12/05/06 23:21:21.09 CFMP4bMN
お願いいたします。
URL】スレリンク(psy板:21番)
名前欄】473
>>147
私という主体と私が作った世界という客体はひとつであり、
私という主体を私の手という観念である客体ももともとひとつです。
しかし人は自らが自らの作った世界にいることに気づかず、私の上に欲望や思想や意識を上塗りし、
それによってあらかじめある客体である世界や手という思念に干渉しようとしてしまいます。
自己内の葛藤、闘争が始まります。
しかし、まずはそこからはじめるしかありません。
ここから初め、無意識であることを回避し、日々観察するか宗教の技法に打ち込むことで表層の欲望や意識を一瞬でもつきぬけ、
そして私であることが感じられるようになり、さらには私と私の造る世界は2つでひとつの現象であるという全容に気づいてゆきます。
見る人も見られるものもなく物事の自然な移り変わりが起こります。
そうであったり、あるときは表層意識が私や私の作る世界と戦っているという所から始まったり一定はしません。
意識の状態は一定しないのです。
それにしても、こういったことを言葉にしようとすると非常に疲れます。
単にこれを生きる方が言葉にしつつそれを探求するよりずっと楽でしょう。