09/05/18 23:28:06 2Q5SjfgU
一体、どうしてこんなことになったのか。
平成5年に、自ら幹事長まで務めた自民党を離党したときの政治改革の志は、どこで変質してしまったのか。
それともそれは、もともと不純なものでしかなかったのか。
小沢氏に「変質」があったとすれば、二つの契機が考えられる。
一つは、政策や理念を超えた自民党への深い恨みだ。
小沢氏が七党一会派をまとめあげて、非自民の細川政権を誕生させたとき、
当時、自民党にいた亀井静香氏が細川首相の個人的スキャンダルをひそかにつかみ、それを武器に退陣に追い込んだ
(表面上は佐川急便問題が取り沙汰されたが本命は別件)。
それに加えて、続く羽田内閣も、自民党に社会党を引き抜かれて、非自民政権は短命であえなくつぶれた。
小沢氏にとっては地団駄を踏む思いだったに違いない。
もう一つは、新生党を振り出しに政党遍歴の末、たどりついた理念優先の自由党で、少数党の無力さを痛感した経験だ。
これによって、田中角栄直伝の「政治は力、力は数、数はカネ」という政治哲学が、彼の中で再び息を吹き返したのではないか。
だらかこそ、全く異質な民主党の政策を丸呑みして吸収合併される道を選んだのだろう。
またそれゆえに、民主党に合流してのちは、政治的立場では対極にいるはずの旧社会党勢力と手を組み、
それを党内での権力基盤とすることに一切、ためらいはなかったのだ。