12/09/19 00:59:33.55 AlTnHY+W
あのライターがまた書いてますね。
今度は、極○空手の空手道を痛烈に批判してる。
電車の中で騒ぐ子供を引率らしき大人が注意しなかった、のが理由。
相変わらず、立派なことを書いてます(以下に抜粋)。書くのが仕事ですからね。
(略)つまり、空手の稽古を通じて人格の完成を目指すのが空手であるってことでしょう。
生き方そのものが技に現れる。そして、技そのものが生き方に通じる。
だからこそ、日頃の生活すべてにおいて「技の完成」を目指さなければいけない。 (略)
電車の中で引率の大人たちから「その態度は『○真』としてふさわしい態度かどうか考えなさい」
という一言があってしかるべきではないかと(略)・・・・
ここまで書く人物。そう思ったら、実践するのが人の道ではないか?
しかし、彼はどうしたか?
「次の駅で降りなければならなかったので黙って降りました。」とのこと。
そんな彼には
同じコラムにある、下記の自分のコメントをそのまま捧げたい。
もちろん「それは理想論であって、現実は競技の結果しか評価の対象とならない」かもしれません。
でも、それって、他人の評価だけの話ですよね。自分に対する自分の評価はどうですか。
まあ、誇りとかそういう言葉にするといいのかもしれません。
理想だとしても、その理想を放棄してはいけないと思うんです。
常にそこを目指すのが、また「道」だと思うんです。
彼が自分の立場(帝京HP担当という職・強い者には大人しい電車の客)
を大切にしていることはいやらしいほど伝わってくる。
心の底から感じたなら、「野次があった」、「子供が騒がしい」その直後に、
本人・関係者にその場で相手に伝えることが「道」ではないだろうか?
道を外れた人物の言葉に心を動かされることはない。