【勝組】 処女の嫁さん貰った旦那 Part17at TOMORROW
【勝組】 処女の嫁さん貰った旦那 Part17 - 暇つぶし2ch55:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/05 06:16:08.96
この話結構感動した

330 名前:名無しさんの初恋[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 22:10:06.66 ID:3ZHJvLer
「戦国時代に来日した宣教師によって処女に価値をおく文化がもたらされた」
「日本では明治時代からキリスト教に起因する西洋文化の影響で貞操観念ができた」
こんな妄言を聞いたことはありませんか?そんな不勉強な人達を黙らせる物ですww

「平安時代の中期、十世紀ころに成立したとされている『大和物語』百十一段に、こんな話が載っている。
大膳職の長官、橘公平のむすめたちは県の井戸という所に住んでいた。長女でいらっしゃる方は、
醍醐天皇の后である藤原穏子の宮に、少将の御と呼ばれてお仕えしていた。三女にあたる方は、備後守源信明が、
まだ若かったときに、最初の夫にしていた。通ってこなくなったとき、詠んでやった。
 この世には かくてもやみぬ 別れ路の 淵瀬をたれに 問ひてわたらむ
(この世ではこのままでもすんでしまいます。しかし、死んでから、三途の川を渡るときは、淵瀬をだれにたずねて、渡ればよいのでしょうか。
はじめて契った人に手を引かれて渡るということですけれどもね)という歌だった (日本古典文学全集『竹取物語・
伊勢物語・大和物語・平中物語』小学館。訳も参照)。  ~中略~
 先の歌の「別れ路」とは、この世と別れて冥土へ行く路、三途の川を渡る路、よみじのことである。
この歌からみて、女は死後、「はじめの男にしたりける」男(はじめて夫婦の契をかわした男)、すなわち、
はじめて性交をした相手に手を引かれて三途の川を渡るという俗信が、十世紀ころには、すでに信じられていたことがわかる。」
『平安朝の女と男 貴族と庶民の性と愛』服藤早苗 著 P1~2



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