12/05/06 01:38:53.85 alZ8lZZG
>>122はキャンセルします
よろしくお願いします
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>>21
まじか . . . ショックだ . . .
15票ばっかしだったがみるきーに入れないでアカリンに全部入れるわ . . .
124:心得をよく読みましょう
12/05/06 01:42:51.43 UbYuLA2y
自演になったぜ!
代行人は他のスレも見てるんで。
125: [´・ω・`] KD111100191186.ppp-bb.dion.ne.jp
12/05/06 01:53:31.08 CFMP4bMN
【スレのURL】スレリンク(psy板)l50
>覚醒とは、潜在意識(経験と感情から作られる世界)と
>表層意識(外界の刺激から主導権を握った価値基準や表出した感情)全体にただ覚めていることをいいます。
今言ったように、意識から「私という意識」も「私のもの」を切り離せば自然にその状態になります。
あなたの表現で言う、ただ覚めている状態ですが、そのような愛なき独存を、私は批判しています。
さて、同じでしょうか。
記憶や感情の総体があり、それらが矛盾するのでそれを統括しようとする思考がありそれが表層意識になります。
その私という構造が、その構造全体を抑圧して無きものとしてしまえば、私によってただ覚めている状態のような状態になることができます。
全体性から個体性が生まれ、個体性が個体性によって自己否定する。
そうすればそれは正に不毛の地でしょう。
私が覚醒するのではなく、私を見るのです。なにも抑圧されるものも殺されるものもありません。
自らの思想や価値判断によって殺されていた現実、生が蘇るのです。
それは誤った方向に進んだ宗教のやり方であり、また表層の思考で自分自身の潜在意識を抑圧する哲学の手法でもあります。
精髄を失った禅は無という夢を見て自身を抑圧し逃避しますし、哲学はまた別の夢を見ます。
夢の中身が違うだけでやっていることは同じであり、近親憎悪、投影による攻撃がありありと見えます。
例によって私が全く述べておらず、そして私がその危険性を警告し続けたことをあなたは批判しています。
その批判については私は同意見であり、私が述べたのはまったく別のことです。