なぜ「四式戦闘機疾風」は、残り1年で3500機?at WAR
なぜ「四式戦闘機疾風」は、残り1年で3500機? - 暇つぶし2ch186:だつお ◆t0moyVbEXw
12/01/04 21:13:35.67 yKH0WvOH
「アングロサクソン陣営の極東軽視」だが、これは戦争が終わってから、
中国がアングロサクソンの敵に回る原因にもなった。

大陸打通作戦で日本軍が南北縦貫3000キロを進撃しているのに、「極東戦線はマイナーだから」
などという理由で安易に切り捨てたりしたら、中国抗日戦争の値打ちはカス以下になってしまう。
しかも日本占領においては「太平洋戦争」などと教えられて、日中戦争がスッポリ抜け落ちてしまった。
これではいくら中国人が南京大虐殺やら三光政策やらで日本批判をしても、日本人のほうは
「日中戦争ってなにそれ」ってなことで、中国人がますます惨めになってしまう。

             チ  ン  ピ  ラ  ゴ  ロ  ツ  キ

もし本当に中国人が日本軍国主義の侵略戦争とやらで3500万人虐殺されたのだとすれば、
戦勝国でありながらそんなに大勢虐殺された中国人がチンピラゴロツキ。
偽りだとすれば、そんな偽りの数字を出すのはチンピラゴロツキの所業としか言いようがない。

              チ  ン  ピ  ラ  ゴ  ロ  ツ  キ

いずれにしても、中国人は「われわれはチンピラゴロツキです」と自ら公言しているというわけだ。
チンピラゴロツキにはチンピラゴロツキとそう呼んでやるのが、チンピラゴロツキへのご挨拶というものだ。

187:名無しさん@お腹いっぱい。
12/04/18 12:29:34.62 uhZjcOLa
  

188:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/24 19:31:57.17 9A4KzjDO
   


189:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/25 01:28:29.62 3cYoq+UY
その例え、チンピラゴロツキに失礼だ!

190:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/07 13:09:41.38 wlqgJfcs
>>185
調印すれば名実ともにソ連の物になったのに、調印拒否したソ連のおかげで北方領土の名目上領有権が日本に留保された
売買契約で売り手が署名捺印しておとなしく待ってたのに、買い手がすっぽかして契約が成立しなかった
これと全く同じこと

191:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/17 09:03:43.36 oirYmriC
   

192:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/31 17:16:31.19 YSGQsIro
ってか、中国人なんてゴミみたいなものだろw

193:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/05 03:21:45.22 +DiJrTgJ
>>166
攻撃機(IL-2など)ならいいけど
もっと運動性高い戦闘機には無謀な重量だろう。
それにエンジンに当たった分は搭乗者まで届かないから、
パイロットへの被弾を恐れるなら、やはり防弾ガラスが求められる。
ソ連の対地攻撃機は液冷が多いから冷却経路が被弾しないよう
装甲したともいうけど。

194:名無しさん@お腹いっぱい。
13/02/07 18:48:50.49 U5WSmdoq
フィンランド軍がアメリカからブルースター・バッファローを購入した時、特注で装甲板製座席を作らせています。

195:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/26 17:56:09.74 DjSiRan+
チンピラゴロツキにはチンピラゴロツキとそう呼んでやるのが、チンピラゴロツキへのご挨拶www

196:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/06 09:27:58.71 kM+lxP4F
昭和20年6月21日
「菊水第十号作戦/第二白菊隊」
1900~30 白菊8機が、鹿屋基地を発進。
     沖縄周辺海域に突入した模様であるが、状況不明。
【指揮官】
古賀一義 中尉
【戦果】
不明
《米軍記録》
沈没:中型揚陸艦「LSM59号」/1機命中戦死2名
   囮船元  「バリー」/1機命中
大破:水上機母艦「カーティス」/1機命中戦死41名負傷28名
   [陸軍特攻第二十六振武隊の四式戦により]
損傷:水上機母艦「ケネス・ホワイティング」
   護衛駆逐艦「ハロラン」
URLリンク(pico32.web.fc2.com)

>沈没:中型揚陸艦「LSM59号」/1機命中戦死2名

The plan worked, but unfortunately there were two suicide planes, one striking the decoy and one sinking LSM-59
URLリンク(www.navsource.org)

但しこの日の出撃も「白菊」単独ではなく、これらの米軍損害には、四式戦その他陸軍特攻によるものも含まれる。
スレ違いとの批判もあろうが、四式戦だろうが練習機だろうが、1945年半ば以降は「特攻」あるのみということ。
四式戦特攻と白菊特攻では、どちらが有効だったと言えるだろうか?

197:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/06 09:36:43.34 kM+lxP4F
 戦闘・非戦闘あらゆる原因による日本の陸海軍機の損失は、開戦当初の月平均約500機から、1944年後半に月2000機以上に上昇した。
戦争の過程における総損失機数は50000機の多きに昇ったが、その40%弱が戦闘損失で、残りの60%強が訓練、輸送その他の非戦闘損失だった。
 したがって、日本は戦争中ほとんどどの月でも、その航空部隊の数字上の機数を増すことができた。数字上の戦力は戦争勃発時の
戦術機2625機から、降伏時の戦術機5000機に加え、カミカゼ機5400機にまで上昇した。
 搭乗員総数は戦争勃発時の約12000名から降伏時の35000名強に増加した。
 アメリカの航空機生産と操縦士訓練は大幅に日本の合計を上回っていたが、この戦力の一部だけしか太平洋に配備できなかった。
真珠湾以西の太平洋におけるアメリカの第一線戦力は、1941年の約200機から1945年8月11000機に増えた。我々が戦場で日本の航空部隊
を上回る数的航空優性を達成したのは1943年後半以後のことだった。しかしながら、1942年でも、太平洋における比較的小数のアメリカ
の航空部隊は、数的優位を維持した日本より、より大きな損失を日本に負わせることができた。太平洋戦争中のアメリカの損失機総数は、
アメリカ国内での訓練中によるものを含まず、約27000機だった。これらの損失のうち、8700機は戦闘、残りは訓練、輸送、他の非戦闘での損失だった。
戦闘損失のうち60%強が対空砲火によるものだった。
 前述したように、戦争勃発時の日本の操縦士はよく訓練されていた。平均的な陸軍の操縦士は戦闘に投じられる前に約500時間、
海軍搭乗員は650時間の飛行時間を有していた。これらの経験豊富な操縦士は、戦争開始一年半の激しい作戦で大量に使い果たされた。
日本は我々が訓練された操縦士を防護、休養、交替させるのに対し、より少ない注意しか払わず、増大する航空ガソリンの不足によって
その訓練計画を深刻に妨害された。戦争全体を通じて平均飛行時間は減少し、降伏時、アメリカ操縦士が600時間だったのに比較して、
100時間強といったところだった。訓練不十分な操縦士は、アメリカで養成された熟練した操縦士に張り合えなかった。
URLリンク(www10.ocn.ne.jp)

198:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/26 19:39:20.10 ARKE7qPc
>>6
>落ちる前に飛行場へ胴着できる近距離だった朝鮮戦争

航空基地が戦場の最前線にあるのなら、それこそ空襲の標的に晒されるはず。
近くにすぐ敵の航空基地があるのに、攻撃を加えられないというのは情けない。

昭和20年5月24日、“義烈空挺隊”沖縄へ殴り込み!!
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

日本空軍は“義烈空挺隊”を出動させて、米空軍の航空基地に殴りこみを攻撃を仕掛けている。

199:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/27 17:13:13.94 h0b9l/2E
>>1
なぜ? 大戦末期の陸軍主力戦闘機だったからです。
3500機も作ったではなくて、それしか作れなかった。
だから、隼等の旧型機も現役で稼働させざるを得なかったわけです。

200:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/05 15:09:07.96 DeTAJqo2
第12週4話大陸打通作戦?それでも恐れられた帝国陸海軍
URLリンク(www.youtube.com)

201:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/05 15:25:15.00 DeTAJqo2
世界の戦場を駆けた「P-51」(渡辺洋二)
[対日戦のマーリン・ムスタング]
 太平洋戦線で最初にマーリン・ムスタングを装備したのは、中国大陸の第14
航空軍の1隊として、すでにP-51Aで戦っていた第23戦闘グループの第76戦闘
飛行隊。1944年2月からP-51Bへの改変を進め、C型も加わった。9月以降さらに
2個飛行隊が、P-40から切り替えられていく。
 同グループの変わり種は、6月に編入の第118戦術偵察飛行隊。偵察機装備が
本来なのに、P-51Cを主装備機とし、戦闘機隊とみなされて作戦した。
 第51戦闘グループの3個飛行隊は1944年3月から年末にかけて機種改変。
インド方面の第10航空軍から編入された第311戦闘グループ(旧・戦闘爆撃
グループ)は、P-51B/Cを装備して8月に中国奥地の成都近郊に進出した。
D型とK型の配備は1945年に入ってからである。
 逐川、零陵を基地とする第23グループは、10月の香港空襲の掩護、大陸打通作戦
に圧迫される中国地上部隊の支援などを実施。成都防空の第311グループは華北へ作戦
地域をうつし、11月から鉄道施設攻撃のB-25の護衛や漢口、南宛の飛行場を襲った。

雑誌「丸」編集部 P-51ムスタング/P-47サンダーボルト 図解・軍用機シリーズ8

202:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/05 16:06:27.79 Gs3pimMe
輸入盤アニメって日アマでも買えるんだな。
クソ安い。これもう日本の円盤無理だろ。
URLリンク(nanpinking.cocolog-nifty.com)

203:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/19 10:41:59.28 UUeccyR9
B-29 losses to accidents, enemy interception, and to Japanese air attacks on the Chengtu forward bases soon
came to be prohibitive, and by the end of 1944 had reached 147.

During Operation Matterhorn, 49 separate missions had been flown involving 3058 individual aircraft sorties. Only 11,477
tons of bombs had been dropped. In spite of the massive effort involved in Operation Matterhorn, only insignificant
damage had been done to targets in Japan.

URLリンク(www.joebaugher.com)

204:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/30 14:35:51.57 M/64Aj+2
>>1
・中島が、米国式の大量生産方式をとっていた。
・隼と疾風の治具が、一部共通だった。
・零式戦闘機や隼よりも、組立が簡素化されてた。
・”特殊疲労回復剤”で、長時間の仕事が出来た。

そんな所ですかね。

205:だつお ◆t0moyVbEXw
14/01/21 12:31:40.51 +TKyYeEr
表3-3 イギリス戦闘機兵団の戦力(7月9日/9月7日)
戦闘機群           機種別中隊数
     スピットファイア ハリケーン ブレニム デファイアント グラディエーター  計
第10群  2(4)   2(4)    (1)            (1)     4(10)
第11群  6(7)   13(14)   3(2)                 22(23)
第12群  5(6)   6(6)    2(2)    1(1)           14(15)
第13群  6(3)   6(8)    1(1)    1(1)           14(13)
 計   19(20)  27(32)   6(6)     2(2)      (1)     54(61)
(注) カッコ内の数字は9月7日の中隊数
(出典) Basil Collier.The Defence of United Kingdom,HMSO.1979
<前略>
 航空機生産省は、当面、ハリケーンとスピットファイアを優先して生産した。
生産量の六五%がハリケーン、三五%がスピットファイアであった。ちなみに、
全戦闘機のうちハリケーンは五五%を占め、スピットファイアは三一%であった。
(ただし、一九四〇年五月初めから一〇月末までの撃墜された戦闘機のほぼ四〇%
をスピットファイアが占め、ハリケーンが三三%ほどであったから、スピットファイア
のほうが撃墜されやすかったということになろう)。
<日本経済新聞社「戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ」107-108頁 >

Day 22 ? July 31st 1940
July 31, 2010 in 74 Squadron, July 1940 | by Tony Rudd | Leave a comment
Weather: fair everywhere.
FIGHTER COMMAND SERVICEABLE AIRCRAFT AS AT 0900 HOURS:
Blenheim ? 63
Spitfire ? 239
Hurricane ? 348
Defiant ? 25
Total ? 675
URLリンク(battleofbritainblog.com)

206:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/21 13:37:13.52 JVYmFoGb
米軍はB-29による成都から日本への爆撃には、1機あたり23トンの軍需
品(燃料、爆弾、弾丸等)が必要と考えていた。そのため、B-29、100機分と
成都防空の戦闘機が必要とする軍需品を合わせて、最低6,000トンの物資の
集積が必要であった。最新鋭の「超空の要塞」も石油がなければただのアル
ミの物体に過ぎないのである。
 昭和19(1944)年6月13日、ようやくカルカッタに待機する第20航空
軍所属の第58爆撃団(B-29)に出撃命令が下った。機体には250kg爆弾2ト
ンが積み込まれた。成都では燃料の補給だけが行われた。
 昭和19(1944)年6月15日午後、B-29、75機が成都の飛行場を離陸した。
URLリンク(oilgas-info.jogmec.go.jp)

9)在華米空軍は,1941年初めに結成された米人の義勇空軍「フライング・タイガーズ」が
発祥であり,その後42年 7 月に正式に米陸軍航空部隊に改編されて第23追撃隊となり,さ
らに翌43年 3 月に米陸軍第14航空軍に改編された。44年 4 月30日現在の配備機数は,偵察
機10(P38),戦闘機294(P38,P47,P40,P51),爆撃機168(B24,B25)の472機であり,
重慶空軍233機と合わせて705機と判断されていた。当時の日本の第5 航空軍の出動可能機
数は約230機であり,彼我の戦力比は約 3 対 1 であったという。(益井康一『本土空襲を阻
止せよ!―従軍記者が見た知られざる B29 撃滅戦』光人社 2007年 23~26頁,95頁,98頁)
URLリンク(www.ritsumei.ac.jp)

In January 1944 the air force had 194 fighters, 38 medium bombers, and 50 heavy bombers;
for the 9-month period beginning in October of that year. the totals were
Month    Fighters  Medium Bombers   Heavy Bombers
October     457     105           45
November    535     109           47
December    510     105           56
January     520      94           70
February     521      92           56
March       564     99           65
April        525     103           69
May        500     117           69
June       483      127           65
URLリンク(www.ibiblio.org)


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