19/12/29 09:26:19.35 CAP_USER.net
12/26(木) 8:01配信
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
URLリンク(lpt.c.yimg.jp)
火災で焼失した首里城正殿の跡地で1985年の発掘調査で埋め戻されていなかった未公開の石組みの地下遺構の露出部が見つかっていたことが25日、分かった。見つかったのは12月初旬。沖縄県教育庁文化財課の濱口寿夫課長は「文化庁と協力しながら火災で流れ込んでしまったがれきを撤去し、遺構の損傷の有無を確認して必要な措置を取っていく」と話した。
【写真】実は首里城は黒かった? 「中国人好みに捏造」か
URLリンク(www.okinawatimes.co.jp)
URLリンク(www.okinawatimes.co.jp)
正殿の床下には世界遺産に登録されている遺構がある。火災前の正殿では遺構の一部をガラス張りにして一般公開していた。
12月初旬、同課の職員が焼け跡で作業した時に、公開部分と同じような遺構の露出部が正殿正面から右奥にあるのに気付いたという。露出部は縦1・8メートル、横1・3メートル、深さ1・8メートル。
埋め戻されていなかった理由について、同課は当時の資料を確認中。風雨にさらされないよう、遺構の上にシートを掛けている。
研究者のため埋めずに保存
発掘調査に関わった沖縄国際大学の上原靜教授(考古学)の話 関係者に確認したところ、石組みの遺構は一般公開の部分とは別に研究者向けに公開するために埋めずに保存していた場所だ。出土した数十基の井戸のような構造物が、何のために作られたものか不明だったことから、周囲を補強した上で以後の研究のために残されたようだ。