13/10/19 18:00:13.05 vdEUaAJG0
>>345
森永側が原因をミルク中のヒ素化合物と認めたのは、発生から15年経過した1970年(昭和45年)の裁判中のことである。
その際、森永側は、第二燐酸ソーダの納入業者を信用していたので、自分たちに注意義務はないと主張していた(納入業者は「まさか食品に工業用の薬品を使用するとは思わなかった」と証言)。
しかし、後に国鉄仙台鉄道管理局(現・JR東日本仙台支社)が、第二燐酸ソーダ(日本軽金属製造)を蒸気機関車のボイラー洗浄剤として使っていたが、使用前の品質検査でヒ素を検出し、
返品していた(国鉄は、蒸気機関車のボイラーの状態保持には細心の注意を払っていた)事実が明らかとなった。
「食品としての品質検査は必要ない」と主張していた森永の態度は厳しく指弾され、1960年代には、森永製品のボイコット運動が発生した。