09/10/19 20:51:04 xSN8fLDb
とある先日のこと。
かつてボロボロになっていた大正時代の電車が、
篤志家や行政の協力で、現役時代に近い美しい状態に復元工事を受け、展示されているのを眺めに行った。
「よくぞここまでやってくれた」と、チョコレート色に塗られた博物館級の車両を眺めていたが、
ふと電車の正面を見ると、スケッチブックを抱えてしゃがんでクレパスを動かしているのがいる。
離れた位置から三脚立ててキャンバスに絵筆を振るっている人ならまあ無害だ。題材が風変わりなぐらいだろう。
しかし、全高4m近い電車を、3mと離れていない真正面の地面からデッサンしても、
仰角がきつすぎて電車に圧倒され、とうていまともな画にならないはずだ。
何を考えているのやら。
階段を登り、公開されていた車内に入ると、手間を掛けて現役時代に近い内装に戻されている。えらいものだ。
木張りの床や、窓の内側に落とし込む日除けの鎧戸を眺めて「こだわったなあ」と感心していたが、
突如素っ頓狂な声。
「うわあ、でんしゃでんしゃ」
「……」
「ぷるるるるる、このでんしゃは青梅ゆきです」
さっきのスケッチブック男だった。見るからにそういう多幸性の顔だ。
窓や釣り革やブレーキレバーなどをガチャガチャ動かし、車掌や運転士を演じてはしゃいでいる。
「……」
黙ってその脇を通り過ぎた。放っておいたら貴重な産業遺産を壊しかねないが、相手をするだけでややこしいことになりかねん。
なるほどこの幼児的感覚なら、無茶苦茶な位置で電車を描こうと考えるのもありうる話だ。
自分の身体に比べて大きな物体を、感じた通りに大きく描こうとするアングル取りは、児童画にはよくある。
ところで電車は描き終えたのか?
急に疲れた気分になり、クラシックな電車を外からじっくり眺めていたら、そいつが電車から降りてきて周囲をうろつきだした。
「みんなにあいされたでんしゃ」(彼ら独特のはぁとふるスローボイス。語尾にハートマークが付きそうな発音だった)
間の抜けた声で看板を読んだその声を聞いた瞬間、「いいからとっとと失せろ!」と叫びたくなったが、我慢した。
現役の電車の車中どころか、保存された古典電車訪問でまでこの手の徘徊者のダメージを受けるとは思ってもいなかった。
頭が痛くなった。
連れてきた奴、見張り無しで放置するなよ。