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日本の埼玉県に高麗村があるが、これは高句麗の王族が定着して生活しながら生まれたものである。
日本に使節団として渡った高句麗王族の若光は、668年に高句麗が滅びた後、
東京周辺で分散して暮らしていた高句麗の亡命者と遺民を集めて定着生活を始めた。
当時、日本では高句麗と百済、新羅の遺民を歓待する政策を実施したが、それは彼らが日本に乗馬と農業技術を普及し、
建築と美術発展に大きな影響を与えたからである。
高句麗人の影響により、人が住んでいなかった同所は穀倉地帯になった。
若光が死んだ後、高句麗の人々は彼を祭るために「高麗神社」というほこらを建てたが、現在まで子孫らによって保存されている。
彼らは、今も「高句麗」を日常的に「高麗」と略して呼んでいる。
高麗村には高麗小学校、高麗中学校、高麗郵便局、高麗山、高麗峠、高麗園などがあって、
まるで朝鮮半島のある小都市に来た感じがするほどである。
二つの鉄道駅の名も高麗駅、高麗川駅になっている。
「高麗神社」を中心に、各所に高句麗の遺跡が多く残っている