12/04/20 17:12:51.31 R2TdG6VHP BE:709297362-PLT(12001) ポイント特典
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スタジオジブリ 鈴木敏夫プロデューサー
その昔、“西洋かぶれ”という言葉が流行ったことがある。元々は、日本より西洋を良しとして振る舞う人を指す蔑称で、
たとえば、夏目漱石の「坊っちゃん」に登場する赤シャツがその典型例だが、戦後になって、多少、意味が変わる。
アメリカに戦争で負けた日本という国を好きになれず、かといって、アメリカに尻尾を振るわけにもいかない。そうだ、
もうひとつの西洋、ヨーロッパがあるじゃないか。アメリカと違って、ヨーロッパには、古い伝統と歴史がある。
新しい“西洋かぶれ”の誕生だった。それは、ヨーロッパにあこがれ、ヨーロッパの文物に親しむ人々のことを指した。
高畑勲と宮崎駿のふたりも、その例外ではなかった。 ふたりとも、そういう時代の申し子だった。 ふたりは、ヨーロッパを
舞台に「アルプスの少女ハイジ」と「母をたずねて三千里」を作るが、そういう作品を作ることに何の抵抗も痛痒も無かった。
それどころか、それは喜びだった。そういう時代だった。
しかし、時の経過は、ふたりに大きな変化をもたらす。日本を舞台に日本人が主人公の作品を作りたい。いつしか、そう
願うようになる。 当時の宮崎駿の発言に、こんな言葉が残っている。 「日本に借金がある。それを返したい」
こうして、企画されたのが、「となりのトトロ」と「火垂るの墓」の2本立て興行だった。いまでこそ、日本が舞台の作品は
珍しくないが、当時の日本のアニメーション界では、かなり画期的な野心作だった。企画から数えると、四半世紀、
25年前の出来事である。 最近の話だが、ある人が、こんなことを語ったのが印象的だった。
日本は戦争に負けてよかった。 もし、勝っていたら、本当に嫌な国になっていた気がする─
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