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「『時かけ』は国民文学的作品だから、そのスケールをむだにしちゃいけない」
というのが僕らの思いで、「時かけ」が持っている一般性を殺さないやり方でつくりたい。
アニメが好きな人たちの中だけで閉じていて、一般の人が見てもわからない、共感できない作品にはしちゃいけないなと。
― 「アニメの好きな人たちの中で閉じて、一般の人が見てもわからないアニメ」とはどんなものだと思いますか?
それから、それを回避するためにどんな工夫をされたのかを教えてください。
何だろう? 思いつくままに言いますから、あまり本気に取らないで欲しいんですが(笑)。
ひとつは、「キャラクターアニメ」にしてはいけないなということです。
かつて長年、僕がアニメ雑誌の編集をやってきて感じたことなんですが、キャラクターアニメの約束事って、いくつかあるんですよ
。たとえば「髪の毛の色に、実際にはありえない色を使う」。これで客層がひとつ狭くなります。
それから「顔を同じテイストに統一する」。つまりを人物の表情をある一定の幅の中に集約する。
一般の人は、そういうアニメの約束事を知らないから、結果、顔が全部同じに見えてしまう。これでまた客層がひとつ狭くなります。
次に、パンツが見えるか見えないか。見えるとした瞬間に、また狭くなる。
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