13/03/06 04:03:57.14 d7DGtur60
>>880 「教える側も伸びしろがない相手に本気で接するのは馬鹿げてる」「最低限の単位を与えて、さっさと卒業させて社会に放り出す」
―もし、第一学院の先生なんかがそのように考えてたらやだよ。まがりなりにも教育に携わるなら、とりわけ第一学院で教えるつもりなら
そのような了見であってほしくないね。ほかの人はどうおもってこの第一学院に来たかは知らないけれど、ぼくの場合は大学受験資格がほしい
だけじゃない、もうすこし違うものも欲してるからきたわけだ。ぼくが第一学院きたきっかけの一つは、この掲示板を覗いたことだ。ぼくが
この世に生きてるのは好奇心があるからにほかならない。だから、第一に来たのもそうだ。退廃してる学校だろうとおもった。先生たちも
メチャクチャかもしれないとおもった。けれど、来てみたらそのような想像をぶっ壊してくれた。いい先生たちだとおもう。それはぼくに
とって筆舌に尽くしがたいほどだ。
>>881 ぼくには特化した技術はないけれど、義務教育には耐えられなかった。集団主義教育は苦しかった。
前倣え、気を付け、やすめ、席は決められており、時間は厳格、宿題をしなかったら立たされ、反抗したら反省文
書かされ、ぼくが何かいったらすぐに「口ごたえするな!」「言い訳は見苦しい!」と怒鳴られたりするし、オイッチ
ニー、オイッチニ、ヒダリ!ミギ!ヒダリ!ミギ!ダリ!ミギ!ダリ!!…ダリ!!…ダリ!! 少しでも人とテンポが合わなかったら
あわせんか~い!!ってどなってくる。それが小学校の教育だった。それができる人はなんでもないかも知れないけど、
ぼくのような人は100人中2人はいる。窮屈に感じている人はいるだろうし、ぼくが考えている人間の本性に反することだ。
「教育するということは押し付けるということでしかなく、社会にとって害悪でしかない」とある人間の発言を想定しているが、
ぼく自身、それ、あるていど賛成。親戚の教育者が、教育は自分のためにある……とか理想主義的なことをいってたが、自分のためになるのは
副次的な恩賞を与えられるからに過ぎない。教育とは、近代以降の国家を維持する装置だ。国のための奉仕形態だ。システムが人々の
主体性をコントロールし、去勢さし、洗脳し、人々を社会のための規格品に仕立て上げる。