13/10/19 16:17:58.09 gXZiO0Lg0 BE:3673545269-PLT(20274) ポイント特典
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久しぶりに、ユージン・スミス、アイリーン・スミス夫妻が出した写真集「水俣 MINAMATA」を開いた。
発刊されて長い年月を経た今も、収められた写真は胸に迫るものがある。
彼らは1971年から3年余り、熊本県水俣市に滞在しながら、水俣病の実態を撮影し、
世界中にその悲劇を伝えた。
URLリンク(www.nishinippon.co.jp)
チッソ株式会社 水俣病関連
水俣病を取材していたジャーナリスト、
ユージン・スミスに対し、暴力団を雇い暴行させ、
下半身不随にさせた(ユージン・スミスの項を参照)。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
1972年1月、千葉県のチッソ五井工場を訪問した際に、
交渉に来た患者や新聞記者たち約20名が会社側の雇った暴力団員に取り囲まれ、
暴行を受ける事件が発生する。
スミスもカメラを壊された上、脊椎を折られ片目失明の重傷を負う。当時のチッソ会長は江頭豊であった。
この事件でスミスは「患者さんたちの怒りや苦しみ、そして悔しさを自分のものとして感じられるようになった」と
URLリンク(ja.wikipedia.org)
水俣病-江頭豊のしたこと
「国・熊本県等の金融支援措置関係について:水俣病問題解決支援財団から解決一時金支払いの原資として約317億円をご融資頂いておりますが、
そのうち85%相当額(約270億円)について00年3月末で免除して頂くことを予定しています。報道資料 00・01・25」となった。
患者を苦しめた裁判の費用や、患者を暴力集団に襲撃させた経営陣の給与にも(結果的には)国民の税金が使われた事になる訳だ。
1972・01・07 千葉県のチッソ五井工場に抗議に訪れた「自主交渉派」の被害者やユージン・スミスら報道陣をチッソは社員(or暴力集団)に襲わせた。
URLリンク(www.geocities.co.jp)