09/10/22 22:54:55 FlVXvOfW
川嶋家を見つめて 内藤修平記者 斎藤智子記者
朝日新聞 1989.09.12
初めて川嶋紀子さんに会ったのは、昭和61年5月の雨の日だった。待ち合
わせた東京・目白の学習院大学近くの喫茶店に時間通りに現れた彼女は、
横の窓からちらっと中をのぞいてから、入って来た。まだ少女の面影の残る、
学習院大学の2年生だった。
紺のヘアピンを飾っているだけで、化粧はせず、服装も清そだった。ふっくら
した顔立ちと、言葉を選びながらのゆっくりした話しぶりが、テレビ画面で見た
ことのある美智子さま(皇后)の婚約発表時の顔と二重写しになった。そのこ
とを伝えると「ありがとうございます」と紀子さんが答えたように記憶している。
英国のダイアナ妃が来日した直後で、「ああいった方にあこがれますか」と水
をむけると、しばらく考えてから「すてきな方だと思います」とうつむいた。いま
考えると、あるいは、その時、将来の自分の姿を思い描いていたのかもしれ
ない。
父親の辰彦さんとは、それより前の2月に会っていた。60年暮れ、紀子さん
が礼宮さまと三浦海岸でデートをされたという話を聞き、周辺の取材を続けた
末のことだった。「私がお話しして予断を与えてはいけないので、本人から直
接聞くのが一番いいと思います」。辰彦さんのこの言葉が3カ月後に実った。
川嶋さん家族との私たちの交際は、こうして始まった。