらい、女から嫌われるものはなかったんだっけ、女は、自分に有利な不公
平しか好まない、とくに、あの「淑女」という種族は、永久に甘やかされていたいらしく、いち
ど、誰かが「美しい性」なんかと下手なお世辞を使ったものだから、すっかり思い上がり増長し
てしまって、それからというものは、単に、そんなお世辞を繰り返しただけではもの足りず、さ
らにちやほやとさまざまなお世辞をかせねなければならなくなってしまった(しかも、お世辞と
いうやつは、いくら美辞麗句を並び立てても、満足させるわけにはいかないものだし、相手が女
であってみれば、それは、なおさらのことなんだ)。女にかぎったことじゃないが、とくに、女は、
自分のことについて、ちょっぴりでもあからさまに素直に言われると、すぐさま、逆上してしま
うから厄介だ。わたしだって、女の美点は、それ相応に褒めておいたつもりなんだがな、と。

33:Ms.名無しさん
08/09/07 21:09:57 0
そして、この『女について』を読んだ「淑女」たちの切歯扼腕ぶりを、無邪気に哄笑するだろう。
彼は真実を語っただけだ。そして、その結果として、「淑女」たちを悩ませたかもしれないが、い
ったい、何ぴとをも悩ませない哲学とは、そもそも何ものだろう。彼には、女たちを正しく位置
づけたという功績こそあれ、けっして、無益に人を傷つけたことはないのである。
 けれども、一方、「淑女」たちが怒るのは、無理も無い。ほかならぬ「淑女」たちこそ、全女性
のなかでもとくに、ショーペンハウエルの手きびしい槍玉に挙げられているのだから。通例、「淑
女」と称されている部類の女たちは、ショーペンハウエルが、女の長所として数え上げているも
ののすべてを欠き、欠点・短所として数え上げているもののすべてを、そなえているのだし、ま
た、ふだんからご機嫌とりに慣れ、それを傲然と受け入れているのが常なのだから、このように
あからさまな言説を聞けば、ことさらに色を作すのも、まさに当然予期されうる反応であるともい
えよう。かくして、「淑女」たちの怒りは、みずからショーペンハウエルの、諷刺の矢の痛さ
に正確に比例して増大する。しかし、ここで悲鳴をあげたり、騒いだりするのは、けっして得策
ではない。怒れば怒るほど、ショーペンハウエルの言説の真実性を強く証拠だてることになるの
だから。そこで、この場合「淑女」たちは、いうまでもなく賢明に振舞い、こうなったら、味方
は多ければ多いほどよいというわけで、日ごろ蔑視していた一般女性をも仲間に引き入れ、「自分
たち……淑女の敵」というかわりに、漠然と、「女性の敵」という概括的な語を、婉曲に用いるこ
とによって、世人の同情を最大限に喚起し、ショーペンハウエルの主張を全面的に否定し去ろう
と試みた次第であろう。

34:Ms.名無しさん
08/09/12 23:34:33 0
ところで、これは、世の男性に与えられたーつまり男の読むー随想である。この文章に用いら
れた「わたしたち」という代名詞は、「男性」と同義語であり、ここに現れている「女」は、あ
くまでも、男性の眼から見た「女」なのである。これは、わかりきった話であはるが、しかし、男
の眼から見た「女」を、これほどにまで、まざまざと描き出したものは、ちょっと他に類がない。
これは、すばらしいエスセエの傑作ともいうべく、まったく過不足なく「女」を観ている。男は
みな、この書によって、みずからの偶像「女」に対する認識を改めるべきである。とくに、青年
は。そのうえで、愛するなら、愛したらよい(その結果、恋ができなくなったというなら、そん
な恋なぞ、およそ、なにものでもなかったのであろう)。その結果、女の美点には正当な讃美をも
って、女の欠点には正当な批判をもって、そして万事あだな望みは捨てて女を愛することができ、
女にのぞむことができたら、それこそ公平な態度というべきである。この随想は、その公平な態
度のあり方を実によく教えてくれている。
 もっとも、ショーペンハウエルといえども、すべてにわたって、公平であるとはいえない。彼
は一生、何不自由のない富裕な生活のうちに過ごした。そこからくる盲点が、やはり、見うけら
れるし、そのために推論の誤っているところがある。それは、「一夫多妻」を当然の帰結として
いるくだりだ。彼は、「一夫一婦」の弊害として、無数の売笑婦と老嬢との存在を挙げている。し
かし、トルストイは、「すべての男がソロモンのように千人の妻と宮殿を持つわけにはいかないこ
と、一人の男が千人の妻を持つ場合には、九百九十九人の男が妻を持たずに終わらなければなら
ないことを忘れるのは、その人間の徳性が麻痺しているからだ」と、『懺悔』のなかで、手きびし
く言っている。

35:Ms.名無しさん
08/10/13 03:42:29 0
天才だとは思っていたがここまでとは・・・

36:Ms.名無しさん
08/11/12 01:34:37 0
女は昔から何も変わらず愚かなんだな

37:Ms.名無しさん
08/11/15 16:14:16 0
女は女である

38:Ms.名無しさん
08/12/18 17:29:53 0
      ハ,,ハ
     ( ゚ω゚ )  ジャイ子 ジャイ子 ジャイ子ったらジャイ子♪
    /    \
  ((⊂  )   ノ\つ))
     (_⌒ヽ
      ヽ ヘ }
 ε≡Ξ ノノ `J

39:Ms.名無しさん
09/02/05 00:27:06 0
沙耶の歌並みの良ゲー教えてください

40:Ms.名無しさん
09/05/07 15:27:15 0
え?

41:Ms.名無しさん
09/05/17 22:51:58 0
保守

42:Ms.名無しさん
09/06/22 03:54:20 O
シュシュ

43:Ms.名無しさん
09/06/25 12:02:28 0
 われわれの選択と好みに影響する最も重要な要素は年齢である。大体においてこの年齢は生
理が始まってから終わるまでの期間と考えてよい。しかし十八歳から二十八歳までの期間が最も
よい。これに反してこの年齢以外の場合は、どんな女もわれわれには魅力的ではない。年老いた、
つまり生理の終わった女はわれわれに嫌悪の情をもよおさせるだけである。美しくなくても若
い女はつねになお魅力を有する。しかし美しくても若さがなければ魅力はない。この場合、わ
れわれを無意識に導いている意図が生殖一般の可能性であることは明らかである。それゆえす
べての個体は、生殖あるいは受胎可能な時期から遠ざかるに従って異性に対する魅力を失う。

 それゆえ女がひどく痩せている場合はわれわれにはっきりと拒絶反応を起こさせる。豊満な
女の乳房が男たちに非常に魅力的であるのは、それが女の生殖機能と直接関係があり、新生児
に豊満な栄養を約束するためである。しかしあまりにも肥満しすぎた女はわれわれに嫌悪感を
もたらす。その理由はこのような体質は子宮の萎縮を、つまり不妊を意味するからである。こ
のことは頭でわからなくても本能でわかる。最後に問題となるのが顔の美しさである。ここで
もまた特に骨相が大切である。この点美しい鼻が主として注目され、短く上を向いた団子鼻で
はすべてぶちこわしである。花が少々上向きか下向きかで生涯の幸福を決められ、涙をのんだ
娘たちの数ははかりしれない。

44:Ms.名無しさん
09/06/29 15:52:43 0
               ┌┐                                ●●●
    人          ││                              ●\  ●\
   ノ二\  ナ ゝゝ   V                 ●●●        ●\     ●\
     /   / 乙 つ  O               ●\   ●\      ●\       ●\
                  ●●●        ●\     ●\    ●\       ●\
                 ●\   ●\      ●\      ●\    ●\        ●\
       ●●\     ●\     ●\    ●\       ●\   ●\        ●\
        ●\    ●\      ●\    ●\       ●\    ●\       ●\
        ●\    ●\      ●\    ●\      ●\    ●\     ●\
       ●\    ●\       ●\    ●\      ●\      ●\    ●\
       ●\    ●\      ●\    ●\     ●\        ●●● \
      ●\     ●\      ●\      ●\   ●\           \\\
      ●\     ●\     ●\        ●●● \
     ●\      ●\   ●\           \\\
     ●\        ●●● \                              ┌┐ ┌┐
    ●\          \\\      ┣━┳┃┃      ┃          ││ ││
   ●●●\                      ┃   ┃┃┃ ┣┓ ━╋ ━╋  V   V
   \\\\                     ┛     ━┛ ┃   ┏┫ ┏┫  O  O




45:Ms.名無しさん
09/06/29 16:41:29 0
これ男社会に女は邪魔って意味だよね?
女が社会を作れば、今度は
性質の違う男が劣ってるって話になるだけじゃないの?

片方を規制すれば、片方がうまく行くし、
その逆も然りじゃね?

喧嘩してねーでどうすればうまく行くか考えるのが一番だべw

46:Ms.名無しさん
09/06/30 01:44:42 0
男性と女性 女性がすべて
スレリンク(wom板)l50


47:Ms.名無しさん
09/09/23 00:46:00 0
秋生まれの女性は穏やかで付き合いやすい。

48:Ms.名無しさん
09/09/24 16:25:37 P
ショーペンハウエル最強伝説

ペシミストの神

49:Ms.名無しさん
09/09/24 16:25:55 P
愛読書だな

50:Ms.名無しさん
09/09/30 19:10:03 0
パンティの裏はドブ

51:Ms.名無しさん
09/10/12 19:45:05 0
え?

52:Ms.名無しさん
09/10/28 19:34:25 O
似てるよね

53:Ms.名無しさん
09/11/03 22:16:43 O
はい

54:Ms.名無しさん
09/11/25 17:56:53 O
ハゲ

55:Ms.名無しさん
09/12/15 19:59:33 0
女はくず

56:Ms.名無しさん
10/01/08 14:54:36 0
保守

57:Ms.名無しさん
10/01/11 19:58:42 0
>>1

58:Ms.名無しさん
10/01/30 18:07:10 0
保守

59:Ms.名無しさん
10/02/07 22:00:22 0
ブラブラしているオッサンの教育論にウンザリ。


60:Ms.名無しさん
10/02/26 21:04:29 0
未だこれ以上の女性論を聞いたことがない

61:Ms.名無しさん
10/03/31 16:06:05 0
ニーチェの「ツァラツーストラ」に女について述べた箇所があるけど、
表現変えただけでショーペンハウエルの「女について」のコピーだね。

62:Ms.名無しさん
10/04/01 02:54:15 0
鞭持って行けの箇所か?

63:Ms.名無しさん
10/04/19 04:19:07 0
>>43
なんか団塊の世代のオヤジ(セクハラ日常)そのものだなw

64:Ms.名無しさん
10/04/20 14:36:02 0
>>61
ニーチェは若い頃ショーペンハウエルに心酔してたからね
たしか「反時代的考察」あたりまでかな
それ以降はショーペンハウエルを批判するようになる

65:Ms.名無しさん
10/04/21 19:33:39 0
ショーペンハウエルはやはり偉大な哲学者だ。
なんでニーチェの方が有名なのかねえ。


66:Ms.名無しさん
10/05/08 10:26:47 0
>>65
ニーチェは「ルサンチマン」「超人」「畜群」などの分かりやすいキャッチコピーを
好んで用いたからだと思う。ヒトラーも都合の良い部分だけ引用してたしね。
ショーペンハウエルの哲学はかなり難解な部分も多いからね。随想録は読みやすいけど。
ちなみにヒトラーは「わが闘争」の中でショーペンハウエルを「人類の最も偉大な精神の
所有者の一人」と形容してる。

67:Ms.名無しさん
10/06/28 00:05:18 0
>>19
そういう決め付けしかできないから哲学者に批判されるんだろうね。

68:Ms.名無しさん
10/07/01 00:51:53 O
保守

69:Ms.名無しさん
10/07/18 20:19:14 0
あげ

70:Ms.名無しさん
10/07/22 11:03:28 0 BE:2415407876-2BP(0)
長文うざいよー。
自分(男性側)に都合のいいことばかり時代錯誤も甚だしいね。
戦後60年以上経過して君のお頭は100年前の儘ですね。
直ぐ女性に逃げられますよ。

71:了≠ナちゃω♪♪♪♪♪ ◆Akina/PPII
10/07/22 12:41:33 0 BE:997753436-DIA(188999)
この本を出版したのでショーペンハウエルは全世界の女性を敵に回しました。

「意志と表層との世界」が代表作です。

時代によって価値感は変わるものですからね。
ただ人間は変わらないですね。
時代に適応出来るか否かが大事なことですよね。

72:Ms.名無しさん
10/07/23 13:50:36 0
私ら女は馬鹿だから長文読めないよー

73:Ms.名無しさん
10/07/24 20:01:26 0


74:Ms.名無しさん
10/08/15 13:33:12 0
>>70
ショーペンハウエルが死んだのは1860年なんだが。
今年は没後150周年だな。

75:Ms.名無しさん
10/09/28 17:39:30 0
>>72
ショーペンハウアー、性格悪くて講義に2人しかこなかったほどだし。
人格歪んでんだよね。

76:Ms.名無しさん
10/12/10 21:41:41 0
進化論が発表される少し前か。

77:Ms.名無しさん
11/01/03 14:19:19 0
結婚した哲学者は喜劇である byニーチェ

78:Ms.名無しさん
11/01/03 14:45:29 0
>>75
同じ時間に満員だったヘーゲルのほうがずっと人格歪んでると思うのは俺だけか?

79:Ms.名無しさん
11/01/11 01:00:51 0
>>75
この「随想録」が発表された頃には、新聞に取り上げられて時の人だったんだが。
「随想録」が世間に受けたのは、厭世哲学の範疇から少し外れたからだろう。

80:Ms.名無しさん
11/02/13 12:44:19 O
>>79
筒井康隆も愛読してたそうで>随想録
ソースは筒井氏の著書『漂流 本から本へ』(朝日新聞社)のP74~76

81:Ms.名無しさん
11/03/09 22:34:18.27 0
ロムることもせずに、唐突に自分の言いたい事を言う。
ゆとりだな。

82:Ms.名無しさん
11/04/26 03:28:23.10 0

>女の姿態を一瞥すれば、すぐさま、わかることだが、女は、精神的にも肉体的にも、大きな仕事をするのには、生まれつき、ふさわしくないのである。


乱暴なくくりで反発を買うことを承知で“女性管理職”について書きたい。
(筆者は女性)
URLリンク(business.nikkeibp.co.jp)

83:Ms.名無しさん
11/06/11 00:36:36.63 0
>背の低い、肩幅の狭い、臀の大きな、足の短い種族を、美しいものと呼びうるのは、ただ、性欲のために呆けている
男たちの知性だけである。

なぜこれほどの名言が世間に周知されないのだろうか…。

84:Ms.名無しさん
11/07/13 16:55:30.71 0
>>83
口では何とでも言える。
しかし我々の本能はそれを拒絶するのだ。

85:Ms.名無しさん
11/07/13 20:38:27.86 0
自分の周りにいる女性観を叙述しただけ 
自分の男性的な象徴を強調したい背景も見えうる

男性にも男性ホルモン値が低く女性的な方もいますし
その逆もおます。
哲学は空論
主観による言葉の遊び

古い
根拠のない文化が流行した時代
医学が昔は宗教的であったのと同じ



86:Ms.名無しさん
11/07/19 10:35:14.07 0
男性は女性と比べ、生物学的にも全てにおいて能力が上。
だからといって男は女性に優しくする必要はない。
女性に優しい女性優遇国家は成長しないどころか衰退する。

87:Ms.名無しさん
11/08/11 03:08:25.35 0
良スレage

88:Ms.名無しさん
11/09/01 21:08:33.22 0
つーか日本ほど女が権力持ってる国はないんだけどね。
日本の女は男の操縦のスペシャリストだから。

89:Ms.名無しさん
11/09/09 01:42:26.17 0


   
       痴漢冤罪の参考資料に抜粋してほしいな?




90:Ms.名無しさん
11/09/09 02:01:01.54 0
>女たちは、~中略~ どの点から見ても、男性の後ろに立つ第二級の性である。それゆえ、男
性は女性の弱さをいたわってやらねばならぬ、とはいえ、女性に対して尊敬を払うのは、度はず
れに滑稽なことであるし、そんなことをすると、女性みずからが男性を見くだすようになってし
まう。



秀逸だなw

91:Ms.名無しさん
11/09/16 14:07:19.35 0
>>88
男が女を敬いすぎただけ

92:Ms.名無しさん
11/09/18 14:00:12.16 O
しにたい

93:Ms.名無しさん
11/09/18 18:01:24.07 0
悲劇のヒロインを演じて自己陶酔してるだけでほんとはしにたいなんて少しも思ってない

94:Ms.名無しさん
11/09/21 21:52:07.78 0
>音楽に対しても、詩作に対しても、
>さらに、造形美術に対しても、女たちは、事実上また本当に、感受性や理解を有ってはいない。もしも、
>そのようなもので女たちが感激したふりをするなら、それは女たちが他人に迎合するための単なる模倣に過ぎないのだ。
>このことは、女たちには或る事物について純客観的な関心を有つ能力がないのによるのだが、わたしの考えるところでは、
>その根拠は、次のとおりである。男性は、すべての場合に、物ごとを、直接にー或いは理解すること或いは克服すること
>によってー支配しようと努める。しかし、女性は、常にいたるところで、単に間接的にーすなわち男性を仲介者としてー
>支配するように定められている、ただし、妻は、ただ、夫だけを直接に支配することができるのだ。それゆえ、女性の天性の
>うちにあるのは、すべての事物を、ただ夫を得る手段とみなすことだけであり、従って、何かしら或る他の事物に対する
>女たちの関心は、常に、ただの仮装か単なる手管、すなわち、媚態やら模倣やらとなって現れるものに過ぎない。それで、
>ルソーも、すでに、言っている。「婦人は、一般に、いかなる芸術をも愛してはおらず、また、理解してもいないし、
>そのうえ、何らの天才も有っていない」と(『ダランベールへの書簡』第二十項)


まったくの正論だと思う。
同じピアノ曲でも男が弾くと芸術的で心地良いのに、女が弾くと途端に怨念と負のオーラの詰まった
雑音と化して心が落ち着かない。芸術というのは世界の描写であり、客観性が求められるのに、
女は主観でしか表現することができない。女友達が言っていたが、ある男が弾くピアノ曲が美しい
のではなく、ピアノを弾く男の姿が美しいのだと。この発言を聞いても芸術を語る資格などないと思った。

95:Ms.名無しさん
11/09/22 13:58:01.92 0
スポーツ観戦でもその選手のプレーがいいかどうかではなく
その選手の顔がどうかしか見てないのが大半だしな

96:Ms.名無しさん
11/10/07 11:20:20.16 0
もう少し読みやすく書けないものかね。
原文が這いつくばってるのか、訳が這いつくばっているのか、どっちだ?

97:Ms.名無しさん
11/10/07 14:46:40.65 0
この程度を読みづらいとか言ってる奴は、明治文学を読んだことないだろ。

98:Ms.名無しさん
11/10/07 17:26:23.38 0
ネットの文章は行間が詰まっているから読みにくいのである。それだけ。
本で読めば平易な文章である。

99:Ms.名無しさん
11/10/08 10:39:53.43 0
ショーペンハウエルの文章は平易な美文として戦前のドイツ語の教科書に
採用されていたぞ。いかに戦後教育で日本人がだめになったかがわかるな。

100:Ms.名無しさん
11/10/08 19:20:13.25 0
明治の頃は武士が教師だった。武士がインテリ、知識階層だったから。
戦後はどんな凡人でも先生になれる。これで日本人が良くなるわけがない。

われわれの世代は親や先生と親しく口をきいたことはない。
ニューファミリーと呼ばれる親子が出現してきたころから、
子供と親、生徒と先生が友達のようになってしまった。
その頃から、ああ日本はもうダメだなと思っていた。

101:Ms.名無しさん
11/10/09 16:55:30.29 0
ショーペンハウアーもしかし四十歳の頃に十七歳くらいの少女に求婚するという愚行を演じている。
世俗の凡人と同じような考えも少しはあったようだ。そこがまた人間味があると言えば言えるのだが。

102:Ms.名無しさん
11/10/10 19:12:10.49 0
恋愛とは個体の意思ではなく、種族の意思の顕現であり、
それゆえ個体の幸福を損なうことも往々にしてあると彼は言ってる。

恋愛とは個人の幸福のためにあるのではなく、次の世代の幸福のために
あるのであって、生きる意欲によって仕掛けれてた巧みな罠であると結論づけた。

彼は死の間際に親しい友人に「死によって恋愛騒ぎにけりがついて嬉しい」と
語っている。彼が亡くなった部屋には黄金の仏像があり、「葬儀には仏教の経を唱えて
ほしいと」いう遺言を遺していた。

103:Ms.名無しさん
11/10/10 21:48:04.95 0
ショーペンハウアーの哲学は、哲学としてはまちがいである、残念だが。

104:Ms.名無しさん
11/10/10 22:21:57.91 0
せめて根拠を書き込んでくれ、お前の願望にしか見えない

105:Ms.名無しさん
11/10/10 22:37:40.28 0
今は書けないが、たとえばショーペンハウアー『意志と表象としての世界』のスレの156を読んでください。
ショーペンハウアーの哲学では道徳の存在理由が説明できない。

106:Ms.名無しさん
11/10/10 22:59:51.02 0
けだし、って何?毛出し?

107:Ms.名無しさん
11/10/10 23:06:47.50 0
蓋しのことかな? 国語辞典を引けば分かるよ。蓋然性の蓋だね。

108:Ms.名無しさん
11/11/09 00:05:10.30 0
うわべだけ飾っても、とりつくろっても、人間の「本性」は変わらない。自分の「始末」ができない女は「醜い」ということに気付いていない。そういう女が増えている。まったく可愛そうです。
したい放題だった女たちは、社会人になって母になって、同じようなことをするのでしょうか。きっとするのだと思います。会社では、仕事のミスは、同僚に尻拭いさせ、
子どもが言うことを聞かなければ、延々と子どもを叱り。自分の始末ができない母が、夫や子どもに物申すなんて、悪い冗談ですよね。
URLリンク(www.excite.co.jp)

109:Ms.名無しさん
11/11/25 20:06:10.18 0
>>71
「表象」ぐらいただしく打ってくれよ。
表象=Vorstellungってことぐらい知ってるでしょ?

110:Ms.名無しさん
11/11/27 15:37:19.71 0
>>106はおつむが残念すぎる・・・・

111:Ms.名無しさん
11/12/10 11:53:19.59 0
 ∞∞∞   女性犯罪   ∞∞∞ 
スレリンク(wom板)

112:Ms.名無しさん
11/12/13 11:50:17.12 0
保守

113:Ms.名無しさん
11/12/13 21:10:29.28 0
このスレ使って議論してる
URLリンク(alfalfalfa.com)

114:Ms.名無しさん
11/12/13 23:12:20.34 0
あのー、今は平成。大昔の事かたられてもなー。ダリー。

115:Ms.名無しさん
11/12/14 01:05:41.70 0
雌雄の生物学的な差異は昔も今も変わらんと思うけどね。
ショーペンハウエルはその本質を鋭く見抜いている。
時代精神とか抜かすヤツはヘーゲル主義者を装ったマルクス主義者。

116:Ms.名無しさん
11/12/14 10:32:03.88 0
この本を、ハウアーの思想を全国の無能日本女に配布したい

いかにお前らは劣等種族かを理解させてやらなければならぬ

正しすぎて思わず拍手喝采、再版しないかね、この本……

117:Ms.名無しさん
11/12/21 23:32:13.93 0
女の姿態を一瞥すれば、すぐさま、わかることだが、女は、精神的にも肉体的にも、大きな仕事をするのには、
生まれつき、ふさわしくないのである。女は、人生の責任、いわば、負債を、行為によって償うのではなく、
受苦によって、つまり、分娩の苦しみとか、子供の世話とか、夫に対する服従ー夫に対して、妻は、常に、
辛抱強い快活な伴侶でなければならないーなどによって、償うのである。極度に激しい苦悩とか歓喜とか力わざ
などは女性には向いていない。むしろ、その生活は、男性のそれよりも、静かで、平穏に過ごされなければならない。
とはいえ、本質的に、より幸福だとか、また、より不幸だとか、いうわけではないのである。

わたしたちがごく幼い時分、わたしたちを育て、ものを教えこむのに、女が全く適役であるのは、
女というものが、みずからも、子供っぽく愚かしくて、そのうえ、身近の物ごとだけを見ている、
いわば、一生、大きな子供であり、要するに、子供と、真の人間である成年男子とのちょうど中間
に位する段階に属するからである。まあ、一日じゅう、子供と一生になって遊んだり踊ったり歌ったり
している少女の様子をよく観てごらんなさい。そして、考えても見たまえ、一人前のれっきとした男が、
その少女の代役をつとめることになったとしたら、どんなに好意を持って努力してみたところで、
果たして、何が出来ることかを。

118:Ms.名無しさん
12/01/06 04:01:46.24 0
男は能力に長けているが
生命維持に関係ない事を突き詰め
政治的にも文化的にも経済的にも
枝葉を追っていくところが
女から見て無駄なんだろう

女は将来自分の生殖に関わらないどんな重要な仕事をこなす男よりも
自分を守るために常に勝ち続ける男に種を植え付けさせる。
自分の子宮が世界の中心なのだ。

実際男自身も成功した枝葉にたどり着けば英雄
外れれば用無し生物だ
オスが人口が多くなるのもそんな仕組みの帳尻あわせ

119:Ms.名無しさん
12/01/06 04:04:45.15 0
ショーンパウエルは仕組みは分かってるが女に理解させる気は無かったんだろう
きっと女に心底ウンザリしてイライラしてたんだw

120:Ms.名無しさん
12/01/06 04:05:38.41 0
ハウエルごめんパウエルって・・・w

121:Ms.名無しさん
12/01/07 17:13:12.75 0
>>119
どうかいても女が理解する事は無理
おばかさんだからwww

122:Ms.名無しさん
12/01/08 14:25:17.82 0
女は馬鹿だ
馬鹿でも生きていけるという事はそれだけ身分がいいという事
結局男は女の奴隷
男らしさとは奴隷らしさ


123:Ms.名無しさん
12/01/16 17:51:01.84 P
女性板に書き込んでしまう男は馬鹿じゃないとでも言うのだろうか

124:Ms.名無しさん
12/01/29 11:31:28.73 0
「恋愛とは生きる意欲によって仕掛けられた巧みな罠なのだ」

これ以上の名言はない。

ショーペンハワーは偉大な哲学者だ。プラトンを超えた。

125:Ms.名無しさん
12/01/30 02:58:21.91 0
ショーペンハワーよ、永遠なれ!

126:Ms.名無しさん
12/02/01 02:14:13.43 0
この地上を過ぎて行った最も偉大な、夢の破壊者…。醒めた享楽者たる彼は、信仰、希望、詩情、空想
をくつがえし、憧憬を打ち砕き、霊魂に対する信頼に荒廃をもたらし、愛を殺し、女性崇拝の理想をうち毀し、
心情への幻想をうち破り、かつてなされた最も巨大な懐疑論の労作を完成した。彼はすべてを嘲笑で貫き通
し、すべてを空虚にした。

モーパッサンはショーペンハワーを『ある死者の傍らで』でこう評した。

127:Ms.名無しさん
12/02/01 17:43:58.82 0
骨相学
スレリンク(geo板)

128:Ms.名無しさん
12/02/05 19:21:14.29 0
>>116
>再版しないかね、この本……

世界最悪の女尊主義国家・日本では無理。「嫌韓流」は出版できても、「女について」は出版できない。
この国の最大のタブーは在日でも同和でもなく、フェミニズム。これを批判する者は社会的に抹殺される。

>>126

かっちょえー

129:Ms.名無しさん
12/02/23 12:12:13.79 0
Arthur Schopenhauer
URLリンク(toolserver.org)

130:Ms.名無しさん
12/02/26 00:16:46.06 0
URLリンク(panse.livedoor.biz)
でも女性嫌悪者が女に人気があったりするらしいぞ。三島由紀夫然り。

131:Ms.名無しさん
12/03/02 09:35:11.68 0
求めるから逃げられる。拒絶すればおびき出せる。

132:Ms.名無しさん
12/03/04 17:01:24.03 0
西尾幹二先生の翻訳にはお世話になったな
意志と表象としての世界

133:アナーヒター ◆Sex....622
12/03/14 02:15:27.97 0
わたしは、一もとの野の花を見つけ、その美しさ、あらゆる部分におけるその完璧さに驚嘆し
て、「ああ、この美しさと完璧さとは、この花と、この花と同じ種類の幾千の花とのうちにあるだ
けで、すべてが、だれからも、つくづくと眺められもせず、いや、それどころか、だれの眼にも
触れることさえなくて、いたずらに、咲きかがやき、そして、そのまま萎れてゆくのか」と叫ん
だ。-ところが、花は、答えて、「あなたは、おばかさんね!あなたは、わたくしが、見られ
ようとして咲いていると、お思いになるの? わたくしは、わたくしのために咲いているので、
けっして、ほかの人たちのために咲いているのではありません。わたくしは、咲くのが好きだか
ら、咲いているだけ。わたくしが咲いて、そして、生きていることのうちに、わたくしの喜びと
わたくしの楽しみとが、湧きおこるのです」と言った。-

134:これが冒頭
12/03/17 21:23:19.76 0
人の生は その芽生え
女の胸の乳房から湧いてあふれてきたものを……
おまえの稚ない片言は 女の口から教えられ
おまえが初めて流す涙は 女に優しくなだめられ
おまえの最後の吐息でさえ 女ひとりに吐かれることがしばしばです
かつて自分を導いた人の臨終を看取るいやしいつとめを
男がためらって なさぬときには……

バイロン著 『サルダナパアル』第一幕第二場

135:Ms.名無しさん
12/03/18 00:04:13.14 0
ショーペンハウエルはショパンが大嫌いでまったく聞かなかったそうだ。

136:Ms.名無しさん
12/03/18 02:26:02.19 0
ショーペンハウエルはロッシーニ信者

自身を評価してくれたワグナーをまったく評価しなかった






137:Ms.名無しさん
12/04/04 02:23:20.59 0
ショーペンハウエルは幼少期に、満杯の牛乳桶に頻りに靴を投げ込み、
「出てこい!」と怒鳴っていたという。妹のアデーレとニーチェは
接点があった。これで両者の反ユダヤ主義が繋がった。

138:Ms.名無しさん
12/04/04 11:49:02.19 0
小便ハウエル

139:Ms.名無しさん
12/04/21 10:46:07.15 0
age

140:Ms.名無しさん
12/04/25 08:36:58.40 0
一八五九年に、フランクフルトの<英国ホテル>の食卓で、初めて彼[ショーペンハウエル]に会ったと
き、、彼はすでに、生き生きとして澄んだ眼をして、やや皮肉な感じの薄い唇にかすかな微笑を浮かべた、ひ
とりの老人だった。その広い額は、両端に白髪が二筋おぼろげにかかっていたが、貴族的な風貌と、才気に
あふれ、茶目っ気たっぷりな容貌に特徴を際立たせていた。彼の燕尾服、レースのシャツ、白いネクタイは、
ルイ1一五世統治時代末期の唐人を髣髴とさせ、その物腰は育ちのよい人のものだった。普段は慎み深く、猜
疑心とまで言えるほど用心深い性質の彼は、極く親しい友人たちか、フランクフルトに立ち寄る外国人たち
としか、打ち解けることがなかたった。彼の動作は活発で、会話の際には、常にない意気込みとなって表れた。
彼は議論や空虚な言い争いを避けたが、しかし、それは親密な談笑の魅力をよりいっそう楽しむためだっ
た。彼は四つの言語―フランス語・英語・ドイツ語・イタリア語―に同じように完璧に精通し、話すこ
とができたし、スペイン語にもかなり通じていた。彼がしゃべるときには、この老人の才気がドイツ語とい
うやや重苦しい布地に、ギリシャ語、ラテン語、英語、イタリア語などの華々しいアラベスク模様を刺繍し
て行くのだった。その活気、溢れ出る才知、豊富な引用、細部の確かさは、淀みなく、時の流れを進んで行
く。ときとして、親しい友人たちの小さな会合で、夜更けまで、彼の話に聴き入ったことがあったが、一瞬
たりとも彼の表情に疲れの色がよぎることはなく、彼の眼差しの輝きが束の間といえども翳りを見せること
もなかった。

141:Ms.名無しさん
12/04/26 18:24:43.73 0
女性を全体として見るならば、
一夫多妻制のほうが、実際には幸福をもたらすことになる。


142:Ms.名無しさん
12/04/27 01:56:43.75 0
ショーペンハウアー『幸福について』、突然のブレイク
URLリンク(www.shinchosha.co.jp)
きっかけは2月29日、テレビ 「ワールドビジネスサテライト」の「スミスの本棚」でした。
出演した作家の本谷有希子さんが「何度も繰り返し読んで、救われた」と紹介。
これを受け、放送直後から本書はアマゾンの文庫ランキングで一気にトップに。
一時的に品切れ状態となるほどの急展開でした。



143:Ms.名無しさん
12/04/28 16:12:16.44 0
「女性がヤリマンになるべき!不特定多数の男とセックスし、むしろセックスした男の数を誇ろう!」
という趣旨のことを提唱するフェミニストがいるが、果たしてそれで本当に
女性が幸せになれるとでも思ってるのか。

実際問題として、女は不特定多数の男と性行為や恋愛をするようになはなっていないのであって
ヤリマンになることはむしろ「無理をしている」に過ぎない。
事実、そのような生き方をした女性はほぼ例外なく不幸になっている。
フェミニストの言っていることは、生物学的本能的な性差を全く考慮せず、
上辺の形式的な部分だけ男と同じになろうと無理をしているだけに過ぎない。
そんなものは平等でも女性の解放でもなんでもない。

144:Ms.名無しさん
12/05/19 09:37:31.05 0
風が吹くとき

145:Ms.名無しさん
12/05/19 10:46:34.98 O
愛知県豊川市小坂井の在日北朝鮮人、森下友○(30代男)は、女性を長年ストーカーし呪いをかけているキチガイ。

146:Ms.名無しさん
12/05/19 14:34:20.85 O
有吉にバカにされてたw

147:Ms.名無しさん
12/06/02 18:58:31.15 0
人相鑑定術によせて

外面は、内部を、描いたように写し出すものだ、そして、容貌が人間の全本質を発表し顕現す
るということは、一つの仮説ではあるが、その先験性ならびに確実さは善にもあれ、悪にもあ
れ、とにかく、何事かによって―余人の及ばぬ行ないをなしたか、または、なみはずれた仕事を
やり遂げた―或る人物を見たいという、あらゆる機会に―湧きおこる一般的な渇望のうちに、明白
に現われている。だから、一方では、そのような人物がいると推測される場所に人々が押し寄せ
るのであり、他方では、日刊新聞―とくにイギリスの新聞―では、そういう人物を詳細かつ適切
に記述するのに、いろいろと骨を折っているのだし、やがては、画家や銅版師が彼の肖像をはっ
きりと描いてくれるとしても、ダゲールがついに写真術を発見したことは、このような要求を最
も完全に充たすものとしても、きわめて高く評価されている次第である。同じように、日常生活に
おいても、人々は、それぞれに、自分の前に現われる人々の人相を鑑定して、ひそかに、その人
たちの容貌から、その道徳的および知性的な本質を、あらかじめ探り知ろうと努めるものである。
もしも、若干の愚者の言うように、精神と肉体とは全く別なもので、躯が心に対する関係は、人
がその衣服に対すると同じだから、人間の容貌には何らの意味をも有たせるわけにはいかないもの
ならば、上述したすべての事実は、あのように起こり得ないであろう。

 むしろ、すべての人間の顔は、或る象形文字であり、しかも、確かに解読し得るものであって、
そのアルファベットは、もはや、わたしたちに了解されているのである。のみならず、或る人間
の顔は、通常、その口よりも、はるかに多く、さらに興味深いことを言う。すなわち、顔は、い
つかは口が言うようになることのすべての摘要を示す、言いかえると、それは、この人間のあら
ゆる思想と意図との組み合わせ文字なのだから。なお、口は単に人間の或る思想を語るだけだが、
顔は自然の或る考えを発表するのである。

148:Ms.名無しさん
12/06/02 19:21:52.35 0
 従って、すべての人は、だれにでも相手かまわず話し
かけてみる必要はないにしても、すべての人を注意深く観察してみる価値はあるのだ。―さて、
それぞれの個体が、すでに、自然の個々の或る考えを表すものとして、観察するに足る価値を
有っているとすれあ、その価値を最高度に有するものが「美」であるということになる。なぜな
ら、美は、自然のより高い、より普遍的な概念であり、美は、「種」について「自然」が示す思想
なのであるから。それだからこそ、美は、あれほどにまで力強く、わたしたちの眼をとらえるの
だ。美は、まさしく、自然の根本的な、そして、主要な思想であり、これに反し、個体は、ただ、
一つの副次的な思想、いわば「系」に過ぎない。

 すべての人は、口に出して言わないまでも、内心には「おのおのの人は、見える通りのもので
ある」という原則を持っていて、これを拠りどころとして、他人を見ている。この原則は、どこ
までも、正しいのであるが、その適用に困難な点があるのだ。適用に対する能力を、一部分は、
だれでも生まれつきにそなえているけれども、その他に経験を積んで獲得せねばならぬ部分があ
る。しかし、何ぴとも、これを完全に修得しつくすわけにはいかず、最も熟練した人ですら、な
お、鑑定の誤りを免れ得ない。とはいえ、顔が嘘をつくことは、けっして、無いのだ、―こん
なことは、フィガロでさえ言っているだろう、―そこに現われていないことを、読みとるのは、
わたしたちなのである。

 いずれにせよ、容貌を解読することは、一つの重大な、そしてむずかしい技術であって、こ
の技術の原理を抽象的に修得することは、とても出来ない。これに達する第一の条件は、その人
を純客観的な見方で把握することなのだが、この純客観的に見るということが、そもそも、容易
ならぬ業である。というのは、もしも、嫌うとか、好むとか、恐ろしいとか、希望を有つとかい
う気持が、ほんの少しでも起こるならば、或いは、自分が今どのような印象を相手に与えている
かなどと考えるだけでも、つまり、何かしら或る主観的な因子が混入すると、たちまち、象形文
字は紛らわしくなって誤読されるからである。

149:Ms.名無しさん
12/06/02 19:29:06.63 0
 或る国語の音調を聴きわけ得るのは、その国語の
意味を理解していない人に限られる―そうでないと、示されたもの〔意味〕が、示すもの〔音調〕を
すぐさま意識の外におし除けてしまう―のと同様に、或る人の人相を鑑定しうるのは、ただ、そ
の人といまだ親しくなっていない人、言いかえると、その人と度々会ったり話したりして、その
顔に慣れるようなことの全く無かった人だけということになる。そういう人なら、或る顔につい
て純客観的な印象がつかめるし、それによって、容貌を解読する可能性を有てるのだから、厳密
に考えると、人相の鑑定は初対面の際に限るといわねばなるまい。匂いは初めて嗅いだときにだ
け感じられ、葡萄酒の味は一杯目にのみ真に味わえるのと同様に、やはり、顔が、その完全な印
象を与えるのは、ただ第一回目にかぎられる。それゆえ、最初の印象を注意深く見きわめて、こ
の印象を記憶しておかねばならない。さらに、個人的に重要な関係を有つ人物である場合に
は、その印象を書きとめておくがよい。とりわけ、人相の鑑定について自分の感じを信頼できる
ならば。その後、交際して知り合いになると、以前の印象は、とかく消え失せていくが、いつか
は、その第一印象を証拠立てるような結果が現われるであろう。

150:Ms.名無しさん
12/06/02 19:49:29.10 0
 しかしながら、わたしたちは、この場合、その第一印象なるものが、おおかた、はなはだしく
不愉快なものであるということを、自分に対して、つつみ隠そうと思ってはなるまい。―とに
かく、人が大勢いるなかでも、まあ合格といえるのは、どんなにか少ないことだろう!―例外
として、美しい、善良な、聡明な顔は、―ほんの時たま、ごくまれに、あるにはあるけれども、
―感覚の繊細な人々にとって、たいていの新しい顔は、おおむね、或る―驚きに近い―感じを
起こさせるであろう、というのは、たいていの顔がいまさらながら吃驚せられるようなものの
組み合わせで出来あがっていて、要するに、不愉快きわまる印象を与えるものなのだから、とわ
たしには信じられるのだ。実際、そのような顔は、通例、全く、がっかりさせる光景(英語でい
う a sorry sight)である。しかも、それらの顔のうえには、心構えの卑俗さ低劣さが、むきだし
に現われているばかりでなく、よくも、あんな面をしていながら外出することができるなあ、な
んだって、わざわざ仮面をかぶらずにいるのかしらと、怪訝の思いにたえられないほど―人間ば
なれのした―悟性の狭さ浅はかささえ、はっきりと刻みつけられている。実に、たった一と目見
たばかりでも、こちらまで汚されてしまいそうな感じのする顔もあるのだ。従って、特殊な地位
にいる人々が、いつも「新しい顔を見る」ことの苦々しい感じを全く回避するために、隠遁生活
にはいり面会を拒絶するとしても、これを一概に、曲解してはなるまい。

151:Ms.名無しさん
12/06/04 01:12:10.17 0
 この事柄を形而上
学的に解釈すると、人それぞれの個性というものは、まさしく、彼の存在そのものによってとり
戻し、訂正せねばならぬものであるという考えへと立ちいたる。これに反して、心理学的な説明
だけで満足しようと欲するならば、みずからに問うてみるがよかろう、けだし、長い一生を通じ
て、心の中に、ちっぽけな、低級の、けちくさい考えや、卑しい、利己的な、羨ましがりの、間
違った、そのうえ性の悪い願望のほかには、ほとんど何物をも思い浮かべてもみなかったような
人間の顔に、果たして、どういう人相が期待されるであろうか、と。そのような願望や考えは、
それぞれに、それが今ある間は、顔面に、その表現を浮かびあがらせるし、その痕跡のすべては、
しばしば反復されることにより、時間の経過するにつれて、容貌に深い皺となって刻みつけ
られて、これをすっかり凸凹にしてしまう。だから、たいていの人は、初めて見たときに、びっく
りさせられるような容貌をしているのである。しかし、そんなような顔でも、だんだんと、慣れ
るに従って、言いかえると、その印象に対して鈍感になってしまうと、それはもはや何らの作用
をも及ぼさないようになるのだ。
 聡明な容貌は、長い歳月の間に徐々に出来あがるもので、しかも、老齢に及んで、初めて、そ
の高貴な表情に達するのであるが、若い時代の肖像画には、ただ、かかる表情のほんの片影しか
認められないということの理由は、まさしく、永続する容貌の形成過程が、特徴を示す緊張の現
われては消えながらも数限りなく反復することによって、ゆるゆると行われていくことで説明
されるだろう。また、反対に、前に述べたごとく、人が、初めて見た顔に対して、驚愕を感ずる
所以は、或る人の顔が、十分に正しい印象を与えるのは、最初の時だけであるという、前記の意
見と、ぴったり相応するのである。また繰り返すようだが、かかる印象を、純粋に客観的に、か
つ、誤りなく受けいれるためには、その人とほんの少しでも関係があってはならない、そのうえ、
出来ることならあ、その人と、一度も話し合わないことが必要である。

152:Ms.名無しさん
12/06/04 01:24:50.00 0
 というのは、どんな会話で
あっても、言葉を交わすというだけで、すでに、双方を或る程度まで親しくする、つまり、或る
種の因縁を導き入れ、相互の主観的な関係が生ずる、と同時に、この関係によって、把握の客観
性は傷つけられてしまう。そのうえ、だれしも相手から尊敬されたいとか友情を得たいとか努め
るものだし、観察されていると思えば、その人は、すぐさま、すでに自分で心得ている一切の偽
装術を応用するようになり、その顔つきによって善人ぶるやら、へつらうやらして、わたしたち
を惑わすであろうから、初めて見たときには、はっきりと現われていたものも、やがて、もはや
判明せぬようになってしまうのだ。こういった見地からすると、一般に、「たいがいの人は、く
わしく知り合うほど、わたしたちをだますものだ」というほうが、正しかろう。しかも、後にな
って、悪い状況が現われてくると、おおむね、初めて見たときに下した判断が、その正しさを獲得
し、また、往々にして、その判断が嘲笑的にその正しさを主張する。そして、「親しいつきあい」
が、逆に、すぐさま、敵対しあう関係となり、同時に、親しくつきあうことによって人々は得る
ところがあるという説は、認められないことになってしまう。だが、親しくつきあえば得るとこ
ろがあるといわれることの、もう一つ月の原因は、初めて会った時に、わたしたちに警戒の念を
起こさせた人物も、話し合ってみると、もはや、単に、彼の独自な本質や性格が表われるばかり
でなく、彼の有する教義も現われてくる、言いなおすと、彼が実際に天性によって具備している
ものばかりでなくて、彼自身が全人類の共有財産から自分のものにしてしまったものまで現われ
てくるということに存する。

153:Ms.名無しさん
12/06/04 05:23:00.23 O
長文ウザイw

154:Ms.名無しさん
12/06/04 09:30:41.48 0
すなわち、この場合、彼が話すことの四分の三は、もともと彼自身
に属するものではなく、外部から取りいれられたものなのである。そうだ、わたしたちは、或る
そのような怪物が、きわめて人間らしく話しているのを聞いて、びっくりすることもしばしばあ
るのだ。
 しかも、「親しつきあい」から、さらに一歩進めて、なおも近づいていくならば、やがて、
「野獣性」が、彼の容貌から予言していた通り、「全く支配的であったことを現わす」であろう。
―それゆえ、人相を鑑定する能力を賦与されている人は、全く近づきにならなかった前に
下した―従って少しも誤りのない―鑑定判断を、よくよく尊重しなければならない。なぜなら、
或る人の顔は、直截に、その人が何物であるかを言い表しているからである。そして、もしも、
それがわたしたちを欺くならば、欺かれることは、容貌の罪ではなくて、わたしたち自身に責任
があるのだ。ところで、或る人の言葉は、単に、その人の考えていることだけを言うか、いや、
それよりも往々にして、ただ自分の学んだことばかりを語り、さらに進んでは、何かしら考え
ているような振りをして、喋っているのに過ぎないことさえある。そのうえ、なお、次のような
ことも起きる。すなわち、わたしたちは、みずから或る人と話すとき、もしくは、彼が他の人に
話しているのを聞くときにでも、とかく、その人の真の人相を見のがしてしまうのである。これ
は、わたしたちが、主要構成基質―つまり、そのまま与えられたもの―としての人相を、そっち
のけにして、もっぱら、顔面に現われる感情の判断に関する方面、すなわち、談話の際における
その人の表情の動きばかり、気を取られているからである。しかし、この場合、その人は、よ
い顔ばかりを外部に向けるように心がけているものなのだ。

155:Ms.名無しさん
12/06/04 09:42:59.43 0
 さて、ソクラテスが、或る青年の能力を検査するために、これと対坐したときに、この青年に
向かって、「話しておくれ、それによって、わたしは君を見るから」と言ったのは、(この場合、
ソクラテスは見るという語を単に「聞く」という意味で使ったのではなかった、と仮定するな
らば)、条件づきながら、とにかく、正当な言葉である。その条件というのは、話すときにのみ、
動きとなって現われてくるから、それによって、わたしたちは、直ちに、その人の知性の程度と
包容力とを、さしあたり評価し得るということだが、ソクラテスの目的も、まさしく、この点に
あったといえようしかし、立場を変えてみると、反対に、次のような議論も成り立つであろう。
第一に、この方法は、人間の―ごく深いところに存在する―道徳的特質を検するために適用する
ことは出来ない。第二に、人は、話をする際に、その表情の動きによって、その容貌を一層はっ
きりと展開させるが、この展開に即して、客観的に知り得るものを、わたしたちは、間もなく、
その人とわたしたちの間に生ずる個人的関係によって、主観的に、またもや失うようになる。
というのは、この個人的な関係が惹きおこす能力は、はなはだ軽微なものだとしても、やはり、
すでに説明しておいたように、私たちのとらわれない判断を、かき乱すからである。従って、
この最後の観点より推論するならば、むしろ、「話をせずにいておくれ、わたしが君を見さだめる
ために」と言ったほうが、より正しいのではあるまいか。

156:Ms.名無しさん
12/06/04 09:59:04.03 0
 そうだ、或る人物の真の人相を、純粋に、かつ、深く把握するためには、その人が何もせずに、
ひとりっきりですわっているとき、これを観察しなければならない。あらゆる会合や、他人との
談話は、すでに、その人の上に他人の反映を投げかけるものであり、これが、たいがいの場合、
その人に有利になる。というのは、彼が、みずからも働きかけ、まあ、他人から働きかけられな
がら、動いていることによって高められるからである。しかるに、何もせずに、ひとりっきりで、
自分自身の考えや感じにひたっている、―ただ、その時にのみ、彼は全く彼自身なのである。
こういう時に、人相の鑑定にかけて深く見抜くだけの眼力をそなえた人ならば、その人の本質を、
全般にわたって、いっぺんに補足することが出来る。なぜならその人の顔の上には、おのずか
ら〔即向自に〕、その人のあらゆる思想と努力との基調―すなわちその人が将来そうならねばな
らぬものおよびその人がひとりっきりでいるときにのみそっくりみずから感じることについての、
取り消しがたき判断―が、刻みつけられたように、はっきりと現われ出るからである。
 ところで、狭い意味での、人相は、人々のいかなる変装技術も、そこまでは手の届かぬ唯一の
ものであるから、この理由だけでも、人相鑑定法は、確かに、人間を知るための重要な手段とい
える。けだし、変装技術の応用できる範囲内には、単に、感情の表わし方を変える、すなわち表
情擬態による方法だけがあるにすぎないのだから。それゆえ、誰でも、或る人物の本質を知ろう
とするならば、相手がひとりっきりで自分のことばかり考えているときを選び、なお、その人と話
をしないうちに、相手の人相を見きわめてしまうよう、せつに、わたしは、奨めるのである。そ
の一つの理由としては、そのような場合にのみ、人々は、純粋ないつわりのない人相を示すけれ
ども、会話が始まると、たちまち、表情の動きに影響されたり、そのうちに、相手はみずから習
得したもろもろの変装技術を行使するということが考えられるし、もう一つの理由として、あら
ゆる個人的な関係は、ほんの一時的なものであっても、多少とも、わたしたちを拘束するもので、
それによって、わたしたちの判断が主観的に不純なものとなるおそれもあるのだ。

157:Ms.名無しさん
12/06/17 09:08:06.27 0
 なお、わたしは、一般に、人相の鑑定法では、或る人間の知性的な能力のほうが、その人の道
徳的な性格よりも、はるかに、よくわかるものだということを、注意しておかなければならない。
つまり、知性的な能力は、道徳的な性格に比して、ずっと著しく外部へと滲み出てくる。それは、
ただ、顔や表情の動きに現われるのみならず、歩き方にも、さらに、すべての運動に、ごく些細
な所作にさえ、現われてくる。おそらく、だれでも、愚物か、痴呆か、才能人かは、後姿だけか
らも、判別しうるであろう。船のように鈍重な動作は、すべて、愚物の特徴だし、痴呆は、その
徴候を、あらゆる身振りに示すが、才能や思慮も、やはり同様に、動作や身振りによって認めら
れる。このことにもとづいて、ラ・ブリュイエールは「どれほど巧妙に、どれほど無造作に、ま
たどれほど気づかれぬように行なわれようとも、その中に、わたしたちの本性を示す或る挙動が
少しも現われていないことは、全く無い。頭の鈍い者は、はいるにしても、出るにしても、すわ
っても、立っても、黙っていようが、つっ立っていればなおさら、才能のある人と同じように振
る舞うことなど、とても出来はしない」と記述している。
 エルヴェシウスによると、月並みの頭脳を有つ常人は、才能ある人を見つけたり避けたりす
るために、精確かつ敏捷な本能を有っているそうだが、これも、上述のことによって、説明でき
る。もっとも、これは、いささか余談にわたるかもしれない。
 とにかく、そのような事柄のもとづくところは、まず第一に、脳髄がより大きくて、その発育
が良ければ良いほど、また、脳髄に対する比例において、脳髄と神経とが、より細ければ細いほ
ど、知性ばかりでなく、同時に、四肢の動きかたや柔順さも、それだけ増大するわけだし、何と
いっても、この場合、四肢は脳髄から、より直接に、より截然と支配され、その結果、すべてが、
より多く、ただ一本の糸によってあやつられることになり、従って、あらゆる運動のうちに、そ
の意図が精密に表わされるからである。

158:Ms.名無しさん
12/06/17 09:31:06.97 0
 なお、これはすべて、動物が、生物としての段階をよ
り高く昇るにつれて、一層たやすく、或る唯一の場所だけを傷つけることによって、これを殺す
ことができるという事実に類似している、というよりもむしろこの事実と関連しているのだ。実
例を、蝦蟇類にとってみると、彼らの運動が鈍重で怠慢で緩慢であるがごとく、彼らは愚昧でもあ
り、と同時に、きわめて粘りづよい生活力を有っているが、これらすべての事柄は、彼らが、は
なはだわずかばかりの脳髄に対して、著しく太い脊髄と神経とをそなえていることから、説明が
つく。しかも、一般に歩行と腕の運動とは、主として、脳髄の佐用によるものである。詳しく
いえば、外部に出ている四肢でも、脳髄から神経を介して、その運動とそれらのあらゆる変更と
の―ごく微細な修正にいたるまで―支配を受けるのである。それゆえ、随意運動をすると、わた
したちは疲れを覚えるのだが、この疲労感は、ちょうど痛みの感じと同様に、その座は脳髄の中
にあるので、わたしたちが思い違いしているように、手足のうちにあるのではない。だから。疲
れると眠気を催すのである。これに反して、有機的生活の運動で、脳髄によって喚起されないも
の、すなわち、不随意運動、たとえば、心臓・肺臓などの運動は、疲れることなく継続している
のだ。さて、思考と四肢の管理とは、ともに同じ脳髄の任務であるから、個人の素質の如何に
従って、脳髄の働きかたの性格は、その両方にひとしく現われることとなり、そこで、愚鈍な人
間は、あたかも、あやつり人形のごとくに運動するが、才能豊かな人々では、あらゆる関節が、
きびきびと動くのだ。―しかしながら、精神的な特質は、態度や動作からよりも、はるかによ
く、容貌から認められる。詳しくいえば、それは、額の形と大きさ、顔のあらゆる道具の緊張と
運動、とりわけ、眼から認知される。―だが、眼にも、いろいろの種類があって、豚の眼のよ
うに、小さく鈍くぼんやり見ているのから、あらゆる中間の段階を経て、天才の光り輝き電の射
るがごとき眼にまで昇りつめる。

159:Ms.名無しさん
12/06/17 09:40:04.84 0
 悧巧者の眼つきは、その最も巧妙なものでさえ、天才のま
なざしと異なる所以は、前者が意志に奉仕していることの歴然たる証拠を示すのに反して、後者
はそのようなものの片影さえとどめていないというところに存するのだ。(『パレルガ・ウント・
パラリポメナ』第二巻六四ページ〔『哲学入門』第三章〕で「天才の容貌」について述べた条を
参照せられよ)―それゆえ、スクァルツァフィキィが、その著『ペトラルカ伝』のなかで、彼
がペトラルカと同時代にいたヨセフ・プリヴィウスから伝え聞いた話にもとづいて記述した逸話
は、そっくり信じてもよかろう。それによると、或る時、ペトラルカが、多くの紳士や貴族の間
に立ちまじって、ヴィスコンティの宮廷に同候していた時に、ガレアッツォ・ヴィスコンティは、
当時まだ少年であった―ミラノの第一公爵となった―息子を顧みて、その場にい合わせてい
た人々の中から、最も賢明な人を探し出せという課題を与えた。少年は、すべての人たちを、し
ばらく眺めていたが、やがて、ペトラルカの手を握って、父のもとへ連れていったので、列席者
一同は非常に驚嘆したという。そうだ。自然は、人間の中でも特に傑出している人には、その品
位の印章を、少年でさえも認め得るほど、明瞭に捺しておくものなのである。そこで、わたしは、
ふたたび、ひとりの平凡人を三十年間も、偉大なる思想家として吹聴してみいたくなったとしても、
その折には、どうぞ、ヘーゲルみたいなビヤホールの親爺然たる人相の持主を、そのために択び
出さないようにお願いする。自然は、この男の顔に、読みやすい書体で、その得意とする「平凡
人」という文字を、はっきりと記しておいてくれたではないか。

160:Ms.名無しさん
12/06/17 10:16:31.26 0
さて、しかし、人間の知性的な面に関することを、その道徳的な面、すなわち人間の性格に関
して、そのままあてはめるわけにはいかない。人相の上から、その人の道徳的な性格を察知す
ることは、知性の程度を知るのと比べて、はるかに困難である。というのは道徳的な性格は、
形而上学的なものとして、知性とは比較にならぬほど、より深いところに潜んでいるし、なるほ
ど、体質や生活機能と関係はあるけれども、知性のように、これと直接に結びついてはおらず、
また、その或る一定の部分や系統と関連しているものではないのだから。のみならず、たいてい
の人は、自分の悟性に、通常、はなはだしく満足しているらしく、これを公然と示しているし、
なお、あらゆる『機会に、認められようと努めるけれども、道徳的な性格を、そっくり、あけっぴ
ろげて、さらけ出すことは、はなはだ稀である、というよりむしろ、たいていの場合、故意に隠
匿する、そして長い間の練習は、この隠匿方法をきわめて巧妙なものにまで仕上げるからでも
ある。しかしながら、すでに述べた通り、下劣な思想と没義道な努力とは、徐々に、顔面に、そ
の痕跡を刻みつけていくが、特に、それは眼に現われてくる。それゆえ、わたしたちは、或る人
を、人相鑑定の上から判断して、、その人がけっして不朽の業績を発表し得ないということを保証
することは、たやすく出来るけれども、その人がけっして大罪を犯さぬであろうという保証を与
えることは、けだし、全く不可能であろう。

161:Ms.名無しさん
12/06/17 16:08:50.13 0
長すぎるんだよ、3行でまとめろ

162:Ms.名無しさん
12/07/09 10:35:49.95 0
噪音と雑音について

 カントは、生き生きとしているもろもろの力について、一つの論文を書いたが、わたしは、反
対に、このような力について、一つの悼辞ないしは挽歌をつづってみようと思う。というのは、
叩音、槌音、打音などで、生き生きとしているもろもろの力が余りにしばしば使用されるために、
わたしは、一生涯を通じて、毎日のように、苦しめられてきたからである。もちろん、世間には、
雑音に対して無感覚でいるため、わたしがこう言うのを聞くと、嘲笑する人がいるだろう、いや、
いるだろうどころか、きっと大勢いるにちがいない。しかし、これらの人々は、論証・思想・詩
文、また、芸術作品に対し、つまり、あらゆる種類の精神的印象に対しても、やはり、無感覚な
人たちである。この原因は、彼らの脳髄の材質が粘りづよい組成と手堅い織り方で出来あがって
いることに存する。これに反して、わたしは、噪音が思索する人々に与える苦痛についての愁訴
を、ほとんどすべての偉大なる著述家の伝記や、或いは、その他みずから書いたもろもろの作
品のうちで発見する。たとえば、カント、ゲエテ、リヒテンベルグ、ジャン=パウルなど、いず
れも、このことを嘆いている。たまたま、この方面に言及していない人があったにしても、それは、
ただ、文章の前後の関係が、著述の筆を、この方面に導いていかなかったのによるだけであろう。
わたしは、この問題を、次のように解説する。ちょうど、一つの大きなダイヤモンドを、いくつ
かに切断すると、その価格は、これらの小さな砕片の総和以上に出ないと同じく、まあ、一つ
の軍隊が、小さい部隊に分けられると、もはや何らの力をも保ち得ないのと同様に、或る偉大な
る才能も、それが中断され、攪乱され、分散され、転換されると、もはや、普通の才能以上には、
何ごとも成し遂げ得られないようになる。何と言っても、彼のすぐれた性質は、みずからのあら
ゆる力を、あたかも凹面鏡がすべえの光線を一点に集中するごとく、一個の対象に手中すること
を必要条件としているので、これが噪音によって中断されることは、精神の働きを妨害するから
である。

163:Ms.名無しさん
12/07/09 10:57:39.20 0
 それゆえ、すぐれた思想家は、常に、あらゆる攪乱・中断・転換などを忌み、とりわけ
噪音による暴力的な分散を、最もはなはだしくきらった。もっとも普通の人々は、こんなこと
で特に悩まされはしないけれども。すべてのヨーロッパ諸民族の中で最も悟性的であり最も精神
的な国民は、never interrupt という規則―「けっして邪魔するな」ということ―を、かねてより、
モーゼの十戒に次ぐ、第十一番目の戒律と呼んでいる。しかも、噪音は、わたしたち自身の思索
を中断する、というよりむしろ、粉砕してしまうから、あらゆる邪魔の中で最も不作法なものと
いわねばならない。しかし、中断されるものが全く無い場合に、噪音が、取り立てて感じられな
いのは当たりまえなことであろう。―往々にして或る―あまり強くはないが持続的な―雑音が、
わたしのはっきりとこれを意識する前に、しばらくの間、わたしを苦しめかつ妨げていることが
ある。この場合、わたしは、それが何であるかわかるまで、ちょうど足の先に石ころを乗せたよ
うに、わたしの思索の歩みが困難になっているのを絶えず感じるばかりである。―
 しかし、いまや、「属」から「種」に移って、わたしは、まず、最も許しがたき、かう最も罪深
い噪音として、都市の反響する狭い街路で打ち鳴らされる、真にいまいましい鞭の音を弾劾しな
ければならない。この音は、まさしく、人生から、一切の安静とすべての思慮とを、奪うもので
ある。鞭を打ち鳴らすことが許されているということぐらい、人類の鈍感と無分別とについて、
きわめて明瞭な概念を、わたしに与えるものは、またとあるまい。この突如として起こる、鋭い―
脳髄をしびれさせ一切の思慮を裁りきざみかつ思索を殺す―響きは、いやしくも、思考に類似す
る何ものかを脳髄のうちに持ちまわっている人なら、だれしも、苦痛を感じさせられずにはいら
れないはずである。従って、このような響きは、そのたびごとに、行く百の人々の精神の働きを、
たとえ、その働きがいかに低級な種類のものであるにしても、常にかき乱すに相違なく、いわん
や、思索家の瞑想裡に闖入するならば、首斬り刀が頭と胴体との間を通るごとく、苦痛と破壊と
が頭脳に及ぼす影響は、ちょうど、ねむり草に何かがさわった時と同様に、かなり長い時間にわ
たって消えずに残る。

164:Ms.名無しさん
12/07/09 11:20:05.98 0
 実益という最も神聖なことに対して、わたしあ、充分に尊敬を払っている
けれども、一車の砂または肥料を運んでいく男が、(街路を三十分ほど通過する間に)次々に、一
万ほどの頭脳のうちに浮かびあがろうとする或る思想を、その萌芽のうちに枯死せしめていくよ
うな特権を、運搬という若干の実益ある行為によって獲得せねばならぬとは、どうしても納得す
るわけにはいかない。なるほど、槌で打つ音、犬のほえる声、それに、子供たちの泣き叫ぶのも、
身の毛のよだつほどいやなものだが、まさに、思索を殺戮するものは、ただ、鞭の響きばかり。
或る人がやっと、時たま、よい思いつきの浮かんだ大切な瞬間を、まるっきり、台なしにして
しまうのが、この響きの使命である。車をひく動物を駆るために、あらゆる音のうちで最も忌ま
わしい鞭の響きを使用するほかに、何らの方法もない時だけは、余儀ないこととして、堪忍されも
しようが、しかも、事実は全く反対なのだ。こののろわしい鞭を鳴らす音は、馬に及ぼす心理的な作
用を主眼としたことであるが、この音を不断に濫用したために、もはや習慣になて、その作用
も、すっかり鈍くなり、ほとんど失われ、馬は、鞭の音を聞いても、歩みを早めはしないのだか
ら。その証拠には、空の辻馬車が、乗客を捜しつつ、特にゆっくり行きながらも、馭者は絶えず
鞭を鳴らしているではないか。実際には鞭を鳴らすよりも、むしろ、ほんの軽く鞭を馬の体に
触れさせたほうが、ずっと多くの効き目があるのだ。また、もし、この響きによって、鞭のあるこ
とを絶えず馬に思い起こさせておくことが、どうしても必要だと仮定しても、その目的のために
は、普通に出す響きの、百分の一ほどの弱い音で、充分であろう。だれしも知っている通り、動
物というものは、聴覚的にも、また、視覚的にも、きわめて軽微な―それこそわたしたち人間が
ほとんど気のつかないくらいの―合図にすら、注意を払う。この事実については、すでに、調教
された犬や、カナリヤが、驚嘆に値する適例を示している。それゆえ、鞭を鳴らすことは、純然
たる悪戯である、のみならず、腕で働く連中が、頭脳で仕事をする者に対して加える一種の厚かま
しい嘲笑だとも思える。

165:Ms.名無しさん
12/07/09 11:49:30.94 0
 かかる破廉恥な行ないが都市において許されていることは、大なる野蛮
であり不正である。これは、警察から、すべての鞭のくびれた末端に一つの結び目を取りつける
ように命令を出してくれさえすれば、きわめて容易に除き得ることなのだから、なおさら、そう
感じるのだ。プロレタリアをして、彼らの上に立つ階級の頭脳作業に対して注意させるのは、少
しも悪いことではあるまい。なぜなら、彼らは、すべての頭脳作業に対し、非常ななおそれをいだ
いているのだから。しかし、非番の郵便馬を連れたり、車輛から放した輓馬に乗ったりして、一
尋もある長い鞭を力いっぱいに振り鳴らしながら、人口稠密な都市の狭い街路を通行する男は、
直ちに馬からおろされて、杖で五つも性根にこたえるほどなぐられるがよい。たとえ、世界中の
博愛論者が、筋道立った理由から体刑を全廃しようとする立法団体とともに、鉾先をそろえて、
この処罰を非難したとて、わたしは説服されないつもりだ。しかも、もっとひどい実例さえ、あ
まりにもたびかさねて目にすることが出来る、それは、馬を連れずにひとりっきりで往来を通
る馬丁が、絶えず、鞭を鳴らしていることだ。不都合な寛大さのおかげで、この男には、鞭を鳴
らすことが、これほど身についた習慣になってしまったのである。何だって、肉体のため、また、
すべて肉体を満足させるためには、一般に、きわめて人情深い取扱いがなされているにもかかわ
らず、ひとり、思索する精神だけが、尊敬を受けるなどはさておき、最もわずかな顧慮をも保護
をも与えられずにいて、果たして、よいものだろうか? 荷車の馭者・荷揚人足・立ちん坊など
は、いわば、人間の社会の駄馬であるが、なるほど、彼らとしても、全く人間的に、正義・公正・
寛大・慎重な取り扱いを受けなければならない。とはいえ、ほしいままに噪音を立てて、人類の
高尚な努力を邪魔することは、けっして、許されてあってはあらない。この鞭を鳴らす音が、す
でに、どれほど多くの寛大な、また、美しい思想を、この世の中から追い払ったかを、わたしは
知りたい。もしも、わたしが命令する権限を有っていたなら、わたしは、馭者たちの頭に、鞭を
鳴らす音と、笞刑との間には、切り離し得ざる観念連合のあることを、とくと滲みこませてや
るだろう。

166:Ms.名無しさん
12/07/09 12:15:27.01 0
 ―知性のよりすぐれている、かつ、感情のより繊細な諸国民が、この点においても、
規範を示してくれ、ついて、その先例にならって、ドイツ人も同様なところまで進歩するように
なることを、わたしたちとしても希望しようではないか。
   一八五八年十二月の『ミュンヘン動物保護協会の告示』によると、ニュールンベルグでは、
  必要以上に鞭で打つことおよび鞭を鳴らすことを、厳重に禁止されているそうだ。
 ところで、トーマス=フッドは、(その著『ライン河のぼり』のなかで)ドイツ人について、
「音楽的な国民としては、わたしが今まで逢ったうちで、彼らは最も騒々しい国民である」と
述べている。
 ドイツ人が、こんなことを言われるのは、彼らが、他の国民よりも、特に騒々しいのを好むか
らではなくて、騒々しい音を、年中、聞かされなければならない人たちの魯鈍さから生まれてく
るときも、噪音によって妨げされはしないのだ。なにしろ、彼らは、めったに考えごとなどせず、
いつも煙草ばかり吸っていて、喫煙が、彼らにとって、思索の代用物になっているのだから。不
必要な噪音―たとえば、きわめて不作法な扉のあけたて、ぞんざいに投げとばす「バタンという響
き―に対する一般的な辛抱強さ、これこそ、彼らの頭脳が一般に魯鈍でかつ考え無しであること
の一証徴なのだ。ドイツでは、なんぴとも、噪音を気にかけないように―たとえば目的も無しに
太鼓を打ち鳴らすように―躾けられているらしく思われる。
 さて、最後に、この章で論じられた問題に関する適切な文献として、わたしは、推薦せねばな
らぬたった一冊の―とはいえ、立派な―詩的作品を有っている。それは、すなわち、有名な画家
ブロンツィーノが、三韻脚法で作った書簡体の詩で、『騒音について―ルカ=マルティニ氏へ』と
いう表題の本である。これには、イタリアの或る町の種々さまざまな噪音のために、人々のなめ
た苦しみが、悲喜劇的な方法で、詳細にかつはなはだおもしろく描かれている。この書簡体の詩
は、『ベルニ、アレティノおよびその他の人の滑稽な行ない』第二巻二五八頁にも出ているが、
そこに一七七一年作と記載されているのは誤りである。

167:Ms.名無しさん
12/07/09 18:21:22.10 0
電マをオマンコとアナルに根元まで突っ込んだら
二本とも抜けなくなりました。
抜き方を教えてください。

あ゛ぁ~♥ あ゛ぁ~~♥♥ あ゛ぁ~~~♥♥♥ あ゛ぁ~~~~ ♥♥♥♥

168:Ms.名無しさん
12/07/19 18:16:13.88 0
なんかすごいね

169:Ms.名無しさん
12/07/19 18:31:55.78 0
長文がウザイだけの糞スレ


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch