09/10/11 17:53:08 q1++yVXi
朝鮮初の近代新聞「朝鮮旬報」は全文漢字でありハングルは使われなかった。
何故なら当時の大韓帝国では、ハングル使用には非常に抵抗があり、認められなかったという経緯があった。
その後クーデターなどのトラブルに巻き込まれ、志半ばにして井上は一度朝鮮を離れることになる。しかし、
彼が蒔いてきた種は確実に育っており、韓国人官吏、学者らが、文法的にハングルをまとめていたのだった。
そして後年、井上にまた訪朝のチャンスが訪れ、日本で作成したハングル「活字」を携えて海を渡った。
1886年、漢字とハングルを使用した「朝鮮周報」が発刊されることとなった。部数は3000部と少なく、
結局新聞自体は庶民に浸透しなかったが、彼
が目指した「教育の普及が近代化の一歩である」という意思は、その後、朝鮮語字典、
そして朝鮮総督府による義務教育の普及へと繋がっていくのである。
韓国でいう「日帝時代」が終わり、暫くして韓国は「漢江の奇跡」を成し遂げ世界を驚かせた。
その主役である「朴正煕大統領」は、後年「中曽根氏=後の総理大臣」との会談で次のように話したという。
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私は、貧農の生まれで、学校に通うなど思いもよらなかったが、日本人の役人が両親を説得して
小学校に行くことができた。そしたら学校の教師が、お前は頭が良いから、無料の師範学校へ
行ったほうが良いと推薦してくれた。
師範学校では、更に優秀さを認めてくれて、陸軍士官学校に推薦してくれた。
その結果、士官学校主席として答辞を読むことが出来、陸軍将校になることが出来た。
今の私が有るのは、清廉で誠実な日本人のおかげである。