09/12/31 13:11:48 lAWXtSXl0
「これで少しは振り向いてくれるかな」。27日に中央競馬年間最多勝を決めた
内田博幸(39、美浦・嶋田潤厩舎)はそう話し、取り囲んだ取材陣の笑いを誘った。
内田が「振り向いて」ほしかったのは、言うまでもなく第一人者の武豊(40、栗東・フリー)。
昨春大井から移籍して2年目。「あの人がいたからここまで頑張れた」と付け加えた。
武豊が国内で通年騎乗しながら最多勝を明け渡したのは、1991年以来、実に18年ぶり。
91年と言えば、10月の天皇賞・秋で、武がメジロマックイーンに騎乗して1位入線後18着に降着。
この「世紀の降着」の後遺症で、当時43歳の岡部幸雄氏に首位を奪われた。
今回の首位交代劇は、この十数年で騎手を取り巻く環境が激変した帰結といえる。
94年の外国人騎手の短期免許制度に続き、95年からは中央と地方の人馬の交流が大幅に拡大。
交流の効果が大きかったのは、馬より騎手の方。岐阜・笠松のスターだった安藤勝己(49)が、
90年代末には中央でレギュラーとなった。
今世紀に入って、安藤勝の騎手免許試験受験を発端に、日本中央競馬会(JRA)は、
地方騎手に中央移籍の道を開く。2003年の安藤勝で始まった移籍は8人を数える。
中央の誰にも止められなかった武豊の長期政権にピリオドを打ったのが、内田博だったことは象徴的だ。
変化は人の流入だけではない。厩舎社会とは無縁だった調教師が増え、騎手選びはドライになった。
騎手側も良質な騎乗馬を集めるため、厩舎との折衝を専任者(騎乗依頼仲介者)に任せるようになり、
有力騎手への集中が急速に進んだ。
変化のメリットを最も得たのは実は武豊だったが、今の環境は「実力の切れ目が縁の切れ目」という
厳しい面がある。技量に少しでも陰りが見えれば、潮が引くように良い馬が離れていく。
首位交代は、勝率が昨年を3・7ポイント下回った武の不振が最大の原因だった。
戦国時代の幕は開いたが、問題は質だ。ジャパンカップでは、ウオッカが武豊に代わって騎乗した
クリストフ・ルメール(30、仏)で優勝。内外の技量の差を示した。昨年、新人最多勝の91勝を挙げた
三浦皇成(20、美浦・フリー)も、今年は78勝。上位陣の壁に当たった。現在の主力は多くが40代。