10/02/17 00:51:13
医学的に見れば、喪失体験に伴う反応性の鬱だお二方とも。
が、
そう言った客観的括り等では測ることなどできない、
当事者の方の心中、お察ししたいと心から思う。
願わくば>>151のような発想の転換を、
近い将来できるようになることを期待して止まない。
158:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/18 00:29:52
結局、時の力に頼るしかないんだよな。
もちろん、時が解決してくれるわけではない。
でも、>>151のように違った答えを得ることができるかもしれない。
それまで、妻を忘れずに生きてくことが供養なんだと思う。
前スレで誰かが言ってたけど、
次に妻に会ったときの土産話を増やすために生きてく。
それもありだよな。
そんなこと考えてるうちに、自殺願望は薄れていったよ。
死ぬべきときには、きっと妻が迎えに来てくれると自分に言い聞かせてたらね。
どんな形でもいいから生きてこうぜ。
159:名無しさん@お腹いっぱい
10/02/18 02:25:21
>>155 156さんの気持ちは痛いほど理解できる。
俺も喪失感などから幼かった子供達を連れての自殺を考えた。
でもな、ふと
「幼い子供達を残していかなければいけなかった妻のほうが
とんでもなく辛かったはずだ」って事に気づいたんだ。
最愛の人を亡くした痛みが癒えるのは人それぞれだから
何時までとも言えないが、奥さんの辛さを考えたらここは我慢の為所だ。
幼かった我が子達も今は一端の大人気取りになるまで育った。
2人とも息子なんだが、毎年バレンタインデーには俺にチョコをくれるよ。
160:156
10/02/18 10:05:10
>>157,158,159
暖かいお言葉をありがとうございます。
同じ辛さを体験した先輩方のお話なので身に沁みます。
161:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/18 14:29:04
>>159
>幼かった子供達を連れての自殺を考えた
死ね
162:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/18 14:38:44
>>161
もまえは、日本語勉強しる!
心が一番弱ってるときにふと魔が差したように考えちゃっただけだろうが。
その後たち直おってんジャン。
もまえも含めて、みんな生きる!!
163:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/18 15:16:18
>>162
魔が差したとしても、子供に手をかけることを考えちゃいかんだろ
擁護するお前もまとめて市ね
164:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/18 15:26:09
というか氏んだ気になって精一杯生きろ
165:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/18 15:27:32
むしろ、生き抜いて氏ね。
166:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/18 17:39:48
>>161 >>163
このスレで他人に氏ねっていう人格について。
167:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/19 03:23:34
冷静にまわりの事を考えれば、自殺はできないけど一人になるとしんどいよ
上から、嫁はこんな俺を見て、情けないなと思うんだろうか
こんなことを感じなくなる時は来るのか
嫁と話しがしたいな
168:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/19 03:27:58
>>167
それは、きっとずっと未来に叶えられるでしょう。
でも、その時にどんな話するの?
上にも書いてる人がいるけど、お土産話・・
嫁さんと楽しくなれるような話題を作っていかないと怒られるよ?
169:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/21 23:30:13
そんな追い詰めるような事いうなよ…
170:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/22 16:28:27
>>166
そういうノリがいやなら、他へいけ
171:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/22 16:54:30
同じ境遇同士オフでもしたらええんや
172:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/25 15:00:53
167ではないが自分も1年前に嫁が死んだ。
30代子供はいない。
人には極力会いたくない。
が、人にはかまって欲しい。わがまま。
直後は友人には迷惑をかけた。
もう迷惑かけれないと思っていたら
いつの間にか心を開けられない自分がいた。
で、ここにたどり着く。
死にはしないが、早く寿命が来ないかなっていつも思う。
いつ死んでも人に迷惑かけないよう自分に保険を掛けた。
同じような日々をあと平均寿命まで40年程繰り返す。
長い。
173:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/25 20:38:27
ここにこんな場所があったんだ
みんな、はじめまして
俺の嫁は俺の手から離れて行って今年で15年になるよ
はじめて俺のことを真剣に愛してくれた女性だった、俺も真剣に愛したつもりだ
突然亡くなって、葬式が終わるまで涙が出なかったし、ほとんど眠れなかった
嫁の命がなくなる直前まで話をしていたことが今も忘れられない
俺は何とか嫁から卒業し、愛せる女性と巡り会うことを願っているつもりだが
結局は結婚直前まで進んでもうまくいかなかった
その前に長年付き合った彼女には「今もあなたには奥さんがいる」って言われてショックだった
彼女にも悪いことしたと反省してる
この板の「愛してる」のスレを見てたら、いろんなことを思い出したよ
嫁が逝けるように、俺が執着することを止めようと決心してから随分時間が経つ
嫁のおかげで自分の中で大きな内的体験もした
嫁のことを忘れることはないけど、卒業しようと頑張ったつもりだ
でも昨日は何年かぶりに急に涙が溢れてきたよ
やっぱり俺は嫁から卒業できてないんだな
すまんね・・・一人語りで
174:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/26 02:34:56
ここはそういうスレ。
吐き出したくなったら、都度、来れば良い。
誰もが話を聞いてくれるさ
175:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/06 19:36:51
hosyu
176:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/09 02:28:35
女房に早く死んでもらいたいと思ってたら本当に事故に遭って死んだ。
表立って口ケンカはしなかったがいつも不快を抱いていた。
やることなすこと全て鬱陶しかった。
こいつが死んだらもっと若い女房をもらって、とよく妄想した。
葬式が片付いてからあいつが使ってた食器や
趣味で集めてたガラス細工を片っ端から壊した。
ざまあみろと思った。
へそくりでもしてるかもしれないので
机の鍵付き引き出しも壊して開けた。
ノートが6冊あっただけだった。
何年経っても子供ができないことや俺が浮気してるかもしれないことについて
延々書かれていた。
子供ができないのは俺のせいだし浮気もしてなかったのに馬鹿な女だと思った。
一人で悩んで真相を知らず轢き殺された馬鹿。
一回読めば十分なので6冊全部破って捨てた。
あれから何もする気がしない。
177:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/09 09:40:20
と言う夢を見た
178:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/12 01:05:54
>>176
まぁ... なんだ、その...
そんなに自分を悪者にしなくてもいいぢゃまいか?
179:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/14 09:22:59
今頃の季節は 眼から汗がででも ハナから水がででも
花粉症だってごまかせるから 楽だ。
お彼岸だな 会いにいくか
180:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/14 17:40:56
あああ早く一刻も早く死んで欲しい
181:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/15 10:34:20
いつ死ぬか分らないのを待つよりも、お前が自主的に死んだ方が早いかもよ?
182:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/15 12:45:53
氏んでほしいスレはここじゃないよ
183:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/16 16:28:14
こんなスレがあったんですね。
入院末期や葬儀のことは、
もう魂の抜けた操り人形のように何も考えないようにして動いていたのであまり覚えていません。
ただ、納棺前二人きりになった時見る影もなく痩せてしまった体を抱き寄せたら
「くぅ」と声を出したのが、
ただ肺から空気が漏れただけだとわかっていても辛かった。
今でも夢に見ます。
184:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/17 23:32:40
Forgiving 吉田美奈子
URLリンク(www.youtube.com)
事故死した夫の生田朗氏に捧げられたレクイエム
185:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/18 01:04:27
でもそれ浮気相手と旅行中だったんだよな・・・切ない。
186:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/18 09:08:29
マジか
コメントのしようがないぜ
187:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/18 19:36:50
ネタみたいな本当の話。
アメリカに出張しているはずの夫がメキシコで交通事故死し、車には自分も知っている女性が同乗していた。
吉田さんは現地で、夫の亡骸にアカデミー賞の時に着用したアルマーニのタキシードを着せ、
棺にはホテルで買い占めた深紅のバラを入れた。
坂本龍一氏と共に「ラストエンペラー」にも出演(日本人医師役)して授賞式の翌年の事。
188:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/20 21:01:35
>>183
それ、嫁さんが「いままでありがとう。愛してる」って言いたかったんだよ。
でも、おまいのしょげ返った姿を見て言葉にならなかったんだよ。
だから、また会った時に「待っててくれてありがとう。俺も愛してる」って
言えるようにしっかり生きれ。
189:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/28 11:38:43
桜きれいに咲きだした…
今年も写真連れてお花見にいかなくっちゃ…
190:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/29 14:16:05
桜かー…
うちの嫁も好きだった。
逝く直前の「最後のお願い」がさ、「桜の根元に撒いてほしい」ってやつだった。
「骨灰だからね、きっと害にはならないと思うんだー」って、精いっぱいの笑顔で。
で、少しだけ、骨上げの時、灰をさ、取っておいたんだ。
でもさ、撒けないんだよな。6年も経っているのに。
俺があっちに行くときに一緒に、撒いてもらうかと思っている。
191:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/29 17:38:11
気持ちは分かるが撒いてあげんさいや
192:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/01 13:19:04
いつか「あ、この木だ」と思う桜の木に出会えるかも知れん。
その時に、そこに撒いてやれ。
193:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/03 19:09:00
俺も早く嫁の元へ行きたい
あの笑顔をもう一度見たい
15年経っても、いまだに他の人を愛せない
寂しい寂しい寂しい寂しい
194:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/05 17:41:16
今年も桜を見に行った
6年前まで妻とよく行った場所
それからは一人で行くようになった場所
去年までは写真を持っていくというアイデアがなかったが
>>189に習って今年は二人で花見と洒落込んだ
寒かったけど写真を持つ手は少し暖かかく感じた
いろいろ思い出して久しぶりに泣いてしまったよ
195:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/14 19:54:16
なぁ、みんな。
この苦しみは時間では解決できないのだろうか?
196:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/16 11:29:34
大きさは変わらないけど若干は角が取れる気がする
ビックリしなくなるという感じかな
197:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/17 02:54:51
嫁の好きだった歌でさ、昔シティハンターのエンディングに使われてた歌があるんだよな。
その歌をたまに聴くと、やっぱり泣けてくる。
still love herって言うんだタイトル。
198:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/17 09:43:02
あー俺も大好きだわ、その歌。
TMNのな~
12月の星座がいち~ば~ん素敵だと~僕を~ドライブへ~と~誘った~
車のサンルーフか~ら~星をよく眺めたね~
君はよく歌ってい~たね~
199:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/19 15:08:55
カスラックの方から来ますた(・∀・)
200:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/19 23:21:57
うちの嫁はコレが好きだった
URLリンク(www.youtube.com)
スキだった歌っつうだけでも胸がつまるのにこんな歌詞
もうまともに聴けず
以前俺が聴いてたら嫁が鼻水だして泣き出した
それ以来お気に入りになったようで変な振り付けしながらよく歌ってた
『嫁子は俺ちゃんより先に死なないから
看取ってあげるからね~』て言ってたんだけどな。
うっかり屋だったけどこの約束をこんな早くにうっかりされるとは思わなかったよ
早く会って上目遣いで笑いながらゴメンって言わせたい
201:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/05 16:33:06
一人になるとすごく感傷的になる
202:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/07 00:57:25
この春から一人暮らしになった。上の子が短大出て就職、下の子も大学進学で
家を出た。嫁が亡くなった当時は中二と小六だったんでやっと
肩の荷が下りた感じだ
さすがに死を理解できる年だったから二人ともすごい泣いてさ。だから俺が弱音
吐くわけにはいかないと思って。嫁がしてた家事とか負担するようなって、
毎日がめまぐるしくて正直嫁のこと思う余裕無かった
けど、今は一人の時間が増えて、妙に嫁の事思い出すんだ。
「いつか子供が独立したら、二人で何しようか。どこいこうか」なんて
何気ない会話とかさ。写真とか見るといまさら泣けてくる。
葬式のときは流さなかったのに
203:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/07 01:03:44
この連休も3月のときは子供とメシ食いながら
「やっとまともな休みだ。遊びまくってやる」とか笑いながら
話してたのに、いざ休みになってみると何もする気起きなくて
昔のアルバム引っ張り出して結婚前の写真とか見て思い出に浸ってた
ここまで子供育て上げたしもう弱音吐いていいよな
寂しいよ…
長文スマソ
204:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/07 09:18:17
>>202
お疲れだったな。
思う存分吐こうぜ。
205:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/11 15:24:12
亀レスだが>>202さん凄いね
いやマジでスゲーよ、本当に凄え。尊敬する。
口では何とでも言えるが、俺なんかすぐヘコたれる。
すぐ泣きが入る。
すぐ嫁に助け求めたくなる。
俺のガキが成長する頃には2chもここも残ってないかもだけど
いつかは報告しに来たい
なんとかやり遂げないとな
206:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/12 02:10:55
こんなスレがあったとは。当日さんざん探したのに。まさか既婚男性板とは。
10年連れ添った嫁が、5年の長きにわたって、
勝手に浮気して、勝手にフラれて、そして勝手に死を選んだなんて
普通に考えたら怒り心頭で相手の男を探しに行くものかもしれない。
でも俺は感情のネジが足りないらしく、あまりそういう気分にはならない。
というか、どうやら君は相手を想いつつも俺への想いも変わらなかったようだから。
だいたい、そうなったのも全て俺のせいかもしれないのだから。
若気の至りとはいえ浮気もしたこともあったし、毎日帰りも遅かったしな。
今はただ、君が残した言葉、「あなたの幸せを願っています」だけを頼りに、
とにかく幸せに楽しく生きてる。それが何よりの君への供養になると信じて。
まだ2ヶ月もたっていないけど、初めての自炊もしてるし、弁当作ってるし、
洗濯も掃除もしてるし、何一つ滞りなく生活してる。
ただ、「君がいなくても幸せな生活」を送れば送るほど、
君のとった選択を肯定することになり、悲しくなるんだ。
俺が今後の人生で得る全ての幸せに、同時に悲しみがついてくる。
それに耐えて尚、幸せを集めることが、俺が一生をかけて行う
君への償いなのかもしれない。
だからここに誓うよ、俺は幸せに生きると。とにかく楽しく生きると。
207:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/12 16:03:54
そら死にたくもなるわな
208:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/12 23:25:21
吐き出しが続いてるようだが、俺も他人にレスできる余裕ねえから
失礼な。
嫁さん死んだ。事故。
子供は夫婦正社員共働きで作って育てようなーって
2人して相談して結論でて、1ヶ月目くらい。
通勤途中で事故って死んだ。
専業主婦になりたがってた嫁を俺が説得した。
俺が仕事辞めろよっていったら死ななかった?
子作りの前に専業主婦になれって言ったら死ななかった?
あるわけない。死ぬか離婚かなら、離婚して次の男捜すガッツの
ある女だった。
なのに事故。亭主捨てて死んだバカ女。
俺が嫌になって逃げてくれてたらよかったとか思う。
逃げて他の男と生きてたら、何十年しても探して連れ戻せた。
なのに死にやがった。
死ぬくらいなら、お前が専業主婦で子育てしてた方が
まだよかったのに。
時間が戻らないことがこれ程理不尽に感じたことはない。
もう、どうすりゃいいのか判らない。
209:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/12 23:45:10
>>208
どう考えても結論は出ない
現実を受け入れるしかない
嫁はいなくなってしまったが、お前はこれから長い人生を生きていかなければならない
お前が天寿を全うしなければ、嫁もあの世で悲しむぞ
210:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/12 23:56:53
嫁の生きた証としてお前が生きる。
新しい嫁をもらって子供や孫を作り、死んだ嫁の話をきかせてやれ。
211:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/13 21:41:07
>>208
自分を責めたって、仕方ないし誰にも答えは出せないよ。
今子供は今いくつだよ?
今は子供を一番に考えてあげる時期じゃないか。
212:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/14 02:09:28
読解力のない>>211は華麗にスルーで(w
213:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/14 23:39:24
あ、レスくれた人が居る。
ありがとな。
明日が休みだと思うとやり切れん。
嫁と2人で遊びに行ったり外食してたりした休みは、
楽しすぎてあっという間に終わってたのに、仕事のない
土日が死にそうに長い。
>>211
>新しい嫁をもらって子供や孫を作り、死んだ嫁の話をきかせてやれ。
ムリ。激務に疲れて専業主婦になりたがってたのに、
俺が「子供がピアノ習うとか医大に行くとか言うかもしれない。
少なくとも若いうちは2人で稼いだ方がいい」って言ったら、
頷いた嫁が忘れられない。
クタクタで帰ってきて「いずれ子供の学費、と思うと結構頑張れるね」
って笑った嫁の笑顔が頭のど真ん中にこびりついて離れない。
もう生まれる日のこない子供。
嫁も俺も、凄く子供が欲しかった。
嫁と俺の子供が欲しかった。
未来が真っ黒で見えない。
214:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/15 11:13:51
ガッツがある女でもさ、体は女なんだよな。
弱いんだよ、強そうに見えても。
女ってのは体力も筋力もないんだ、驚くほどに。
215:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/15 13:20:49
まぁ、あれだ...
今は誰に何を言われようと、
おまいの精神的ショックが埋まることは難しいだろうから、
精一杯悲しむのが良いのではないかな...
悲しみの深さは、嫁に対する愛情の深さに比例する筈。
でも、それをこういったところで吐き出し、
他の共感を得ることが、
これからのおまいのリカバリーにとって、
必要なプロセスであることを信じている。
辛いだろうが耐えろ。
このスレの奴らがみんなついているぞ。
216:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/16 18:06:54
ノ 俺も>>208には生きて欲しいぞ
217:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/17 14:23:12
俺も影ながら応援してるぞ>>208
218:208
10/05/19 23:41:58
あ、またレスくれた人が居た。
何か縋りつきたい。
愛情とか何とか解んねー。
ただ、何もなくなって空っぽだって気持ちだけしか
今はない。
嫁の両親に保険金と嫁の貯金を渡そうとしたら、
拒否られた。
「あなたが再婚して子供が出来たときに使って欲しい。
娘もそう望んでいると信じている」
って言われた。俺は望んでねえよって言い損ねた。
俺と付き合ってる間、結婚するとき、そいで夫婦で居る間、
嫁がどんだけどんな風に俺のこと話してたか聞いた。
『ケンカしても100年先も一緒に居ると思うよ。2人でワンセット。
何かもう、家族だから一緒に居るのが当たり前って感じでさあ』
嫁は大嘘つきだ。
一緒に居るのが当たり前なら、帰って来い。
219:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/19 23:53:29
>>218
Romっていたけど、218の書き込み読んで泣いた。
うちの嫁も同じようなことを言っていたから。
俺も自殺を考えていたけど、それは棚に上げて、
218には生きて欲しい。
あと、嫁の両親も大切にしてあげて欲しい。
220:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/19 23:57:26
>>218
そうやってくよくよしていても、あの世の嫁は喜んでくれないと思うぞ
221:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/20 00:12:42
>>318
縋りつけよ。
レスくれた奴らに絡めよ。
みんな許してくれるさ。
お金の件は、嫁さんの両親の気持ちを、彼らの立場になって考えてみな。
彼らにとってそれ以外、どういった対応があるかいな。
まぁ、おまいにとっても渡す以外の対応はなかったんだろうけどさ。
あ、おまいの嫁さんが大嘘つきだったことは認める。
222:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/20 01:11:16
>>221
おまえ、このスレで安価ミスとはな・・・
223:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/20 06:59:26
さぁ、ロングパスが出ましたw
224:221
10/05/20 09:20:09
>>222, >>223
すまそ
225:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/20 10:22:01
金は預かっとけ。いつかは使い道が見つかる。
親にしてみたら、いなくなった娘の代わりに金が返ってくるのは
却って耐えられんのだろう、今はまだ。
金も再婚話も棚上げしとけ。
まだそういうことを考える時期じゃないと思うよ。
226:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/20 19:26:47
親御さんも218もまだそんなことを考えられる心境じゃないだろう品。
227:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/16 18:30:02
日曜日、息子が彼女を連れてきたよ。
少し照れながら、でも「紹介するよ」って頑張ってた。
相手のお嬢さんは明るくて優しそうで、しっかりしていた。
君の写真にもちゃんと挨拶してくれたね。見ていてくれたかな。
どことなく君に似ているところがあった、かな。
やっぱり僕と息子は好みが似るのかもねw
15年前、まだ小学1年生だった彼は、君の死を理解できずに戸惑っていた。
2ヶ月位経ったある日、突然泣き始めた。
「お母さん..」と繰り返しながら、僕の胸で2時間程泣き続けた。
僕も泣いた。彼を慰めることもできずに泣いた。
あの泣き虫小僧達が立派に育ったもんだと思わないかい?
あの二人がこの先どうなるかは分からないけど、温かく見守っていてあげてね。
僕らみたいに仲の良いカップルになれるかな。なれるといいね。
来月お墓参りに行きます。しばらく行けてなくてごめんね。
ずっと愛しているよ。
228:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/16 22:02:16
>>227
ごくろうさん
これでオマイも立派なお爺ちゃんだ
あとは嫁の想い出を懐かしみながら、あの世で逢えるのを楽しみに余生を暮らすといい
229:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/16 22:19:57
おいおいw
>>227 はまだ50過ぎくらいだろ。
平均寿命で20年以上それじゃ、ツライと思うぞww
230:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/17 11:24:16
泣けた。
231:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/17 13:28:50
俺も
でもよかったな>>227
232:227
10/06/17 17:54:14
>>228-231 レスありがとう
息子はまだ学生だからね、孫は少し先の話だと思うんだぜw
でも、期待はしててもいいのかな。
上手くいけば再来年、彼は社会人。就職難民にならないことを祈るのみw
彼が無事就職して、忙しくなって、父親との距離が開きはじめたら、一週間ほど休みをとるんだ。
そして、妻と行った旅行先をもう一度ゆっくり訪ねてみたい。
周囲からみると「おひとりさま」かもしれないけど、子育てを卒業できた両親として、二人でのんびり思い出を語り合いたいな。
ROMに戻るよ。
233:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/17 22:46:09
俺もやったよ。妻との思い出があるところへの旅行。
だが行くたびに夜旅館で布団に入ると、酒のせいもあって少し泣けて来るんだよなぁ。
でもそれはどんなに時間が経っても嫁の事を忘れていない証でもあると思っているよ。
ま、ハンカチ大目に持って行きな。
234:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/17 23:32:34
>>233
飲むのがいけない
酒を飲むと人間感傷的になる
だから、嫁と決別してから酒は一切飲まない
235:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/26 13:07:17
頭がゆるいのか
シモがゆるいのか
少なくとも愛してないのはわかる
236:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/26 20:16:08
ぱん
237:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/26 20:46:21
>>235
どこに「尿を漏らした」と書いてある?
238:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/27 08:28:48
アホはスルーしようぜ
239:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/27 16:52:19
すみません、書き込みさせてください
妻とお腹の中にいた子供を同時に亡くしてしまいました
妻は自分の命と子供の命を引き換えでいいからと懇願していました
先生や看護師さんたちは、どちらも助かるように努めてくださいました
私には、祈りながら励ましながら、妻の手を握ることしかできませんでした
遺影の中の妻が、励ますように微笑んでいますが
今はまだ、何をする気力も涌きません
240:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/27 17:50:51
2CHに書き込む気力はあってもか?
241:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/27 18:09:26
>>240
オマエはカエレ
どうしようもない時にすがるものが欲しい人間だっているんだよ
242:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/27 20:55:22
>>241
それが2ちゃんだけって言うのも悲しいな
243:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/27 21:00:11
すがる先が2chってのもなぁw
244:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/27 21:36:13
>>239
暫くは何もしなくていいさ。苦しくてしょうがないけど生きてさえいれば一秒一秒でもたしかに時間は過ぎていくから。
悲しさや辛さは時間が経って薄れるとは言い切れんが、少なくとも生きるための力は少しずつ出てくるから。
245:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/27 22:21:51
>>239
いい機会だから寺にこもって修行してみな
1週間もいればいい
きっと変われる
ただし新興宗教の寺はダメな
江戸時代からある古い寺がいい
246:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/06 11:46:24
しばらくは変わらなくてもいいんじゃないか
247:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/06 21:10:07
無理に変わろうとすると心の負担が大き過ぎて良くない方に向かってしまいそうだな
248:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/06 23:17:03
いや、嫁への熱い思いのエネルギーを別のモノに転換しないと、身も心も内部崩壊してしまうんだよ。
永遠の片想いみたいなモンだからな。
249:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/07 09:33:51
浮気咎めるやつ死んだからヤリ放題
オマエラ、いつまで凹んでるんだ
250:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/07 18:49:45
>>249
オマイは気団板にくる資格がない
251:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/08 00:49:42
>>250
こういうカキコを見るとこの板の良心を感じるお
252:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/08 11:31:26
嫁を思いながら他の女を代用する
色んな女を代用できていいじゃん
なんで批判されないといけないのか…
253:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/08 14:38:20
ここは嫁に未練を残してる奴らのスレだから
254:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/08 15:05:38
>>252
最初はそう思っていろんな女の子とやったけどね。
でも、もう飽きた。
やったあと幸せだったのは、嫁との後だけだったってことが
はっきりわかっただけだった。
特に、一番最初のと、一番最後のと。
今でも夢に見る。
嫁が作った冷たいパスタ食いたいなー。
255:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/08 15:35:55
ぐぅ、ダメだ、このスレ仕事中には読めない。
悲しすぎる
256:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/08 15:39:49
>>255
いや、仕事しろよ
257:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/08 17:49:55
もうすぐクビになるので良いのです
258:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/08 19:30:07
クビになったら嫁が泣くだろ。
うちの場合は子どもがいるから、なんとしても職は死守せねばならん。
約束したから、嫁と。
約束破りでもしたら、30年後迎えに来てもらえなくなる。
259:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/09 02:37:08
>>258
ガンガレ!
260:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/09 08:04:51
嫁の遺品をやっと整理できた
半年もかかったぞ。なんだよあの量は。
付き合った時からプレゼントしたもの全部大切にしまってんじゃねぇよ……
もうさすがにないよwって言ってたくせによ
くそ、必ず文句言いに行ってやるから何年かかるかわかんないけど待ってろよ
261:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/09 11:31:57
>>260
ナイタ
262:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/09 14:55:32
今日帰ったら嫁に優しくしてやろう。
あいつがいなくなったら俺は生きていけないだろうし。
263:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/09 17:45:37
亡くなって2年経ったが遺品整理なんかできない
なんか生きていた証を整理するみたいで。
タンス4棹もある服、どうすんだよ
264:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/09 21:15:51
>>263
お前が着る
265:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/12 11:26:29
その発想は無かったわ
266:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/20 15:33:28
さすがに嫁の服に袖を通したことはなかったが、一度だけマフラーを首に巻いて出かけようとしたことがあった。
嫁の匂いがして涙がとまらなくなって、やめちゃったけどw
267:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/20 15:50:51
オマエラに非があったから、嫁は若くして死んだんじゃね?
知り合いの男は、不倫しまくって女騙しまくって嫁泣かせてた
で、嫁は病気になって
回復せずに死んだな
病気中も不倫してて、嫁は心労がたたったんだな、きっと
それか、騙された女ののろいか
268:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/20 17:15:43
凄いですね不倫板の妄想サレって
噂には聞いてたけど、ここまで心身が狂うとは。
南無>>267
この板から消えろ。
といっても専業主婦は2チャン三昧で時間潰すことで
毎日を送ってるからな。再度南無。
269:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/20 17:32:29
>>260
いい嫁だったんだな
涙
270:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/20 19:18:08
>>266
やめろよ。想像するだけで泣けてくるだろ・・・
271:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/20 22:47:01
>>266
最後のwが興ざめだ
272:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/20 23:38:53
笑い話にでもしないとやってられんのだろう
273:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/20 23:42:13
だな
察してやれよ >>271
274:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/21 05:34:31
>>271
おまえが興ざめ
うせろカス
275:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/21 18:54:54
おまいらモチツケ。ここは殺伐とさせちゃなんねーって死んだ嫁さが言ってただ。
276:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/21 20:45:00
>>268
南無ってわかって使ってる?
「帰依し奉る」
って意味だぞ。
不倫板の主婦に帰依して何の宗教だよw
277:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/27 15:09:12
客先から会社へ戻る途中、昼食のためファミレスに立ち寄った。
いつもなら立ち食いそばなんだが、こう暑いと涼しいところで休みたかった。
幸いにも待ち時間無しで座れた。狭いテーブルに一人。
隣のテーブルに4~5歳くらいの娘とその母が食事を終えて帰り仕度していた。
その時に聞こた会話。
娘「ジージとバーバは、もう帰ったの?」
母「ええ。でもまた来月に遊びに来てくれるって言ってたよ。」
娘「よかった。パパが遊んでくれないからジージに遊んでもらう。」
母「・・・・」
父親が構ってくれないのか、と思ったが、次の言葉が残酷だった。
娘「なんでジージもバーバも、パパの写真を見て泣くの?」
小さい声だった。
母は数秒沈黙したが、「さあ、行きましょう。」と言って娘を急かし、
レジへ向かった。娘も後を追った。
聞こえたのはこれだけだから詳しい背景はわからないが、多分あの娘の父親は他界したのだろう。
自分は、妻が先立って2年。子供はいない。
久しぶりに何か悲しい気持ちになったので、吐き出すつもりで書いてみた。
オチがなくてごめんなさい。あの母娘の将来に幸あれ。
278:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/27 16:44:38
その母が写真のパパだったのかも試練ジャマイカ
いやすまん><
279:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/27 16:56:09
そらジージもバーバも泣くわな、ってバカヤロー!>>278
280:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/27 18:14:17
不倫の挙げ句借金こしらえて出て行った父親だったとしたら、両親も泣くかもなぁ
281:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/03 12:12:45
もう少し素直に見てあげてよw
282:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/10 10:21:43
服や化粧品、ネックレスとか身に付けていた物より
ケーキ作りの道具を見た時が一番辛かった。
家族ひとりひとりの誕生日にケーキ焼いてくれてたもんな。
283:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/10 13:01:55
俺はスタンプ欄が真っ白のパスポートだな
夏休みは10年ぶりくらいに海外行くつもりで2人で作ったんだけど、
使う間もなく逝ってしまった。
いまだに俺のパスポートも真っ白なままだ。
284:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/10 23:54:51
>>282, >>283
盆だ。おまいらの嫁さんもきっと帰ってくるぞ。
枕元に立つだろうから、今から文句言う準備しとけ。
まぁ文句言う前に指導が入る可能性が高いと思うが。
285:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/12 07:45:25
なぁ、どうしていいか、わかんないんだ
いいなって思う女性がいる
ただ、これが好きって気持ちなのか分からない
だって10年以上、人を好きになる必要なかったんだもん
妻以外、好きになっちゃいけないよね
妻が逝ってからもうすぐ3年。
彼女とは妻と全く関係無いところで出逢った
妻と同い年、二学年上。
で、彼女には結婚してたこと、亡くなったこと、伝えていない
というのは、どういう訳か、妻が亡くなってから自分の周りからドンドン人が離れていってしまったから。
きっと、つき合いづらくなったのかな、と思う。
妻が亡くなってから仲良くなった女性で、話すタイミングもなかった…
その伝えていないこと、好きになってるかもしれないこと、でも妻への想いもある。
すごく葛藤してる
いまだによく妻に話しかけている、いってきますとか、楽しいことがあったよとか。
でも彼女との話しはできないんだ…
286:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/19 12:08:29
スレ住人の中に、再婚した人っているのかな
287:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/20 22:01:08
篠原涼子のオヤジさんもこんな気持ちだったのかな
娘の花嫁姿を見てもう思い残すことがなくなったんだろうな
288:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/29 14:03:16
>>285
オレだったら、だけど、その彼女に全部話すかな。
だってさ、今の「オレ」って、嫁と出会って、結婚して、
…そして、嫁があっちに行っちまって、
そういうことを経験して出来上がったものだと思うから。
全部話して、それでも「いいよ」って言ってくれる人じゃないと、
この先長いor深い付き合いってできないと思う。
289:名無しさん@お腹いっぱい。
10/08/31 11:32:32
>>285
その彼女のことを大事に思うのなら、最初に話しておくべきだと思うよ。
葛藤するのはもちろんだ。
だが、俺たちは生きていかなきゃならないんだ。
先立ったアイツを安心させてやるためにもな。
一歩、先に進む勇気を持ってほしい。
誰に何を言われても、俺たちは味方するぜ。
290:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/13 18:59:02
ようやく猛暑も一段落しそうだな
アイツがいる天国も暑かろうと、仏前に供える水に氷を一つ入れていた作業も、そろそろ終わりにしよう
291:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/13 19:06:12
天国って暑くないはずだが・・・
熱いのは地(ry
292:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/13 19:33:26
>>291
温暖化している地球ですね、わかります
293:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/13 20:44:34
いや、地熱だよきっと。
294:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/20 03:27:02
1ヵ月後に結婚する俺には重たいスレだ・・・。
なんだろう・・・、この重さ・・・
鹿屋や知覧の特攻隊員の遺書を読んだような・・・、いや当たってないか・・・
幸せになってください。先に逝った奥さんの分も。
295:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/20 07:00:32
俺にはこのスレ辛すぎる
嫁の分までシッカリ生きてくれ
そして子供がいるやつは嫁に孫を見せお前の偉業を嫁に報告してくれ
296:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/20 16:19:32
もうすぐ秋のお彼岸だ。
嫁が好きだったキキョウを備えてこようと思う。
子供は中学受験のためその日は朝から夜9時まで塾に缶詰だ。
「ママ、私がいなくて悲しまないかな」って心配してるから、
「大丈夫、『○ちゃん、頑張れ!!』って言ってるよ。そういう人なんだから」って言っといた。
娘の人生の最初の関門だ。応援しないような女じゃない。俺が一番よく知ってる。
297:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/20 18:53:24
>>295
合格したら墓前に報告も忘れずにな
298:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/20 23:52:00
八年連れ添った嫁に先立たれて早二年が経った。最近ようやく嫁の荷物を整理し始めたのだが、思い出が詰まりすぎてて捗らない。
生前、子供に恵まれなかった為に猫を2匹飼ったのだが、この猫達は嫁が大好きだった。寛いでいる時も寝る時も常に嫁の横から離れなかったんだ。
嫁がいなくなってからは大変だった。飯は食べない、トイレはしない、動物病院通いを余儀なくされた。
だが、ある日、2匹の猫が嫁の愛用していたソファーを見つめニャーニャーと鳴いたんだ。そしてグルグルと喉を鳴らし始めた。
俺はその光景を黙って見ていたんだが、突然猫達の飯が入った瓶が倒れた。
平らな場所にしかも太くて高さのない瓶が風もないのに。
俺は何故だかよく分からないが飯をやらなきゃと思い、容器に飯を入れた。
そしたら、猫達は嬉しそうに飯をガツガツ食べ始めて、その日から毎日ちゃんと食べるようになったんだ。
今迄誰にも言えなかったのだが、あれは嫁が現れたんだよな?
そう信じて良いんだよな?
299:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/21 00:03:37
>>298
うん、その通りだし。
今も貴方と猫達を見守ってると思う。
300:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/22 10:40:56
こんなスレがあったんだな・・・
見ちゃいけないと思いつつ見てしまったわけだが
やっぱ俺には辛すぎるわ
301:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/24 08:43:17
>>298
まだまだ暑いな、目から汗が・・・。
猫達と仲良く達者でな。
302:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/25 14:02:05
嫁に先立たれて二ヶ月が過ぎました。
俺30歳、嫁29歳。息子3歳。
何かに夢中になれば考えなくていいんだけど
寝る前とか風呂とかちょっとした時間に酷い空虚感に襲われる。
皆さんもこんな気持ちを乗り越えて来ているんでしょうから頑張ります。
さて、息子可愛がってきますノシ
303:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/27 00:44:17
>>302
息子と仲良くな。嫁が一番喜ぶぞ。
304:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/27 11:22:28
>>303
嫁がいなくなってから息子も元気ない
305:302
10/09/27 11:31:57
>>303
嫁が先立って以来息子が一度たりとも「ママ」って言わないのが心苦しい。
まだまだママに甘えたいだろうになぁ。
306:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/27 15:44:23
今なら新しいママにもなじむのが早いだろうね。
今は考えられないかもしれんが、人は生きていかないといけないものだからね。
特に子供が小さいから頑張らないとね。
307:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/27 22:02:43
>>305
涙
健気すぎる息子。
308:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/29 17:19:26
>>298です
俺は嫁がいなくなる前まで心霊的なものは信じてなかったんだ。だからあの出来事を誰かに認めてもらいたかったんだ。有難う。
昨日、今日と連休で昨日嫁の荷物をまとめていたのだが『嫁ちゃんレシピ』と書かれたノートを何冊も見つけた。
そこには見覚えのある料理レシピと俺が食べた時の様子が書かれていた。
こんなノートがあるなんて知らなかった。
涙が止まらなかった。
同じ料理でも濃さ、、甘さ、焼き加減を変えて俺の反応が良かったのを作ってくれてた。
嫁は口も態度も俺様なところがあったが、やっぱり愛されてたんだなぁと実感してしまった。
古いノートはダンボールに最新のノートは嫁のタンスの中に隠されてた。
今日は朝からスーパーに買い出しに行き『嫁ちゃんレシピ』の料理を作った。嫁の味には程遠いが懐かしい味がした。
泣きながら飯を食ってしまったよ。
日記みたいに書き込みしてすまない。
309:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/29 17:24:44
見るんじゃなかった
俺はここに来たくない
きっと奇跡がおきる
きたくない
310:302
10/09/29 17:36:49
>>308
いいお嫁さんだー
読んでるこっちまで涙が出るよ。
俺も嫁日記発見したけど、出会った頃からずーっと書き記してた。
最後の方はもう見るに堪えない内容だったけど頑張って最後まで読んだよ。
こいつと結婚して良かったと思えると同時に居なくなるのが早すぎると
なんだか自分でも整理仕切れないなんとも言えない気持ちだった。
>>309
後悔しないように頑張って!
311:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/29 17:38:03
>>309
おまえがここに来なくてすむように祈ってやる
312:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/29 19:29:42
> >>309
> おまえがここに来なくてすむように祝ってやる
313:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/29 19:56:08
週末このスレを見つけて読んだせいだな...
ここ3日連続最悪な夢を見て起きたよ。
嫁が死んだときの夢。
うちの嫁は突然朝方脳出血で逝ってしまった。
隣で寝ていた嫁の叫び声で目を覚まして、明らかにおかしい
嫁の様子を見てすぐ救急車呼んだけど、救急車が着いた時には
もう心肺停止状態だった。
嫁が逝ってから1年間は、ちょっと寝るたびにまた嫁の叫び声が
聞こえた気がして起きてしまった。
でも4年経ってここしばらくこの夢は見ていなかったんだけどな。
どうせ嫁の夢を見るなら楽しかった時の夢を見たいんだがそう上手くはいかないな。
>>309
お前みたいなへたれがここに来るのはまだ数十年はやい!
314:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/29 20:26:21
>>313
あの瞬間は俺も一生引きずると思う。
痛いよ。痛いけどそれも含めての嫁との人生だ。
頑張っていこうぜ。
>>お前みたいなへたれがここに来るのはまだ数十年はやい!
そうであって欲しいな。
315:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/29 22:18:28
>>309
俺は良く予知夢を見るんだ。
お前には悪いが、お前の嫁の逝く時の夢を見たよ。
温かい布団の中で、お前や息子・娘・孫達に看取られながら、
しわだらけの顔だったが、安らかな表情だったぞ。
お前の嫁の最後の言葉はお前に向かって
「おじいさん、ありがとう」だったぞ。
おい、309よ!
俺に嘘を付かせるなよ!
316:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/29 22:45:08
>>309
嫁に呪いを掛けた。
嫁とお前が一生離れられない呪いだ。
この呪いが解けるのは、お前達二人が孫にお年玉を上げるまで、
そう、年金をがお年玉に化け、孫にむしり取られるまでは解けない。
分かったか!
317:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/30 07:04:18
>>316
子供がいないので孫はできない
ってことは、未来永劫とけない呪いか
318:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/04 20:04:06
NHKで…
319:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/04 20:13:19
自殺特集やってた
320:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/04 21:12:18
みんなは周りに再婚勧められることないか?
まだ若いんだからとか言われるたびにほっといてくれって言いたくなる。
悪い人じゃないんだけど上司に無理やりお見合い設定された時には、
心底うんざりした。
321:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/05 08:04:22
>>302
あるね、いやもうほんとほっといてくれと。
322:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/05 08:05:36
安価ミス>>302じゃなくて>>320だた(´・ω・`)
323:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/15 19:01:24
それは相手の女性だって気の毒だよな…。
なんか、ほっといてくれって言うとやけくそになってると思われがちだけど
どうでもいい相手にどうこう言われたくないだけなんだよ。
324:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/16 21:19:50
GLAYの新曲聴いたら泣けてきた。
325:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/17 12:58:46
下手過ぎて?w
326:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/18 00:20:04
ここにおられる方にお伺いするのが一番いいかなと思って
レスさせていただきます。長文ごめんなさい。
大学の時の女性の先輩が数年前交通事故で急逝されました。
その先輩とは卒業しても年に1、2度あったりメールでお互いの
近況を報告しあったりしていました。
先日古くなったパソコンを廃棄しようと久しぶりに起動したら
先輩とやりとりしたメールが残っていました。
メールはお子さんの当時の先輩から見たご様子とか、ご自分の
性格に関する内容等でした。
日付はお亡くなりになった頃より数年前のものです。
もしみなさんのお亡くなりになった奥様のこういったメールが
残っているとすれば見てみたいと思われますか?
内容が先輩のご家族に対する愛情が漂う内容だったので
プリントアウトしてお送りしようかと思ったのですが、メールを
ご覧になってまた別の感情を持たれてしまったら・・・と思う
気持ちもありこのまま廃棄してしまったほうがいいのか、悩んでいます。
最近よく規制されるのでもしかしたら何かレスいただいても即答
できないかもしれませんがご意見いただけたらありがたいです。
327:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/18 07:05:01
>>326
あなたは妻を失った男性ですか?
ここに書き込むべき資格を考えてから発言していますか?
YESなら答えましょう。
328:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/18 14:14:42
気団なら質問はOKだろ。で、質問に対する答えは、「やめとけ」
女なら、書き込み自体NG。まあ質問に答えてやるが
「お前は空気読めなさそうだから、やっぱりやめとけ」
329:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/18 15:21:32
気団ならすれ違いの質問でも優しく答えろって?
ココは嫁に先立たれて辛い思いをしている既男が語るスレ。だろ?
明日嫁の三回忌逝ってきます。
330:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/18 16:28:16
女性なら質問スレにでも書き込んでくれ
331:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/18 17:19:54
嫁が他の人間に送ったメール見るほど俺は悪趣味じゃないです。
332:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/18 17:29:22
そもそもメールの内容知らない奴に相談して何になる
333:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/18 19:37:32
亡くなった女性から >>326にきたメールを、その女性の家族に見せるべきか?ってことだろ。
亡くなった嫁が送ったメールが他の人から送られてきたらどうよ、という質問だと思ったが。
334:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 20:31:03
自分語りスマソ。
話の始めはスレ違いに思えるかも知れないが吐き出させてくれ。
10年前の春、私(♂)夫婦と同居している私実両親のうち、母が3年の闘病の末亡くなった。
俺様な父は自分の妻の葬儀にも喪主を私にマル投げ、面倒なことは全て私と妻がやり終えた。
居なくなった母の家庭内での役割を出来るだけ私達夫婦で分担したつもりだが、
私には仕事もあるので、夕飯時などは妻が家事を一人でこなしていた。
父は止める母が居なくなったのを良いことに朝昼晩と酒を絶やさなくなった。
後から判ったことだが、どうやらその頃から、舅の嫁イビリが在った模様だ。
妻は、当時独立してまもなく自営業を軌道に乗せようと必死になっていた私に心配を掛けまいとしていたらしい…
母が春に亡くなり、その夏、妻の身体に異変が起きた。
末期の癌であり、早くて3ヶ月、もって半年だと言う。
長くなるので、分けて書きます。
335:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 20:42:01
334です。
余命宣告に目の前が真っ暗になった。
まだ子供は小学2年生、それも少し前まで可愛がってくれていた祖母を亡くした哀しみを何とか乗り越えたところだと言うのに…
当時サラリーマンから転進して自営を始めて間もない私は、勤め当時とは比較にならない収入を上げられるところまで頑張れたのも、
妻との未来を想定してのことだったのに…
若い妻の生きたい、と言う力を信じて、手術が行われた。切除した部位により、もう息子は兄弟を持つ望みが無くなった。
外科手術、その後の化学療法、掛かる費用は尋常ではなくなっていた。
簡保などでは到底追いつくはずも無く、あれが勤めの頃なら、経済的に破綻していたに違いない、と確信できる。
一旦退院できるまでに奇跡的に回復し、定期的な通院による化学療法を受けることとなった。
しかし、その副作用は当人以外には想像出来ないほどのダメージを与えるものだった。
続きます。
336:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 20:56:34
>>334
思う存分書きな。
337:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 20:57:25
334です。
妻は、自慢の髪が殆ど抜けてしまったとき、さめざめと泣いた。
私は、ただ抱きしめてあげるしか出来なかった。
自分は、もしかしたら、病気以外の苦しみを更に与えてしまっただけではないのか、と。
しかし妻は、母親の大好きな息子に、苦しむ姿を見せることが無かった。
それでも、化学療法は通院と言えど、2週休んで2週入院、と言う半入院生活。
病院に居るときには父が孫の世話をする日が続いた。
それが後々、とんでもない間違いだった、と言うことになるのである。
一年後、1回目の手術で取りきれなかった部位の切除の為、2度目の手術を行った。
1回目に当てに出来た医療保険は、2回目のときには何処にもそっぽを向かれた。
全て自費、である。高額医療費貸付制度なども最大限利用して日々の暮らしを頑張っては見たものの、
目に見えるほどではないが、ジリジリと財政が危なくなるような悪い予感がした。
2回目の手術を終え、定期的な通院による化学療法をひと段落終え、自宅での生活が始まった。
息子は中学受験を目指すことを申告してきた。母の病気を治す医者になる、と。
続きます。
338:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 21:17:32
>そっぽを向かれた
人の命を見殺しにしようとする保険会社の名前を出してください
339:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 21:21:44
>>336
ありがとう。
334です。
もともとお手伝いさんが居るほどの大きな家で幼少を過ごした父は、戦争で何もかも失って孤児院に行くことを余儀なくされた人だった。
それゆえ父は、生来のお坊ちゃんならではの我侭と、戦争孤児により世を恨む虚無主義とが混在している、実に難しい老人になっていた。
そんな父に、妻が入院中、息子が情緒を育まなくてはならないときに、父が孫に吹き込んだ思想、
「どんなときでも自分以外は信用するな」所詮この世は苦しいことだらけ、と言う考え方は、後々息子の思考パターンを支配してゆくことになる。
通院とはいえ、化学療法はやはり患者自身にとっては辛い。
全身を襲う倦怠感、それにより家事も侭ならぬことが多くなってきた。
私も出来るだけ家事に関わり、時間の許す限り手伝ったが、生前の母のような世話が息子の私に出来る訳も無く、
父は酔っては文句を言うようになって来た。
「もう退院してるんだから、家事をちゃんとやって貰わんと困る」
癌が完治した訳でも無く、死に至る病を抱えて、妻は気丈に頑張ったが、
ある日、亡き母に託されていたことを僕の居ない間の夕食時に妻が父に言った
「お義父さん、お酒は控えましょうね。お義母さんにも言われていたのでお伝えしますよ。」
そうすると父は逆上し、
「やっとブレーキが亡くなって好きなだけ飲めると思ったのに、何でそんな事云うんじゃ!
お前の顔見取ったら酒が不味くなるから、二階に上がって貰ってエエ」
と。
そう云われたことがきっかけに、妻は鬱になった。
2回の寝室に引きこもりがちになり、笑顔が減った。
続きます。長い話で申し訳ありません。
340:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 21:37:51
何を酔ってるんだか
341:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 21:52:24
>>338
癌の治療についての保障はしない、と言う名目でした。
334です。
何とか中学受験を突破した息子は、誰よりも強いモチベーションがある、と信じていた。
しかし、後にも述べるが、優しい心の持ち主だった息子は、ずるさを身に着けてしまった。
引きこもりがちになった妻に、父の容赦ない言葉の暴力が降りかかるようになった。
「何もせんのは、甘えているだけと違うのか」
私は当然抗議した。貴方は現状を理解できないのか、と。そうすると、
「ワシは不幸じゃの。親にも捨てられ、妻にも先立たれ、今度は嫁にも見捨てられ、
嗚呼、この世は憎い、ワシはこの世で一番不幸じゃ。」
こちらの話を聞こうともしないで、自室に戻り、寝る。
そんな日々が続いた。出来るだけ息子の目には触れないように配慮したが、
父は、孫と二人のときに、かなり刷り込んだらしい。
「ワシは父に捨てられたようなもの。オマエの父親もそのうちお前を見捨てるかも知れんぞ。
所詮この世で信じられるのは自分だけ。よく覚えておけ。」
父は自分の手を汚すことを是としない人で、掃除、洗濯、調理買い物と、
家事の殆どを私がすることになった。
それでも妻の手をとって一緒に父不在時の折には居間で楽しい時間を演出するように心掛けていた。
どうやら、父には、「彼女」と呼べる女性が外部に居るようである。
そうこうして数年が経った。余命長くて半年、と言われてから6年が経っていた。
私は、病院治療のほかに出来ることは無いか、と、
心もとない英語力を生かして薬事法の所為で国内正規販売できないハーブティーの個人輸入をして
妻にそれを飲んでもらったりして、この数年間は、マーカー値も安定して、今思えばまるで夢のようだった。
しかし、病魔はそれを許さず、確実に進行していたのだった。
続きます。
342:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 21:54:24
>>340
見苦しいなら、引き下がります。
はっきりと申されよ。
343:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 22:10:26
じゃあ市んでね
344:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 22:16:09
>>341
基地外の相手しないで続き書いて
345:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 22:22:35
>>342
書きたいだけ書いて
346:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/19 22:49:43
抗がん剤ってつらいんだよね
髪の毛のこともそうだけど、熱でたり、吐いたり
自分は何もできなくて
飲み物を運んだり、おでこのタオルかえたり、冷えピタとりかえたり、そんなことしかできなかった
情けなかったなぁ
妻の母がいてくれたので、炊事洗濯なんかはやってくれた
助かったなぁ
でも、もっとなにかできたはず。
そう思うと、辛くて、後悔してしまう
思い出すと涙がでてくる
347:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 00:11:23
>>334
sien
KYなレスは放っとけ
348:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 06:18:26
ここは
「傷付いた人の心に容赦なく塩を刷り込めてしまう俺ちゃんってカッコイイ!」
とか酔ってる勘違い中2病の恥かしい馬鹿が1~2名います
>>340>>343がそいつです。
気にしないで書き込んでくれ
349:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 06:55:58
で、もう続かないのか
350:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 19:14:45
334です。
支援して下さる皆さん、有難う。
妻が亡くなって、もう2年半経つのに、まだジタバタしています。
それでも子供は大きくなって行き、父は年老いて行きます。
毎日が進んでいくのです。
僕が凹みきって、歩みを止めてしまえば、全てが終わってしまう。
このおよそ900日弱で、何が変わったといえるのか…
それは、逢いたい妻はもう居ない、逢えない、ということ。
何とか子供が成人するまでは、と、それが妻との約束だ、と思って頑張っているつもり。
思い出して、くじけそうになり、みっともないところを吐き出してしまうかもしれませんが、
どうか許してください。
351:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 19:31:49
334です。
化学療法を5年続けた妻は、疲れきっていた。
息子の成長だけが、妻の気持ちを支えていた、と言えた。
その5年の間に、何度も妻が訴えた。
「お願いだから、殺して。」
「このまま少しずつ弱って死ぬだけなら、今生きる意味は何が在るの?」
泣きながら訴える妻に、僕はまるで壊れたおもちゃのように、繰り返すしかなかった。
「それでも僕や子供にとっては、世界で一番大切な存在なんだ。
子供にとっては、今父親よりも、母親の方がずっとずっと必要なんだよ。」
また時には、掛ける言葉もなく、僕もただ泣きながら抱きしめるしかなかったときも数多在った。
そんな状態でも、してもらえないことに対する不満が絶えず父から僕たち夫婦に投げつけられた。
「今出来ないことがどうしてもある。我慢して欲しい。」と言っても、
父は、「それならワシは、お前らの足手まといだと言うのだな。死んで欲しいと思ってるんだな。」
とすぐに極論に走る。
そんな折、妻の実家の母親(義父は僕たちの結婚の翌年に亡くなっていた)の癌が発見された。
妻と同じ部位の罹患、ストマとウロストミの装着と相成ってしまった。
妻には兄が一人居るのだが、そのアニも糖尿から網膜症、失職して破産手続き、生活保護の対象となっていた。
義母は義父の遺族年金で何とか暮らしていけたが、それでも足りないところは、僕が補わなくてはならない。
今もそうだが、内憂外患、満身創痍の状態だ、と認識するのに、そう時間は掛からなかった。
続きます。
352:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 19:48:00
長文はまずメモ帳などに書き貯めてから投稿した方が良い
353:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 19:58:04
334です。
経済的には、表向きは何とも無いように振舞っていた。
特に子供には、財政が切迫していることを悟られぬように頑張った。
まだ僕の母が元気だった頃、母の悲願であった「持ち家」をもつこと、そうすることで親孝行をしたい、と思った僕は、
30歳になったばかりだったが、勤めから独立をして、25年のローンで土地を買い、小さいながらも家を建てた。
そのローンだけでも月に8万強、ボーナス時には40万弱の支払いが毎年発生する。
事業を起こしたばかりの初めの数年は、それでも幸先良いスタートを幸運にも切れたようなので、
息子を中高一貫校にも進学させてやれたし、母がずっと気にしていたお墓も購入できた。
しかし、妻の治療には、サラリーマンの平均月収くらいの額が平気で掛かってしまう。
前述のように保険が使えない。国保の制度で一番安く上げようとしても、それでも10万以上のお金が毎月治療費として出て行くことに。
それでも、自営業者になったのは、妻の治療費を払う為だったんだ、と自分を納得させながらの日々が続いた。
ふと足を止めようものなら、そのままヘナヘナとなってしまいそうな自分を奮い立たせることで精一杯だった。
気が付いたら、僕は糖尿になっていた。
因果関係もはっきりしないが、EDにもなっていた。
若いときの交通事故で、肝臓障害の残る僕は、自分が医者に行くことも侭ならなかった。
朝5時に起きて子供の弁当、そして父と妻と息子の朝食を作り、
洗濯と買い物、身体が痛む妻の身体をさすり、入浴介助をし、部屋の掃除の後、昼食を準備し、
昼食を取らせている間に夕食準備をし、その後仕事に出掛け帰ったら、
山のように積んである洗い物をし、妻の様子を見、会話をして自分が寝るのは
夜の2時を過ぎないことがなかった。
僕はそれでも、妻に生きがいを持ち続けて欲しかった。
続きます。
354:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 20:18:50
>>352さん、申し訳ありません。その準備が十分ではなかったです。お許し下さい。
334です。
盆や彼岸、年末になれば、僕の家の墓と母の実家の墓(母の兄が当主なのに、世話をしないので母がしていた)、
加えて妻実家の墓と義母の実家の墓参りに僕は車を走らせた。父は、自分が入ることになる墓にすら、世話をしようとしない。
口癖のように、「ワシが生きた時代は、神も仏もなかった。信じられるのは自分だけ」と言う。
今では彼を、自己愛性人格障害者だ、と僕は認定している。その自己愛性人格で、僕の居ないあいだ孫に説いているらしいから堪ったものではない。
それでも、某テーマパークが好きな妻の笑顔を取り戻そうと、大型の休みのときには、車を関西から千葉にまで走らせたりした。
しかし、妻の鬱が頂点に達するのは時間の問題だった。僕は余りにも無力だった。
ある日妻が僕に云った。「化学療法を止める。治らない病気を苦しんでまで戦いたくない。QOLを上げることに協力して欲しい。」
つまり、彼女は、死を受け容れることにしたのだ。
彼女の発病から5年が経っていても、僕にはまだその心の準備が出来ていなかった。
続きます。
355:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 20:34:51
334です。
妻は通院治療を止めた。僕はせめて、「フローエッセンス」だけは飲んで欲しい」と頼んだ。
不味いハーブティーだが、それはしぶしぶ承諾してくれた。僕は毎日、それを煎じて作り、毎日それを飲んでもらった。
日常的には、今までと余り変わらぬように思った。脱毛した頭髪も復活し、妻はことのほか喜んだ。
そして抗癌剤の副作用から解き放たれた妻は、少しずつではあるが笑顔を取り戻すようになっていた。
そんな日々が一年ほど続いた。子供は医者になるべく勉学に勤しみ、成績もそれなりのものを持ち帰ったりしていた。ただ、家族と言う点での家事への協力は不十分だったが。
僕はこのまま、妻の病状が治癒まで行かずとも固定してくれれば、などという幻想に似た希望を持つようになっていた。
相変わらず毒を吐く父に対しても、特に何も出来ずにいた。スルー以外の余裕がなかったと言えば言い訳になるのかも知れないが。
そんな、今思えば根拠のない、甘い夢を見ていたときはすぐに終わりを迎えた。
そう、僕はその時点でもまだ、情けない話、覚悟すら出来ていなかったのである。
2008年を迎えた冬のある夜、妻が暗い顔で僕に告げた。
「ストマから出ていた便が出なくなった。かわりに、奥で閉じたはずの膣から便が出ている。」と。
とうとう恐れていたことが起こった。病気は確実に進行していたのである。
続きます。
356:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 20:48:12
334です。
ここからは、本当に辛い思い出を書くことになります。
もしかすると、キーを打つ手が鈍ることもきっとある、と思います。
そんな時もどうかご容赦を戴きたい、と思います。
あの表面上は平穏な日々が続くかもしれない、などという幻想は、
一瞬にして断ち切られることになった。
つまり、本来の出口でないところから便が出る、と言うことは、
腸が破れてしまっている、と言うこと、そして閉じた膣奥が開いてしまった、と言うことなのだから。
頻繁に腹痛を訴える妻は、それでも救急車を呼ぶことを拒んだ。
まるで押し問答のような日々、そう長くはなかったが、最後は余りの痛さに救急車を呼ぶ事を承諾してもらった。
「な、病院で痛みを取って貰おう。そうしたら、またきっと笑えるようになるよ。」
僕も息子も、半分泣きながらではあったが、妻を精一杯元気付けようと必死だった。
痛さの余りにショック状態の妻。平日の夜中の救急で指定された病院へ付き添う。
思えば、妻が自宅に戻ることは、それ以来もうなかったのである。
続きます。
357:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 20:59:12
334です。
妻が搬送されたときに着用していたTシャツなどは、病院での着衣に着替える為に、鋏などで裁断されたのだが、
僕は未だに、それらが捨てられずに居る。気持ちの悪い奴だ、と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、
どうしても出来ないのだ。
救急で搬送された病院で、落ち着いて眠りについた妻と処置室で一夜を明かし、
翌朝、以前化学療法を施してくれていた総合病院へと救急車で運ばれてゆく妻。
救急車には妻に付き添う息子が乗っている。
僕は、その救急車を見送るときに、付いて行くための自分の車に乗り込んだ瞬間、
溢れ出る涙を抑えることが出来なかった。声を上げて号泣した。何度も妻の名を呼んだ。
何も事態は変わらないのに。
妻の、延命ではなく、終末緩和医療が始まった。
とにかく優先するのは妻の苦痛を最大限に和らげること。
はるか昔に、妻と二人で、そのときを想定すらしていないときに二人で決めた約束事。
最期は、眠るように、と言うこと。
とうとうそのときがやってきたのだ。
それでも僕は、まだ覚悟なんてこれっぽっちも出来ていなかった。
ヘタレの極致、ですよね。
続きます。
358:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 21:21:22
せめて下げろよ。
段々ウザくなってきたわ。
359:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 21:30:35
今,2chが役に立っているところだ。
360:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 21:35:31
そんなこと言ったらまたヘソ曲げていなくなるぞ
361:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 21:37:42
まあ、吐き出せるだけ吐き出せばいいよ。
ここはそのための場所だと思うし。
>>58も色々思うところはあるだろうが、ちっと辛抱しようや。
今日は、嫁の好きだった真澄で晩酌。
そろそろひやおろしがうまい季節だ。週末買ってこようと思う。
362:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 21:41:57
334です。
サゲ方も知らない僕の書き込みをお許し下さい。
この話ももう少しで終わります。
今日はもう事務所を出て、家事をしに帰らなければなりません。
さっきの書き込みの後、歳甲斐もなく泣いてしまっていました。
明日で終わりにします。
ですので、もう少し、ご辛抱を賜りたいと存じます。
おやすみなさい。
363:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 22:01:04
>>362
お疲れさん
「E-mail (省略可) :」の横の欄に半角英数でsageと入れるといいよ
364:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 22:15:07
362です、じゃなくて、
>>362 ですと、入力してくださいね。
365:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 22:49:45
頭悪そうなのがいちいちウザイね。ネタも提供できないクセに、黙って引っ込んでろ。
366:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 22:52:41
>>362
煽る奴らは気にするな
お前さんの辛い気持ちをわかってる人はここには沢山いるぞ
367:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/20 23:47:49
>>365
……ネタ?
368:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 07:07:16
>>365
なんだ、つまりネタが欲しいのか?w
369:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 10:44:14
ネタだろとう本当だろうと俺は気にせんがね。
なんでそうお前らはムキになるんだ?
面白い話や泣ける話が読めたら、それでいいだろ。
つまらん話なら読み飛ばせばいいだけの事。
「あれはネタだ、俺には解る」なんてみっともない事すんなよ。
370:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 11:06:58
ジジイの悪影響受けたっつー息子の伏線がウザイっちゃあウザイがな…早く続きヨロ
371:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 15:34:24
>>332です。
応援して下さる方々、有難うございます。
妻の終末医療が始まった。
搬送されたときのショック症状も和らぎ、安静にして眠っている状態。
担当医の意見では、
「腸間膜に豆が撒かれているように一杯転移している。手術などで取りきれるようなものでは既にない。
それが腸へ栄養を運ぶ血管を圧迫して塞いでいる状態。遠からず腸が壊死をして、
恐らくはそれが原因となる死、ということになるだろう」とのこと。
一月持てば良いほうだそうだ。
それでも覚悟の出来ない自分。しかしそれよりも、妻との約束で僕は頭が一杯だった。
「苦痛だけでも取って頂ける方法というのは在るのでしょうか?」と尋ねると、
「もう、小腸から先は機能していないと思われますので、何も食べられないし、飲めません。
点滴で維持するのみですが、それでも段々と弱って来るでしょう。苦痛の方ですが、
痛みについては、モルヒネなどのパッチや点滴を使うことにより和らぐものと思います。
ただ、どうしても痛むようでしたら、そのときは最後の手段として、ドルミカムを使って意識レベルを下げる方法があります。
ただ、そうなると、もうずっと眠っていることになりますから、お話も出来なくなります。」とのこと。
…妻との約束、それにはこの方法しかないということらしい。
必ずやって来るお別れに対して、カウントダウンが始まった。僕たち家族の時間はどんどん減っていくのみだ。
続きます。
372:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 15:41:34
おまいさんらも同じか知らんが、俺は
泣ける話読んでると嫁との事を思い出して軽く鬱になる
373:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 16:01:54
>>332です。
苦痛の取れた妻は、最初はまるで今までと変わらぬ様子だった。
しかし、排便排尿の必要もない妻は、もうそれからベッドに寝たきりになってしまった。
元々体格の良かった妻は、そのときにはもう手足が萎えてしまい、自分で上体を起こすのが精一杯だった。
僕は毎日、出勤前と帰宅前には病院に寄り、土日祝日はそれこそ一日中、妻の傍にいた。
時折、家事をしに帰らねばならなかったが、車で5分ほどのところであり、
息子も、学校帰りには帰宅前に立ち寄ることが日常となっていた。
父は相変わらず、というか、前にも増して酒を飲むようになっていた。
病室で妻の身体を拭いたり、髪を洗ってあげることに僕は喜びを感じていた。
やがて確実に来る別れを、僕たちは意識的に話題にしないでいた。
他愛もない世間話や、世間ではこんなことがあったよねえ、なんて、
まるでお茶の間での話のように、なるべく僕たちは笑って日々を過ごしていた。
時折来る痛みを訴えれば、僕がすぐにナースコールを押して、鎮痛剤を注射してもらったり、
手足にダルさを感じればさすってあげたり、今思えば、すごく凝縮された日々だったと思う。
続きます。
374:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 16:04:00
>>332です。
内憂外患、と依然述べたが、そのうちの一つが義実家だった。
妻の母親も、無事に手術を終え、今では自宅に戻って普通に生活しているとのことで、
僕は義母に面会に来てくれるようにお願いしてみた。いつどうなってもおかしくない妻の状態では、
話が出来るうちに逢って貰っていた方が良い、と思ったからである。
しかし電話でのお願いに、妻の母親はそれを断ってきた。
「そんな状態の娘を見たら、私が落ち込んでしまうから」との理由で。
僕は親子ってそんなものなのか?という疑問を抑えて、了解した。
しかしその翌日に、義兄から電話が掛かってきた。
「こんな状態の母親になんと言うことを持ちかけるのか?それで体調を崩したらどうしてくれる?
俺にはもう肉親は母親しかいないのだから、もしこれで母親がどうかしてしまったら、俺は一人になってしまうではないか!」
と、激昂した口調での電話だった。僕は感情を抑えて話した。
「もう妻と会話できる機会がなくなるかもしれません。何か方法は無いでしょうか?」と。
義兄は、「もうお前のところに嫁にやったのだから、うちの姓(旧姓)ではなくなっているんだし、
そっちはそっちでやってくれ。こっちも大変なんだから。」と言われてまでは、こちらも食い下がる訳にはいかなかった。
結局、義母は、葬儀の日まで来ることはなかった。義兄はこの日以来、僕のことを好ましく思わないようになった。
続きます。
375:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 16:18:18
>>332です。
自分の親兄弟が来ないことを知った妻は、少し寂しそうな顔をしながらも笑顔で云った。
「みんなそれぞれ大変だもんね。一つお願いしても良いかな?」と。
妻の提案とは、ビデオレターを撮ることだった。
体調の良いときを選んで、自分の実家関係の世話になった人、そして昔からの友人達、
もう逢って話が出来ないだろうという人に対して、それぞれ短いながらも妻はメッセージを残した。
「何もかもが済んだら、それぞれ分けてあげてね」と。
撮るときには、最後お互いが泣いてしまうようなときも在ったが、それでも必ず、有難う、と言う言葉があった。
父にはビデオレターは当然、無かったが、それは僕に対しても同じく、無かった。しかし、息子に或る物を残したい、と妻は云った。
「あの子が二十歳になったら、これを見せてね。」と妻は、成人式を迎えたであろう息子を想定してビデオレターを撮った。
「二十歳になった○○(息子の名)へ。
どんな大人になってるのかなあ?目標には届いていますか?
人の気持ちのわかる、いい人になってると良いなあ。
そして良い彼女がいて、良いときを過ごしていたら良いなあ。
お母さんはずっと見させてもらっているからね。
じゃあね。」
…だめだ、泣けてきた。チョット仕事落ちします。
ごめんなさい。
続きます。
376:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 21:03:54
>>332です。
少し落ち着いたので、吐き出してしまいます。
搬送されたときには、10日以内に来るべきときが来る、と言われていたにもかかわらず、
妻はとても頑張ってくれた。
痛みを和らげるパッチの数も増えていったけれども、その恐怖を口にすることはとうとう無かった。
その意味では僕より遥かに潔く男前だったかも知れない。僕には出来ないかも知れないからだ。
しかし日に日に痛みが増していく。とうとう決断のときが来たようだ。
気が付けば搬送されてから40日が経っていた。
そして投薬開始の日。ちょうどそのときは僕は仕事を抜けられなかった。
付き添っていたのは息子だった。二人はたくさん話が出来たようだ。
「おやすみなさい」と二人は会話を締めくくったらしい。
その日、僕には妻からメールが来た。
もう携帯すら持てなくなっていた妻は、口述で息子に僕宛のメールを打たせたらしい。
「私は眠ってしまいますけど、毎日逢いに来て下さい。
寝てしまってちゃんと相手が出来ないかもしれませんが、
眠っていても私はわかっていますからね。
おやすみなさい○○(僕の名)さん。愛しています。」
僕は不覚にも、職場で携帯を握り締めて嗚咽してしまった。
続きます。
377:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 21:31:53
>>332です。
その夜、仕事が終わって、まっすぐ病室に向かうと、妻は穏やかに眠っていた。
今にも目を開けて「お疲れさん、お帰り」なんて云いそうな感じで。
しかし、妻が眠りから覚めることはもう無いのだ。
意識レベルを下げる、と言うことは、痛みを感じにくくなっているかもしれないが、
同時に、痛くて苦しくても、それを訴えることも出来ないのだ、と言うことを意味した。
僕のこれからの仕事は、妻を快適に眠らせることだった。
一定の時間が来たら、姿勢を変えてやる。チョットやそっとでは起きないらしいので。
床ずれを出来るだけ防ぐには、それしかないそうだ。母のときに、床ずれで苦しんだことを思い出していた。
まるで植木や花に語りかけるように、僕は眠っている妻に語りかける日々が続いた。
出来るだけ注意して、苦しんでいないかどうかを見ていたけれど、
総合病院でのこと、やはり一人の患者に24時間体制では看護士が附け切れないものだ。
腫瘍熱の所為で汗ばんでいる妻の身体を拭き、額や脇、鼠頸部を冷やしているタオルを交換したり、
僕の主な仕事はその繰り返しだった。もう数日の問題だ、とも医者に云われていた。
ある日などは僕が仕事が終わって、病棟のエレベーターを降りたとき、妻のうめき声が聞こえたので、
すぐに姿勢を換えてやると、僅かににっこりとしたのは、僕の気のせいなのか。
病室も個室に移り、何かの感染症のきらいもあるので、マスクに帽子、簡易白衣を着て手袋をしてしか病室に入れなくなっていた。
そんな日々も約10日ほど経ったある日、僕は病院のデイルームのソファーで仮眠を取っていた。
この10日ほどはバイタルの値も安定していたのだが、それでも血圧が僅かずつ下がってきていて、
それがある値に達したら危ない、と言われていた。
そして金曜の仕事が終わり、病室から一旦自宅へ戻ったその夜明け前、
僕の携帯がなった。病院からだった。
続きます。
378:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 21:42:44
>>332です。
「血圧が下がってきています」との事だった。「すぐ来て下さい」
僕も息子も、病院へダッシュした。
病院へ着いたら、「安定しました」との事。いささか拍子抜けしたが、何より安心した。
その日、僕は、なんだか身体が熱いことに気が付いた。自分の身体が、である。
考えると3日ほど風呂にも入れていない。土曜の日中に来た見舞いの親戚達の相手をした後、
息子と付き添いを変わってもらい、一旦自宅にシャワーをしに戻った。
熱を測ってみると、41度である。でもぜんぜんしんどくなかったのだ。
今寝込む訳にもいかないし、身体も他は全く問題なかったので、父も連れて病院に戻った。
息子と交代し、息子が自宅で食事と風呂に入ってきたので、夜になり酒が切れてむずがる父を一旦自宅に連れて帰った。
そして家に着いたまさにそのとき、息子から携帯に電話があった。
「血圧がどんどん下がっています。すぐに来て下さい」と。
続きます。
379:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 21:55:57
sien
380:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 22:05:27
>>334です。
ここ数回の投稿が、332になっていました。ごめんなさい。全て334です。
病院に着くと、個室とナースステーションを行き来する看護士の姿が見えた。
妻との約束で、決して人工呼吸器などはしない、というのがあったので、
自力での呼吸が止まるといよいよとなる。尿が止まって2日経っていた。
妻の身体は腫瘍熱により僕より熱い感じがした。
もしかしたら、同じ感じを伝えたかったのかも知れない、と僕は解釈することにした。
なんだか、理由も無く誇らしかった。きっと熱でイカれていたのであろう。
血圧が少し持ち直し、少しほっとして、その夜は酒を飲みそびれて機嫌の悪い父と、
息子と僕の3人で交代で様子を見ていた。そして明け方近くになって、息子が付き添っていた。
僕は病室を出てすぐ隣の待合ソファーのあるところで横になっていた。
突然、息子が泣きそうな顔で出てきた。
今までに無い血圧の低下らしい。主治医がやってきて、あれこれ看護士に指示をしながら
僕たち3人に入るように促した。
もう、マスクも帽子も手袋も白衣も要らないらしい。
もしかすると、そのときを個室で迎える為の配慮だったのかもしれない。
「ご主人、息子さんも手を握ってあげていて下さいね。」
僕の手よりも更に熱い妻の手を握り締めていた。
いよいよその時が来たのである。
東向きにベランダの在るその病室の大きな窓から、朝日が差し込んできた。
妻は晴れ女だった。そしてまさに、まさに眠るが如く、静かに息を引き取った。
僕は息子をしっかりとハグした後、妻に向き直り、
いろんな計器や管を取り外されて身軽になった妻に語りかけた。
「長い間、良く頑張ったね。お疲れ様。」妻の頬をなで、その顔を覗き込むようにして。
溢れる涙は抑え切れなかったが、それでも微笑んで、精一杯微笑んで言った。
妻の長い戦いは終わった。
癌が見つかって余命3ヶ月、長くて半年、と言われてから6年と8ヶ月が経っていた。
…なんかもう顔がぐしゃぐしゃです。今日で終わりにする、と言っておきながら、
今日は最後までもう書けそうにありません。ごめんなさい。
明日には全てを書き終えます。
今日は今から帰って、家事をします。おやすみなさい。
明日に続きます。
381:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 22:12:34
>>380
乙
今夜はゆっくり休んでくれな
382:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 22:41:58
>380
乙、
書くことで、気持ちが楽になるなら書いてくれ。
無理はするなよ。
383:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/21 22:59:56
>>373
妻には、死がちかいことを伝えてなかった
だから、病院で二人で話したことはフツーの話
何を話したか、覚えていない
そして死がちかいことを伝えなくてよかったのか、今でも分からないままだ
384:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 09:40:01
>>380
しっかり吐き出せよ。
好きなときに、好きなだけでいいさ。
おまいさんの体が心配だ。
385:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 10:29:55
義実家の件は寂しい事だが
>>380が義兄や義母も自分の実の兄、実の母と思って面倒を見る
というつもりがないなら、仕方ないんだよ
向こうは380よりも経済力が圧倒的に無い。
自分らの事で精一杯なんだ
386:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 21:40:40
>>334です。
温かいお言葉を掛けて下さる方々、有難うございます。
今日で書き終えようと思ったのですが、義母の体調が思わしくなく、
仕事が終わったら直ぐに隣市へ向かわなくてはならなくなりました。
誠に勝手な言い訳で申し訳ないのですが、この週末は義母の世話をしに参りますので、
どうかご容赦を下さい。
おやすみなさい。
387:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 22:10:56
聖一兄さん
落ち着いたら近況報告よろ
388:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 22:17:53
>>386
律儀な人だな。体調大丈夫かいな・・・
389:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 22:26:30
>387
あらまあ、連絡があったのかw
390:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 22:37:09
懲りてないだけだと思うw
391:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 22:38:02
相変わらず借金取りに追われてるのかw
392:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 22:58:25
セイイチ兄さんは、放浪中かw
393:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/25 22:52:16
>>387は自分だが
まさつぐじゃないよ
心配してるだけだ
394:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/26 21:02:24
>>334です。
おかげさまで義母の様子も小康状態を取り戻したようで、数日後に退院できるようになりました。
妻の身体から色んな管やコードが外され、酸素マスクが外されたとき、
妻が亡くなったのだ、と言うことを思い知らされた。
手を握ると、まだ腫瘍熱の名残で充分温かい。まだ生きているようだ。
しかし、もうあの荒い呼吸をしていない。
力なく口を僅かに開けたまま、妻の目が開かれることはもうないのだ。
僕は暫く、阿呆のようにただ妻の傍に腰掛け、じっとその顔を見下ろしているだけだった。
母が亡くなったときには、その臨終には間に合わず、今のこの妻の状態と同じときに病室に駆け込んだんだなあ、と今になって思った。
「まだ温かいじゃないか」同じ台詞を口にしていた。
汗をかいていた妻の顔をタオルでゆっくりと拭いてやりながら、汗っかきが悩みの種だった妻を、もう汗をかくこともないことを寂しく思った。
何か色んな書類を受け取り、それと並行して簡単な死化粧と清拭をしてくれていたようだった。
元々アイライナーの不要なほどクッキリ眼だった妻。唇には紅が差してあった。
葬儀会社の方が妻の亡骸を引き取りに来た。担当医と少数の看護士に見守られて、亡くなった患者だけが通る通路を一緒に出た。
葬儀会社の車に妻を載せ、葬祭会場へ運ぶのだ。妻を載せた車には、息子が同乗して行った。
世話になった担当医と看護士の皆さんに心から厚く御礼を申し上げ、僕は、朝日の強く照らす中、病院の外周を歩いて回って自分の車を留めてある駐車場に向かった。
歩きながら、自分の足が地面に着いている感覚が無かった。
いつかこの日が来ることは解っていた筈なのに、とうとう僕は最後までその覚悟が出来ないままこの日を迎えてしまった。7年前に母を亡くし、その喪主を父にマル投げされ、あたふたとするままに色んな法事を迎えた直後に発覚した妻の癌。
それから6年と8ヶ月、目まぐるしくも、本当に沢山の事が在り、長く感じることもなく、実にあっという間のことのように思えた。まるで他人事のように、ゆっくりと思い出されては、消えていった.
続きます。
395:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/26 21:33:01
>>334です。
葬儀会場に着くと、その控え室のようなところに妻は安置されていた。
葬儀社の方が妻の身体の周りに、ドライアイスをセットしていた。
その間に僕は、息子には妻の傍に居てあげるように指示をし、息子の学校関連に連絡をし、一両日の忌引きの旨を伝えた。
僕の知人関係にはccでのメールで知らせた。また妻の知人達には、何故か一人ずつメールや電話でお知らせをした。また、妻の実母や実兄には電話をしたが留守電だったので、その旨を吹き込んでおいた。
返信はその日には無かった。
妻が運び込まれたとき、その葬祭場には既に告別式の方が居られ、僕たちは控えの棟で待機することになった。また翌日が友引だった為、妻の通夜は更にその翌日と言うことに決まった。
この控え室に二日居ることになったのだ。
必要な書類などを近くの自宅に取りに帰ると、父は相変わらず酒を飲んでいた。
「写真を選ばなくてはならんのー」と、心なしか嬉しげに見えた。少しイラッとした。
「明日が友引と言うことで、通夜は明後日、告別式はその翌日となります。こちら(自宅)に電話や訪問者があれば、その旨お伝え下さい。」と父にお願いすると、
「そんなことは全て、喪主のオマエの仕事と違うんか?ワシはそんなことよりも、母親を亡くした○○(孫:僕の息子)の事が可哀相で、呑まにゃおれんのじゃ。」とのたまう。
続きます。
396:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/26 21:43:59
>>334です。
反論する気もなくした僕は、そのまま家を後にし、町内会の隣保の世話人に、この度のことを伝え、町内放送でのお悔やみのお知らせ(これは町内会のルールでもあるので)をお願いした。
お腹も空いたであろう息子のことを考え、とりあえず弁当を何食か買って葬祭場の控え室に戻ると、妻はすっかりドライアイスに周りを囲まれた姿で眠っていた。
今日は奇しくも日曜で、明日は平日だが友引、明後日の通夜の日は祝日とあって、まるで出来すぎのような日取りだなあ、と反芻しつつも、息子には何か食べておくようにと弁当を渡し、自分もその一つを食べたが、
モノを噛んで味わっている感覚がしない。葬儀社の方の段取りの説明もあったが、まるで頭に入らない。とりあえずメモを取って、対応するしかなかった。
母のときも、なんだか用意されていた段取りに流されたような節もあって、今回もそうなるのかなあ、なんて、まさに他人事のように呆けていたのかも知れない。
しかしその考えは甘かった。身内にアレほどまでに振り回されようとは、このときには知る由もなかったからである。
その日は、一旦自営する職場に戻り、告別式の日には休まねばならない事の段取りをし終えて、妻の元へと戻った。
息子には、自宅に戻って通夜や告別式に向けて身体を休めるように伝え、自分は、この控え室で夜を明かす事に決めた。妻一人では寂しいじゃないか、と何故か思ったからだ。
物言わぬ妻は、まるで眠っているようだ。しかしその身体は、限りなく冷たい。僕は妻の亡骸に並ぶように座布団を敷き、其処に身体を横たえた。手を繋いでやりたかったが、
妻の両手は、胸の上で固く結ばれており、その上に何か重厚な布が掛けられてドライアイスまで載せられていたので、それは断念するしかなかった。
安らかに眠っている妻の身体に手を伸ばし、その肘辺りに手を添えて、僕は妻に「おやすみ」と言った。
続きます。
397:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/26 21:48:41
名前のところに334って入れてくれると読みやすいんだけど
398:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/26 22:07:23
>>334です。
遺体と夜を過ごすのみならず、添い寝をする事には、恐怖や一種異常さ、更には狂気を感じる人も居られるかもしれない。
でも、その時の僕は、何ら異議を感じる事も無く、自然にそう出来たのである。
僕は少し眠ったのかもしれない。でも、妻は夢には出てきてくれなかった。
その事に僕は少しだけ残念な思いがした。
夜が明け、平日の月曜であるが、今日は友引であり、葬祭場は実質お休みである。
この控え室に僕と妻が居るだけであるが、程なくして息子がやってきた。今日はギリギリまで妻の傍に居て、仕事に通常どおり出かけ、最短で仕事をこなした後、最速で再びここに戻ってくるまでの間の交代要員として息子に来てもらったのである。
僕が息子を妻の傍に残している間には、後に判ったことだが、息子は妻と沢山対話をしたようである。僕は少しでも早く、息子のグリーフケアをしないといけない、と思うに至った。僅か14歳で母親を亡くしたのである。
まだまだ男の子にとっては母親の存在は大きい年頃。
しかも彼のその今までの人生の中で、半分が闘病している母親とのモノでしかなかった。
彼をそんな境遇に生まれてきた事に対して、本当に不憫で申し訳なく思った。
これは今でもずっと思い続けている。仕方のない事だとは言え、僕自身が母親を亡くした35歳のときですら悲しかったのであるから、まだまだ母親にも甘えたい男の子の14歳では、その悲しみは如何ばかりであろうか。息子には、一生詫びなければならないだろう。
こんな父の下に生まれてきた息子よ、どうかこの父を許して欲しい。母親の愛を充分に受けられたとは決していえない息子よ、どうか愛を知る大人に育って欲しい。
続きます。
399:334
10/10/26 22:30:57
>>397さん、これで宜しいでしょうか?
>>334です。
奇しくも二晩、妻と共に夜を過ごせた。なんだか理由も無く誇らしかった。
ホントに他には誰も居ない二人きりの夜。まるで恋人時代の二人に還ったような気すらしていた。
もしその時の僕を眺めるものが居たら、異様なものに見えたかもしれない。
遺体に手を伸ばし、同じ天井を眺めるが如く、物言わぬ遺体に話しかける様は。
通夜の日になって、慌しくなってきた。それこそ、色々な人(葬儀関係者)がやってきて、色んな手続きをしたり、するべきことが一杯である。先ずは遺影を決めなければ。
僕は実は既に決めていた。
まだ息子が園児だった頃、近くの公園に出掛け、ツツジの一杯咲くところで息子がカメラのシャッターを押した一枚の写真。
僕は野球の捕手のように屈み、妻はそれに横から覆いかぶさるように、
それでも顔は前に向けてニッコリとした写真が在るのだ。
妻の瞳はしっかりとカメラを持っていた息子に向けられ、その瞳には小さくとも息子が映っていたに違いない写真が。
その事が父には気に入らなかったらしい。自分が仕切りたかったのだ。
酒臭い息を吐きながら、僕に散々罵詈雑言を浴びせて悪態をついて自宅に戻っていった。
どう思われようとも、僕はこの写真を遺影にする事にした。
妻は今も変わらず、あのときの息子に向けていた笑顔を僕たちにくれている。
修羅場が次々と襲ってくる事になるのだが、それはまた明日に書かせてください。
自宅に戻って家事をします。本当に長くなって申し訳ありません。
でも妻が亡くなって2年半経って初めて書く気になれたのです。
どうか我侭をお許し下さい。
皆さんおやすみなさい。
明日に続きます。
400:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/26 22:40:49
>>399
固定ハンドルをつけたのだから、「続きます」はいらんぞ。
ちゃんとみんな続きを探して読めるからな
401:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/26 23:09:00
>>334
おつかれ。
がんばれよ。
402:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/26 23:26:01
永眠した妻と添い寝するのは狂気なのかな?
床の間で二晩、一緒に寝たよ
入院中、一緒に寝られなかったから。
北枕でも関係なかった
とにかく一緒にいたかった
403:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/27 09:38:25
それは普通
あれ?おかしいかな?って戸惑ってしないと後悔する
最後の別れをしたらしたくても出来ないからな
404:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/27 20:33:47
>>402
夜中に死んだ嫁が声を出したり動いたりしただろ?
大抵はみんな、あれでビビる。
405:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/27 21:30:59
>402
> 永眠した妻と添い寝するのは狂気なのかな?
> 床の間で二晩、一緒に寝たよ
変じゃないよ。
俺の父も、亡き母と葬式までの二晩いっしょの部屋で寝てたよ。
添い寝じゃないが。
406:334
10/10/27 22:03:19
通夜が始まり、友人知人たちが沢山来てくれた。
妻の好きだったミニーの気ぐるみパジャマを着せ(妻との約束)ミッキーとミニーのブライダルペアマスコットを添えてあげた。
それも父は気に食わないらしい。
通夜が終わって、僕の友人が残ってまで力づけようとしてくれていた。
義兄は来てくれていた。義母は来なかった。
遺影選びで不貞腐れた父は、通夜が終わるとさっさと自宅へ戻り、酒を飲んでいるらしい。
僕の友人たちは義兄と面識が無い。当たり前の話だが。
その友人たちに義兄が絡んだ(素面なのに)。
「お前ら、何人の顔ジロジロ見とるんじゃ!!」まるでヤ○ザの因縁である。
二者を隔離して、友人たちに詫びた。
喪主はとにかく忙しい。悲しんでいる暇すらなく、目まぐるしく立ち回る。
すると自宅に戻っていてくれた弟夫婦と何かあったらしく、
弟に父が切れ、取っ組み合いの喧嘩をした後、家を飛び出した、との電話。
飲みに出掛けたらしい。
じっと妻の傍で静かに悲しみをこらえる息子だけは、そっとしておいてやりたかったので、
それにのみ気を配り、後は機械的に動いていた。
407:334
10/10/27 22:07:38
夜が明けて告別式。
やっと義母も来てくれた。
父は親類縁者たちに孫の自慢をしたいらしく、やたらと息子を色々連れまわそうとする。
僕と息子はお越し下さったお客様たちに入り口でご挨拶をしなければならない、といっても、不服そうに睨み付ける。今は余り家族間で揉めたくは無い。
出棺の際、最後のお別れで、息子が泣きながら大きな声で、
「僕がこんな病気をこの世から無くしてやるんだ!」と言ったのが今も耳に残っている。
彼の最大のモチベーションとなることを願っている。
告別式が終わって斎場へ向かう。とうとうお別れだ。
火葬される前にもう一目妻を見た。そしてその頬に手を添えた。
さようなら、僅か15年余りの結婚生活ではあったが、ありがとう。
もうこの手に君を抱くことも出来ないが、ずっと傍に居て欲しい。
息子を授けてくれてありがとう。幸せにしてあげられなくてごめんな。
もう苦しくも痛くも無い所へ行くんだね。
もう暫くしたら、僕もそちらに行くから、そのときはまた一緒に居てくれるかい?
火葬場の扉が閉じられ、着火されるのが判ると、僕はその場に膝を落として、静かに泣いた。
僕の妻は、灰になってしまった。
骨拾いのときに、僕はこっそりと小指の骨であろう一片をそっと包みに入れた。
通夜のときに清拭業者に頼んで分けてもらった遺髪と共に、その遺骨は
今僕の持ち歩く小さなポーチに入っている。
逢えなくて寂しい。声が聴けないのが寂しい。
共に笑えないのが寂しい。成長していく息子を共に見れないのが悲しい。
さようなら、僕の妻。
こうして、妻は旅立っていった。
408:334
10/10/27 22:17:21
皆さん、こんなただ長ったらしい話にお付き合い下さって有難うございました。
書きながらどうしても涙が出てきて仕方ありません。
妻の居ない生活も2年半が過ぎようとしていますが、その間にも色々なことがありました。
その中で、自分の父が自己愛性人格障害者であることや、
息子がそれに影響されて良くない傾向にあることなど、
まだまだ吐き出したいのが正直な気持ちです。
でも、もしかするとそれらの内容はスレチかも知れません。
ですから、この続きをどうしようか悩んでいます。
今現在の地獄のような生活は、まさにこの期間のことなのですから。
今日はこれで家事に帰ります。
長い稚拙な駄文にお付き合い下さり、有難うございました。
409:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/27 22:31:16
はー…被害者2名ってとこか。
410:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/27 22:51:07
息子心配だな
411:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/27 22:59:53
お疲れさん
現在のことについては家庭板や育児板などに
吐いたり相談できるスレがあるんじゃないかな
気団にも該当スレあるかもしれないし
人生相談板もある
おこがましいかもしれないが
334が嫁さんにしてあげたことはベストだったと思うよ
412:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/27 23:01:53
>408
334氏、すべて読んだから。
奥様の冥福をお祈りします。
413:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/27 23:18:57
>>408
父親と息子のことは、役所か福祉事務所に相談しろ
一人で解決しようと思うなよな
414:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/27 23:55:56
>>408
ここで吐き出したければ吐き出せよ。
少なくとも、おまいさん1人で戦うよりはここで吐け。
スレチなんて叩く奴はいないはずだ。
415:334
10/10/28 21:31:05
皆さん、温かいお言葉、ありがとうございます。
結局、妻の葬儀関係(その後の経費も含めて)では、合計300万以上掛かってしまった。
互助会のようなものには入っていたにも拘らず、なんかオプションが付く度に跳ね上がっていく。
更に、家の宗旨は仏教ではない為、オプション扱いで何かと高いものばかりだった。
葬儀を司る祭司(仏教で言うお坊さん)に、あんなに費用が掛かるものとは想定外だった。
母親のときは、医療を含む損害保険や、生命保険のおかげで、手元から出て行くお金はそんなにも無かったのだが、
妻の場合は、損保も生保も無い上に弔問客も沢山来てくれたので(会場にも入りきれないほど)、規模としては大きなものになってしまった。
中には逢ったことも無い親戚(妻側)とか、名前すら聴いたことの無い親戚も来て、何かと出て行くものが多かった。
仏教で言うところの四十九日にあたる法事が終わって納骨となった折も、お墓に名前を刻んでもらったり、祭司に来てもらったりと
何かと出て行く費用は馬鹿にならなかった。
ここからは、正直、僕の甲斐性が無い、ただ単に稼ぎが悪いことから来るものだ、と猛省している。
収支がだんだんと狂ってきた。
出来る手立ては手を尽くした。自分が仕事で居ない間の父の浪費が痛かった。
いわゆる、エコとは真逆の行動である。
光熱費は倍以上に上がった。後でわかったことだが、男3人になってしまった当初、
夕飯は父にお願いをしていた。今思えば、大きな間違いだった。
息子には父が固く口止めしていたらしいが、夕飯の殆どがレトルトか牛丼、
そしてスーパーの弁当のローテーション。これでは駄目だ、と思った僕は、
仲の良い従兄を通して、妻側の遠い親戚にあたる隣町に住む女性に、夕飯時のお手伝いを頼むことが出来た。
その女性は、DV被害から逃れ、親と住んでいたので、快諾してくれた。
それがあんなことになろうとは。
416:334
10/10/28 21:53:35
父は昔からよく僕たちに云っていた。それこそ耳タコレベルで。
父は幼い頃、大きな家に住んでいて、そこには使用人もいて、自分は何もしなくてよかったと。
しかしあの戦争が全てをワシから奪ったんじゃ、と。家も家族も裕福な暮らしも。
彼は、自分にその才能があったにも拘らず、孤児院に身を寄せるしかなくなって、
結果、中学までしか通わせてもらえなかった、と。
中卒の所為で自分は、お前らには想像も出来ん苦労を味わったんじゃ、と何度も同じ話を聞かされていた。
ワシをそんな風にしたあの戦争が憎い。あの時代が憎い。
そして何より、先見の明なく家族をばらばらにしてしまった父親(僕の祖父:僕は写真でしか知らない)が憎くてたまらない。
父親の所為で、ワシはほんの9歳で、母親を失ったんじゃからのー!と
そして自分は、その裕福な時代、祖母にはものすごく可愛がられた、とも。
戦前の頃で、直系嫡子なのだから、よくある話だとは思っているが、
その全ての要素が、彼の、いわば「自己愛」フィルターによって捻じ曲げられた思い出と解釈に変換されてしまっているのだ。
かわいそうな人だ、と思う。哀れですらある。しかし、その父親に対する憎悪が、あんな形で僕に降りかかろうとは思いもしなかった。
どうやら、彼の中では、「父親は息子にひどいことをした」というのが定着していて、その所為で彼は僕にどんな酷いことをしたとしても
彼がその父から受けたことに比べれば甘いもの、なんだそうだ。だから、彼はことごとく僕のやることなすことに逆らうのだ。
(僕には弟がいるのだが、結婚して家から出ているので、何ら近づこうとはしない。)
そして、孫は溺愛する。僕がいくら息子を自立できるように厳しく指導しようとしても、安易な助け舟を出して台無しにしてしまう。
このままでは息子は、父のコピーとなってしまう。
だから僕は、件の女性を招いたのだ。何より、息子が学校から帰宅した折に「おかえり」と言ってくれる女性の声があることの和やかさ。
男3人で1年過ごしてみて、息子がそれを渇望していることが見て取れた僕は、ちゃんとパート代に相当する費用を払って来て貰えるようにした。
当初は、息子も非常に喜び、よく懐いていた。その女性も、残した息子と同じような年齢の息子を重ねるように接してくれていた。
しかし、父は大きな勘違いをしていた。