14/02/14 22:03:46.91 .net
雷武帝劉弁が建国した永漢帝国も六代目劉光帝の代に王班によって国を奪われる(新建国)。
その後、劉剣が王班を倒し永漢を再興するも稚拙な政権運営により
再び権臣陳保によって国を奪われ滅亡する(陳建国)。
皇太子である養子劉南(司馬南)らの活躍により陳を滅ぼし再度永漢は復活するも
暗愚な皇帝劉剣に国政運営の能力はなくついには政権を投げ出し隠居する。
後を継いだ劉南は手堅い政権運営で国力を高めていった(建瑞の治)。
そして即位後二十年余り、ついに劉南は国号を「大晋」とし自らも司馬南と改めた。
だが大漢が大晋帝国として新たな歴史を歩み出した瞬間から司馬南の運命は暗転した。
北に燕王劉八信が公然と晋打倒を叫び挙兵、南に宋王田宮が皇弟司馬寒を殺害し兵馬の権を掌握、
ついに皇帝司馬南は帝都洛陽を捨て長安に奔った。
燕宋二強の決戦を目前に控える中、荊州揚州で義憤の兵を挙げた陸参が宋王田宮の版図を徐々に
蚕食しつつあった。
【 大漢帝国 歴代皇帝 】
初代 英祖 雷武帝 劉弁
二代 哀宗 焦彷帝 劉美
三代 光宗 白輝帝 劉星
四代 明宗 文武帝 劉宝
五代 徳宗 宣烈帝 劉紅
六代 恭宗 献璽帝 劉光
七代 昏宗 愚鈍帝 劉剣
八代 今上帝 劉南(司馬南) …【以降、大晋帝国】