11/09/07 22:21:49.82 ATHQyhKl
一般化できるかどうかは判らないけど、あるASの例。
仕事上ドイツ人と打ち合わせる必要があった。
互いの共通語が英語だったので、英語でやりとりすることになったが、
彼に言わせると、日本人と日本語で話すよりもスムーズだという。
(彼の語学力は、決して優れてはいない)
理由は2点あって、
1つは、言語の特性上、主語を省略せずに話していること。
もう1つは、相手が「大事なことは言葉にしなくては伝わらない」
という考えの持ち主だったということ。
日本語だと主語が省略できるあまり、判断の主体が曖昧になる。
その判断が個人的なものか、組織としてのものか、業界の慣習に基づくものか、
判然としないことが多い。それを明確にしようとすると、嫌がられることが多い。
確かに私から見ても、日本人の場合、判断の主体を明らかにすることで、
自分の立ち位置を明確にすることを忌避する例が多いように見える
また、日本では大事なことや微妙なことだからこそ、
あえて言葉にしない(明言化・明文化を避ける)という例が多い。
大事な、あるいは微妙なことだからこそ言葉にするのが当然という
欧米や中国とは大きく異なる。
どちらが優れているという問題ではないが、
ASにとっては、日本の方が軋轢が発生しやすい社会だと考えられる。
こう書くと「だったら日本から出ていけ」なんて
煽りを入れるクルクルパーも出てきそうだけどね。