【ドイツ】中国の正体にやっと気付いたドイツ 「中独合作」は崩壊するのか?[08/06]at NEWS5PLUS
【ドイツ】中国の正体にやっと気付いたドイツ 「中独合作」は崩壊するのか?[08/06] - 暇つぶし2ch44:七つの海の名無しさん
18/08/06 16:03:44.98 zZQ8MBqz.net
>>1 続き
 例えば、2016年の伊勢志摩サミット=主要国首脳会議。先進7カ国は、東シナ海や南シナ海における中国の海洋侵出に対する
厳しい現状認識を共有し、首脳宣言に盛り込んだ。中国をカネのなる木としか見られず、凶暴性を実感できぬ欧州勢にしては
上出来だった。半面、ミキモト真珠島で、メルケル首相の夫君らが体験したサミットに伴うイベント=真珠の取り出しで
「ドイツ・裏切りの歴史」が唐突に脳裏に浮かんだ。
 第1次世界大戦(1914~18年)開始直後、大日本帝國はドイツに宣戦布告した。独降伏で「東洋の真珠」と呼ばれた文化都市・青島
は日本統治となり、ドイツの一大権益は吹っ飛んだ。以来、後述するが、日本に恨みを抱くドイツの中国への肩入れは、
日独伊三国同盟締結後もひそかに続けられた。
 同盟関係を裏切るドイツのDNAを、中国は見逃さない。習氏は日本も標的に、「中独合作」の21世紀復活を謀る。
 習氏は2013~14年にかけ、経済を武器に影響力圏を拡大していく《一帯一路》戦略を明らかにした。けれども、もっと早く
「中独合作」は進行していた。中国製生活用品を積んだ試験運行の貨物列車がドイツに着いたのは08年1月。
ドイツは今も昔も有数の武器輸出国であり、北京を出発して1万キロの旅を終えた列車は「中独合作」の幕開けに映った。
“日独親善”に隠れ、しぶとく密着していた薄汚い近代史=中独関係の復活を予感した。
 ドイツが舌なめずりする対中貿易は1750年代以来の国家的課題で、英国に対抗し1885年、清国直行汽船への補助金を支出、
英国に次ぐ貿易量を達成した。英国やフランスに比し帝国主義色が薄いドイツに、清国が日清戦争(1894~95年)で
日本の大脅威と化す東洋一の巨大堅艦《定遠/鎮遠》建造や、日露戦争(1904~05年)で日本軍におびただしい数の犠牲を
強いた旅順要塞の造成を要請したのもこの時代だ。
 その後、ドイツは帝国主義を強め、1897年にはドイツ人宣教師殺害を機に出兵、清国に山東省膠州湾岸の租借をのませた。
以後、中心都市・青島は要塞・文化双方の顔を見せつつ急成長する。陸上兵力は2200人を数え、周囲の山や海岸に築いた
砲台が援護。海上では独東洋艦隊が南太平洋の独植民地との間を遊弋した。
 一方で港/鉱山/銀行/鉄道/麦酒会社/学校/病院/ホテル/教会/食肉処理場を建設。郵政にも着手し、消印で青島が
独支配下にあることを世界に宣言した。650種・数百万本もの木が世界中で集められ植樹(1240ヘクタール)されてもいる。
 先述したが、第1次大戦開始直後、日本はドイツに宣戦布告した。独降伏で「東洋の真珠」「小ベルリン」と称された青島は
日本統治となり、一大権益が吹っ飛ぶ。ドイツの“日本嫌い”は「青島の恨み」が起点だと思っている。
 清国同様に対日戦略上、軍近代化を迫られた中国・国民党は満州事変(1931~33年)後、独ワイマール共和国や
次のナチス政権に接近。ドイツは1927~38年まで軍事顧問団を送り続けた。 
 とりわけ、1934年より団長を務めたハンス・フォン・ゼークト退役陸軍上級大将(1866~1936年)は、第1次大戦で壊滅状態
に陥った独軍の再建と将来(電撃)戦への青写真を確立し「独軍の頭脳」と畏敬された名将。国民党の蒋介石前国民政府主席
(当時/1887~1975年)に、大規模・低練度だった国民党軍の装備や機動性の向上を具申した。
後継団長アレクサンドル・フォン・ファルケンハウゼン退役陸軍中将(後に歩兵科大将に現役復帰/1878~1966年)も、
独式教育訓練を踏襲した。


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