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>>140
当時基地村関係の産業はGNP全体の 25%を占め,このうち半分が性産業に関わるものだったと
いう(Moon,1997)。実際,1960 年代の米軍専用ホールは,1964 年に 9百 7十万ドル以上の利益
を上げたが,それは韓国が稼ぐ外貨(ドル)1 億ドルの 10%におよぶものだった。一人当たりの国民
所得が 100 ドルに満たなかった頃,一ヶ月で 120 ドルの賃金をもらう米軍士兵の威力は事実上
大きなものだった。そのような基地村経済への依存は,1970 年代,当時のキム・ハンリョル経済
企画院長が国会質疑の答弁で認めたように,米軍駐屯により得られる外貨は建設,用役,物
品からなる直接軍納〔民間業者が軍に物資を納品すること〕1 億ドルと不法PX経済などを除い
ても,年間1億6千万ドルに達したという(新東亜,1970.9 月号:130)。そのうち京畿道内の
米軍専用ホール 200 余りを通じて稼ぎいれる収入だけでも 6 百万ドルに達したが,政府は基地
村ホールから観光振興という名目で毎月一定額を徴収した。米軍専用ホールは「観光振興法」
によって毎月 500 ドルを銀行に預金しなければならなかったが,この法定ドルを納められなけ
れば当局から許可取消処分を受けもした。
1970 年代に入って女性のセクシュアリティが外貨稼ぎの主な資源と国家経済成長の足掛かり
として認識されると,「洋公主」は「民間外交官」「経済建設のために必要な外貨を獲得するため
に身体を捧げる」「愛国者」と呼ばれ始めた。特にニクソン・ドクトリン以降米軍撤収が憂慮
されていた時期,韓国政府は基地村の女性を国家安保のための必須の存在として認知し,性的
に接触する米軍に「民間外交官」の役割を果たすよう教育した。性病予防教育と簡単な英語講座,
米国式の礼節教育が「教養講座」という美名の下,主に保健所や警察署で行われた。キム・ヨ
ンジャは「洋公主」が「愛国者」と呼ばれていた教養講座を次のように振り返る。
「ふむふむ,えー,あなた方は愛国者です。勇気と誇りをもってドル獲得に寄与することを忘れて
はいけません。えー,私はみなさんのような隠れた愛国者のみなさんに感謝いたす次第です」
(キム・ヨンジャ,2005)