11/12/14 10:15:05.55 VPa8dpEm
月に一度の大役を
仰せつかったのは冬だった
めくるのが好きと言ったから
日めくりにという提案は
面白くないと断って
私が役目を果たすまで
あの部屋の時は止まって
めくることは誇りになった
月が欠けることを心待ちに
風が変わることを楽しみに
もうきっと覚えてはいなくて
止まるはずの無い時は流れた
めくる度に思い出す
時を愛した人だった
瞬間の思い出を
時を疎んでしまっていた
望んだのは確かなもの
欠けた季節の間の自由
雪も桜も新緑も
思い出が染み付いていて
美しいのは紅葉だけ
もう譲ることはできない
カレンダーに時を刻んで
あの部屋も
あの日々も
あの人も
めくった分だけ古くなる
空が高くなるように
少しずつ
遠ざかる
375:名無しの与一
11/12/14 10:15:28.37 VPa8dpEm
自分の足で立って 踏ん張って
色んな事に抗って 逆らって
途中で止めて
やっぱり走って 時々歩いたり
寄り道したり 海へ出たり
高い所から眺めたり
遠くに手を伸ばしたり
近いのに見えなくなったり
蹴っ飛ばしたり
崩したり
壊したり
溶かしたり
少しだけ愛しくなったり
要らなくなったり
忘れたくなったり
忘れられなくなったり
はっきりしなかったり
模糊として見失ったり
ギラギラしたり メソメソしたり
ワクワクしたり シュンとしたり
疲れちゃって休んだり
ストレス溜まって踊ったり
幸せだったり 苛々したり
愛されたり 愛したり
私って大変
毎日って大変
私って人間なんだ
376:流祖
11/12/14 17:56:02.79 al6n07bg
上押しと離れの極意・・・有為の射
会に於いて、上弦と下弦の矢筈を引く力の大きさは、凡そ1対2である。
また、それぞれの垂直分力を考えると、
下弦の方が上弦より、弓力の1/5から1/6ほど大きいと考えられる。
つまり、会に於いては、かけによって下弦を引き上げる感覚が生ずる。
勿論、こうした力の向きを考慮すれば、かけ帽子の先は多少下を向くのが正しい取りかけだと考えられる。
五重十文字の名の下に、かけ帽子が矢筋と平行で、馬手に下鉾に引かれている感覚の無い射は、
上押しの利かない弓手・手の内を示唆している。
会では、弓手・手の内は、その形のままに弓に上押しをかけ、その応力として、馬手の下弦を引き上げる感覚が生ずる。
その感覚は、垂直分力で云えば、弓力の1/5から1/6の大きさである。
しかし、離れに於いては、会での弓手・手の内の上押し感覚の数倍の力が働くので、
弦離れの瞬間には、この大きな力に対して、手の内の形のままに力を拮抗させなければいけない。
足踏みから胴造り、詰め合い、伸び合いの末に、末端の弓手・手の内に、
弓を握り込むのではなく、手の内の形を強化する力が流入することで、離れが生ずる。
具体的には、内竹を支えている拇指球の更なる硬直の圧力が、馬手指の結びを解くのである。
決して、上押しは上鉾を的方向へ押し出す動作によって掛けるのではない。
手の内の構え・形のままに、それを維持することで、働かせるのである。
この様に、会で力を掛けている感覚と、離れで掛かってくる力の大きさには大差がある。
だから、厳密に緩みの無い離れというのは、弦離れの瞬間に間に合うように、会を維持する力より遥かに大きな力に備えておく必要がある。
そうした理念を適える一つの方法論が、前述の内容である。