12/05/06 20:29:25.51 CFMP4bMN
URL】スレリンク(psy板:21番)
名前欄】473
知識も思想もその人自身とは本当に関係ない。
相手の「覚醒」と「良心」からくるその総合的な実存
を見据えるのではなく、思想や表現を真に受けるといつも後になってからあれれと思う。
それを生きていないこと、理解していないことを語るというのはより自らに無意識になり、そして良心も眠らせ公正さも失ってゆくことです。
宗教を語るのはたやすいが生きることは難しい。
自分自身宗教のイメージで自分をだましている場合、他者のそれに騙されるか巻き込まれる。
その辺は本当に反省です。違和感を感じて議論するより、もっと単純に相手が考えていることでなく感じていることを読み取れればずいぶんとすっきり事態は認識できる。
シンプルに生きることだよというのはたやすいがそう実際にあるのはブッダであった。
全体性に身を任せる。
受動的に自らに気づき、受動的に客体に気づく。客体ははっきりしたものであることもあるし、瞑想しているときのもやがかった客体もやはり客体です。
その主客全てに気づいてゆく。その全容に同時に気づかない限り主客という車輪からは出られない。