12/03/01 03:57:47.88 TcKRfHPV0
川崎高校は、学園紛争前は川崎市内で東大進学者数ナンバー1で最強の進学校でした。
近くの浅野よりも格上の学校とされていました。
紛争があったのは、70年くらいで、それから、自由な校風になって、当時の教育ママ
が敬遠しだして浅野や攻玉社に流れてからレベルが下がっていったらしいです。
そこで市内で二番目に歴史のある県立高校である多摩高に人気が集中したというわ
けです(駅から近いこともあって)。
でも多摩高は昭和30年創立の新しい学校です。
と,いうことは県は昭和30年まで川崎市内には県立普通科高校を一校しか置いてい
なかった・・・?