12/03/10 23:14:06.05 7U9lu/zu
何で今のように板書をノートに写して学ぶスタイルが定着したかといえば、黒板という場所
隔りなく使える応用範囲の広い教具はどこにでもあるという点と、自分で書き写すことで
暗記に役立てること、ノートと筆記用具はどんなに貧困な家庭でも用意することができ、
その情報を家庭によらず生徒に与えることができたという理由で使われてきたわけだよね。
でも、誰もが紙とエンピツを入手することができるようになって、電子黒板の導入が進み、
4万ほどでラップトップPCが入手できるようになり、社会(民間企業)では誰も黒板を使わ
なくなったこの現代において、板書のスタイルを続けていくということが絶対的な合理性
を有するかといえば、そうではない。
もちろん、「間違った字を書くことはよくない」ことを否定するわけではないのだけど、
教育というのが「生きる力を身に付ける」ことと定義すれば、講義の頭だけは授業の頭に
配布資料と電子黒板・プロジェクタでやってしまって、あとは、演習問題を各自解いてく
スタイルのほうが、ずっといいんじゃないかな。
で、そういうスタイルの時代が来たときは「板書の技術が」とか指摘したところで、何の
意味も持たない。(もちろん、現代においては間違えるべきではないのは疑う余地はないが。)