13/05/13 22:29:26.05 Svfq6tTo0
>>137
1957 年以降,政府の一連の政策によって,洋公主の区画化と隔離,効率的な監視体制が可能
となり,性病診療所が米軍基地周辺に集中し,相対的に自国の兵士の「安全」が確保されたと
判断した米軍当局は,同年米軍の外出と外泊を許可する。米軍の外泊許可は,同年(1957 年)
日本に性売買防止法が制定された事実と無関係ではない。韓国政府は米軍の日本行き性売買の
需要を韓国内に向けるための方法として,慰安婦を相手に啓蒙講演会を開いた。各地の警察幹
部が直接介入して組織し,管理・実行するやり方だったが,主な内容は性病予防と米軍を相手
にするときの正しい態度を身につけるためのものだった。以上のように,
米軍の余暇と休息のための安全な空間づくりの土台が用意されると,小さな村
落だった村々は基地村(東豆川,議政府など)として急激に栄えることになる。
女性が政府指定の場所で性売買を行える条件は,週に一度一般の産婦人科に委託した性病診
療所に行って検診を受け,自身がきれいな「体」で「安全なセックス」を米軍に提供できること
を証明することであった。検査証を所持していないことが米軍憲兵に見つかると,憲兵の車
に乗せられて警察署に連行され,即決裁判を受けた。検査証を忘れた日には,再
発給のために保健所(韓国)職員に賄賂まで差し出さねばならなかった。時には,性病がある
と判断され米軍に目を付けられると,有無を言わさずトラックに乗せられ収容所に連行される
こともあった。一時期基地村で性売買を行っていたキム・ヨンジャ氏の証言によると,米軍一
名が性病にかかると,誰から性病が移ったのか追求して回ったという。
ところがほとんどの米軍の「目」からは,夜に出会った韓国女性の外見を見分けるのは
容易でなかったので,顔の似た複数の女性を疑うことがよくあったし,医務隊出身の軍人は疑
われた女性全員をジープに乗せてモンキー・ハウス〔駐韓米軍を相手にして性病を患った女性
を強制収監した施設〕に送ったという。こうして収容された者は,大韓民国という地で米製品
だらけの米製収容所で米製の薬を投与され,米軍によってきれいな女かそうでないか検査され
ることを「恥ずかしくもいぶかしく」思った。そして大韓民国が「淪落行為が法で禁止された国」
であるという事実を知らなかった