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愛知一中物語(上)(中日新聞本社、昭和52年10月16日発行)
156-157ページ(肩書き・年齢は当時のもの)
百年祭を控えての一中会年次総会は、さすがに期待と熱気に包まれて盛会だった。
一億七千万円にのぼる記念事業費の寄付を始め、最大の記念事業である
百年史出版の話、記念マラソンへの参加の話など、その夜、名古屋国際ホテルの
会場へ集まる人たちの関心事は盛りだくさんだが、中でも"講師"として出席している
愛知県知事・仲谷義明氏が、何といって愛知一中と一中会にふれてくるか、
それを楽しんでいる向きも少なくなかった。
如才ない知事さんのことだ。百年祭を目の前にして、大いに意気上がる一中の話題に
ふれぬわけはない、と誰しも思った。でも、知事さんは名古屋の人だが、一中ではない。
そのへんは微妙だなぁ、という人もいた。
その夜の知事さんは夫人同伴である。仲谷夫人は市三の出身だから三稜会。つまり
愛知一中と合併して旭丘高校になる女学校の卒業生なのだから、一中会と無縁ではない。
そうした含みもあってか、知事さんのスピーチは期待どおり一中にふれてきた。
知事さんは語り出した。
「私は明倫中学でありますが、一中へ行かなかったことを今も残念に思っています。
私の小学校からは、一番と三番と四番と五番の友だちが一中へ参りました。
私は体が弱かったものですから、一中をあきらめましたが、明倫には一中みたいなもの―
一中精神というようなものが、ないんです。これがやはり、残念だと思うんです」
聞き入るメンメン、得たりとばかり、うなずいた風景は、目に浮かぶよう。