10/10/20 20:18:50
>>352さん、申し訳ありません。その準備が十分ではなかったです。お許し下さい。
334です。
盆や彼岸、年末になれば、僕の家の墓と母の実家の墓(母の兄が当主なのに、世話をしないので母がしていた)、
加えて妻実家の墓と義母の実家の墓参りに僕は車を走らせた。父は、自分が入ることになる墓にすら、世話をしようとしない。
口癖のように、「ワシが生きた時代は、神も仏もなかった。信じられるのは自分だけ」と言う。
今では彼を、自己愛性人格障害者だ、と僕は認定している。その自己愛性人格で、僕の居ないあいだ孫に説いているらしいから堪ったものではない。
それでも、某テーマパークが好きな妻の笑顔を取り戻そうと、大型の休みのときには、車を関西から千葉にまで走らせたりした。
しかし、妻の鬱が頂点に達するのは時間の問題だった。僕は余りにも無力だった。
ある日妻が僕に云った。「化学療法を止める。治らない病気を苦しんでまで戦いたくない。QOLを上げることに協力して欲しい。」
つまり、彼女は、死を受け容れることにしたのだ。
彼女の発病から5年が経っていても、僕にはまだその心の準備が出来ていなかった。
続きます。