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スパルタ(部活や、名物だったマラソンでしごかれること)と自由な校風はそもそもまったく矛盾しないしな。
大野一英『愛知一中物語』(下)(中日新聞本社、昭和53年2月8日発行) 15-16ページ
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第十四代校長の伊藤允美は、大正末期からの数年間を一中ですごす人だが、後年、
彼が書き綴った思い出は、極めてユニークに一中生を活写している。
それによると、昭和初年頃までの一中生の自慢(行動特性)は、
①弁当は食べたいとき、いつでも勝手に食べ、しかも、やたらにご飯などを室内外へ
投げ捨てるから、窓際などは飯粒で雪の降ったようになっている。
②学校の掃除は、自分の教室さえ絶対にやらぬこと。これは、掃除ごときつまらぬことを
するために、学校へ来ているのじゃないぞ、という言い分によるが、その代わり、
父兄会は掃除人夫を常雇して、掃除させねばならなかった。
③ガラスや、戸、窓、床板、羽目板、机、腰掛などは勝手に破壊して楽しむこと。
④校庭外へは、いつでも出入りし、飲食までもすること。従って脇門外などには洋食の
一品料理商が出没。生徒はハラが減れば、玄関からでも飛び出して、平気で道路でパクついている。
⑤先生をテストし、困らせること。
⑥これは自慢にしたとも思えぬが、愛知一中といえば必ずストライキを連想するほど、
ストの名物学校になり果てていたこと。なんでも、ストライキの回数は、大正十四年頃までに六十八回。
多いときは一年に、二、三回もあったといい、ほとんどの場合は、ストの陰に父兄会が動いていた。
(中略)
とにかく、手に負えぬ暴れっぷりだが、軟派など陰湿なかげりがなく、カラッと男性的で明るい点が救いである。