みんなで決める武将能力(正史三国志編)6at WARHIS
みんなで決める武将能力(正史三国志編)6 - 暇つぶし2ch550:無名武将@お腹せっぷく
13/03/29 21:05:58.46
「遷」は字義だけで言うと単にうつすだけだからね

551:無名武将@お腹せっぷく
13/03/30 07:49:58.29
いずれにしろ「遷」だから「昇進で降格人事ではない」は明らかに誤りだね。

552:無名武将@お腹せっぷく
13/03/30 09:44:27.02
>>551
いや降格人事である、と確証がない限り降格人事ということは難しいよ
昇格人事ということは可能だけどね
なんでかというと全体で「遷」は昇格人事全般に用いられてる事が多いから
三国志で「遷」が昇格以外で用いられてるケースは精査してないからあるかもしれないが
数の上では昇格人事がほとんど

君の主張は誤りだね

553:無名武将@お腹せっぷく
13/03/30 10:09:14.54
???

554:無名武将@お腹せっぷく
13/03/30 10:15:06.30
で、お前らの凄い考察で、何が結論づけられたのか

555:無名武将@お腹せっぷく
13/03/30 10:17:12.91
>>538
それ以前の神速用兵の事も忘れないであげて

556:無名武将@お腹せっぷく
13/03/30 12:17:16.81
司馬懿は有能だけど総司令官に向いてない
曹真の下で張郃と一緒に働いてりゃ良かったのに、曹真殺す?わ張郃殺すわ…

557:無名武将@お腹せっぷく
13/03/30 12:18:07.73
>>555
むしろ司馬懿の本領発揮ってその神速での移動なんだよね
高級官僚として優れた能力があり、優れた補佐役がいて
物資や人を的確に差配しないと高速移動って難しい

558:無名武将@お腹せっぷく
13/03/30 13:16:10.22
神速での後援してた時は完璧だったのに総司令官になった途端にボロが出るとか、夏侯淵かよ

559:無名武将@お腹せっぷく
13/03/30 13:20:03.76
夏侯淵の本領は行軍速度を活かして四方八方の兵糧補給と反乱鎮圧に駆け回ること… 司馬懿は似てはいるけどタイプが違うと思う

560:無名武将@お腹せっぷく
13/03/30 17:16:45.18
統率+武力

曹操
~200~
曹仁、張遼、劉備、諸葛亮、孫策、周瑜、陸遜
~190~
曹真、楽進、徐晃、関羽、張飛、孫堅、呂蒙
~180~
夏侯淵、于禁、張郃、馬超
~170~
曹洪、曹休、夏侯尚、黄忠、趙雲、魯粛
~160~
夏侯惇、孫権

正史の有名な巻の面子ならこんな感じのイメージ
いや、一番好きなのは惇兄貴なんですけどね…

561:無名武将@お腹せっぷく
13/03/30 17:24:57.27
劉備や魏将はコーエーから過小評価されてるよなぁ

562:無名武将@お腹せっぷく
13/03/30 17:35:12.71
張遼と馬超は1ランク下げてもいい気がする

563:無名武将@お腹せっぷく
13/03/30 17:45:12.47
夏侯惇は民政や軍政が本領だから(震え声)
孫権も耄碌するまでは凄い優秀な政治家だしね
耄碌するまでは

564:無名武将@お腹せっぷく
13/03/30 23:48:15.12
>>560
撃剣の名手、魯粛さん舐めすぎ
あと、諸葛亮がいくら凄いからって武力+統率で200クラスはねーわ

565:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 00:04:34.00
まあ魯粛さんは司令官として武力を発揮したことがあまり無いから…
戦略家・外交官イメージが強いし

566:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 00:06:26.47
総司令官(統率+魅力)
曹操>陸遜>周瑜>司馬懿>劉備>諸葛亮>孫堅>孫策>曹仁>関羽>呂蒙>夏侯淵>夏侯惇>孫権>魯粛>張遼>張飛
司令官(統率+武力)
関羽>孫策>孫堅>張遼>曹操>曹仁>呂蒙>張飛>周瑜>夏侯淵>劉備>陸遜>司馬懿>諸葛亮>孫権>夏侯惇>魯粛
部隊長(武力)
張遼>関羽>孫策>孫堅>張飛>曹操>曹仁>呂蒙>夏侯淵>夏侯惇>周瑜>孫権>魯粛>劉備>陸遜>司馬懿>諸葛亮

関羽さん最強!

567:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 00:13:19.52
そうするとこうなるのか

統率+武力

曹操
~200~
曹仁、劉備、孫策、周瑜、陸遜
~190~
曹真、張遼、楽進、徐晃、諸葛亮、関羽、張飛、孫堅、呂蒙
~180~
夏侯淵、于禁、張郃、魯粛
~170~
曹洪、曹休、夏侯尚、馬超、黄忠、趙雲
~160~
夏侯惇、孫権

568:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 00:15:48.62
>>566
関羽が司令官として曹操や孫策より上なわけねーだろw

569:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 00:18:51.82
>>566
総司令官として諸葛亮が司馬懿に劣るわけがない
司令官のトップは曹操以外に有り得ない
部隊長として劉備がそんな低いのはおかしい

570:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 00:50:42.98
>>566
真面目な話だけど総司令官としての曹操って結構ミスも多いし
後半の勝ち切れないところも含めると結構下がると思うぞ

571:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 01:00:02.46
孫子の曹操注読んでると、多分国力を無視してのゴリ押しってのが出来ない人だったんだろうね曹操は
その無駄な物分りの良さが三国鼎立を招いた

572:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 01:08:49.71
>>571
逆ですがな

赤壁での負けは国力無視してゴリって孫権に裏切られてる

573:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 01:15:27.36
>>568
関羽さんナメんな!

>>569
総司令官としての諸葛亮と司馬懿は、この二人の戦だけではなく他も含めると
鮮やかさで司馬懿に軍配があがると思うがな
司令官としても曹操は優秀だ反董卓での活躍は孫堅に一歩劣る

>>570
真面目な話、他の人も勝ちきれてない、下げるとしたら全体的に下るだけと思う

574:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 01:16:49.42
>>573
何で?
勝ちきれない理由がどこにあるか、と考えた時
曹操の場合は個人的な判断ミスにあるけど
他の連中って既に固まった勢力事情の問題もあるだろ、特に後期メンは

575:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 01:18:18.78
>>569
劉備、撃剣の名手やら、個人的な奮戦超人的な働きとか、なんかあったけ?

576:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 01:22:20.99
>>574
例えばどんな所かな?
それよりは本来勝てない所で勝ってる所の加点も上げたら総合評価はやっぱ曹操と思う。
例えば総司令官として張遼や楽進、参謀団を率いて有機的な大軍を編成しのは
曹操くらいなもんじゃないかなぁ

577:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 01:25:25.58
>>573
陣営の不利有利もあるのだろうが、戦略・策略ではわずかに司馬懿が、戦闘指揮ではかなり諸葛亮が、それぞれ上回ってるイメージ。

578:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 01:35:53.88
>>576
赤壁の敗戦が曹操最大の判断ミスでしょ

579:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 01:54:22.51
曹操は組織を作り上げた能力を統率で、戦術的な強さを武力で評価するなら、それぞれ最高クラスだと思う
なんだかんだで67回も戦って58回勝ってるってのはなかなか稀有な存在だよ
しかも中原騒乱時代は窮地を自らの計略と指揮で覆す勝ちが多い
何故か国が安定して呉や蜀との戦いになるとすぐ退却するけどw

580:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 01:58:34.22
勝ちの方が圧倒的に多くても、少しの負けのせいで評価を下げられる曹操さんカワイソス…しかも負けた相手も周瑜や劉備みたいな屈指の名将なのに。
というか曹操が最強じゃなかったら誰が最強なんだって話だよ(^q^)
曹操の武力を下げたがる人って、正史読んでないコーエー厨なんじゃないの?

581:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 02:03:29.52
>>579
そのどうでもいい勝ちまで含んだ戦績カウントはどうかと思う

赤壁では無理攻めして準備不足で苦しくなったところで偽投降に引っかかり
濡須では恐らくは優勢だったのだろうけど結局投降臣従を受け入れて勝ち切る事を自分で諦め
漢中では夏侯淵を目の前にして数ヶ月うだうだやった上で見殺し、自分で漢中攻め込んで敗退
と、節目節目の勝負所でやらかしたり自分から勝利手放したりしてるんだよなぁ

582:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 02:05:24.51
>>580
曹操にも得意なことと苦手なことがあるってことさ

583:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 05:57:47.28
>>566>>344~の流れ見て司馬懿を評価してるのか?
建国期の不利な状況で領土を拡大した魏創成期の司令官達と
国力数分の一の小国と自国領で戦って曹真以下の実績の司馬懿じゃ比べ物にならんだろ

584:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 10:02:55.07
>>575
武力って個人武勇のパラメータなん?
統率が戦略的な強さ、武力が戦術的な強さだと思ってた
そういう意味では劉備の武力は100近くていいし、全盛期の曹操なら120くらいあってもいいw

585:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 14:28:15.27
司馬懿は、諸葛亮を撤退に追い込んだのを目的達成したということで、
諸葛亮より軍事的に上というすり込みを、小説家たちとネットで長い間されてきたからな

実際、その目的になったのは5次だけ
それも張コウが戦死して、司馬懿の敗北を怖れた魏が安全策をとっただけという可能性が高い
司馬懿が本当に名将なら、諸葛亮に撃破を命じるだろう
撤退に追い込んでも領土に踏み込まれ、麦を刈られ住民を移されては、
国家の威信や長期的な国家戦略にかかわる

司馬懿の策略が宮廷陰謀なら一応理解できるが、戦略ってなんかあったっけ? 
どんなに挑発されても引きこもるのが戦略って言われても、基本的に皇帝の命令だからな

586:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 14:35:20.27
>>577,583
公孫淵の征討、孟達への電光石火の処置、呉への防衛などの非凡さを見ても
曹真以下と切って捨てるには、一面的な評価すぎると思うよ。
諸葛亮の弱点補給を看破し、防御に徹する判断も評価に値すると思うしね

>>578
赤壁の敗戦は敗戦ではあるが、
軍事のみと捉えれば致命的な敗北とは言えない
全滅もしていないし、高級将校の損失もない
勝敗は兵家の常。
鮮やかな撤退は戦争能力を見るに十分に参考にすべきと思う。

>>584
個人武勇や個人的武勇に左右される少数兵力での活躍のパラメーターと想っている。
一騎打ちや趙雲などの一騎当千、甘寧や張遼、曹操などの少数兵力での突貫。

また、戦略や戦術(目的達成するための方法論に過ぎない)は、状況や立場に応じて変わるもの
(曹操に取っては達成させる戦術に過ぎないが、指揮下の司令官には達成する戦略目標となる)
役職単位の資質で見た方が無難。
君の言うような話では統率が郭嘉>曹操なんて感じになっちゃう

587:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 14:38:55.25
統率→武将を率いる能力
武勇→兵を率いる能力

588:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 14:54:06.80
>>586
赤壁からの撤退は全然鮮やかじゃない

まず焼き討ちで万単位で被害を出し、撤退中に万単位で脱落者を出している
本当に必死の逃避行

589:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 15:02:43.01
>>587
ゲーム的(全ユニットに影響のある数値、ユニットの強さ)に間違っていない
では、遊撃兵を扱う徐晃と100騎突貫無傷の甘寧どっちが高いの

590:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 15:10:49.00
>>588
曹操:疫病になったので、船、焼いて帰りました。
周喩:船を焼いたのは私達です
劉備:私が勝ちました

必死の逃避行ってのは夷陵や官途が参考になる
おびただしい高級将校の戦死、投降者が出てる

591:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 15:29:47.70
>>580
武帝紀の注釈で大量の脱落者を出しながら強行軍で逃走したことが書いてあるし
周瑜伝では焼死者多数だったことも書いてあるよ
そんな簡単な話じゃない

592:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 15:45:55.82
>>591
呉主伝でも疫病がひどいとあるので、想像するしかないが
結果として、将校クラスの投降者も戦死者も出ていない。

注釈のが正しい!曹操は壊滅的打撃を受けたと強弁されたとしたならば
官途や夷陵の結果と比べても
将校クラスを討てなかった周喩、劉備は下手打ち過ぎてるね。

ただ、動員戦力が多ので、軍においての末端戦力の消失でも
前線ではおびただしい死者は出てると思う。

593:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 15:50:38.51
>>592
壊滅的打撃とは俺も言わんよ
ただ「鮮やかな撤退」ではないってこと

鮮やかな撤退とは曹操が張繍にやったようなものだ
その後、賈クに油断を看破されて失敗しているが、
そこまでの撤退は鮮やかなものだったと言っていい

またこの撤退に至る経緯も曹操は時勢に乗って船が足りないのに
筏で船団組んでゴリ押しして焼き討ちされている
赤壁は悪い意味で曹操の拙速さが結果に出てる戦いだよ

逆に官渡の烏巣攻めは良い意味で拙速さが出てる

594:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 16:12:41.08
主だった魏将が全員生き残ってるどころか、直後に大暴れしてるのが赤壁の大きな謎の一つ
マジでどんな負け方だったんだよ

595:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 16:14:31.16
呉書や注釈が大げさと考えるのが一番しっくりくる

596:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 16:15:46.75
このスレでこんな落ち着いたマトモな議論が繰り広げられるとは思わなかった

597:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 16:21:51.38
>>586
>諸葛亮の弱点補給を看破し、防御に徹する判断も評価に値すると思うしね

普通は益州一つの地方政権が中原に出てきただけで撃破できて当然
むしろ司令官の力量が同等ならば蜀魏国境の撤退戦の難しさからして追撃戦で壊滅させるレベルのはず
それができてない時点で諸葛亮以下なんだよ

司馬懿と諸葛亮が逆の立場だったら蜀は撤退時に敗戦か北伐すらできないレベル
それくらいの差がある

だいたい対呉戦だって勝った相手は張覇とか諸葛謹レベルだろ

598:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 16:37:18.31
大げさにしても荊州を失陥してるんだから取ったばかりとはいえ
領土を維持できない程度の敗北は喫したんだろうよ

599:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 16:57:09.85
>>594
将官は生き延びているのだけど殿役を担った曹仁と江陵への救援は結構遅れてる

この事から考えても呉書や注釈の記述は的外れな誇張と単純に断じていいということはなく
曹操は軍を立て直すだけの時間が必要になるだけの被害は受けていた、と推測できることになる

600:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 17:12:43.18
赤壁の同時期に袁術残党が反乱起こしたりしたから行動限界に拍車が掛かってる
そっちには于禁・臧覇・張遼・張郃を向かわせて、孫権の援軍ごと鎮めた
荊州方面は曹仁・楽進・徐晃・文聘が踏ん張ってたわけで
主力の殆どは国境に残したまま撤退して、曹操は主に孫権の相手してるな
まあその孫権相手にも追い返したのはいいけど追撃出来てないから、致命傷ではないにせよやはり軍に打撃喰らってたのだろう
楽進と張遼に任せて自分は撤退してるし
まあこれは後の涼州平定を見据えてのことかもしれんが…

601:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 18:20:37.48
>>593
何をもって鮮やかな徹底とするかは個人の好みとしてもらって
細かい描写がないのでなんとも言えないが
将校レベルの損失の無い撤退ってのは、上手いと自分は思っている。
漢中撤退もだけど、壊滅的打撃を受けない撤退は軍事達者と思う。
水準以上の軍事的な資質があっても?水の戦いのようになってしまう場合もある。

>>597
それは短絡。
諸葛亮は負けない戦を心がけている。
撤退した陣営を見て天下の奇才とか褒めるくらい完璧な形での行動。
故に戦略的自由度を失ってはいるが、そんなガチガチの所に追撃したら死ぬ(張?が)

蜀漢と魏の国力は差が大きいが、動員された戦力はそこまでの差は無い。
司馬懿と諸葛亮が逆でも結果は大きく変わらないと思うが、
電撃戦を諸葛亮がやれたかと言われれば、疑問。

>>599
自分は大軍運用上、一度動かすと再編成に時間が掛かるからと思ってるけど
少なくとも疫病が主か攻撃が主かは断言しないが被害は受けてる
なんせ撤退するほどの何かがあったわけだから。
ただ、被害が拡大する前の早めの判断だったとは思う。

602:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 19:30:49.14
>>601
鮮やかな撤退というには決断が遅いよ
火を着けられてから大量の犠牲者と脱落者を出しながらの逃走を
「鮮やかな撤退」なんて言われると妙な感じになるな

壊滅する前に退却する能力は素晴らしいけれども、
壊滅しない撤退と見事な撤退の間にはまだ幅があるだろ

諸葛亮が北伐で王双、張コウを討った時のような撤退
曹操が官渡で白馬を引き払いながら顔良、文醜を討った時のような撤退
または姜維が剣閣まで一気に駆け抜けるような撤退
こういうのが鮮やかな撤退だろう?

603:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 19:34:21.23
>>601
再編成に時間が掛かるという理屈はわかるよ

それでも曹仁のためにもっと兵を残す、援軍を送る、ということはしたっていいだろう
しかし曹操の援軍って曹仁が一年包囲されたところで
やっと李通らの行動が確認されるだけでそれ以前の援軍とかないんだぞ?

604:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 19:55:14.62
でも曹仁の救援に行ける人材ってそれこそ李通以外にいなかったんじゃないかな
他の主な名将達はみんな各地で戦ってるわけだし
もっと早く救援出しても良かったとは思うけど

605:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 20:35:41.47
もしかして第四次の北伐って雨が降って無かったら蜀が勝ってたんじゃね?
華陽国志だと魏軍も補給が不足していたみたいだし
5次と違って、諸葛亮の目標は祁山を攻略する事が目的であり、司馬懿と決戦する事が目的じゃないから、司馬懿が戦おうとしないならそれで良かった
4次の勝利は雨によるラッキーで、司馬懿の目論み通りに事が進んだ結果じゃない

606:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 20:54:33.72
この時の司馬懿は諸葛亮を相当甘くみて決戦に誘引されちゃったからなー

漢晋春秋の記述だと大敗だし晋書だと司馬懿が勝ってるけど
本当に司馬懿が晋書の記述通り勝ってたらそもそも蜀は軍を維持できないし
晋書の記述はウソなんだろう
漢晋春秋もちょっと誇張は入ってる可能性は高いが

607:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 20:59:56.74
漢晋春秋も晋書も胡散臭いことで超有名な文献なんですけど…
まあ胡散臭さのベクトルが違うが…

608:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 21:02:39.76
まあなにしろ習鑿歯ですから
江表伝の周瑜ageや曹瞞伝の曹操sageと同格レベルの信憑性の無さ

609:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 21:14:57.45
戦争の勝敗こそ逆転しているものの、記述に共通点は多いから戦闘はあったとしていいと思う

蜀軍は国力考えるとオワタ式軍団だから負けてもそのまま作戦継続は無理だと思うし
第四次北伐に関しては漢晋春秋の方がまだ信用できるだろう

610:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 21:27:26.73
怪しい文献が全部嘘ってわけじゃないからね
誇張はあるだろうけど

611:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 21:40:44.35
>>601
だから戦術的に蜀魏国境という圧倒的優位がありながら追撃戦で捕捉できない時点で
追う側の軍事能力は追われる側以下だろ

>撤退した陣営を見て天下の奇才とか褒めるくらい完璧な形での行動
>司馬懿と諸葛亮が逆でも結果は大きく変わらない

まるで逆の立場なら司馬懿が撤退戦で諸葛亮と同じ戦術を取れたみたいな言い方だなあ
それだけの能力があれば追撃戦で戦果を挙げられるはずだし、諸葛亮の行動も奇才と言えるレベルじゃないよね?
追われる側の諸葛亮が奇才レベルで司馬懿が追いついていないレベルだからこそ蜀撤退時の圧倒的優位な戦術的条件があっても追撃戦で司馬懿は戦果を挙げられなかったんじゃねえの?

それに動員戦力に差がないというのはどこを指して言ってるんだ?
せいぜい第一次北伐で蜀の方が若干多かったとあるだけでそのときの魏の司令官は曹真なんだけど
仮に同程度の動員でも自国領で戦い、蜀魏国境を背にする蜀を相手にする魏の戦術的優位は圧倒的だけどな

612:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 22:01:02.24
この司馬懿age理論の支持者は3年ぐらい前まで多かったかな
陳か田中の小説を読んで、三国志サイト読んで、ドヤ顔で議論しようとしたら、
空気が変わっているので自分のなじんだ空気にもどそうとしているのかねえ

曹真ageで、司馬懿sageの流れだから、ただ諸葛亮sageでいけなくて、
苦しい理屈をこねくり回しているしか見えないな

613:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 22:13:46.73
まあ、おそらく蜀の勝算が最も高かったのが第一次だろうからなぁ
なにせ蜀が攻めてくるなんて、魏にとっちゃ驚天動地の出来事だったわけで
おそらくあの時に涼州を制圧してしまうつもりだったはず
その重要な尖兵になぜ馬謖かとかはともかくとして、それを防いだ曹真と張郃は凄いんだよ
その後の活躍も凄いけど
第一次の次に勝算があったのは、目の上のタンコブだった曹真と張郃がいなくなって、補給の問題もだいぶ改善した第五次だろうけど、諸葛亮の寿命が尽きちゃったからねぇ
あれで司馬懿が諸葛亮に勝ったという気は全くしないな

614:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 22:19:09.39
>>613
次に勝算のある北伐は最後の北伐ではないと思うよ
むしろ第五次は最も勝算のない北伐と言ってもいい

615:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 22:19:43.70
馬謖じゃなくて王平を上に置くか、素直に魏延を使うかしてれば…
人材不足をなんとかする為に実戦経験を積ませようとしたのかね?あれは
最大の問題は派閥問題なんだろうけど

616:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 22:31:12.97
>>614
え、そうかな?
最も戦果を成したのは第四次だけどあれは兵糧問題がかなり不安定だったし、第四次で司馬懿と張郃を相手に戦果を出せたことやいくつかの反省点を踏まえて、準備万端の上で第一次以来の本気で臨んだのが第五次だと思うんだ俺は
第四次で司馬懿をボロクソに撃破したことで「こいつには勝てる」と思ったんじゃないかな諸葛亮は
しかも長年蜀漢を苦しめてきた張郃まで司馬懿のミスで死んでるし

617:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 23:12:39.64
第四次は雨が降って退却した事以外、ほぼ諸葛亮の思い通りに戦況が動いているのに対して
第五次は全くいいところがない
郭淮にも行動を読まれて侵攻を防がれているしね
戦果といえるのなんて信憑性の薄い太平御覧にあるエピソードぐらいしかないぐらいだし

618:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 23:13:40.00
第四次でもっと準備を整えてれば更に戦果をだせたかもね
スパンが短すぎる

619:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 23:16:15.29
>>616
ニセクロ氏の指摘で俺も知ったんだけど
この直後から魏は大々的に土木事業やって運河を整備して対蜀運河輸送を一気に整備してる
ただでさえ国力差で無理ゲーな状況で、さらに万全の輸送体制を整備されてしまってるので
蜀としたらもう詰んでるレベル

620:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 23:23:23.41
逆に諸葛亮撤退時も損害を与えられなかった司馬懿っていったい・・・
第4次で張?やられたからダメだったのかな?
司馬家の魏乗っ取りの戦略がまだ始まっていない以上、蜀を生かす理由がないし
司馬懿にそれなりの力があればそのまま蜀になだれ込めるレベルの前提条件が揃ってると思うけどね

621:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 23:26:41.74
>>619
それは私も知らなかった
有難う
とすると>>617さんも言うように、勝算は薄かったのかな
諸葛亮の本気度合いのようなものは第二次・第三次より感じるんだけど…
あの時期のスパンの短さは、とりあえず諸葛亮の地位回復と国内不安解消が目的だからかな
第四次が万全というほどの準備を整えず事を急いだのは、魏の対応が廻る前にやる必要があったから?

622:無名武将@お腹せっぷく
13/03/31 23:28:18.18
>>620
諸葛亮の撤退ってのは「引かざるを得ない状況に追い込まれたから撤退」ではなく
「現状を見て勝ち目の方が低い」という状況になったら即座に撤退開始するから
前述の撤退とは違うし負けての撤退じゃないから士気も装備も衰えず組織的な撤退戦が可能だしな

その分粘らないから勝ちも遠いのだが

623:無名武将@お腹せっぷく
13/04/01 01:46:29.52
>>592
赤壁で将校クラスが戦死していないというのはどうかな
魏なんて史書に1か所のみ名を残す雑号将軍がウジャウジャいるわけだし
それまでの曹操の敗戦でも将校の戦死者なんてたいして記述されないし
夷陵の戦死者の多くは呉書にしか記されないようなレベル

624:無名武将@お腹せっぷく
13/04/01 01:48:56.02
夷陵の戦死者の多くは蜀書にたくさん記載されてるだろ…

625:無名武将@お腹せっぷく
13/04/01 02:14:04.79
呉書にはもっと載ってるだろ

626:無名武将@お腹せっぷく
13/04/01 12:48:40.11
>>623
疫病という事情考えるとありえないわけではない
将校クラスになるとちゃんと水を沸かして飲むだろうし
寝る時も沼沢地や泥濘地などではないから、まず体が動く
兵卒は病気もそうだし、寝る場所も設備も悪いから疲労もある

火計によって混乱、逃走という時に真っ先に死ぬのは
動きの悪い兵、それから火で完全にパニックになる馬
これが周瑜伝に出てくる多数の被害者だと推測される
将官は真っ先に逃げ出すだろう
追撃からの逃走時も注釈によると劉備たちに捕捉されて殺されたのではなく
強行軍での移動故に大量の脱落者を出して、これが甚大な被害に繋がった

将校に被害が出ず、それでも軍に大ダメージということは
このようにありえることなんだ

627:無名武将@お腹せっぷく
13/04/01 20:27:22.69
湖北省の各所で大気汚染も勿論のこと、水質汚染も酷いみたいだ
疫病になり亡くなった人も多いみたい

628:無名武将@お腹せっぷく
13/04/02 02:27:08.51
>>611
いや、国境は守りに安く攻めにくい土地だよ
どんだけ、その地域で独立国が出来たと思ってるんだい?
それに追撃戦で補足できないように、慎重な采配を諸葛亮はしている
戦略の自由度や冒険を避けていることは魏延の不満からもわかるでしょーに

何をもって司馬懿であれば追撃戦で戦果があげられ無いと思ってるんだい?
諸葛亮でも優勢時に攻めきれず撤退することは度々だよ。
それは戦略の傾向であって避難されるものじゃない

司馬懿は、諸葛亮戦以前に実績がある。
それも神速戦術を使い見事な技術を見せている事を
もう少し評価しては?

629:無名武将@お腹せっぷく
13/04/02 02:27:52.65
>>619
かなり以前から整備してる。用意周到だと思う

630:無名武将@お腹せっぷく
13/04/02 04:07:36.77
呉書に戦死した将校の名前が載ってるようだがどうやって調べたのだろう

631:無名武将@お腹せっぷく
13/04/02 22:12:01.65
その土木事業や運河整備って曹叡のやつ?

632:無名武将@お腹せっぷく
13/04/02 22:52:49.63
曹叡すな

633:無名武将@お腹せっぷく
13/04/02 23:19:00.24
>>628
撤退は蜀魏国境を越えたところから攻めやすいのは魏だろ
というか守りやすいのは蜀魏国境の蜀側にいるときであって撤退中に守りにくいのが蜀側なのは地形見れば明らか

益州の独立国が独立を維持できたのは国境を越えて中原に出ずに守りを固めているからだろ

634:無名武将@お腹せっぷく
13/04/02 23:22:29.30
>>628
撤退は蜀魏国境を越えて魏領内から行っているわけだから蜀は守りにくく魏は攻め易い
というか守りやすいのは蜀魏国境の蜀側にいるときであって
魏領からの撤退時に守りにくいのが蜀軍なのは地形見れば明らか

だいたい益州の独立国が独立を維持できたのは国境を越えて中原に出ずに守りを固めたからだろ
魏領内での戦い(および益州への撤退)と益州引き篭もりをごっちゃにするなよ

635:無名武将@お腹せっぷく
13/04/02 23:30:40.34
曹叡はもっと評価されるべきだな

636:無名武将@お腹せっぷく
13/04/02 23:37:18.15
曹叡
知力.S
武力.E
政治.A
統率.S
魅力.S

637:無名武将@お腹せっぷく
13/04/03 01:19:09.16
曹休とかどんな感じになるのだろうか

638:無名武将@お腹せっぷく
13/04/03 01:19:22.12
曹叡だって曹操のように誰かに献策されたのじゃないの?

639:無名武将@お腹せっぷく
13/04/03 01:27:42.07
曹叡の政治がAとかあり得んだろ

640:無名武将@お腹せっぷく
13/04/03 06:56:40.31
僕の考えた武力目安
おおよその目安決めないと評価が主観的な極端なものになるよ

SS:イチロー
S:少数部隊(単騎)で大軍に突貫して功績を得げる(イチロークラス)
A:少数部隊で大軍を防ぐ(メジャークラス)
B:部隊長クラスの功績(プロ野球クラス)
C:撃剣の名手などの逸話(高校野球レベル)
D:戦争に出た事がある、弓が使える(草野球レベル)
E:戦に縁の無い(キャッチボールできるよ)
F:馬にも乗れない、肥満児とかマイナス要素(引きこもりレベル)

故に曹叡は狩りを楽しむ程度の腕前があるのだから
武力は最低でもDクラス。英才教育受けているだろうからCクラス程と見て良い

641:無名武将@お腹せっぷく
13/04/03 07:03:30.79
曹叡「いつ土木事業やるの?今でしょ!」

642:無名武将@お腹せっぷく
13/04/03 07:36:27.76
>>633,634
漢中は鶏肋。攻めるに難く、守りに易い。
だから、膠着しやすい。無理をしなければ、打開するのは至難だろう。
諸葛亮、司馬懿クラスの人間が慎重を期すれば打開は困難。
(司馬懿が撃って出なければ諸葛亮は何も出来ないし、撤退するだけ
諸葛亮が攻めなければ、司馬懿(含め他の蜀戦線の司令官)は攻め切れない)
この主張も受け入れがたいのであれば、平行線過ぎて、議論にならんと思うから
打ち切るね。

そんな土地だからこそ張魯も割拠できたし、公孫述も暴れてる

643:無名武将@お腹せっぷく
13/04/03 15:18:05.86
>>638
周りには反対されまくってなかった?

644:無名武将@お腹せっぷく
13/04/03 18:16:54.73
>>643
反対されるのは宮殿関係の増築で運河に関しては司馬孚の献策で
曹叡も「その手があったー!!!」って大喜びで採用した

645:無名武将@お腹せっぷく
13/04/06 02:36:49.70
陳寿の諸葛亮に対する軍略の評・・・
「毎年のように軍隊を動かしたのに魏への北伐が、あまり成功しなかったのは、
臨機応変の軍略は、彼の得意ではなかったからであろうか」

裴松之(「袁子」より引用)の諸葛亮に対する軍略の評・・・
「諸葛亮は軍事的な才能に優れている。諸葛亮の率いる軍は統制が取れていてしっかり行動していた。
ただ状況の変化に応じることは苦手で、だから馬謖が街亭の戦いで大敗を喫したとき、
距離的には救援できるところに駐屯していたが、撤退を決めたんだろう。」

基本に忠実で正攻法が得意、臨機応変な軍の進退は苦手といったところかな?

646:無名武将@お腹せっぷく
13/04/06 03:03:16.09
>>645
元々の資質がそうかもしれないけれど
劉備の夷陵が悪い。あれがなけりゃもう少し余裕のある軍事行動もできる
夷陵の後じゃ守銭奴になるしかない。よく兵が出せたものだと思う

647:無名武将@お腹せっぷく
13/04/06 14:45:10.71
>>646
諸葛亮の法正に対する評・・・
「法正がおれば、主上(劉備)の東征を止められただろう。もし東征を行ったとしても、今回のような大敗は必ずや避け得ただろう」
>この言葉の裏を返せば結局、自分では劉備を止めることは出来なかったし、軍略・戦略の補佐は自分一人では力不足と言っているような・・・。

対して、法正は曹操軍の内情を分析し、劉備に漢中侵攻を勧め、定軍山の戦いでは軍監として策を献じ、
黄忠に命じて夏侯淵を斬る等、劉備に的確に献策をしています。

曹操の法正に対する評・・・
「劉備があのような策を考え付く筈がない。誰かに教えられたに違いないと思っていた」
「わしは有能な人材をほぼ全て集めたが、なぜ法正のみを手に入れなかったのだろうか」

陳寿の法正に対いする評・・・
「法正は判断力に優れ、並外れた計略の所有者であった。しかし、徳性について賞賛されることは全然なかった」

法正こそが、劉備の軍師として第一人者かと思う。入蜀の際も張松と協力し、劉備に益州入りの献策をしているし。
それに比べて諸葛亮は外交では活躍しているが、軍略を用いたもので、軍師として目立った活躍はない。
諸葛亮が劉備に唱えた「天下三分の計」自体も特に独創性があるものでもない。
その前に周瑜や甘寧が「天下二分の計」を説いているし、魯粛も似たようなものを立案している。

648:無名武将@お腹せっぷく
13/04/06 15:23:16.59
>>647
独創性がないと軍師にならないという事は無いのでその論説に意味はない

649:無名武将@お腹せっぷく
13/04/06 20:37:53.96
>>646
韓国なんて国は無い
三国人といったら中国・朝鮮・台湾人
基礎知識な

650:無名武将@お腹せっぷく
13/04/06 23:31:42.09
>>647
法正が売国してくれたおかげで劉備は助かった。
劉備も諸葛亮も法を破り好き勝手ってする法正を咎める事ができない程の借りがある。
諸葛亮は所詮、劉備の見出した子飼いの臣である。
劉備に正面切って文句が言えるのは法正だけといえる。

故に夷陵を止められる可能性があったのは(趙雲等古参でも不可能)法正のみであり
夷陵において(黄権が出来なかった)作戦変更を認めさせる事ができた可能性があるのも法正だけである。
そもそも夷陵の失策は曹丕ですら指摘ができるものである。
劉備を納得させることが出来るかがキー。

漢中は黄権も同じ作戦を考えていたようだ。

結論:法正は徳性から言って軍を率いる事は出来ないので黄権>法正

651:無名武将@お腹せっぷく
13/04/06 23:42:47.05
>>647
さらに天下二分の計と同じ扱いで天下三分の計を語るのは不公平。

天下二分の計は、既に地盤のある呉をもって成立させる計である。
普遍的な策である理由として進言者が多数存在する事がわかる。

天下三分の計は、地盤を持たない劉備に天下を取らせる計である。
諸葛亮しか劉備に天下を取れる方法論を説いた人間はいない。

しかも明らかに難易度の高い三分の計が成功している。

652:無名武将@お腹せっぷく
13/04/07 00:50:28.28
>>642
で張魯と公孫述は秦嶺山脈を超えて雍州で戦い
そこで中原と河北を制する国力7倍の国と戦って無事に撤退した実績があるのかね?

そもそも秦嶺山脈を超えたところからの撤退戦が論点なのに
漢中引き篭もりを前提とした守りやすさを主張してる時点で破綻してるんだよね

653:無名武将@お腹せっぷく
13/04/07 09:48:16.85
そもそも天下三分って劉邦・項羽の間で韓信が独立するための戦略として提唱されてるし
三国時代で今更三分を提唱したからって新しいわけでもなんでもないのに
今更天下三分の新しさとか言うのは意味ないしなー

それ実行できたかどうかってことが大事

654:無名武将@お腹せっぷく
13/04/07 22:38:11.43
>>653
天下三分は、天下を三つに分けることが目的の策ではなく
あくまで天下統一の足がかりの策
であれば孔明の策は実行途中で失敗に終わったって所だな

まぁ、なんにせよ
諸葛亮は軍師に非ず、宰相の器なり
だろ

655:無名武将@お腹せっぷく
13/04/08 00:05:10.83
>>654
失敗というのはその通りだね
ただし戦略の問題か、実行段階での問題か、切り分けが難しい

俺の見解としては戦略の問題ではなく実現の段階で
失敗を積み重ねてると思うので戦略家としての諸葛亮の評価としては
最終的な統一の失敗はマイナス要因にはならないと思う
成功してたら大加点要素だけどな

656:無名武将@お腹せっぷく
13/04/08 00:17:43.70
>>652
最初に、自分は諸葛亮は軍師であり、総司令官としても1級と思っているが
撤退戦に成功した事実のみで、実績豊かな司馬懿より上と言える根拠に劣ると思っている

で、姜維、死んで無いよ。
その同じ前提で撤退戦に失敗した例をあげて貰えるか?
補給力による戦闘継続力に意味はあるけど
撤退戦に国力差に意味があるとは思えないが。
漢中あっての撤退戦ではないと思うなら、本当に平行線だと思う。
もういいんじゃね?君は撤退戦に成功したから、司馬懿より凄いで。
ハンニバルもかくや、な、感じで

>>653
韓信の独立戦力あっての戦略だよ。
名前が似てるからって戦略にテンプレートなんて無い。
韓信が兵権を受け取って遊軍として討伐戦自体が独立の為の策だったなら
諸葛亮の三分の計と似てるかもね。

>>654
足がかりにはしたじゃないか、ちゃんと。天下の奇策と言われてるだけあると思うんだけどね
軍師将軍から始まってる諸葛亮が軍師じゃないと、誰を軍師と言ってよろしいやら。
軍師の定義にもよるのかもしれないけれど
張良とか、房玄齢、杜如晦は軍師だと思うんよ。宰相でくくってしまうのはどうなん?とは思う
これは張昭にも言える。張昭は間違いなく孫策の軍師だと思ってるんよ

657:無名武将@お腹せっぷく
13/04/08 00:37:01.92
>>653
名前が似てるだけじゃないけどな
韓信、諸葛亮の天下三分の計はどちらも最大勢力に第二勢力を倒させないで
時間稼ぐってところまでは一緒だし

韓信のはそこから独立を、諸葛亮のはそこから統一を目指すところは違うという点はあるけど
三国時代特有の戦略ってわけじゃなくて前例はあるってことだよ

658:無名武将@お腹せっぷく
13/04/08 01:37:03.96
>>648
>>651
「諸葛亮しか劉備に天下を取れる方法論を説いた人間はいない。」
>>>
諸葛亮はその方法論を具体化する事が出来ていないのでは?
最終的に劉備に益州を取ることを決心させたのはホウ統であり諸葛亮ではない。
また入蜀に際してはホウ統が劉備に同行しており、諸葛亮は荊州の留守を守り、別ルートからの入蜀であった。
劉備はホウ統の策略を用いて、白水関を守る劉璋の武将である楊懐と高沛を呼びつけて騙し討ちし、白水関を占領し、
入蜀を果たしている。
実行段階において、諸葛亮は具体的な段取りをしていないよね?
戦略家であるならば、益州を取る具体的な策も献策するのが軍師かと思うがどうだろう?

659:無名武将@お腹せっぷく
13/04/08 07:41:44.59
>>658
魯粛を批判する孫権と同じ事をお前は今やってるんだが気付いてるか?
具体策なんてその都度考えるもんだぞ

660:無名武将@お腹せっぷく
13/04/08 07:56:41.33
有吉

661:無名武将@お腹せっぷく
13/04/08 19:08:45.11
>>659
正史を根拠に話をしているんだよね?
魯粛を批判する孫権とは具体的に何処の箇所を言っているのかな?
正史にそんな箇所が記載されているか?
すまんが、俺は知らんよw

662:無名武将@お腹せっぷく
13/04/08 19:45:17.47
孫権と陸遜の歴代都督に関する対話って超有名だと思ってたのは俺だけなの

663:無名武将@お腹せっぷく
13/04/08 19:56:16.70
偉そうに草生やして煽りにくるようなやつはスルー推奨

664:無名武将@お腹せっぷく
13/04/08 20:26:17.05
曹操
統70武100知80政85魅90
曹丕
統80武50知70政85魅60
曹叡
統80武?知85政60魅85
劉備
統70武85知80政75魅95
孫権
統85武55知75政80魅75
袁紹
統70武80知70政90魅95

>>1基準

665:無名武将@お腹せっぷく
13/04/09 00:24:44.42
>>656
根拠に劣る?日本語の使い方がまずおかしいなあ
Googleの一致検索で君のレスが一番上に出てくるほかは個人ブログでしか使われてないぞ

ちなみに諸葛亮の北伐対司馬戦は撤退に成功したのみじゃなくて4次北伐で勝利してるがなあ
というか自国領で背後に秦嶺山脈を控える小国相手に戦術的勝利すら収められない時点でダメだろ
231年までの諸葛亮の苦戦振りと比較すると明らかに曹真以下

撤退戦だったらまさに姜維が沓中からの撤退中に漢中を失陥してるけどね
地図を見れば一目瞭然だが沓中は漢中の北西、下弁、陰平、陽平よりも北に突き出ていて
漢中周辺の要害から離れている

君の理屈では漢中を出ても守りやすいという理屈になるんだろうけどねwwwwww

666:無名武将@お腹せっぷく
13/04/09 01:23:44.99
>>657
まぁ取り敢えず、自分は戦略にテンプレートは存在しないと思っているのでな。
戦術にはテンプレートはある程度存在するけれど、故に戦略は自由なんだけど。

>>658
戦略を高く評価したからこその大抜擢、側近において意見を聞くわけだから
具体化はしているのでは?と思う。これも個人の感想かもしれないが。
戦略は三分の計、戦術は区々における前線参謀の謀略と捉えるべきでは?
周喩、荀彧などを見ればわかるけれど基本的にNo2が地盤を守り、No1が兵を率いて総力戦をする。
もしくはNo2が外に出るときはNo1が地盤を固める。
二人同時に出る事は余程だと思うよ。

>>665
綺麗な日本語の指摘誠にありがとう。
漢中という拠点があることは山嶺山脈を超えての戦いも、撤退戦の有利も確保されていると思っているよ。
秦嶺山脈を超えて撤退戦であれ、そういや曹操もやってるね。
曹真は君の大好きな国力7倍を活かして大規模攻勢に出て失敗してるからなぁ。
雨のせいだからノーカン?
王双も殺されたり、二郡が落とされたりと、曹真も一進一退に思うけれど
司馬懿時代は、その隙すらないように思うけれど、どうなん?

667:無名武将@お腹せっぷく
13/04/09 02:25:41.70
>>664
なんか突っ込み所が一杯

668:無名武将@お腹せっぷく
13/04/09 02:55:36.62
>>666
戦略のがテンプレ存在してると思うよ
戦術は非常にミクロな物だからその場その場の状況こそ最も重視されるものだと思うけど
戦略に関しては例えば地形やその地形に拘束される人の移動手段などが変わらない限り
基本的にはそれ程大きく変わるもんじゃないから、形があって後はそこからどう選ぶか、ということになるだろう
外交状況とか様々なファンダメンタルがあるからその複合によっていくらでも状況は変化するので
常に同一の状況が存在しないというのは戦術と一緒だがね

669:無名武将@お腹せっぷく
13/04/09 07:04:11.32
漢中が防衛しやすい土地であるばあるほど漢中への撤退は大変なような気がしないでもない
追う側のほうが追われる側より楽なのは言わずもがなだし

とはいえ司馬懿が追撃戦をどこまで考えていたかも疑問があるけどね
敵の指揮官は勝手に死んでるし、蜀に人材が居ないのも知ってるだろうし
だからこそ追撃!なのか、最低限はやったし、まぁいいか なのかは微妙じゃない?
死人に一本取られた直後でもあるわけで

なんとも雑記になってしまった

670:無名武将@お腹せっぷく
13/04/09 09:53:12.66
司馬懿あたりは自軍閥以外に人送り込んで足引っ張ってそう

671:無名武将@お腹せっぷく
13/04/09 23:10:14.57
>>666
>国力7倍を活かして大規模攻勢

だから漢中「引き篭もり」は蜀優位と言ってるがな
蜀から見て秦嶺山脈をタテに守る(曹真の遠征)は蜀有利
蜀から見て秦嶺山脈を超えて攻める(北伐)は蜀の撤退時において魏有利
ただそれだけのことを繰り返してるだけなんだがなあ
君のはなんの反論にもなっていないと思うけど???

司馬懿時代は食料難で蜀が買ってに撤退しただけで戦術的に負けてるし
ついでに追撃させて宿将が死んでしまったけどねえ

672:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 00:31:48.05
>>667
一個一個突っ込んであげなよ!

>>668
戦略戦術は個人により想定が違うのでなんとも言えないけれど
目的を達成する方法論と実践論の違いなわけだから
戦略は大胆自由に、戦術は繊細慎重にが基本じゃないかな。
だから目的(劉備が天下を伺う等)が違うので、同じ戦略にはならない。
と、思うよ

>>669
司馬懿は電撃戦が得意だから、諸葛亮に対しても撤退戦において
電撃戦を展開したが、失敗した。そこから諸葛亮を研究しなおして、慎重策になったね

>>671
雨じゃなくて?雨が降らないとどうだったんだろうね。自信のある作戦みたいだったし。
ゆーても曹真さんも荊州でも朱然を抜けなかったり、王双撃たれたりしてるんだよね。
司馬懿時代は完全に余力を残しての撤退。この状態で追撃戦は難しいと思うよ。
余力を持って撤退している部隊の後方基地がしっかりしている険しい土地を追撃ってるすかねぇ
つか、秦嶺山脈のせいで追撃が成功した例ってあるの?

諸葛亮が華麗な撤退戦した一事を持って司馬懿が無能呼ばわりされているのを
秦嶺山脈はアルプス山脈じゃぁ無いよ。司馬懿の電撃戦ってかなり凄いよ!舐めすぎ。
って言ってるだけだよ。

673:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 11:17:17.92
>>672
第三次北伐の時の司馬懿はとても名将とは言えない采配だからなあ
ことごとく張コウの進言と逆やって、あげく追撃に反対した張コウに追撃させて戦死
西部方面軍での自分の指揮権を確立したかったのかも知れないが、ちょっと頂けない

あと、正始政変の時の手段の選ばなさっぷりは八王の乱まで響くレベル
皇帝の勅ではなく、事後に皇太后の勅で孤託の臣の相方を殺して賞賛されるなんてことやったら、
その後追随者が多発するに決まってる

王リョウ・カン丘倹・鍾会・司馬倫とか「権力者が駄目だと思ったらクーデター」という模倣者多数
(司馬太傳or宣帝に続け!)

王基と鄧艾の独断専行も司馬懿の影響があるだろうし、
中央で高官にすると手段を選ばなさすぎて国が乱れるタイプ

統率か知力かは解釈が分かれるが、手段を選んでクーデターを起こさせなかった諸葛亮より低くなるだろうな

674:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 11:24:55.21
作戦目標達成してたら追撃戦はオマケ
安全策に徹する場合、普通やらない

675:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 11:27:59.10
>>674
それで反対押し切って、反対した当の本人に追撃させて戦死させてるのが第三次北伐の時の司馬懿

676:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 11:35:25.13
ごめん、第三次と書いたが一般的には第四次北伐か

677:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 15:44:58.11
魏の勝利条件は諸葛亮を倒すことであって、蜀軍を追い詰めることではないから追撃なんてやる必要ないし

678:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 15:51:33.75
どこからそんな勝利条件が出てきたのか詳しく

679:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 16:04:00.27
>>677
では何故張コウの反対を押し切って司馬懿が張コウに追撃させたのか説明して欲しいのだが

680:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 16:18:53.18
自国の都合、人材、自身の身体の都合を考慮すると
電撃戦以外を選べない諸葛亮が相手ならばそれを阻止した時点で一定の戦果と言えなくもないからなぁ
追撃戦が必須事項ならば張郃も反対しないのでは?とも思うがどうなんだろうね

681:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 16:30:22.62
>>680
まず、追撃戦が必須事項とか考え方がおかしい

追撃戦は戦果拡大の大きなチャンスではあるが、
敵に備えがある場合には損害と戦果が釣り合わない可能性があるので行うべきではない
張コウが反対したのは戦術上の観点から(この方面での戦歴は張コウの方が長い)
追撃をするべきではない局面でベテランの指揮官の反対を押し切って追撃させた司馬懿の戦術能力に問題あり

(さらにこれが原因で五丈原ではわざわざ剛直な辛ピが諸将の統制のために勅命を持って送られた
 つまり、司馬懿単独では軍を統率するのに問題が出た)

諸葛亮が電撃戦以外を選べないというのも誤り
そもそも軍事的には「電撃戦」は「Blitzkrieg」の訳語であって、短期決戦の意味ではない

諸葛亮は「拠点攻略」と「魏野戦軍の撃滅」のどちらかを達成すべく、その都度戦術目的を変えていた

第一次北伐で魏延案を退けたのは、
長安を少数の兵で確保したとしても洛陽周辺の内軍・曹真率いる西部方面軍
・司馬懿率いる荊州方面軍の増援に袋にされる危険性が大きかったから
(三分の計では荊州方面軍に対応する兵力が不可欠)

682:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 16:40:20.72
五丈原で司馬懿が追撃しなかったのは、
一度追撃に失敗して張コウを死なせている以上、
次も追撃に失敗したらこの方面の指揮官として終わりだから

張コウの死に関しては明帝や陳羣もその死を哀惜した程の失態
(辛ピが弱気な発言過ぎるとして諫めた程)

辛ピが陣中に送られたのはこの一件が関係していると思う
諸将を統制するのにそれだけの人材と勅命が必要だった

そして、勅命が「守って出るな」である以上、追撃して失敗したら司馬懿は終わり

683:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 17:02:00.03
>>681
ちゃんと読めばわかるが、俺は
四次及び五次の話をしている
追撃戦が必須事項であるとは言っていない
んだけどなぁ
電撃戦についてだが別に間違ってないぞ?
広義ではだけどね
高い機動力で速やかにという意味ではあっているだろう

全部説明せんとイカンのか?

684:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 17:07:05.81
>>683
広義でも「電撃戦」は近代の機甲戦術を指す
少なくとも、三国志関係の研究書・近代より前を扱った研究書で「電撃戦」という用語を使っている書籍は、
自分の知る限り一冊もない

あるというなら具体的に書名を上げて引用してくれ

つか、三国志の蜀軍で「高い機動力で速やかに」なんて不可能
魏の夏侯淵レベルの行軍すらあの地域じゃ無理

こういう大前提の知識しか無いから一から諸葛亮の戦術を説明してやらないと話にならない

反論があるなら書籍を上げて具体的に説明してくれ、全部な
君の言うことは全く見当外れで一つも信用出来ないので、ソース明記でな

685:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 17:58:23.25
>>684
あなたの「軍事的に」に対する答えだろうとは考えられないの?
あなたの意見は電撃戦の意味を間違えてる だったろうに何故論点をずらすんだ?

そもそも三国の時代に使わた形跡のない用語は使うなとでもいうのか?馬鹿馬鹿しい
俺の意見を間違えて解釈されても困るから訂正しただけで
なぜそんなに暴れてるのかがわからんよ

冷静になりなよ としか言えんわ

四次及び五次はチンタラやってる余裕が蜀にはなかった
これも違うかい?簡単にいえばこう言ってるんだけど

686:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 18:10:02.38
>>685
論点なんか一つもずらしていないが
そもそも「電撃戦」という言葉の使い方が間違っている
三国時代の戦闘の分析には不適切な用語である
そういった基本知識も無いのに噛みついてくるのが滑稽なだけだ

>そもそも三国の時代に使わた形跡のない用語は使うなとでもいうのか?馬鹿馬鹿しい

三国志の分析に近代戦の用語を使うのは間違いだし、
それを認めないのは本物の馬鹿で恥知らずというだけだな

>四次及び五次はチンタラやってる余裕が蜀にはなかった
>これも違うかい?簡単にいえばこう言ってるんだけど

五丈原の蜀側の戦術方針(屯田含む)が早期決戦とか機動戦だと評価してる研究書も一冊も見たことはないな
単なる君の妄想だろう
違うというならきちんとしたソース(研究書)を引用したまえ

基本的な知識も持たず、用語を誤用して、指摘されても開き直る低脳の恥知らずに、
きちんとした引用ができるかはわからないがね

687:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 18:33:44.06
このスレの司馬懿推しは知識足りないくせに持論を押し通そうとするから話にならないよ。
大方田中芳樹とかの受け売りで語ってるんでしょ。

688:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 18:43:05.21
>>687
本当に驚く程自分の非を認めないのがね

「電撃戦」なんて的外れな用語使われても、機動戦のことを指すのか早期決戦の事を指すのか、
衝撃力のある兵科による中枢指揮系への攻撃と迂回による主戦力の無力化を指すのかさっぱりわからないw

主戦力を少数兵力で拘置しての拠点攻略(後方拠点となりうる二郡の確保)
主戦力が出てこないうちの陳倉道確保及び陽動
陽動を受けて別働隊による側面の二郡確保
刈田を行っての敵主力の誘因と撃破
囮を使っての決戦の強要

どの北伐でも機動戦は行ってない筈なんだがw
基本的に堅陣と装備に依って敵野戦軍を撃破するか、敵主力を拘置しておいて拠点を攻略するか、
だから諸葛亮と機動戦は相性が悪いのは正史読めばわかるはずなんだがなあ

689:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 19:07:57.19
えっとだな
基本的なことなんだが
俺の意見が間違えてない!といってるんじゃないのはいいかい?

俺の意見が間違いならそれでいいが、意味を勘違いされたくない とだけ言ってるんだよ
まぁ間違った伝わり方をする用語を使った俺がわるいんだが

諸葛亮が急いでいたっていうのは俺の勘違いなんだろう、すまんね

とはいえ用語については伝わり易さを考えれば現代用語でもいいと思うけどね
厳密さを要求される場でもないんだし
誤用はNGとして

ちなみに司馬懿アゲじゃないよ俺は

690:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 20:02:57.10
>>689
>諸葛亮が急いでいた

>電撃戦以外を選べない諸葛亮

……全く日本語として別の意味ですがw

「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり」

将帥で短期決戦を目指さない将帥は孫子を読んでない馬鹿だけが、
その上で諸葛亮は兵站に不安があるのにもかかわらず、有利な状況での野戦に拘った
そのためには致命的な長対陣も辞さなかった

でなければ健康に不安を抱えて百日も敵地で対陣するわけがない
不利になったらさっさと退くのが諸葛亮なのに

>ちなみに司馬懿アゲじゃないよ俺は

このスレで間違った意味で「電撃戦」という言葉を使ってる人が複数いると?w

最後まで見苦しい言い訳だけで、結局一つもソースを出せなかったね
このスレに書き込む前にもう少し勉強しておいで
自分の愚かさPRして恥の上塗りすることもない

691:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 21:13:57.74
わかったわかった悪かったよ
俺の日本語が変だったから要らんレスをさせたね
蜀が屯田したのも、実際に何ヶ月もにらめっこ状態だったのも知ってるよ
それを踏まえた上で、実際の布陣はともかく余裕の無い蜀側は急いで成果を出して、特に国内を納得?させる必要があったんじゃないか?
と考えてのレスだったんだよ
実際にじっくりやったとしてもそれを望んでやったのかなぁ?位のレスのつもりだったんだ
電撃戦についても、ニュアンスで伝わりゃいいっていうのは思慮が浅かったね反省するよ

重ね重ねすまんかったね説明不足+変な日本語で不愉快な思いをさせてしまって
こんなんじゃ説明しなきゃ伝わらんわなw
ごめんよ

692:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 21:27:33.74
電撃戦以外を選べない諸葛亮って言わないで電撃的な勝利が望ましい諸葛亮ならまだ話通じるんだけどね

693:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 22:30:37.40
第5次北伐当時の諸葛亮は、電撃的な成果で国内を納得させる必要はあったの
だろうか?
わざわざ三年もかけて準備して一説には10万もの大軍を整え、
それを養う為の大量の兵糧を集積し、さらには屯田兵まで準備して長期戦の
備えをこれでもか、と用意してる諸葛亮が、
「急いで成果を出して国内を納得させる必要」とやらが
あったのだろうか?
既に第三次北伐の成果と第2次北伐の殿戦の勝利で丞相復位が認められ
第4次北伐では戦闘では悉く勝利して、内容的には勝利
第5次で特にいそがにゃならない理由があったとは思えないけどなあ

694:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 22:38:30.81
>>693
前年までに魏が運河整備してるところに攻め込んでるから
最期の北伐こそ最も急ぎたい北伐だった罠

695:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 22:52:38.89
>>694ついでに>>619にある「第4次北伐直後にはもう蜀は詰んでるレベル」
これはとてもそうとは思えないけどなあ
漢中にはこれ以前には曹操、曹真、が攻め込んでるけど
いずれも大軍で攻め込んでるし、諸葛亮死亡後には曹爽がこれまた大軍で
攻め込んでる。それらを蜀が普通に撃退してるのも同様。
さらには諸葛亮死亡後には廖化が出撃してカクワイを各個撃破戦術で
見事に大破したり、
姜維の度々の侵攻によって魏側に兵力が度々不足したり、と
魏側にそんな「蜀を詰みに追い込んでると言えるだけの優位」があるとは
とてもとても。
結局魏が蜀を滅ぼすのだって諸葛亮死亡後から三十年近くたった後だし、
この時ですら魏主力軍は蜀主力軍を破れず、鄧艾が冒険的奇襲策を使って
蜀国内まで侵入し、にも関わらず敗北して部下達が「勝てません」と
言い出したのを叱咤激励して薄氷の勝利を収めた、って感じで
どこに「蜀が詰んでる状態」があるのかと。

696:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 23:01:35.04
>>695
詰んでる
姜維があれだけ大々的に勝利したって結局事態は何も打開できなかったし
「誰某が戦術的に勝ってる」って君は言うけどそれは逆に戦術レベルでしか勝てないってこと
そして戦術レベルで勝っても戦略レベルに繋がらないってことで
もう詰んでる

697:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 23:08:55.55
>>696
んな阿呆な
姜維は大々的に勝利した、とやら言ってるけど
それ以上に大々的に敗北してるじゃないか。
段谷は文字通り夷陵レベルの壊滅的大敗。
段谷じゃあ、魏側の方が「兵力が足りない!どうすりゃいいんだ!」的な
状態で、お前さんの言うところの「戦略レベルで動揺してる状況」
んで、これは姜維が共同軍として別方向から進撃させていたコサイが
「予定していた決戦の期日に到着できなかった」という甚だ蜀側の不運としか
言えない状態。この段谷ですら、諸葛亮第4次北伐から三十年近くたって
からの事だぜ?一体どこに蜀が詰んでる状況があるんだよ。
なんというか、的外れな結果論で無理やり「蜀は詰んでる!」としないと
心の平衡が保てないのかと不思議になるわ。

698:無名武将@お腹せっぷく
13/04/11 23:10:50.88
>>696
姜維が大々的に勝利したってどの戦いの事?
段谷の戦いで鄧艾に大敗してるけど?
諸葛亮と違って負けばかりだよ。

699:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 00:35:44.20
>>698
えーと王経さんって知ってる?
この人、姜維に徹底的に打ち破られて万単位の損害出してるんだ

蜀だったら後年姜維が段谷で万に満たない程度の損害を出してから一気に窮乏するのだけども、
魏は数万の被害出しても同じ方面にいる軍が救援送ればもう何とかなってしまう
諸葛亮没後から30年経過の時点でも司馬懿・孚の整えた輸送体制は完全に機能してる

諸葛亮の最期の北伐の前年にはこの運河も
それから運河で輸送する食糧を作る生産体制も整備されてしまってて
ここで詰んでる

700:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 00:45:57.47
>>699
だーから詰んでねーって
段谷の損害は一応、万を超える損害だったそうだぞ
んで、これのもっと大きな損害としては将を2桁で失った事が問題だろ
んで、この戦いの直前にはお前さんのいう所の姜維が与えた損害で
段谷の時には魏側は「兵力が足りない!」的なパニック状態。
「もう何とかなってしまう」とかいう余裕状態じゃとてもない。
というか、この言い方でいうなら姜維が漢中防衛軍に手を付けて
北伐軍にしちゃったのも「同じ方面にいる軍を送ればなんとなかる」という
わけで大した損害じゃないとかいう話になっちまう。詭弁もいいとこ。

「完全に機能してる!」なんてえばった所で、段谷前後には兵力足りなくて
パニック状態、最後の蜀攻撃の時だって国内に侵入できずに、鄧艾の猛勇が
薄氷のラインをなんとか乗り越えた、というギリギリの勝利。
どっからどう見ても詰んでるわけねーじゃん。
完全に機能しててこれとかどんだけしょぼいんだよ、それ。

それから諸葛亮北伐に関しちゃ何が言いたいのか意味不明。
別に諸葛亮は魏軍を食糧切れにして勝ちたいわけじゃなかったろ。
あくまで自軍が長期滞在したいが為の補給体制・屯田体制の完備だった訳で
自国領内にいる魏軍が兵糧切れになるとか諸葛亮が期待してるわけないだろ

701:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 01:16:52.69
>>700
そりゃあ数万人死ねば大損害だけど、それで国が傾く損害にならないのが魏
方面軍内の兵力の移動だけで何とかなったしな
でも1万で国が傾くのが蜀

この圧倒的な国力差が輸送によってモロに生じるようになった時点で蜀は詰みでしょ
諸葛亮の北伐末期にはこの輸送体制が整うから
実は諸葛亮の時点で蜀は詰んでた

これは個々人の能力の差とかじゃなくて無常なまでの国力の差だよ

702:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 01:32:49.16
>>701
いや、だから
段谷では将の損害のが大きいし、
その段谷の時点じゃ魏の方が「兵力足りない!」と喚いてる状態で
どこが圧倒的な国力差なんだよ
さらに言えば、「諸葛亮の時点で詰んでた!」と喚いてるけど
現実には司馬懿は諸葛亮を撃破できなかったし、
廖化はカクワイを各個撃破で破ってるし、
曹爽は漢中に攻め込んで蜀軍の防御崩せずに食糧も足りなくなって
そこを蜀の援軍にも駆けつけられて総崩れ、
姜維時代にも蜀軍は何度も魏に攻撃を仕掛けまくって勝利もしてる、
魏側も魏側で一回大敗すれば兵力足りないと大騒ぎ、
しかも、これ諸葛亮時代から三十年近くたった後のお話。
最後の蜀攻撃戦の時も魏主力軍は蜀主力軍の防御を崩せずに撤退を検討する始末
どこにその「圧倒的な国力差がモロに生じてる」なんて現象が起きてんのよ。
ぶっちゃけ、お前さんの妄想以外に、史実としてはそれを表す現象が
まったく起きてないわけよ。
しかも、これらの事は何度も指摘されてんのに、九官鳥みたいに同じ事を
繰り返してるだけだし、ぶっちゃけ実態となる事象がないから抽象論で
ごまかしてるだけだろ。
否定されてる事を抽象論で何度も繰り返すな、ってよく言われないか?お前さん

703:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 01:38:33.98
>>702
動員かけて最大で20万くらいの魏で数万の損害出れば兵力足りなくなるのは当然
ただ、そうなっても国軍崩壊とかしてないのが魏の底力
そして魏はそれを生かすインフラが整備されてた
このインフラが整備された時点で蜀はもう詰んでる

史実では起きてないというのはお前さんが何も見えてない証拠
数万人の損害出して兵力不足だーってパニック起こすだけで済んでる時点で異常だぞ?

704:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 01:49:32.43
>>703
あー、その理屈でいうなら
蜀軍も滅亡時点で10万以上兵力いたからへっちゃらだな、って理屈だな

その圧倒的大国がインフラ整備されても三十年にわたって蜀が勝ちまくり、
防衛戦で勝って大歓喜、とか言ってて情けなくならないのか、お前。
もしくは自分の言ってることに「あれ?おかしくね?
圧倒的な大国でインフラも整備されたはずなのにこれだけ負ける魏って弱くね?」
という考えに至らないとか、矛盾に気が付かないとか凄すぎるだろ

だーかーら、そういう抽象論はいいから具体的に示せ。
インフラ整備されて何が変わったんだ?どういうすんばらしいメリットに
よって魏がそれまでと全く変わらず蜀に攻められ続け、何度も敗北し、
攻め込んでは撃退され、という事象を30年にわたって繰り返す事に
なったんだ?全然役にたってねーじゃん、少なくともお前の言うような意味では。

ああ、その理屈なら蜀も滅亡時に10万もの兵力を持ってたから
あれだけの大敗しても10万もの兵力もってて異常、ってわけだな。
ていうか、魏側は兵力不足で乾坤一擲の賭けでまとまって打って出て
段谷で蜀軍を迎撃する事にしたんだけど、鄧艾の英断も猛勇もお前の中じゃ
意味不明なんだろうな。っていうか、いい加減何度も同じ事抽象論で
繰り返すのやめろっていってんだろ。
いいから具体的に事象を示せ、事象を。

705:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 01:57:42.01
>>673
どちらかと言うと諸葛亮を舐めてたと思う。ただの戦下手と。
過去戦績からも電撃戦の有効性を信じてた司馬懿と
現場から諸葛亮が一級品の指揮官と感じてた張?と溝があったように思う。
諸葛亮を認めてからは、極端までに戦術思想を変えて対応してるし。

正始政変の時の手段の選ばなさっぷりは、追い詰められっぷりだとも思うが
全件代理人に居た諸葛亮と比べるのはアンフェアな気がする。
つか、曹丕か曹叡がもう少し長生きしたら、こんな方向には進まなかった気がする。
魏の忠臣で終わってたんじゃないかなぁ。

>>687
自分へのレスじゃないけど田中芳樹って司馬懿押ししてたっけ?

>>688
これも自分へのレスではないけれど
電撃戦が出来ないのではなく、博打を行う余力が無かった、が正しいのでは?
魏延は電撃戦をやりたがってたみたいだし。

電撃戦の定義とかは、自分は加わりたくないのでノーコメント
明らかにパールだろ?と思うものでも、数%違う可能性があるから
「パールのようなもの」としなくてはならない!って感じの議論は、大変すぎる

706:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:05:42.22
>>705
自分宛のレスじゃなくて横レスで悪いのだけど
>魏延は電撃戦をやりたがってたみたいだし
これは魏側の魏略にしかない記述であって
しかも長安の大将が戦わずに逃亡してくれる、という前提の無理無理案。
蜀側の魏延伝では「一万の兵を率いて別働隊になり、韓信の故事を再現し
その後諸葛亮本隊と合流したい」というそれなりに無理のない献策してる。
これをもって電撃戦というのはかなーり無理かと思う

707:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:05:56.14
>>704
魏は守備兵込みじゃなくて遠征で20万
動かせる兵が20万というのと守備兵含めた全軍で10万ってのはまるで違うよ

そも「それまでと変わらず蜀に攻められ続け」たという事実が存在しないでしょ
全然役に立たないというのも間違い
辺境にあまり駐屯軍を置けず長安などに大軍置いて必要に応じて軍を出してた頃に比べると
各地にまとまった数置いとけるようになった時期では蜀の侵攻ルートもかなり制限されたものになってる

708:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:07:42.81
>>702
圧倒的な国力差がモロに出るのは長安とその西側の話
そこの整備をしたという話だしね

蜀侵攻戦では出るわけねーじゃん
インフラを蜀の国内にまで魏が伸ばせると思ってる?
ちょっとおかしいよ

709:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:08:06.26
国力差があっても、戦力を前線に反映されるってのは難しいよね

710:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:17:45.70
>>707
ああ、んでその20万動かせる大魏帝国様は無様に蜀に何度も敗北し
最後に蜀を攻撃した時も主力では勝てず、撤退を検討する状況でギリギリでした、
という話になって、全然お前さんの理想とする「圧倒的な大国」とやらの姿が
見えてこないんですが

事実が存在してるだろ。諸葛亮の北伐は普通に行われてて司馬懿は最後まで
これを撃破できなかったし、廖化は単独でカクワイを破ってるし、
姜維は普通に何度も蜀から出て魏に攻め込んで勝利したりしてる
蜀の侵攻ルートが制限された?どこの世界の話よ。
諸葛亮北伐、廖化出撃、姜維北伐、それらを総合して見りゃ、
蜀が侵攻したルートはいける限りのルートを網羅してるだろ。
んで、実際の戦場レベルではお前さんの願望と違って
魏は全然兵力に余裕があるようには見えないどころか、
一回大敗したら兵力足りないと大騒ぎ、鄧艾が乾坤一擲の気構えで段谷に
まとめて打って出て、姜維側が半軍が到着しなかったという僥倖に乗じて
総攻撃して大破、明らかに鄧艾の将器と猛勇が引き寄せた勝利であって、
お前さんの言ってるインフラとやら全然役に立ってないだろ、少なくとも
お前さんの言うような意味じゃ。
しかもくどいようだけど、これ三十年後だからな。諸葛亮の第4次北伐から。
この時点ですら、蜀と魏の戦線は一回の大敗でお互いの防衛網が緊迫する、
というギリギリのラインでやりあってるわけで、最後の蜀攻撃も結局は
成功させたのは鄧艾の将器と猛勇であって、お前さんの願望とは全然違って
明らかに薄氷の勝利なんですが。

711:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:23:43.88
>>708
お前の解釈の方が頭おかしいよ

長安と西側の整備したんだろ?
「インフラ整って諸葛亮時代に詰んだ!(キリリ)」とかいうわけだろ?
んで実際の結果としては長安の西側で魏の防衛ラインは蜀に何度も
打ち破られたり、防衛に徹してお引き取りねがったり、の繰り返しで
全然優位に立ててねーじゃん
さらに言うと、諸葛亮第4次北伐から30年近くたった段谷の時点でも
前年の大敗で「兵力足りない!」というパニック状態で
乾坤一擲の賭けに出る有様。どこに圧倒的な優位が出てんだよ。
抽象論ばっかで具体的な成果も事象も全然出てきてねーじゃんかよ。
いい加減にしろよ。さっさと具体的な成果や事象だして説明しろよ。

712:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:24:49.10
>>710
諸葛亮の北伐は普通に行われてるというのは間違い
実は最後の北伐はそれ以前の北伐とは全く違ってて
積極果敢に土地を削りに行かず、睨み合いから決定機を狙う戦いにシフトしてる

それから侵攻ルート全然違う
全体的に西方向に攻め込んでるし、局地戦で蜀が勝つことはあっても
魏領の東側に深く侵攻してない

713:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:25:29.11
>>711
防衛ラインが打ち破られた?
どこまで攻め込まれたっけ?

714:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:31:45.22
>>712
お前何言ってんの?
諸葛亮が最後に布陣した五丈原は、それまでの侵攻ルートから見れば
明らかに東側に深く進攻してるぞ
地図見てんのか?それまで諸葛亮が侵攻してた西側の天水方面じゃなくて
最後の北伐はそれらを無視して、一気に長安方面に近い五丈原に進出して
そこから決戦を行って長安を狙う、という非常に攻撃的なルートだぞ
ここで決戦して勝利すれば、文字通り長安めがけて一気に突っ込める、という
感じであって、第4次北伐で戦闘内容自体では悉く蜀軍が勝利した、という
事実を鑑みて三年の準備の末に整えた大軍でもって、一気に決戦を狙った、
という感じに見えるけど
少なくとも、お前さんの願望と違って、明らかに天水からずーっと東側で
長安に近いルートだよ

715:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:35:37.69
>>713
廖化にカクワイが2軍で向かって2軍を一瞬で撃破されたり
姜維に何度も踏み込まれたり、
段谷当時じゃ、「兵力足りない!乾坤一擲でまとまって打って出るしかない!」
的な感じになってるよ

ていうか、こっちが聞いてる他の事柄はどうしたんだ?
困ったからって突っ込めそうな所だけ質問返しするな、って
よく言われるだろ、お前
速く答えろよ。

716:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:38:35.18
>>714
諸葛亮のそのケースは東に攻め込んだ代わりに北側に進めてない
他の人は東に進めなかった

それから君の主張だと蜀の攻撃によって魏の防衛線は打ち破られてしまったそうだが
具体的に誰が何時どこを攻めたのか教えてほしいね
自分で俺を散々抽象的だと言うからには即座に具体的に示せるんだろう?

717:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:39:40.56
>>715
場所が書いてないけどどこの話してるの?

718:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:42:11.39
>>716
最初にお前は西側ったろ
それについての釈明はどうしたんだよ?
北側に進んでどうすんだよ、長安通り過ぎて異民族の居住地にでも向かうのか?

答えてもいいが、それ以前にお前が最初に言い出した、
インフラによる具体的な成果と事象を示してからの話だな。
この問題を答えられなかったから突っ込めそうなとこだけ選んで
質問返して有耶無耶にしようとしてるんだろうけど、
そうは問屋がおろさんのでね
ほれ、はよしいや

719:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:43:19.61
>>717
最初にこっちが聞いてる質問に早く答えてね
そうやって都合悪くなったら突っ込めそうな所にだけ
質問返し繰り返せば逃げられると思わないでね?

720:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:46:23.46
>>718
そりゃ他の人念頭に話してるからだよ
諸葛亮だけの話してるわけじゃないから総体として多い方の事を書くでしょ

北行ってどうするというけど長安目指して進んでたらしき五丈原の戦いで
そこで止められて北進できなかったというのは結局攻め込めなかったという話しだし

721:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:48:19.67
>>719
答えたから君も答えてよ

俺の質問は2点
・君が打ち破られたとする魏の防衛線の位置はどこ?
・「何度も」というけどそれは何時と何時と何時と何時?

722:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:52:44.76
>>720
おいおい、お前は>>712でしっかりと
>諸葛亮の北伐は普通に行われてるというのは間違い
>実は最後の北伐はそれ以前の北伐とは全く違ってて
>積極果敢に土地を削りに行かず、睨み合いから決定機を狙う戦いにシフトしてる
>それから侵攻ルート全然違う
>全体的に西方向に攻め込んでるし、局地戦で蜀が勝つことはあっても
>魏領の東側に深く侵攻してない

とか言ってて明らかに諸葛亮最後の北伐を西よりだと勘違いしてるだろうが
それに対する釈明はどうしたんだ?っていってるんだよ
さらには他の事にも全然答えてもらってないぞ

あのなあ、五丈原から北行ってどうすんだよ
五丈原から長安は地図上で見ればほぼまっすぐ東だろうが
地理感覚すら滅茶苦茶なのかよ
お前、一体何をもとにして語ってんだよ

723:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:54:34.99
>>721
全然答えてねーじゃん
そうやって都合悪くなったら突っ込めそうな所に質問返しを
繰り返し続ける魂胆なのが丸わかりだから
さっさと答えろ、と言ってんの
ほれ、早くしろよ
インフラとやらで一体何がどうメリットがあって
どんな素晴らしい事象が史実に起きてんだ?
他にも色々あるけど、まずはこれからな

724:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 02:55:57.17
>>722
段落開けてるでしょ

諸葛亮の北伐の各論は上の段
総論としては下の段

725:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 03:05:54.22
>>723
晋書に書いてあるがな

運河整備して輸送体制整えつつ農民も連れて来て
この地域の国力充実させましたーって書いてあるよ
んで司馬懿が農民を入植させた地域が
上?、京兆、天水、南安と諸葛亮の侵攻ルート

726:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 05:07:09.27
議論の詳細は興味ないけど、「蜀漢が詰んでる」なんて有り得ない
「詰んでる」というのが具体的にどういう意味なのかも分からないしね
晋代のグチャグチャを見れば、魏と蜀程度の国力差、ましてやこの時代、なんでも起こり得るよ

727:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 07:30:46.71
自治

728:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 09:42:58.79
連続書き込み規制入ってたんでついでに寝てました
>>724
だからもう、いい加減無理すんのやめろってんだよ
諸葛亮最後の北伐ですんごーいインフラの影響があったとかいうなら
諸葛亮がこれまでの北伐で最も攻撃的なルートと行動をとってる事が
理由に合わなくなるだろ
そんで、お前がいうすんごーいインフラの影響が諸葛亮時代から出てたとか
いうんだったら、諸葛亮最後の北伐とそれ以後のルートが違う、と
言い出すお前の論旨は明らかに矛盾してる事になる
というか、諸葛亮だって第一次、第三次、第4次北伐では西よりルートを
とってるし、諸葛亮死亡後のルートだって西よりだってんなら
お前のいうすんごーいインフラの影響全然でてねーじゃん
総論でも各論でも穴がありすぎだっていい加減気づけよ

729:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 09:47:28.18
>>725
んで、それが「蜀漢が詰んでる!」とかいうお前さんの願望と
どうつながるんだよ
「その地域の国力増大させましたー」だけで
別に蜀軍の侵攻は全然止まってないし、
司馬懿が蜀軍を破る事も出来てないわけで、
その後30年にわたって蜀軍は侵攻をし続けるわけで
これでどうやったら「蜀が詰んでる」とかいう話になるんだよ
全然整合性ないじゃねーかよ

730:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 09:51:29.50
>>705
>正始政変の時の手段の選ばなさっぷりは、追い詰められっぷりだとも思うが
>全件代理人に居た諸葛亮と比べるのはアンフェアな気がする。

魏における司馬懿&曹爽は蜀漢における諸葛亮&李厳と同じく先帝から後事を託されてる

諸葛亮は李厳を皇帝の権威を傷つけないように手段を選んで処分したが、
司馬懿は皇帝の権威をどん底に叩き落とす形で処分した

これはもう政治的センスの差としか言いようがない
魏の名臣であるなら興勢の役が失敗した時点で処分すべきだった
ボロ負けした上にあの辺の統治にまで影響与える失態なんだから

731:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 10:01:24.44
これから殺そうという相手が皇帝を連れ出してる間に皇太后の勅を事後承諾で取り付けてクーデターというのは、
どう考えても皇帝の権威をどん底に叩き落とす行為

皇帝を大切にする人間はこんなことはやらない
李世民始めとする後世の皇帝からの評価が悪いのは多分これ

これを敢えてやってのけた司馬懿は、政治権力の正統性・正当化という視点が丸っきり欠けてたと思う

諸葛亮は武将である前に政治家であったが、司馬懿は政治家である前に武将だった
その害が子孫に降りかかったのは当然だな

「結果さえ出せば良い」を中央の政治に持ち込むと国が乱れるのは歴史が証明している

732:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 10:46:12.77
中央の政治見ると陳羣が死んだ後の魏と張昭が死んだ後の呉は駄目だね。
顧雍は呂壱事件がマイナスだけど魏よりはマシか。
蜀は人材不足と言うけど宰相の人材には不足してなかったような気がする。

733:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 17:48:48.57
一晩の内に一気に延びていてびっくり

>>705
短編集『長江落日賦』の「白日、斜めなり」で将軍としては明らかに司馬懿が上と地の文で言ってるし、
「中国武将列伝(上)(下)」でも将軍として司馬懿を評価してるけど諸葛亮を評価していない

ぶっちゃけ、このスレの論者の方が面白い議論をしてる
一部は田中芳樹以下の見識だけどねw

734:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 18:40:31.30
>>728
攻撃的になったからインフラなんて影響ないというのは逆だよ
これまでわざわざ遠い辺境を狙っていたのに対して
今回は全軍を引き連れて乾坤一擲の博打に出ている
しかも博打に出て決戦指向なのに決戦に持ち込めない
見事に司馬懿の狙い通り磐石な持久戦による勝利によって諸葛亮は敗北しており

過去の北伐では実は魏側も輸送難に苦しんだこともあったけれども
最後の北伐ではそういう事もなかった
インフラ整備の勝利だね

735:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 20:10:57.77
>>734
>これまでわざわざ遠い辺境を狙っていたのに対して
>今回は全軍を引き連れて乾坤一擲の博打に出ている

横レス失礼
第四次北伐と第五次北伐は魏の野戦軍の撃滅が目的でしょ

祁山に兵を出す場合には陰平と武都を確保しておかないと挟撃される可能性があるから、
前もって第三次で確保しておいたと

で、第四次で麦刈って魏軍をおびき出して勝負に出て、
郭淮伝曰く「隴右に穀物なし」という状況で司馬懿は張コウが反対したのに攻めかかって返り討ち
張コウは王平の陣を抜けず、本陣を攻めた司馬懿も敗北
蜀軍は「三千の首級を挙げ、五千領の甲冑、三千張りの弩」を確保

この後、司馬懿は守りを固めて動かず、補給切れを見越して蜀軍は撤退
よせば良いのに張コウの反対を押し切って司馬懿が追撃命じて張コウ戦死と

第五次も不利な状況で決戦を挑まなかったから膠着状況になったわけで、
「乾坤一擲の博打」ではないと思うけどね
本気の博打なら退路考えずに司馬懿の言う通り「武功に出て東進」したと思う

736:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 20:21:04.08
で、インフラ整備の影響だけど、

魏側が漢中を攻めようとした244年の興勢の役の際には、魏側が補給で苦しんでる
関中の民衆から羌など異民族まで動員しても補給が追っつかなくて、
徴発した家畜も死んだり逃散したりして羌族が恨み嘆いた程

結局、いくらインフラ整備して食料備蓄しても、この方面の輸送路と輸送コストはどうにもならず、
蜀側が自滅する形でディフェンスライン取り崩すまで漢中に正攻法で手を出すのは無理だったのが史実かと

737:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 21:20:04.70
>>736
元々インフラ整備は魏が自国内での輸送についてだよ
しかも輸送インフラの整備は長安とその西側
漢中方向、つまり南への侵攻作戦についてその効果は出ないよ

これで詰むのは蜀の攻勢
蜀は呉か魏に攻め込まないと結局衰亡の道しかないのでこの時点で蜀はもう詰んでる
蒋エンが何故荊北を目指したかということをもう少しちゃんと理解しないといけないね

738:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 21:38:19.57
>>737
>蜀は呉か魏に攻め込まないと結局衰亡の道しかない

これは異議有り
費イが考えていたように、国内を充実させて敵国の変事を待つという手がある
つか、もう三国鼎立して以降は敵失待つしか三国とも敵国を滅ぼせない

ある程度以上勢力が大きくなると、外憂だけで滅びるのはむしろ希
袁氏見る通り内憂外患が重なって滅びると考えた方が良い

魏の東部戦線はインフラ整備して充実させたけど、戦力が充実した反面、
大規模な反乱が多発するようになってしまった

インフラだけでどうこうということはないよ
あくまでも中央の政治とセットでないと

739:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 23:56:53.07
>>734
あのさあ、その点も何度も説明してるよね
お前さんの言ってる事はコロコロ変わるから
最初から説明するけど、はっきり言って無理ありすぎ。
インフラ整備によって諸葛亮が最も攻撃的な第5次北伐ルートをとらざるを
得なかった、とするなら
それ以後の、諸葛亮が死亡した後も廖化や姜維が西よりルートで侵攻を
行っている事の説明がつかないし、
結局のところ、段谷直前には前年の敗北によって魏側が「兵力が足りない!」と
パニックに陥ってる状況も説明がつかない
全然「蜀の侵攻が詰んだ!」とお前さんが発狂する程の影響は出てないわけよ

そもそもお前さんの論旨とは真逆に、諸葛亮は屯田兵を多数そろえたり、
兵糧を大量に備蓄したり、木牛流馬で大量輸送を可能にしたり、と
明らかに長期戦を想定した備えを取ってる。
これは明らかに諸葛亮が第4次北伐で戦闘面では勝利しながらも、
兵糧切れで撤退した事を考慮に入れ、長期戦を行えるように備えたもの。
そもそも自国内で待ち受けてる魏側が、自国内で兵糧切れになるとか
諸葛亮も思っちゃいないし、当てにしてないだろ。
だから決戦の機会を待つ為に長期持久の備えを取ってるわけで
むしろ、遠征軍である諸葛亮率いる蜀軍が何か月たっても兵糧に不安無く
滞在し続け、司馬懿がそれをどうする事も出来なかった、という事実の方が
はるかに諸葛亮の備えが成功していた事を物語ってるし、
この事実は後世や同時代において呉の学者や李世民をはじめとする検証者が
諸葛亮>司馬懿の評価を下す根拠の一つとなってるわけよ

740:無名武将@お腹せっぷく
13/04/12 23:59:11.40
そもそも魏延の子午谷の件は魏略にしかないうえに地理的条件を考慮すれば軍事的に
ほぼ不可能だから魏延レベルの実績のある指揮官が献策したとは考えにくい

別働隊の案も速戦速攻のための案でもないだろう

741:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 00:03:41.29
>>737
もう他の人が言ってる事ではあるけど、
蜀は別に魏にも呉にも攻め込まなくても国内持久が可能。

ついでに、荊北への川下り作戦は、蜀国内でも無理があるとみなされて
結局実行されなかったし、蜀はそれ以後の魏への侵攻で
普通にお前さんがいう所の「インフラが整備されて戦力が充実したらしい」
西側に平気で攻め込んでるし、
その「インフラが整備されて戦力が充実したらしい」西側は
大敗一発で兵力が足りなくなってパニックに陥る有様、
しかもこの事象は「インフラが整備されて戦力が充実したらしい」時期から
およそ30年後。全然インフラとやらの影響出てねーじゃん。
結局のところ、これで蜀が詰んだなんてとてもとても。妄言の類としか言えないよ。

742:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 00:13:10.72
というか姜維は段谷の戦い以前に?西を占拠(正確には魏から切り離し)してたわけで
魏が漢中以北の自国領を維持できなかった時点でインフラ云々って眉唾すぎる

743:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 00:16:11.83
?西はトウ(さんずいに兆)西のことです

744:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 00:51:08.85
>>739
諸葛亮は決戦を挑みに行ったけど生産力と輸送力を背景に司馬懿は持久して時間切れになった
廖化や姜維が西よりになったのは魏の国力と真っ向勝負を避けた
姜維の行動は結局司馬懿が農民入植させた土地にはほとんど踏み込めてないよ

>>741
国内持久してもその先がないでしょ
他国の変事を待つとか言ってるけど真っ先に蜀が天命終わったなんて議論が出てる
国がもたないんだよ

インフラが整備されて戦力が充実した西側をさらに大回りに回って西に侵攻してる
西を整備したからって西に無限遠に整備したってわけではないよ?
漢中攻める時に発揮されないからおかしいって人もいるけど
インフラ整備ってそういうもんじゃないからさ
地図くらい見ようよ

>>742
トウ西って司馬懿が整備したさらに大きく西側だろが

745:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 01:13:40.01
>>744
時間切れになってねーじゃん。
結局諸葛亮が死ぬまで、蜀軍は平気で滞在を続けてる。
司馬懿が持久したのは第4次北伐だって同じだろ。

避けてないだろ。お前が言ってる西側に廖化も姜維も踏み込んでるよ。
南安とかまでモロに踏み込んでるし。
そもそも第5次北伐の地理関係もめちゃくちゃだったし、
言ってる事は適当だってわかってるけどさ。

先あるだろ。諸葛亮死亡後に攻め込んですら、蜀が滅びたのは三十年後だぞ。
その前に魏があっさりと司馬一族にのっとられて終了してる。
国が持たないなんて妄言そのもの。

回ってないだろ。廖化とかもろに諸葛亮と似たような道で侵攻してるし、
姜維も南安とかまで平気で踏み込んでる。
地図ってあんたがいうのかいW
五丈原の位置とか第5次北伐のルートとかも平気で間違えてたあんたがW
結局、お前さんの願望とは別に、蜀は攻勢に出てすら30年平気で持ったわけ。
これで詰んでるとか、妄言そのもの。
まあ、君の妄想世界とは別に、、魏は盤石でもなんでもないからこそ、
司馬一族にあっさりのっとられて、蜀が滅びるよりも前に
皇帝様が召使300人率いて打って出て殺されてるわけだけどさW
君の願望とは別に、司馬懿のインフラ云々の影響なんて
蜀が詰んでるとかいうもんじゃないわけだし、
むしろ、君の理屈なら魏は諸葛亮の攻勢を防ぐのに窮して
司馬一族に大権を与えた時点で国家が詰んでた、でFAってところじゃないかW

746:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 02:18:04.03
段谷あたりの兵力不足って直前の大敗はもちろんだけど東興の影響もあるんだろうか?
流石に持ち直してるかな?
インフラが充実しているからといって兵力がいくらでもあるわけじゃないからなぁ
導線(動線?)の確保が出来ていても
それがイコールその地の戦力の充実とは言えないと思うけどね
その地の戦力を充実させやすくはなるんだろうけど実際は不足してるわけで

747:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 02:18:47.11
>>745
諸葛亮が死んだから時間切れと言ってるんだけどな

南安まで平気で踏み込んでないよ
その境界まで行ったけどね

748:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 02:22:12.32
>>746
俺も万単位の被害が出るような負け方したら
いくら大国だって兵力が足りない事になるとは言ってる
ただ数万の負けを喫しても軍が崩壊しない魏と蜀ってのは国力差があまりにもあり過ぎて
これがちゃんと生かせる環境が揃った時点で蜀はもう詰んでる状況だと主張してる

蜀には常に勝ち目があったとしたいようだけど勝ち目はないよ
でもそんな環境の中で蜀の面々は本当によくやったと思うよ

749:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 06:36:30.56
>>748
勝ち目無いと言ってるのも、詰んでると主張してるのもお前だけで
普通の人間は成立後30年たってもなお、魏側のほうが「兵力足りない!」
と喚いてる程度の効果しかないインフラ整備とやらで
魏の勝利が確定したなんて誰も思いやしないわけでw

ちゃんと生かせる環境整っていて兵力足りない、喚く状況になってる
のに詰みもくそもないだろうがww
しかも成立から30年たった後ですらその程度
結局その程度の影響力しかないもんに無理やりな願望抱いて
「蜀に勝ち目はない!」ってことにしないと精神の平衡が保てないのかよw
本当に見てて滑稽だわww
ていうか、お前の理論だと、兵力足りない状況下で乾坤一擲の賭けで
状況を打開した鄧艾とかの活躍が否定されまくってて可哀想すぎるww

750:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 06:41:46.13
>>747
馬鹿かお前wいや、馬鹿なんだろうけどさw
三国志演義でもないんだから、司馬懿は諸葛亮の寿命なんか知らないし
それをもとにして作戦立てる事もありえないからw
結果としてみれば、諸葛亮が病で死なない限り、蜀軍は兵糧不足に
至る様な気配は一切ない体制を作り上げた時点で、
お前さんの言ってる論旨は破綻してるw

いや、踏み込んでるって
本当に知識も地理もめちゃくちゃすぎて笑えるんですがww
どんどん無理が出てきてるなw

751:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 08:07:12.14
>>744
>国内持久してもその先がないでしょ
>他国の変事を待つとか言ってるけど真っ先に蜀が天命終わったなんて議論が出てる
>国がもたないんだよ

それは蜀の方が外征繰り返して相対的に失敗したから
それも費イが殺されて方針転換があった後の話だしね
魏・西晋の状況を見れば、国内持久でもう十年、二十年待つというのは空論ではないね

八王の乱・永嘉の乱見て大成(成漢)の成立状況を見ると、蜀一帯が守りやすく、
自立しやすいのはよくわかる

「天命」なんてのは思考停止した儒者の戯言だよ

752:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 09:10:14.87
諸葛亮は決戦を挑みに行ったけど生産力と輸送力を背景に司馬懿は持久して時間切れになった
廖化や姜維が西よりになったのは魏の国力と真っ向勝負を避けた
姜維の行動は結局司馬懿が農民入植させた土地にはほとんど踏み込めてないよ

753:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 09:30:38.63
13試合で5勝8敗勝率385

高木休養の95年、50勝80敗勝率385

つまり今年は95年のペースでシーズンが進むのだろう
前回は暗黒阪神に救われ5位だったが、今年はそんなチームも見当たらず、最下位ドベゴンズ決定的

754:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 09:33:14.31
>>752
>廖化や姜維が西よりになったのは魏の国力と真っ向勝負を避けた
>姜維の行動は結局司馬懿が農民入植させた土地にはほとんど踏み込めてないよ

それと、当初の「司馬懿のインフラ整備で蜀が詰んだ」という結論と結びつかないのは
これまでの議論で明らかだな

755:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 10:04:54.82
230年代の司馬懿のインフラ整備で蜀漢が詰みました、なんて珍説
2ch以外じゃ相手にされないよw

756:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 11:11:42.16
つか、このインフラ君、ゲームと現実の区別が付いてないんじゃね?
国境が他国に侵略されるって大変なことだって。
ゲームなら大丈夫でも、現実じゃ大丈夫じゃないんだよ。

例えば、今北朝鮮のミサイルに日本が対処しようとしてるだろ。
これもインフラ君は「北朝鮮は日米には勝てない、どうやっても既に詰んでいるから大丈夫」とか言うのかい?

757:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 11:54:51.56
>>749
蜀に勝ち目がないのと勝負が終わるのは別の話

それに鄧艾も否定しないよ
大勢力の力をちゃんと出せる人ってのはやはり得がたい人だし
最終的に蜀にトドメを刺す時の働きだけ見ても三国時代トップの将軍だと思うし
農政に関して造詣が深いのも素晴らしいし

ただし鄧艾が蜀と戦って勝つための下地は既に出来ていたし
王経の大敗から鄧艾の大勝の間にいくらか不足があったとしても
結局姜維に対抗出来る軍が揃ってるって時点で魏の生産力、輸送力で蜀に勝ち目ないよ

758:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 11:58:47.97
>>750
それを元に作戦立てたって話しなんかしてないけど?

魏略によれば諸葛亮は結局兵糧が足りなくなったとあり
屯田して輸送も磐石だったとは手放しでも言えないわけで
司馬懿としたら持久戦やればいいのだから延々と対峙するだけ
第四次では大敗したし直接対決を避けるのは当然だろう

当時の人には知りうるべくもないけど諸葛亮は寿命が近付いてるから
その調子で時間を稼がれたら諸葛亮の勝ち筋ないよ

759:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 12:14:25.44
合肥新城に出向いた時
?「まだ司馬懿が諸葛亮と対峙しており、援軍を送ってみれば?」曹叡「諸葛亮が倒れるのは時間の問題だ、勝利は目の前だから気にすんな」

と会話があったような
魏の首脳陣は諸葛亮の死期を予知してたのは確かだな

760:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 12:16:47.83
>>751
姜維のための手柄作りに使われた感のある北伐ではあるが
末期の蜀は経済的にも行き詰まり始めてて何年も待てるような状態じゃない

761:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 12:18:49.00
>>759
当時の士人は文通してるから1年の対陣で陣没するような病状だと
隠してても周囲の人の目には生命の危機が見えるだろうし
諸葛亮が死ぬってことがある程度予測されていた可能性はないわけではないよね

762:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 14:30:10.37
いろいろなサイトを見てきたけど、やっぱり蜀と魏では国力に差が有りすぎだよ。

一例として、
魏・蜀・呉の国力の差。
蜀の人口94万人。 将兵10万2千人。官吏4万人(滅亡時の統計)
呉の人口230万人。将兵23万人。 官吏3万2千人(滅亡時の統計)
魏の人口443万人。(263年の統計)兵力は推定40万人。

人口比=6(魏):1(蜀):3(呉)だよ。
圧倒的に魏が上で、魏と蜀の国力の差は否定できないでしょ。
魏は2、3度、大敗しても立て直しが出来そうだけど、
蜀は詰んでないにしろ、一度大敗すると、国を失うことになる差かと思う。

763:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 15:03:43.25
本題に戻り俺が決めるコウメイの能力。

統率・・・97
武力・・・94
知力・・・90
政治・・・40
魅力・・・85

文句ある人は正史読んでくれたまえ。

764:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 15:16:55.08
>>759
>「諸葛亮が倒れるのは時間の問題だ」

これ、諸葛亮の体調についての話じゃ無いんだけど

>>761
正史に書いてないことに賛同するのは自演ですか?


>>760
原因と結果を取り違えてる
北伐を繰り返した結果、経済的に行き詰まった
当時の経済力=労働人口だから生産現場から壮年の男性を非生産的な軍事に引っ張り出せば当然そうなる

自分の立論に都合の良い事実だけ、時系列も論理性も無視して取り上げるからそうなる

765:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 15:27:58.74
明帝記の問題の部分はこれ

秋七月壬寅,帝親御龍舟東征,權攻新城,將軍張穎等拒守力戰,
帝軍未至數百里,權遁走,議、 韶等亦退。羣臣以為大將軍方與諸葛亮相持未解,
車駕可西幸長安。

帝曰:「權走,亮膽破,大將軍以制之,吾無憂矣。」

遂進軍幸壽春,?諸將功,封賞各有差。
八月己未,大曜兵,饗六軍,遣使者持節犒勞合肥、壽春諸軍。辛巳,行還許昌宮。

どこにも諸葛亮が倒れるのは時間の問題だなんて書いてない

群臣は、孫権が逃げたので軍を退いて大将軍が諸葛亮に対峙してるので長安に行きましょう、と議した

孫権が逃げたので、諸葛亮の当ても外れ、肝をひしいだろう
大将軍が居れば諸葛亮はなんとでもなる。私に憂いはないよ、と明帝は言った

これを諸葛亮の体調についての事だという奴は中学から漢文を学び直すべき

766:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 17:29:42.90
>>765
インフラ君、「膽破」(肝を破る)を誤読したのかねえ?
現代中国語でも古典でも、「膽破」(「肝破」)って驚くって意味なのは調べれば直ぐわかると思うのに。

767:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 17:35:11.24
>>762
素人の意見だけど、兵の移動って時間かかるんだから常時対呉に3、対蜀に1、対辺境に1おいといて、戦闘地域へ援軍1だと考えると魏も苦しいんじゃない?

768:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 17:46:02.16
そもそも人口=軍事力ならこの後五胡十六国で異民族に蹂躙なんかされてない。

769:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 17:57:12.06
>>764
原因と結果を取り違えてるというのは君じゃない?
蜀の銅銭の質が徐々に悪化するのは生産人口の減少によるものではないし
自然とそうなるわけがない

770:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 17:58:02.25
>>767
そのためのインフラ整備って話しになるからね

771:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 18:05:51.77
>>769
横レスだが、銅銭の質の悪化は間違いなく生産人口の減少。
鉱業従事は成人男性でないと効率が悪すぎる。
それを軍事に取られたから鉱業生産が下がって銅銭の質が悪化した。

参考文献

『中国古代貨幣経済史研究』 柿沼 陽平
『佛教大学鷹陵文化叢書16 中国銅銭の世界―銭貨から経済史へ』宮澤 知之

772:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 18:06:16.36
>>764
ああ、書いてない事だったんだ?

士人は文通してるから知ってても不思議じゃないけど
書いてないならしょうがないな

773:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 18:07:28.59
>>772
まともに正史も読めない馬鹿はスレ汚しだから書き込まないようにな。

774:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 18:12:35.93
>>771
いや、北伐を繰り返した結果の生産人口の減少が蜀の経済の後退とするのであるなら
姜維の時代から急激な銭の悪化が起こるという事になるわけだが
蜀の銭の質の低下はそんな急激なものではないよ

そして銭の質の悪化が慢性的な人手不足である、とするのであれば
結局蜀は座して死を待つか、博打で北伐するかの二択しかないわけで
とどのつまり魏晋の崩壊を待って蜀が乗り出す、という戦い方は尚更ありえなくなるね

775:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 18:14:29.40
>>773
まともに正史も読めないバカって君だろ?
>>745でも第四次北伐で司馬懿は持久した、なんて平気で書いてしまうし

第四次北伐は司馬懿全然持久してないよ

776:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 18:14:48.98
>>774
独自の妄想振りかざす前に参考文献読め。

777:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 18:16:16.30
>>775
残念ながらそれは別人だw
少なくとも、正史に書いてないことを平然と主張するお前と同一視されたくない。
折角>>765氏が正史引用してくれてるのに。

778:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 18:20:11.26
>>776
いやいや、銭の質の低下がゆっくりとしたものだったのに
北伐による人口減少生産力低下によるもの、とするのはおかしいでしょ

軍の維持によって生産力が常に低下するのであれば、
それはもう蜀が長期間待ってることは出来ない証拠でしかない

779:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 18:21:48.63
>>777
主張してないけど?
「書いてないならしょうがない」と言ってる

俺は単に彼らが文通で交友関係があるし、もし知ってても不思議じゃない、と言ってるだけだし
知ってると書いてないのであればそりゃしょうがない
そんな会話存在してないってだけだろ

780:無名武将@お腹せっぷく
13/04/13 18:27:32.57
>>778
>銭の質の低下がゆっくりとしたもの

これが先ず大嘘。
写真見てもはっきりわかる、質の低い定平一百錢が発行されたのは四相が死んだ後。
一気に質の低い貨幣に切り替わってるのに質の低下がゆっくりしたものということはありえない。

URLリンク(www.ic.daito.ac.jp)

>>779
>時の士人は文通してるから1年の対陣で陣没するような病状だと
>隠してても周囲の人の目には生命の危機が見えるだろう

こんなことが正史の何処に書いてある?


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