11/12/11 22:53:21.52 qpg3A2hn
哲学は、数学もだが、証明自体の普遍性に終焉を告げた。
かつて、「神は死んだ。」と、叫んだ奴もいたが、
厳密には、真理は、個人の内から一歩たりとも世界に歩み出ることがないのだよ。
自分の弓道を自分以外の誰に証明するのかな。
既に自分の中では、中っているんだよ。
不完全ながら、弓道には誤差の許容量が適度に有るからね。
自己と自己の射をとことん凝視するのが巻き藁前の射だ。
的前では、紙は射ぬけても、巻き藁前での修練が与える射の確信からは程遠い。
そんな的前で、今更証明のしようもないのだよ。
分かり易く書けば、・・・
的前の射での良否の基準と巻き藁前の射の良否の基準は雲泥の差だよ。
なぜ、巻き藁前の射の基準が厳しいのか。
それは、得られる情報の量が多く、質が高いからだ。
それらが総て良い射の条件をクリアーして、且つ小さな的に中って、
やっと、良い射と認めている。
国家公務員の上級試験を満点近くで合格しているのに、
今更、自分の実力を試そうと、
地方公務員の初級試験を受験はしないだろう。
ほら、この通り。
今年の春に的前デビューすると言いましたが、永遠に的前・大会デビューはしません。
中らない下手くそなのを、実は自分の奥底で気付いているからです。
巻藁と想定練習のみで十分に中飛貫久を検証出来るから、と言い訳をします。
的前から逃げ続け、巻藁と想定練習とネットという仮想の自分の思い通りになる世界の中で生きて死にます。
現実から逃げるために妄想し、自分の未熟さから逃避する手段が、私にとっての弓道です。