13/04/21 05:28:08.38 lqZl/Zrm
1999年、ある5月の夜、実家に夕食を食べに行くと、弟が仕事帰りに小さな子猫を拾って連れ帰ってきた。
道の真ん中でニャーニャー鳴いていて、轢かれてしまいそうだったので連れて帰ってきたらしい。
目ヤニで両目はほとんど閉じていて鼻水で鼻も塞がっていた。
ぬるま湯で目を洗い、鼻を念入りに拭いた。
鼻クソで鼻が塞がっていたので、俺はハナコ(鼻子)と、そのチンチクリンな子猫に名付けた。
母親と妹は俺がハナコと呼ぶのを聞いて「アラいいわね」「可愛いね、ハナチャン♪」などと喜び、名前が決定した。
その晩から高熱を出して2日間死んだように眠り続け、目覚めると猛烈な勢いで食べ始めた。
鼻子は極端に頭が小さく、耳がよく聞こえないようだった。
耳が遠いせいか大声で鳴く猫だった。
頭が悪く、自分の名前以外の言葉も、戸の開け方も一切覚えなかったが、
まさに天真爛漫という言葉がぴったりの猫だった。
怖がりで、寂しがり屋で、常に嬉しそうだった。
ひざに乗せると食い入るように、その人の顔を見ていた。
善意しか知らないようなその目で見つめられると、あらゆるものが解毒される気がした。
当時実家にいた4歳年上の猫は、常にハイテンションでおバカな鼻子を鬱陶しがったが、鼻子はその先住猫が好きで仕方がなかった。
鼻子が実家に来る数日前、俺も自宅で友達からもらった子猫を飼いだしていた。
ほとんど同時期に産まれたので友達になるかと思い、何度か実家に連れて行ったが
うちのチビは猫のくせに猫が嫌いで、鼻子を完全に無視していた。
鼻子は全身で喜びを爆発させ、うちのチビをずっと尾行して隙あらばピッタリくっつこうとしていた。
3年前、4歳年上の実家の猫が闘病の末、腹からチューブを出し痩せ細って死んだ。
鼻子はそれから急激に歳をとったようだった。
一昨日の昼、いつも寝ていたソファーの下で鼻子はその生涯を終えた。
特に前触れもなく突然の出来事だった。母親はいつものように寝ているのだと思ったらしい。
連絡を受けて夜実家に行くと毛布に包まれて冷たくなっている鼻子が穏やかな顔で寝ていた。
飼い猫に死なれるのはこれで3回目。
何度経験しても慣れる事はない。
色々思うところのある人の死とは違い、ただただ、純度の高い哀しみが今ここにある。
俺が今飼っている2匹の猫との別れも、いつの日か必ず訪れる。
その度に俺は嘆き哀しむだろう。
でもそれは、愛した猫へしてやれる最後の義務だと思うのだ。
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