11/08/28 19:02:27.30
越後男児たちは信濃、北陸路で作物を強奪、家族の越冬食糧とし、冬になると関東に下って、掠奪、戦場働き(武具の剥ぎ取り)、
人身売買で現金を稼いでいた。
越後健児の強さは、自国の飢餓に由来する「死に狂い」だったことが想像される。
(たぶん皆目が血走って、凄まじい形相だったんじゃないかと……)
上杉謙信が越後で評価されたのは、相次ぐ飢饉に対して、戦争をビジネスとしてプロデュースしたことにあったようだ。
そして、関東出兵を合法化するために、京に上るなどして「関東管領」の称号を手に入れた、というのが真相(合理的理由)らしい。
さらに言えば、戦争ビジネスの継続と自国の開発を優先したがために、他国に対する領土拡大には消極的だったことが推測される。
「義に篤い」「無欲」というのは、越後人の生き残りを最優先したがための政策の一環だったのだろう。
それが、本人の戦上手と相まって、神格化され、今日に至っているのだ。
が、越後人にとっては神様のような謙信でも、直接被害にさらされた関東、特に上州人からすれば、たまったものではない。
毎年冬になると、北から上杉軍がやってきて、倉庫を襲っては作物を奪い、家を襲っては女を奪い、戦場で抵抗すれば殺されて身ぐるみ剥がされるのだから。
ある意味、「天高く馬肥ゆる秋」のモンゴルと同じだったのかもしれない。