12/09/03 13:43:50.85 YDIbR4re0● BE:555994837-PLT(12000) ポイント特典
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トヨタ自動車が半世紀前に開発した小型スポーツカー「パブリカスポーツ」が今夏復元された。
携わったのは同社OBや愛好家ら5人。設計図面も、器具もなく、情熱だけを頼りに手弁当で5年越しのプロジェクトを完成させた。平均年齢71歳、スポーツカー狂たちの奮闘記だ。
「これはパブリカスポーツでは」。平成19年、トヨタOBの諸星和夫氏(71)は、知人でデザイン開発会社社長、安藤純一氏(63)のスタジオに置かれた模型に思わずくぎ付けとなった。
2つの大きな丸い目玉とゆるやかな流線形のフォルム-。昭和37年、全日本自動車ショーに出展されたときの記憶が鮮明によみがえった。
学生だった諸星氏はパブリカスポーツを見て「その完成度、欧米車にもない独自性」に圧倒された。トヨタに入社したのも、同車にあこがれたからだ。
「学校を抜け出して同車を見学した」と熱っぽく語る安藤氏。その言葉と飾られた模型に、諸星氏の中でかつての情熱がわき起こってきた。「パブリカスポーツを復元しましょう」。
プロジェクトのリーダーには諸星氏が就任した。資料はほとんど残されておらず、設計図面もない。
当初手がかりは同車の数枚の写真だけで、諸星氏はこの写真をもとに手書きで5分の1モデルを作図する。
プロジェクトスタートとともに、さまざまなメンバーが集まり始めていた。
同車を元に開発された「トヨタスポーツ800」(ヨタハチ)製作にかかわった元トヨタ子会社技術者の満沢誠氏(82)▽
模型製作会社社長の小森康弘氏(75)▽三次元測定機開発会社社長の上田俊昭氏(64)。中核となった5人だ。
(中略)
満沢氏は現役時代、「スプリンタートレノ」「カローラレビン」といったスポーツカー開発の責任者を務めた。
これらはパブリカスポーツの理念を受け継ぎ設計したという。82歳の現在も、BMWのスポーツセダンのハンドルを握る、生涯スポーツカーファンだ。
満沢氏はいう。「若者の車離れといわれるが、スポーツカー志向の人は必ずいる。ブームは再来する」(内山智彦)
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