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豊島産廃事件
豊島産廃事件とは
香川県小豆島に隣接する豊島に,1983年頃から地元の産業廃棄物処理業者が自動車の破砕くずなど約50万トンを不法に投棄した。
地元島民からの度重なる抗議・請願にも,香川県は「金属を回収できるので廃棄物ではない」などとして不法投棄を見過ごし,被害が拡大した。
1990年,兵庫県警が廃棄物処理法違反容疑で業者を摘発。93年に豊島住民が業者や香川県などを相手取って国に公害調停を申請した。
調停は2000年6月,県の謝罪と産廃の全面撤去などを盛り込んで成立,最終合意した。
なぜ起きた
大量生産,大量消費,大量廃棄という効率を追求した社会の中で,この事件は生まれるべくして生まれた。
都会の人たちは自分の前からゴミが消えれば,ゴミはなくなったと思う。しかし,そのゴミはいちばん弱いところへ持ち込まれた。
その一つが豊島だった。
不法投棄が起きた直接の原因は「官の誤り」である。産廃業者を指導する立場の香川県が違法な処理業者を養護し,廃棄物なのに
「廃棄物でない」と言い張った。業者を摘発したのは,香川県警ではなく兵庫県警だった。
しかし,業者は摘発されても不法投棄されたゴミはそのまま残ってしまった。
本当の問題はこれから始まる。業者は逮捕され,ゴミはそのままならまだよかった。ゴミの上に雨が降り,雨水に溶け出した有害物質が
海に,田畑に流れ出した。有害物質を含むと思われる農作物や魚介類は市場に出せない。島の産業は崩壊した。
遂に調停成立
2000年6月,県の謝罪が盛り込まれた最終合意に達した。成立の日には「怨念を繰り返してはいけない」と,住民は豊島を
訪れた真鍋知事を港まで迎えに行った。知事も涙を流し,「高松市内の山からいつも豊島を見ていた」と語る。
真鍋の涙とは何を意味するのか。
豊島の人々は大量のゴミがなくなるなんて思っていない。「豊かな島と書くこの島をゴミの島にしてしまった。子孫のために一矢報いたい。
自分のためではない。次の世代のためにやるんだ。」という強い意志があったからこそこの運動は成功した。