20/04/05 04:09:35 CAP_USER.net
・志村けん逝去に思う。「PTAが日本一嫌ったタレント」は海を越えていた :ジャーナリスト伊藤延司氏
志村けんを愛した「ゴーモンさん」
志村けんと聞くと、必ず浮かぶ顔がある。名前は確か「ゴーモン」さんだったと思う。
僕は昭和天皇が亡くなる直前の1988年10月から92年11月までほぼ4年間、毎日新聞社で英文局長をしていた。ゴーモンさんは、そのころ知り合ったアメリカ人女性だった。時代が昭和から平成に変わったころだから、30年以上も前の話である。
英文局は英字日刊紙の「マイニチ・デイリーニューズ」(現在は電子版)や、英語学習週刊紙の「マイニチ・ウィークリー」を発行する毎日新聞社内の独立事業体だが、1988年(昭和63年)9月に天皇崩御の社説予定稿を、フライングで誤掲載するという大失態を演じたり、数年前には「Wai Wai」というコラムの下品で下劣な記事が読者の袋叩きにあうなど、不名誉なイメージに汚れたメディアに成り下がってしまった。
僕は社説の誤掲載問題で更迭された局長の後を引き継いだ。偶然の役回りだが、昭和最後で平成最初の英文局長になったのである。そんな僕が手始めに試みたのは、外国人コントリビュータ(寄稿者)の入れ替えだった。
ゴーモンさんは新しい寄稿者の一人だったのである。初対面の印象は、「下町の肝っ玉母さん」だった。
PTAからのお達し「『8時だよ!全員集合』を子どもに見せるな」
彼女が最初に言ったのが「局長さんはドリフが好きですか?」だった。それが見事な下町ことばだったのである。
引っ詰めの髪といい、アメリカ人にしては小柄で小太りの体形といい、下町のおかみさんという形容がぴったりの人だった。
彼女には世田谷の小学校に通う男の子がいて、PTAの役員をしていると言った。なぜPTAの役員になったのか、その理由が痛快だったのである。
息子が地元の小学校に上がった時から、腹立たしかったのはドリフターズの「8時だよ!全員集合」を子どもに見せるな、という学校とPTAからのお達しだったという。
ゴーモンさんは、天井から金だらいや缶の蓋が落ちてきたり、時には車が飛び込んでくる場面を、息子と腹を抱えて見ていると言った。
「あんな面白いシーンの、どこが悪いっていうの? そんなの言論弾圧じゃないさ。そういうママたちに限って、表現の自由だの、女の権利だの、言うのよ」
だから、PTAの内部からドリフに反対するお母さんたちと闘うために、役員として乗り込んだと、PTAに入ったわけを話し、そこでまた「局長さんはドリフが好きですか?」と聞いてきた。
「間違った英語だって? バッカじゃない」
僕は「妻がよく大笑いして見てます」と言って逃げた。妻がドリフターズを見て、笑い転げているのは本当だった。
ゴーモンさんにコントリビュータを頼んだ1991年ごろには、ドリフも飽きられ、代わって加藤茶と志村けんの「加トちゃんけんちゃん」が人気を博していたようである。
志村けんの、「七つの子」の替え歌「カラス なぜなくの からすの勝手でしょ♪」が童謡をよじ曲げて教えるものだとか、「アイマイミ~、ユ~ヤ~ユ~、ヒ~ホ~ヒ~」は英語を誤って教えるものだとか、PTAが猛反発していた。
志村けんは「PTAが最も嫌うタレント」になったが、ゴーモンさんはあくまで志村けんの頑固な支持者だった。彼女は見るからに「肝っ玉母さん風」に、きっぷのいい下町ことばでこう怒るのだった。
「『ヒ~ホ~ヒ~』が間違った英語を教えてるなんて、英語も話せないママたちがよくいうよ。バッカじゃない。ああいう教育ママどもが子どもをダメにしてるのよ」
思えば「志村けん」は、PTAに禁止されても、言葉の壁や国境はヒョイと越えていたのである。
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2020/04/04 19:00 Forbes JAPAN
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