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【【【【【【【上宮高校PART46】】】】】】】 - 暇つぶし2ch616:信者
12/05/25 20:18:55.55 7UuFlU7J0
今日は東海道ブルトレの紹介です
あさかぜ
1956(昭和31)年、東京~博多で運転を開始した日本初の寝台特急。
当初は一般の客車による運転だったが、登場から2年後に、全車冷暖房完備で「走るホテル」と呼ばれた
名車両20系特急型客車が投入され、ブルートレインの愛称と共に絶大な人気を誇った。
1970(昭和45)年には、急行列車の格上げにより東京~下関にも特急「あさかぜ」が運転開始。
また、1977(昭和52)年には24系25形による運転も開始された。
しかし、山陽新幹線の開業などにより乗客数は減少の一途をたどり、1987(昭和62)年に接客設備をグレードアップした
金帯の車両が投入されるも、1994(平成6)年になると東京~博多を走る、元祖「あさかぜ」が廃止。
さらに2005年3月改正で東京~下関の「あさかぜ」も廃止となり、ここにブルートレインの始祖は消えることとなった

617:信者
12/05/25 20:20:07.95 7UuFlU7J0
出雲
1972(昭和47)年、同名の急行列車を20系客車に置き換え、特急に格上げして登場。
当初は東京~岡山~浜田で運転されていたが、1978(昭和53)年に東京~京都~米子で運転されていた「いなば」を出雲市延長の上、愛称を出雲に統一。
これによって2往復に。
1998(平成10)年、伯備線経由の「出雲」は新型寝台電車特急285系に置き換えられ、
愛称が「サンライズ出雲」(別に紹介する)となり、「出雲」共々出雲市までの運転へと変更されている。
*正確には、「いなば」の流れを汲む「出雲」をサンライズ化の上、伯備線ルートの「出雲」と入れ替えた。
残った出雲1往復は、静岡(23時40分発)、浜松(0時36分)でも客扱いをするため、東海地域から山陰へ行く場合にも便利に利用できるのが強み。
しかし、抜本的な改善策を施さないまま、地元の反対を押し切る形で2006年3月改正で廃止となってしまった。

618:信者
12/05/25 20:21:04.73 7UuFlU7J0
いなば
1975(昭和50)年3月改正(山陽新幹線博多開業)に伴う寝台特急の廃止により捻出された14系により運転を開始した寝台特急。
愛称は旧国名である「因幡国」に由来する。また東京~名古屋間では、紀勢本線の紀伊勝浦駅を発着とする寝台特急「紀伊」を併結していた。
その活躍期間は短く、早くも1978(昭和53)年10月改正で、出雲市延長にともない列車名を「出雲3・2号」と改称、
すなわち同じ山陰の寝台特急である「出雲」に統合され、愛称が消滅してしまった。
JRになってから在来線の気動車特急「いなば」(現在は「スーパーいなば」)として愛称が再登場している

619:信者
12/05/25 20:21:36.91 7UuFlU7J0
紀伊
東京と紀伊勝浦を結んでいた寝台特急。1968(昭和43)年に「伊勢」、「那智」、「大和」を統合して誕生した急行「紀伊」を1975(昭和50)年に特急へ格上げしたもの。
寝台特急「いなば」(のち「出雲3・2号」)と併結されて運転されていたが、東海道本線を走るブルートレインとして、いよいよ全盛期が過ぎたことを証明するかのように、1984(昭和59)年に廃止となった。



620:信者
12/05/25 20:23:06.40 7UuFlU7J0
富士
1964(昭和39)年10月、日豊本線経由で東京~大分を走る寝台特急として登場(寝台特急「みずほ」のうち、大分行きを分離)。
愛称は、東海道新幹線開業で消える東京~岡山~宇野の151系特急「富士」の愛称を引き継いだもので、
東京を視点に考えれば愛称が夜行列車に移動した感じである。
翌年には西鹿児島(現・鹿児島中央)に運転区間が延長され、国鉄の最長距離列車に。
1975年には24系客車が投入された。しかし、さすがに運転区間が長かったため、
1980年に東京~宮崎に短縮。そして1990(平成2)年3月 南宮崎駅まで運行区間を1駅延長したが、
利用客の低迷によって1997(平成9)年11月に大分までの運転となった。
そして1999年12月には「さくら・はやぶさ」と共通の、24系・14系の併結編成が使われるようになった。
さらに2005(平成17)年3月改正では、東京~門司を「はやぶさ」との併結運転へ移行。
富士山の形をした特徴的なヘッドマークも、本州では見納めとなった。
そして、2009(平成21)年3月改正で「はやぶさ」と共に廃止となり、これにより九州ブルトレの歴史に幕が閉じた。

621:信者
12/05/25 20:24:30.76 7UuFlU7J0
さくら
1965(昭和40)年には、佐世保行きの編成も連結されるようになり、ブルートレインの花形列車の1つとして人気絶頂に。さらに1972(昭和47)年には14系客車が投入され、グレードアップされた。
しかし、山陽新幹線の開業や飛行機網の発達に伴い乗客は次第に減少。
1985(昭和60)年には本州の牽引機をEF66に変更し、スピードアップを図った。
JR化後、九州方面のブルートレインが整理される中、1999年に佐世保行きが廃止。
同時に、東京~鳥栖が熊本行きの「はやぶさ」と併結運転が実施されるようになり、A寝台も廃止。
挙げ句の果てに、東京では通勤電車と並行ダイヤ、深夜帯は貨物列車優先で途中退避、九州では曲線の多い長崎本線に於いて、
振り子式で曲線を高速で走るようになった特急「かもめ」に「さくら」は対応できず、
3本も抜かれるようになり、東京を18時に出ておきながら、
長崎に13時過ぎに到着するという信じられないダイヤになってしまった。
あげくに高い寝台特急料金に老朽化した客車。
これでは乗客を獲得する方が無理というものだが、それでもしばらくは運転が続き、
2005(平成17)年3月改正でついに廃止となった。

622:信者
12/05/25 20:27:27.81 7UuFlU7J0
瀬戸
1950(昭和25)年、四国への連絡を目的として、東京駅から岡山県の宇野駅まで直通する急行列車が設定されたのが始まり。
翌年に急行「せと」の愛称が与えられ、1956(昭和31)年に「瀬戸」と漢字化された。
1972(昭和37)年3月に20系客車が投入されて寝台特急へと格上げ。
1977(昭和52)年からは24系25形が投入され、さらに1988(昭和63)年4月に瀬戸大橋線開業に伴い、宇野行きから高松行きへと運転経路を変更。
そして1998(平成10)年7月には285系特急型電車が投入され、寝台特急「サンライズ瀬戸」へと愛称を変更。
同時に「サンライズ出雲」と併結運転を開始し、現在に至っている。

623:信者
12/05/25 20:30:01.61 7UuFlU7J0
はやぶさ
1975(昭和50)年には老朽化した20系から24系に車種を変更し、1985(昭和60)年にはロビーカーの連結も始まった。
また、「富士」が宮崎で運転打ち切りとなったため、晴れて日本最長距離列車となり、まさに九州ブルトレの中心的な存在となった。
しかし、この華やかな活躍の影で、ブルートレイン自体の需要が急減していき、JR化後しばらくは無風状態であったが、
平成5年に食堂車の営業が中止となった。そして、翌年についに列車にもメスが入るようにっていたが、
「はやぶさ」はこの危機は何とか乗り越えることが出来た。
とはいえ、在来線の特急列車のスピードアップは著しく、特に九州ではその傾向が顕著であり、
新たに運転を開始していた東海道・山陽新幹線の「のぞみ」と博多からの「つばめ」を利用すると、
当日の朝出ても前日の夜出発した「はやぶさ」と西鹿児島到着時刻が4分しか変わらないという状態となっており、
特に熊本以南は空気輸送状態であった。
平成9年に結局「はやぶさ」は熊本打切りとなり、最長距離列車の地位は「さくら」へと移った。
そして平成11年に夜行列車の需要減に伴い、東京~鳥栖間で「さくら」との併結運転となってしまう。愛称こそ消えなかったが、
運転区間は先に廃止されていた「みずほ」と変わらないものとなっていた。
この状態でしばらく運転されたが、これでも供給過剰な状態となっており、平成17年、再び運行体系にメスが入り、
併結相手であった「さくら」が廃止となった。
そのかわり、単独列車として残っていた「富士」と新たに東京~門司間で併結することとなった。
衰退著しいブルートレインの中でしぶとく生き残っていた「はやぶさ」であるが、これにより九州内での編成は6両にまで減らされ、かつての威容は見るべくも無い。
そして、やはり2009(平成21)年3月改正で「富士」と共に廃止され、九州ブルトレの歴史に幕を下ろした。

624:信者
12/05/25 20:30:52.02 7UuFlU7J0
みずほ
1961(昭和36)年登場。寝台特急「さくら」と共に、東京と熊本県、長崎県を結ぶ九州ブルトレの1つとして長らく活躍。
鳥栖で熊本行き、長崎行きに分割されて運転される。
地味ながら非常に縁起の良い名前でイメージが良く(漢字で書くと”瑞穂”)、少なからぬ人気があった。
しかし、1994年に定期列車として廃止となり、最終日はEF66に特製の青と赤色のヘッドマークを付けて運転された。
思えば、ここより本格的な東海道系ブルトレの整理統合が進むことになる。

625:信者
12/05/25 20:32:23.73 7UuFlU7J0
銀河
急行としてのステータスが高かった「銀河」は車両面でも他の急行列車とは一線を画していて、
特急と大差ない車両が優先的に使用されていた。しかし、国鉄末期ともなるとさしもの「銀河」も利用客が落ち込むようになり、
てこ入れされるようになった。昭和60年に他の急行列車に先駆けて14系化がはかられ、翌61年の国鉄最後のダイヤ改正では
24系に置き換えられた。この改正ではさらに、東京着の時刻をラッシュ前にずらし、ビジネス志向をよりより高めることになった。
JR化後はたいした変化もないまま推移しているが、他のブルートレインほどではないにしても、利用の減少には歯止めがかからないようで、
減車が実施されている。最終的には通常は電源車込みも7両という編成となっていた(繁忙期は2両増結の9両)。
東海道に初めて登場した愛称つきの急行列車「銀河」であったが、気がつけば、東海道急行の最後の砦となってしまった。
だが、新幹線とは完全に違う時間帯を走り、新幹線の初電が到着する前に終点につく便利さが功を奏して、廃止を免れていた。
もし、昭和61年の改正が行われなかったとしたら・・・すでに「銀河」という名称はなくなっていたかもしれない。
 しかし、ついに2008(平成20)年3月のダイヤ改正で、60年近くに及ぶ歴史に幕を下ろすことになった。

626:実名攻撃大好きKITTY
12/05/25 20:41:51.91 FcWnKVEi0
鉄研以外だとしてもここまで知ってる人はそうそういないと思う
やっぱり、鉄研の仕業なのかな?


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