14/01/25 20:59:47.58 0Al8f9p50
>>781
これを思い出す
加藤智大被告を英雄視してきた女性が公判を傍聴するうちに、自分の思い描いていた人物像との違いに戸惑い、
失望していると週刊誌「AERA」が書いています
「派遣切り」、「ブサイクで彼女がいない」といった報道されるイメージだけで加藤智大に親近感を覚え、彼を崇拝したり
「革命家」と賞賛する人たちが一部にはいたのですが、「AERA」の記事に登場する女性もその中の1人でしょう
結果的に加藤智大被告は「派遣切りに遭ったのが犯行の動機ではない」と否定し、「掲示板を荒らす人にそれを止めて
もらいたかったからだ」と語っています
加藤被告の犯行は当初、不安定な雇用に翻弄される若者の怒りを代弁したものとして報道されたのですが、そうでは
なかったというわけです
加藤被告に共感した人というのは、何らかの形で不遇な現在を生きている人なのでしょうそしてその不遇な今を親や
学校、社会のせいだと考えている人です
もちろん個々人にそれぞれ事情があり、理由があってそう考えるに至ったのでしょうそんな彼ら、彼女らは自分たちと
同じ痛みを加藤被告も抱えているに違いないと信じ、そうであって欲しいと切望していたのかもしれません
加藤被告は少ないながらも友人がおり、働いて金を稼ぎ、豊かではないもののそこそこ充実した暮らしを楽しでいたのです。
内に抱え込んだ痛みに喘ぎ、苦悩の日々を過ごしていたのではありません
加藤被告に共感し、崇めてきた人たちは、加藤被告に何らかの思いを託すことで自分の気持ちが共有され、加藤被告
というイコンを介して自分の存在が他者に理解されると期待していたのでしょうが、そうはならないという現実に直面し
途方に暮れているのだと思われます
結局、「AERA」の記事にある女性はこれから自分がどう生べきか、加藤被告から何らかの指針を授かりたいと欲しているのでしょう。
それが無差別殺人なのか、自殺なのか、あるいは別の何かであるのか、分かりませんが自分ならばこのままズルズルと
加藤被告にしがみつくより、精神分析を受けることを薦めます
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