12/09/27 12:46:47.35 oUTBiGSN
帝京の選手達はラグビーで飯を食っていこうとする覚悟があるから、ラグビーに対して誠実なのだろうし一生懸命なのだと思う。
伝統校の活動はあくまで学生の部活の域にあるから『子供』の面があっても許容されてきたのだと思う。将来、ラグビーのみで生活など本気で考える選手は少ないだろう。
勉学と言う前提が伝統校にはあるので、こういった学生競技としての『子供』の部分が許容されてきたと思うのだが、
近年の伝統校を見ると言い方としては失礼だが、帝京に進学するような勉学を前提としない選手が増えすぎたがために矛盾が生じていまいかと思う。
現在、大学ラグビー全体をみるとセミプロ化が進んでいる。
それにより見る側にも矛盾が生まれ、過度のプロフェッショナル精神を期待したり、またその影響を受け選手も勘違いをするのである。
そもそも、伝統校がこのような似非セミプロ化を実施し文武両道などと戯言を吐いているが、これが大きな矛盾の根源なのである。
文武両道とは聞こえはいいが、あくまで学生レベルに留まっていれば可能な事であり、その一線を越えたセミプロではそれは成立し得ないのである。
そういった意味ではセミプロである帝京などの学校は何の矛盾も抱えず、見ていて清々しい上、選手達も立派に思える。
早稲田明治等の一応勉学が建前となる学校での中途半端な似非セミプロは、違和感を感じ、選手たちにも失笑せざるを得ない。
勉学なきものが文武やそれにより得られた伝統を語る雰囲気が滑稽極まりないのである。
その点伝統校では、慶応であったり筑波であったりは合点の良くチームである。
推薦選抜者にあっても慶應は未だに競技のみでは取らず、一定の学力は保障されている。
筑波においては競技による推薦者は体育専門学部に限られ、また、私立大学と違い一定水準以上の学力を保持せぬ者は合格しえない恰好となっている。
また、筑波はそもそも国立の体育専門の教育機関であった為、優秀な選手を優遇する事になんら矛盾を感じない。
以上からして、似非セミプロに対し見る側もする側も勘違いを起こしてはいけない。
文武両道や人格などの崇高なものなど似非セミプロではありえない。中途半端な似非セミプロは学生活動以下の品格しか持ち合わせないのである。